荘子

1話 荘子(1)

8,476字 約17分 2008年11月5日 公開

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 紀元前三世紀のころ、支那では史家が戦国時代と名づけて居る時代のある年の秋、魏の都の郊外櫟社(れきしゃ)の附近に一人の壮年=荘子が、木の葉を敷いて休んでいた。

 彼はがっちりした体に大ぶ古くなった(ほう)を着て、樺の皮の冠を無雑作(むぞうさ)(かぶ)って居た。

 顔は鉛色を帯びて(つや)が無く、切れの鋭い眼には思索に疲れたものに有勝(ありが)ちなうるんだ瞳をして居た。だが、顔色に不似合な赤い唇と、ちぢれて濃い髪の毛とは彼が感情家らしいことを現わして居る。そうかと思えば強い高い鼻や岩のような額は意志的のもののようにも見える。全体からいっていろいろなものが錯綜し相剋し合っている顔だ。

 荘子の腰を下している黍畑(きびばたけ)の縁の土坡(どて)の前は魏の都の大梁(たいりょう)から、韓の都の新鄭を通り周の洛邑(らくゆう)に通ずる街道筋に当っていた。日ざしも西に傾きかけたので、車馬、行人の足並みも忙しくなって来たが、土坡の縁や街道を越した向側の(やしろ)のまわりにはまだ旅人の休んで居るものもあり、それに土地の里民も交ってがやがや話声が聞えていた。里民たちは旅人たちから諸国のニュースを聴かせて貰うのを楽しみによくここに集って来た。彼等は世相に対する不安と興味とに思わず興奮の叫び声を挙げた。荘子はそういう雑沓(ざっとう)には頓着(とんちゃく)なく櫟社の傍からぬっと空に生えている(くぬぎ)の大木を眺め入って居た。その櫟は普通に老樹と云われるものよりも(ぬき)んでて(おお)きく高く荒箒(あらぼうき)のような頭をぱさぱさと蒼空に突き上げて居た。別に鬱然とか雄偉とかいう感じも無くただ茫然と棒立ちに立ち天地の間に幅をしている。こんな自然の姿があろうか。しかし荘子はこの樹の材質が使う段になると船材にもならず棺材にもならず人間からの持てあましものの樹であり、それ故にまた人間の斧鉞(ふえつ)の疫から免れて自分の性を保ち天命を(まっと)うしているのだという見方をして、この樹を讃嘆するのだった。彼はつぶやいた。

「この樹は人間にしたら達人の姿だ」

 そしてこの樹に対して現わした感慨の根となるものが彼の頭の中に思考としてまとまりかけて居た。=「道」というものは決して人の目に美々しく輝かしく見えるものでもなく、はっきりと線を引いてこれと指さし得るものでも無い。自然の化育に従って、その性に従うものは従い、また瓦石(がせき)ともなり蚊虻(ぶんぼう)ともなって変化に(まか)せて行くべきものはまたその変化に(やすん)じて委せる。これが本当の「道」であるべきだ。他の用いを望んで齷齪(あくせく)、白馬青雲を期することは本当の「道」を尋ねるものの道途を(かえ)って妨げる=だが、この考はまだ何となく彼の頭のなかに(すわ)りが悪いところもあった。人々は寸のものを尺に見せても世の中に出たがって居る。彼もつい先頃までその競裡に在ったのだ。この習性はそう急に抜け切れるものでは無い。彼はまたしても櫟の大木を見上げて溜息をついた。

 この時、大梁の方角から旅車の一つが(わだち)を鳴らして来たが荘子の前へ来ると急に止まって御者(ぎょしゃ)台の傍から一人の佝僂(せむし)が飛降りた。近付いて来ると

「荘先生ではありませんか、矢張り荘先生だった」

 と云った。これは荘子のパトロンで諸国を往来して居る金持商人の支離遜だった。

 支離遜は蜘蛛(くも)のように土坡へ匍い上り荘子と並んで腰を下すと言葉をほとばしらせた。

「今お宅へ伺いましたらこちらにお居でだと伺って直ぐ参りました。久し振りですな、先生なにからお話して()いやら、それよりか先生、何故あなたはお勤めも学問の方もおよしになってこちらへ御隠退なさいましたか、お知らせも下さらないで」

 荘子は久し振りで支離遜に逢って嬉しくもあったが直ぐそれを聞かれるのはすこしうるさかった。で、彼はごく手短かに引退の理由を話した。

 この頃、孔子老子の二聖は歿して、約一世紀半ほどの距てはあるがいわゆる「学」と(とな)えられるものは後嗣の学徒によって体系を整えて来はじめ、それと伍して幾つもの学派が並び起った。

 孔子の倫理的理想主義を()けて孟子は人間性善説を提掲した。これに対して荀子は人間性悪説を()り法治論社の一派を形造った。墨子の流れを汲む世界的愛他主義が流行(はや)るかと思えば一方楊朱の一派は個人主義的享楽主義を高唱した。変ったものには「白馬、馬に(あら)ず」の詞で知られて居る公孫龍一派の詭弁(きべん)派の擡頭(たいとう)があった。また別に老子の系統をひく列子があった。年代は多少前後するが大体この期間を中心におよそ人間が思いつくありとあらゆる人生に対する考えが衣を調(ととの)え装いを()らして世人に(まみ)えたのみでなく、義を練り言葉を(くわ)しくして互いに争った。時代は七国割拠の乱世である。剣戟は(ちまた)に舞っているこの伴奏を受けての思想の力争――七花八裂とも紛飛繚乱(りょうらん)とも形容しようもない入りみだれた有様だった。

 荘子は若くして孔老二子の学に遊び、その才気をもってその知るところを駆使し学界人なき有様だった。だが、彼は壮年近くなると漸く論争に倦み内省的になり、老子の自然に(したが)って消極に拠る説に多く傾いて来た。しかし、六尺豊な体躯を持っている赫顔白髪の老翁の太古の風貌を()べる考えと多情多感な詩人肌の彼の考えと到底一致する筈がない。結局荘子は先哲のどの道にも()かず、己れの道を模索し始めた。

 荘子はこころの中一応これを繰返して考えて見たが、いかに自分に敬愛を捧げて居ればとて、眼の前の商人支離遜にそうこまかく話す張り合いもなかった。そこで

「道は却って道無きを道とす、かも知れないよ。つまり、仕官も学問も自分の本当の宝になるものじゃ無くて、(つま)らないからなあ」

 そして荘子は今度は隠退後(うと)くなって居た世間の模様を支離遜から訊く方の番に廻った。

 支離遜の語るのを聴けば聴くほど世の中は変りつつあった。強(しん)に対抗すべく聯盟した趙、燕、韓、魏、斉、楚、の合従(がっしょう)は破れはじめ、これに代って各国別々に秦に従属しようとする連衡(れんこう)の気運が(さかん)になって来た。従って人も変りつつあった。六国の相印を一人の身に帯び車駕の数は王者を(しの)ぐと称せられて居た合従の策士蘇秦は日に日に落魄の運命に陥り(あらた)に秦の宰相であり連衡の謀主である張儀の勢力が目ざましく根を張って来た。洛邑の子供達までが、迎うべき時代の英雄として口々に張儀の名を呼んだ。

 佝僂の遜は(かが)んだ身体せい一ぱい動かして天下の形勢を説明した。年中諸国を()って往来して居る彼は(たしか)に世の中の実情を握んで居た。彼はその説明を終えるときこういう言葉をつけ足した。

「何もかも猫の眼のように変って行きます。しかし、そのうちにたった一つ変らないものがありますな。それは洛邑の名嬪(めいひん)麗姫の美しさですかな」

 遜はあはははと笑った。その笑いには野暮な学者に向って縁の遠い女の話をすることの奇抜さを面白がる響があった。

 ところが荘子は意外にも熱心な色を顔に現わして来た。

「麗姫は近頃どうして居るかね」

 これには遜もあっ気にとられた。あなたのような堅人がどうして麗姫のことを御気に掛けられますかと問わざるを得なかった。荘子はあっさり、それは世間で評判の女だし洛邑では妻まで親しくして居たのだからと答えたが怪しく滑った調子だった。しかし荘子を信じて居る遜はなるほどとうなずいてから学者にも興味のありそうな麗姫の最近の逸話を彼に語った。

 ある夏の日の夕であった。麗姫は自分の館の後園の池のほとりを散歩して居た。池には新しく(こい)が入れてあった。麗姫は魚を見ようと池のへりに近寄った。鯉たちは人の影を見て急いで彼方の水底へ逃げた。水が彼女の()に跳ねた。しばらく顔を真赫(まっか)にして居た麗姫がやがて

「なんという失礼な魚達だろう。わたしは今まで誰にもこんな素気ないそぶりをされたことがない。いくら無智な魚でもあんまりひどい」

 と子供のようにやんちゃに怒り出したという噂を話し終って遜は前にも増して転げるように笑った。

「どうです。魚にまで恨みごとを云う女です」

 といってまた笑った。荘子もつき合いに笑って見せたが彼の憂鬱な顔には一種の興奮を抑えた跡が見えた。

 支離遜は(えり)をかき合せて立上った。

「お(わか)れいたします。今度は忙しくてお宅でゆるゆるさせても頂けません。この次にはぜひお訪ねいたします。それまでに一つあなたもあっと云わせるような学説を立てて世間を驚かせて欲しいですな」

 支離遜の乗った旅車の轍のひびきが土坡の彼方に遠く消えて行った。

 日はいつの間にか暮れた。櫟社の大木は眠って行く空に怪奇な姿を黒々と(きざ)み出した。この木を(ねぐら)にしている鳥が何百羽とも知れずその周囲に騒いで居た。鳴声が遠い汐鳴りのように聴えた。田野には低く夕靄(ゆうもや)が匍って離れ離れの森を浮島のように漂わした。近くの村の籬落(まがき)はまばらな灯の点在だけになり、大梁と思われる地平線の一抹の黒みの中には砂金のような灯が混っている。

 荘子は心に二つの石を投げられて家に帰って来た。蘇秦も張儀も共に修学時代彼と一緒に洛邑に放浪していた仲間であった。二人の仲のよいことは仲間でも評判だった。それがいま、いかに戦国の(なら)いとは云え敵と味方に分れて(はかりごと)の裏をかき合って居るのだとは……蘇秦の豪傑肌な(あか)ら顔と張儀の神経質な青白い顔とが並び合って落日を浴び(なが)ら洛邑の厚い城壁に影をうつして遊山(ゆさん)から帰って来た昔の姿がいまでも荘子の眼に残って居る。今、廟堂で天下を争って居る二人は全く違った二人に思えた。このことはすでに荘子を虫食(むしば)んで来た現実回避の傾向に一層深く思い沁みた。いやな世の中だ。ただただいやな世の中だ、と思えた。

 しかし麗姫の事に(かかわ)って来ると、荘子のこころは自然と緊張して来る。彼は隠遁生活の前、洛邑に棲んで居た頃度々(時には妻の田氏とも一緒に)宴席やその他の場所で彼女に会ったことがある。生一本で我儘でいつも明鏡を張りつめたような気持ちで力一ぱい精一ぱいに生活して行って塵の毛程の迷いも無い。人間がその様に生きられるならば哲学とか思想とかいうものも(あえ)て必要としないだろう。時々思い出して切なくなる荘子にそう思わせる麗姫はもと秦の辺防を(つかさど)る将軍の一人娘であった。戦国の世によくある慣いで父将軍はちょっとした落度をたてに政敵から讒言(ざんげん)を構えられ秦王の(ちゅう)を受けた。母と残された麗姫はこのときまだこどもであった。天の成せる麗質は(つぼみ)のままで外へ匂い透り行末(ゆくすえ)希代の名花に咲き誇るだろうと人々に予感を与えている噂を秦王に聞かせるものがあった。で、間もなく母にも死に訣れた麗姫は引取られ后宮(こうきゅう)に入れて育てられた。いずれ王の第二の夫人にも取立てられる有力な寵姫になるだろうと思われているうち、この王が歿し麗姫は重臣達の(はか)らいで遠くの洛邑の都に遊び女として遣られた。当時洛邑の遊び女には妲妃(だっき)、褒※を増すのであった。麗姫はまた、随分客に無理な難題を持ちかけた。荘子のパトロン支離遜は決して彼女に色恋の望みをかけてのパトロンではなかったが、それだけにまた彼女は余計甘え宜かった。ある時は西の都の有名な人形師に、自分そっくりな生人形を造らせて呉れとせがんだ。それからまた東海に棲む文魚(ぶんようぎょ)を生きたままで持参して見せて呉れとねだった。その魚は常に西海に棲んで居て夜な夜な東海に通って来る魚だなぞと云われて居た珍らしい魚であった。この魚に就いて書かれてある山海経(せんがいきょう)中の一章を()いてみる=状如鯉魚、魚身而鳥翼、蒼文而首赤喙、常行西海、遊於東海、以海飛、其音如鶏鸞。

 だが東海の海近い姑蘇(こそ)から出発して揚子江を渡り、淮河(わいが)の胴に取りついてその岸を(さかのぼ)り、周の洛邑へ運ぶ数十日間その珍魚を生のままで保つことは、殆ど至難な事だった。支離遜はしかし或る神技を有する老人に謀って麗姫のその望みをかなえてやった。ただし老人はそれを運ぶ水槽のなかの仕掛けは誰にも見せなかったという話だ。

 荘子はこんな事をうつらうつら考え乍ら小さい燭の下で妻の田氏と沈黙勝ちな夜食を喰べて居た。考えれば考える程不思議な麗姫の存在だった。彼女は彼女が我儘をすればする程彼女の美しさを発揮するのだ………道は道なき処に却って有るのではないか、彼女の如く拘束なき処に真の生命の恍惚感が有るのではなかろうか……。

「あなた、遜さんが何かまた麗姫の珍らしい話でもして参りましたか」

 妻の言葉に荘子ははっとしたが、まさか一婦人の存在を自分の「道」に係わる迄考慮して居たとも云い度くなかった。

「別に珍らしい話というでもないが相変らずやんちゃで美しいと云ってた」

 と答え、それに申わけばかり云い足して、麗姫が池の魚の逃げたのを恨んだ話をつけ加えて何気ない様子で軽く笑ったが悧巧な田氏は大方夫の胸中は察して居た、しかも、何事も夫の気持ちのリズムに合わせようとして矢張り夫と同じその話を軽い笑いで受けた。

「ほ、ほ、ほ、相変らず可愛ゆい娘でございますね」

 だが荘子はまたそれに重ねて笑う気持にもなれず、相変らず不味(まず)そうにもそりもそり夜食の(はし)を動かして居る。

 妻の田氏は魏の豪族田氏の一族中から荘子の新進学徒時代にその才気煥発(かんぱつ)なところに打ち込んで嫁入って来たものであった。それが荘子が途中「道」に迷いを生じ始め漆園(しつえん)の官吏も辞め華々しかった学界の生活からも退いて貧しい栄えない生活にはいってからも、昔の豪奢(ごうしゃ)な育ちを忘れ果てた様に、何一つの不平もいうところなく彼に従って暮して居る。きりょうも()せては居るが美しかった。荘子もこの妻を愛して居る。だが、荘子はこの妻の貞淑にもまた月並な飽足(あきた)りなさを感じるのだった。つまり貞淑らしい貞淑は在来の「道らしい道」に飽きた荘子にとって無上の珍重すべきものではなかった。悧巧な田氏は夫の自分に対するその心理さえ薄々知って居てあえて不平も見せなかった。

 小童を手伝わして食卓を撤したあと、袖をかき合せて夜風の竹の騒ぐ音を身にしませ乍ら、田氏はなるたけ夫の感情を刺戟しないようさりげなく云った。

「ねえ、あなた。あなたもたまには洛邑にでも出てお気晴らしをなさっていらっしゃいませ、こんな田舎で長いこと毎日独で考え込んでばかり居らっしゃるのはお体の為によくありませんでしょう」

 田氏はまた燭の火に一層近づいて髪の銀(かんざし)がすこし揺れるくらいの調子でつけ加えた。

「ねえ、洛邑に沙汰(さた)して置いて遜さんが次の商用で旅に出ないうちに一度是非行っていらっしゃいませ。そして久しぶりであの無邪気な麗姫にも逢ってごらんなさいませ。案外、お気持も晴れて、御勉強の道も開けて参るかも知れません」

 荘子はじっと瞳を凝らして妻の顔を見た。妻が、決して、りんきやあてこすりで麗姫に逢えと云うので無いことは判り過ぎるほど判って居た。それでも荘子は深く妻のその言葉に感謝するという単純な気持ち以外にあまりにこの女の貞淑の(あつら)え通りに出来上って居る、というような不思議な気持ちで妻の顔をじっと見て居た。

 夜の寝箱にとじ込められる数羽の家鴨(あひる)のしきりに羽ばたく音がしんとした後庭から聞えて来る。

 その後一ヶ月ばかりして荘子は妻の熱心なすすめ通り兼ねて沙汰して置いた支離遜からの迎えもあっていよいよ洛邑へ向けて旅立った。

 秋も末近いのでさすがに派手な洛邑の都にも一かわさびがかかっていた。さしも天下に覇を称えられていた周室はすっかり衰えて形式だけの存在になったが、その都である洛邑はやっぱり長い間の繁昌の惰性もあり地理的に西寄りではあるが当時の支那の中心に位し諸国交通の衝路に当りつつ歌舞騒宴の間に説客策士の往来が行われ諸侯の謀臣と秘議密謀するの便利な場所であった。

 荘子が遜に連れられ洛邑の麗姫の館に来たのは夕暮を過ぎて居た。二人は中庭を取囲むたくさんの部屋の一つに通された。星の明るい夜で満天に小さい光芒が手を連ねていた。庭の木立は(たくみ)に配置されていて庭を通して互いの部屋は見透さぬようになっていた。窓々には灯がともり柳の糸が蕭条(しょうじょう)と冷雨のように垂れ注いでいた。

 二人が侍女を対手(あいて)に酒を呑み出して居るところへ「蠅翼(ようよく)の芸人」が入って来た。半身から上が裸体で筋肉を自慢に見せて居る壮漢が薄手の(おの)を提げて来た。あとから美しく着飾った少女が鼻の尖にちょんぼり白土を塗って入って来た。その白土の薄さは支那流の形容でいえば蠅の翼ほどだった。少女は客の前へ来てその白土に触れさせないようにその薄さだけを見せて置いて床へ仰向けに大の字なりに寝た。壮漢は客に一礼して少女の側に突立った。斧が二三度大きく環を描いて宙に鳴った。はっという掛声と共に少女の鼻端の白土は飛び壁に当ってかちりと床に落ちた。少女はすぐさま起き上って嬌然と笑った。こんもり白い鼻は斧の危険などは知らなかったように穏かだった。壮漢はその鼻の上を掌で撫でる形をして「大事な鼻。大事な鼻」と云った。遜も侍女たちも声を挙げて笑った。戦国の世には宴席にもこういう殺気を帯びた芸が座興を添えた。

 目ばたきもせず芸人の動作に見入っていた荘子はつくづく感嘆して訊いた。

「これには何か、こつがあるのかね」

 壮漢は躊躇(ちゅうちょ)なく答えた。

「こつは却って、この相手の娘にあるんです。この娘は生れついてから刃ものの怖ろしいことを知らないんです。斧に向っても平気でいます。それでわたくしはやすやす斧を(ふる)えるのです」

 荘子は「無心の効能」に思い入りながら少女を顧みた。少女は侍女の一人から半塊の柘榴(ざくろ)を貰って種子を盆の上に吐いていた。それを喰べ終ると壮漢に伴われ次の部屋へ廻りに出て行った。

 薫る香台を先に立てて麗姫が入って来た。部屋の中は急に明るくなった。彼女はその美を誰にも見易くするように燭の近くに座を占めた。

 彼女は生れつきの(がぼう)靡曼(びまん)に加えて当時ひそかに交通のあった地中海沿岸の発達した粉黛(ふんたい)を用いていたので、なやましき羅馬(ローマ)風の情熱さえ眉にあふれた。

 彼女の驕慢も早く洛邑に響いた稀世の学者荘子には一目置いて居た。彼女はおとなしく荘子の前に膝まずいた。

「よくお越し下されました。随分お久しぶりにお目にかかります」

「田舎へ入って仕舞ってどちらへも御無沙汰ばかりです。だが、あなたは相変らずで結構ですな」

「はい、有難う御座います。お蔭さまをもちまして………あのお宅さまでは奥様も御機嫌およろしゅう御座いますか」

「先ごろから少々わずらって居ますがさしたることもありません。大方なれない田舎棲いでいくらかこころが鬱したからででもありましょう」

「ちと都の方へもお出向き遊ばすよう御言伝えて下さりませ」

(ねんごろ)なお心づかい有難う、とくと申伝えてつかわしましょう」

 しかし、荘子と麗姫の儀礼をつくした言葉のやりとりはその辺で終った。やがて麗姫は何もかも忘れてしまって自分の興そのものだけを空裏に飛躍させ始めた。荘子はその境地を見るのを楽しみにしてこそ麗姫に逢いに来たのである。彼は心陶然として麗姫の興裡に自分も共に入ろうとした。

「………海上に浪がたつ時、その魚は翼をのばして、一丁も二丁も浪の上を飛ぶのですって」

 彼女は、それを繰返し繰返し云うのであった。荘子は始め、彼女が何を云い出したのかと思ったらそれは先頃支離遜に無理難題を云いかけてはるばる東海から彼女が取寄せて貰った生きた文魚の話であった。彼女はそれを折角(せっかく)生きたままで手許(てもと)へ運んで貰っても、彼女が洛邑の桶師につくらせた方一丈の魚桶では一向その魚がその本性の飛躍をしないでしおしおと水につばさをしぼめて居るのが残念だというのである。さてこそ彼女は身ぶり手まねでその魚が東海の浪の上を飛ぶであろう形まで真似てひとつには彼女の心やりとし、人に訴えてかなわぬ願いの鬱憤を晴すのだった。

「海上に浪が立つ時、その魚は翼をのばして浪の上を一丁も二丁も飛ぶのですって」

 彼女は幾度か目にそれを云ったあと、ころころと声を高欄の黄金細工にまで響かせて笑った。だがその笑いのあとの眼を荘子にとどめると彼女は真面目に支離遜に向いて云った。

「荘先生はお変りになりました。もと洛邑にお居での時は私のたわ言など、こんなに真面目に聞き入っては下さいませんでした。何か鋭いまぜ返しを(おっしゃ)るか、ほかのお方とお話をなさるかでした」

「まあ、そうむきにならなくとも宜い。先生は田舎へ退隠なされてからずっと渋くおなりなされたのです」

「そう仰ればもとはあんなにお美しかったお顔も鉛色におくすみなされて………して、その先生が何故わたくしなどをお招びになり馬鹿らしい所作にさもさも感に堪えたような御様子をなさいますのやら」

 支離遜は手持ち無沙汰に苦笑して居る荘子の方を見やり乍ら何と返事をしたものかと迷って居たが、麗姫がむやみに返事をせき立ててやまないのでとうとう云って仕舞った。

「先生はな………実はな………あんたの我儘が見度くて来られたのです」

「え、わたくしの我儘が?」

「そうだ、あんたの天下第一の我儘がしきりに見度いと仰しゃって私に案内をさせなされた」

「まあ私の我儘を今更何で先生が………」

 そのとき麗姫の顔には(さび)しいとも恥かしいとも云い切れない複雑な表情が走った。支離遜は(かつ)て彼女にこんな表情の現れたのを見たことが無かった。だが、荘子はふかく腕をこまぬいて瞑目して居たためその表情を見のがした。

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