2話 顔のない死体
読み方を変える
「やっぱりそうだ。人間の腕だ。指の様子では、まだ若い女の様だね」
妖犬の捨てて行った一物に近より、怖々覗き込みながら大宅が判断した。
「どっかの娘さんが喰い殺されたのじゃあるまいか。それとも餓えた山犬が墓をあばいたのか」
「イヤ、この村には若い女の新仏はない筈だ。といって、山犬共が生きている人間を喰い殺すなんて、そんな馬鹿なことは考えられないし、オイ昌ちゃん、やっぱり君の云った通り、こいつは少し変な具合だね」
流石の大宅も目の色を変えていた。
「それ見給え。土竜やなんかで、あんな全身血まみれになる筈はないよ」
「兎も角調べて見よう。片腕があるからには、その腕のついていた身体がどっかになければならない。君、行って見よう」
二人は、ひどく緊張して、何か探偵小説中の人物にでもなった気持で、さい前から妖犬のやって来た方角へと急いだ。
ポッカリと黒い、怪物の口の様なトンネルの入口が、段々形を大きくして近づいて来た。番小屋の中で手内職の編ものをしている仁兵衛爺さんの姿も見える。
と見ると、その番小屋の小半丁手前、鉄道線路の土手のすぐ側の一際深い叢の中から、三本の、或は黒く或は白い牛蒡の様なものが生えて、それがピンピン動いていた。何ともえたいの知れぬ異様な光景であったが、やがて、草に隠れて身体は見えぬけれど、その三本の牛蒡は、御馳走に夢中になっている三匹の犬の尻尾であることが分った。
「あすこだ。あすこに何かあるんだ」
大宅は、先の例に慣って、先ず小石を二つ三つ投げつけると、三匹の犬は、叢の中から、一斉にニョッと首をもたげて、血に狂った六つの目でこちらを睨みつけた。牙をむきだした真赤な口から、ボトボトとしずくを垂らしながら。
「畜生、畜生」
その形相にこちらはギョッとして、又も小石を拾って投げつける。それには犬共も敵し兼ねて、さも残り惜そうに逃げ去って行った。
そのあとへ、二人は大急ぎで駈けつけ、草を分けて覗いて見ると、草の根のジメジメした地面に、人間の形をした真赤なものが、黒髪を振り乱し、派出な銘仙の着物の前をはだけて、転がっていた。
二人が見た丈けでも六匹の大犬に喰い荒されているのだ。まだ生々しい死骸の、あばら骨が現われ、臓腑が飛び出し、顔面は跡かたもない赤はげになって、茶飲茶碗程もあるまんまるな目の玉が虚空を睨んでいたとて不思議はない。
殿村も大宅も、生れてから、こんな滑稽な、えたいの知れぬ、恐ろしいものを見たことがなかった。
犬の歯に荒されない部分の皮膚を見ると、よく肥っていて病人らしくはない。さき程犬の銜えて来た片腕を除いては、五体がチャンと揃っている所を見ると、轢死人でもないらしい。すると、六匹の野犬が健康な一人の女を喰い殺してしまったのであろうか。イヤイヤ、それは考えられないことだ。人間一人喰い殺される騒ぎを、いくらなんでも、すぐ近くの番小屋の仁兵衛爺さんが気付かぬ筈はない。悲鳴を聞きつけて助けに駈けつけぬ筈はない。
「君はどう思う。犬共は、生きている女を喰い殺したのでなくて、とっくに殺されている死骸を餌食にしたのじゃないだろうか」
大宅幸吉が、やっとしてから物を云った。
「無論そうだね。僕も今それを云おうとしていたんだ」
青年探偵作家が答えた。
「すると……」
「すると、これは恐るべき殺人事件だよ。誰かがこの女を殺害して、例えば毒殺するなり、絞め殺すなりしてだね。それからこの淋しい場所へ運んで来て、ソッと叢の中へ隠して置いたという考え方だ」
「ウン、どうもそうとしか考えられないね」
「服装が田舎めいているから、多分この附近の女だろう。停車場もないこの村へ、旅人がさまよって来る訳はないからね。君この女のどっかに見覚はないか。多分S村の住人だろうと思うが」
殿村が尋ねる。
「見覚えがないかと云って、見るものがないじゃないか。顔もなんにもない、赤い塊りなんだもの」
如何にも、頭部はあるけれど、顔と名づけるものは跡方もない赤坊主であった。
「イヤ、着物とか帯とか」
「ウン、それはどうも見覚えがないよ。僕は一体女の服装なんか注意しないたちだからね」
「じゃ、兎も角、仁兵衛爺さんに尋ねて見よう。あいつ近くにいて、ちっとも気附かないらしいね」
そこで二人は、トンネルの入口の番小屋へ走って行って、旗振りの仁兵衛を呼び出し、現場へ引っぱって来た。
「ワア、こりゃどうじゃ。なんてまあむごたらしい。……ナンマイダブ、ナンマイダブ」
爺さんは赤い塊りを一目見ると、たまげて、頓狂な声を立てた。
「この女は犬に喰われる前に殺されていたんだよ。下手人がここへ担いで来て捨てて行ったんだよ。君、何か思い当る様なことはないかね」
大宅が尋ねると、爺さんは小首をかしげて、
「わしゃなんにも知らなかったよ。知ってれば山犬なんぞに喰わせるこっちゃないのだが。ハテネ、若旦那、これやてっきり昨夜の内に起ったことだぞ。なぜと云って、わしゃ昨日は何度もこの辺を歩いたし、夕方落しものをして、そうだ、丁度ここいらを探し廻った位だから、こんな大きな死骸がありゃ、気の附かねえ筈はねえ。てっきりこりゃ、昨夜真夜中に起ったこんだぞ」
と断定した。
「それやそうかも知れないね。いくら人通りがないといって、あんなに犬がたかっているのを、一日中気附かない筈はないからね。ところで、爺さん、君、この着物に見覚えはないかね。村の娘だと思うのだが」
「こうっと、こんな柔か物を着る娘と云や、村でも四五人しかないのだが、……アアそうだ、わしの家のお花に聞いて見ましょう。あれは若いもんのこったから、同じ年頃の娘の着物は、気をつけて見覚えてるに違えねえ。オーイ、お花やあ……」
爺さんの怒鳴り声に、やがて娘のお花が、
「ナーニ、お父つぁん」
と番小屋を駈け出して来た。
彼女は叢の死骸を見ると、キャッと悲鳴を上げて逃げ出しそうにしたが、父親に引止められ、怖々着物の裾の方を見て、たちまちその主を鑑定した。
「アラマア、この柄は山北の鶴子さんのだわ。村中でこの柄の着物持ってるのは、鶴子さんの外にありゃしないわ」
それを聞くと、大宅幸吉の顔色がサッと変った。無理はない。山北鶴子と云えば、大宅が嫌い抜いている彼の幼時からの許婚の娘だ。その鶴子が時も時、結婚問題で悶着の起っている今、かくも無惨な変死をとげたのだ。大宅が青くなったのは、別に不思議でない。
「間違いはねえだろうな。よく考えて物を云うがええぞ」
仁兵衛爺さんが注意すると、娘は段々大胆になって、死骸の全身を注意深く眺めていたが、
「鶴子さんに違いないわ。帯だって見覚があるし、そこに落ちている石の入ったヘヤピンだって、鶴子さんの外に持っているものありゃしないわ」
と断言した。