恐怖王

11話 尾行曲線

1,801字 約4分 2020年7月28日 公開

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 飛行機は飛び去っても、彼の残した煙幕文字は、ボヤン、ボヤンと無限に大きく拡がりながら、いつまでも怪しい蜃気楼(しんきろう)の様に、大空に漂っていた。

 大江蘭堂は、余りにも大がかりな悪魔のプロパガンダに度肝(どぎも)を抜かれたのか、群集が立ち去ったあとまでも、ボンヤリと海岸に(たたず)んでいたが、ふと気がつくと、十間ばかり向うの波打際(なみうちぎわ)に、彼を見つめて立止っている、妙な人物を発見した。

「妙だ、あいつはなぜ、俺を見つめているんだろう」

 ムラムラと疑念が湧き上った。

 (よもぎ)の様な頭髪、ボロボロの古布子(ふるぬのこ)、繩を結んだ帯。乞食かしらん、だが、乞食がなぜあんなに彼を見つめていたのだろう。

 こちらもじっと(にら)みつけてやると、乞食みたいな男は、気拙(きまず)そうにそっぽを向いて、トボトボと歩き出した。歩きながら、チラッチラッと振返る。その様子が如何にも怪しいのだ。

 蘭堂はあきらめ切れないで、つい乞食のあとを追って歩き出した。

 広い砂浜を、右に左に、時には逆戻りさえしながら、乞食はいつまでも歩いて行く。その歩きぶりは、全くあてのない散歩でもしている様に見えるが、こうして蘭堂を退屈させて、尾行を思切(おもいき)らせる算段かも知れない。

 グルグル廻りながら、やがて砂浜を三十分も歩いたであろうか、ふと気がつくと、高い石垣の上で、五六人の子供が騒いでいた。彼等は乞食と蘭堂を指さして、しきりと何か(はや)し立てているのだ。

「あれ字だよ。伯父(おじ)さん達字を描いているんだよ。君、読めるかい」

「読めらい、あれ、英語のKって字だい」

 この異様な会話が、蘭堂の小耳を打った。子供()は一体何を云っているのだろうと、うしろを振返って見ても、別に文字らしいものは見当らぬ。だが「Kという字」の一言(いちごん)は聞捨てにならぬ。

 彼はふとある事を感づいて、急な坂道を、高い石垣の上へ駈け(あが)って行った。

「オイ君達何を云っているの? どこに字があるの?」

 子供等に尋ねると、

「ワーイ、伯父さん自分でかいた癖に知らないのかい。ホラごらん、あれだよ、あれだよ」

 指さす砂浜を見渡すと、人通りのない広い地面に、乞食の足跡と、蘭堂自身の靴の跡と重なり合って、目も(はる)かに、異様な曲線を描いていた。なる程、ここへ上って見ると、その足跡がハッキリとローマ字の形になっている。

 さし渡し半町(はんちょう)程のべら棒な巨大文字(もんじ)。その余りの大きさに、我が靴跡で描きながら、少しもそれと気づかなかったのだ。

 Kyofuo ……やっぱり「恐怖王」の六文字だ。

 ハテナ、さっきの空の煙幕が、地面に影を投げているのではあるまいかと、妙な気持になって、空を眺めたが、煙幕は已に溶け去って、そこには最早(もは)や何のくもりもなかった。

 すると煙の文字が、地上に落ちて、そのままあの砂浜へしみ込んでしまったのかしら。流石の探偵小説家も、頭がどうかしたのではないかと、疑わないではいられなかった。

 何という無駄な、馬鹿馬鹿しい、しかもずば抜けた賊の自己宣伝であろう。死人の肌の糜爛文字、米粒の表面の極微(ごくび)文字、そして今は又、大空の黒雲かと見まがう煙幕文字、地上の足跡の砂文字、これは一体どうしたというのだ。

 賊は悪魔の宣伝ビラを、所きらわず()き散らしているのだ。一分の米粒も賊の名刺だ。眼界一杯の大空も賊の名刺だ。

 気違いか? イヤイヤ気違いにこんな秩序ある(はな)(わざ)が演じられるものではない。彼奴(あいつ)は正気なのだ。正気でこのべら棒ないたずらをやっているのだ。こいつは大物だぞ! 布引照子さんの事件なんか、ほんの小手調べに過ぎないのだ。彼奴は今やっと、世間に彼奴の名刺をふり撒いているではないか。自己紹介が済めば、これより愈々本舞台という段取りなのではあるまいか。

 だが、そんなことを考えている時ではない。さしずめ曲者はあの乞食だ。蘭堂は乞食の歩くままに尾行したからこそ、あんな文字が現われた。つまりこの怪文字のかき手はあの乞食であったのだ。

 見ると、乞食()、いつの間にか五六町向うの海岸を豆の様に小さく歩いて行く。

「ウヌ、逃がすものか」

 蘭堂は石垣を駈け降りると、一散に乞食のあとを追った。五間、十間、二十間、(またた)く内に二人の距離はせばめられて行く。

 乞食奴、ふり返って追手(おって)を見ると、矢庭に駈け出したが、どうも余り駈けっこはお得意でないらしい。ヨタヨタと妙な恰好で走って行くが、到底のっぽの蘭堂の敵ではない。

「待て、聞きたいことがある」

 とうとう、追手の猿臂(えんび)が乞食の襟髪(えりがみ)にかかった。

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