14話 グロテスクの檻
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大隅学士は、遂にまんじりともせずに、暁を迎えた。
それはもちろん異常なる緊張にもよることだったけれど、一つには夏の戸外にはとても藪蚊が沢山いることを忘れていたせいもあった。実際夜露を凌ぐにいい繁みの間には、注射針のように鋭い嘴をもった藪蚊が群棲していて、襲撃してくるやつを払えば払うほど、人間のいることに気がついた新手のやつが押しよせてくるのであった。
辻川博士邸内にも、暁の雲間を破った太陽がすがすがしい光をさし込んできた。大隅学士はあたりを警戒しながら、庭園の繁みを匍いだした。彼は昨夜、佐々砲弾の「空の虱」の掩護によって彼自身が風呂敷包の中からとりだした擬装爆弾実はマグネシウム花火などを博士の門前に投げつけ岩蔵を巧みに門外におびき出し、その隙に乗じ、一と足お先に裏門の中に飛び込んだのであった。こんな大芝居でもうたなければ、まるで中世紀の城塞のような辻川博士邸内に忍び入ることはまず不可能だと思われた。学士が潜入した目的は云う迄もないことだが、怪人物辻川博士の動静を探るとともに、邸内の秘密を偵察するにあった。まかり間違えば生命を失う決心をして、彼は怪事件解決のために、中央突破を敢行したわけだった。
繁みからソロソロ匍いだした大隅学士は、幸いに誰に見咎められもしない様子に安心をして、宏大なる邸内の探険にとりかかった。広々とした庭園――それは庭園というのはむしろ不適当で、人造山岳地帯といった方がいいかもしれない。たとえていうと、箱根山塊を三百メートル四方ぐらいの大きさに人造的に縮小した大仕掛けの箱庭とでもいった方がハッキリ博士邸の庭園を説明しているだろう。何れにしても奇怪なる起伏凹凸をなして居り、丘陵があるかと思えば、泉水が流れ、雑木林があるかと思えば、巍然として洋風の塔が聳えたっていたりする。博士邸を囲る塀が城塞のように高いのも無理がない次第で、塀を高くして置かなければ、この異様な邸内の模様は容易に村人の眼に停り、物議の的にならない筈はなかったから。
匍いだした大隅学士は、この異風景の中に、呆然として立ちつくした。それはまるで千里の波濤を越えて、異境に遊ぶの想いがあった。日本中を探しまわっても、恐らくこれほど風変りな邸を持っているところがまだ他にあろうとは思えない。彼はこんな異風景を愛玩する辻川博士の心を恐ろしく思った。
だが大隅学士の愕くのは、いささか早やすぎた。なぜなれば、彼がこの怪園を徘徊してゆくうちに、たまたま欝蒼たる欅の大木にグルッと取巻かれた地内に建っている非常に背の高い頑丈な鉄の檻を発見したが、その檻の中を一と目覗いたときの驚愕に比べると、怪園の異風景などは物の数ではなかった。一体その檻の中には何が入っていたであろうか。
「おお、これは……」
といったきり、彼は化石のように立ち竦み、普段は赤いその顔からはサッと血の気が一滴のこらず退いてしまった。――見よ見よ、その頑丈なる檻の中に、ゆらゆらと蠢いている異様なる動物を……。
まず最初に目についたのは、第一号という檻の中にバタバタ飛翔している烏ぐらいの大きさの黒い鳥――と思ったのが目の誤りで、よくよく見ると身体の形や翅や肢の様子から知れるとおり、それは黒蠅だった。
「ウム、黒蠅だッ。……」
身体の大きさが烏ぐらいもある大黒蠅! 始めて見る怪物だった。――しかし怪物はそれ一つではなかった。その次の檻を見よ!
……見るからにテカテカと黒光りのする鉄冑のような丸い胴、その下からはみ出している刃物のような肢、レンズのように光る眼玉、小枝に漆を塗ったような一本の角……。
「ウム、これだナ、魔の森の怪物! 亀と間違えた甲虫というのは……」
彼はおのれの上下の歯がガチガチと戦慄を伝えてかち合う音を耳にした。恐るべき巨体をもった甲虫! そこで彼は、こわごわ次の檻に目を移した。
「呀ッ……」
彼はおのれの頭髪が一本一本逆立つのをハッキリ意識した。何たる驚異、ああ何たる無惨! 隣りの檻の中に収容せられていたのは、昆虫にも非ず、鳥獣にも非ず、実に実に万物の霊長たる人間が入っていたのである。それは赤裸の、大きさは豚ぐらいもある人間、しかしそれは頭が頗る大きくて一見赤ン坊を大きくしたようなものだった。
「大入道の赤ン坊か。……」
と、大隅学士は思った。これがお美代の妹の代志子であることを知らぬ大隅学士は、大入道の子供だと思った。
だがこの檻の中に飼われている生き物の凄く巨大なることよ。これはまるで御伽噺に出てくる大人国の動物園に行ったような景色である。
さて次の檻には何物が入れられているのか。彼は俄かに不安に襲われながら、その先を見ずにはいられなかった。それで次の檻の中を窺った。そこには、更に巨大なる動物が、金網の中に胡座をかいて、ジッと前方を見詰めていた。それは生ける仁王さまのような人間だったが、その顔をヒョイと見たときに、大隅理学士は、
「ううッ、……」
と一言叫んだなり、俄かに気が遠くなってヘタヘタとその場に崩れるように坐ってしまった。ああ、見ないがよかった。その檻だけは、たとい一命が亡びようとも見ない方がよかったのである。
一体そこには、何者が入っていたのであろうか。