死剣と生縄

1話

1,458字 約3分 2006年11月19日 公開

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 武士の魂。大小の二刀だけは腰に差して、手には何一つ持つ間もなく、草履突掛けるもそこそこに、磯貝竜次郎(いそがいりゅうじろう)は裏庭へと立出(たちいで)た。

如何(いか)ような事が有ろうとも、今日こそは思い切って出立致そう」

 武者修行としても一種特別の願望を以て江戸を出たので有った。()くに目的を達して今頃は江戸に帰り、喜ぶ恩師の顔を見て、一家相伝の極意秘伝を停滞(とどこおり)なく受けていなければ成らぬのが、意外な支障(さわり)引掛(ひきかか)って、三月余りを殆ど囚虜(とらわれ)の身に(ひと)しく過ごしたのであった。

 常陸(ひたち)の国、河内郡(こうちごおり)阿波(あんば)村の大杉(おおすぎ)明神の近くに、恐しい妖魔が住んでいるので有った。それに竜次郎は捕って、水鳥が霞網に(からま)ったも同然、如何(いかん)とも仕難くなったのであった。一と夏を其妖魔の家に心成らずも日を過して、今朝の秋とは成ったので有った。

 大杉明神は常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)を祀るともいう。俗に天狗(てんぐ)の荒神様。其附近に名代の魔者がいた。生縄(いきなわ)のお(てつ)という女侠客がそれなのだ。

 (もと)より田舎の事とて泥臭いのは勿論(もちろん)だが、()に角常陸から下総(しもうさ)利根川(とねがわ)を股に掛けての縄張りで、乾漢(こぶん)も掛価無しの千の数は揃うので有った。お鉄の亭主の火渡(ひわた)甚右衛門(じんえもん)というのが、お上から朱房の十手に捕縄を預った御用聞きで、是れが二足の草鞋(わらじ)を穿いていた。飯岡(いいおか)助五郎(すけごろう)とは兄弟分で有った。

 その火渡り甚右衛門が病死しても、後家のお鉄が男まさりで、まるで女の御用聞きも同然だという処から、未だ朱房の十手を預っているかのように人は忌み恐れていた。

「生縄のお鉄は男の捕物に掛けては天下一で、あれに捕ったら往生だ。罪の有る無しは話には成らぬ。世にも不思議な拷問で、もう五六人は殺されたろう。阿波の高市(たかまち)に来た旅役者の嵐雛丸(あらしひなまる)も殺された。越後(えちご)縮売(ちぢみうり)の若い者も殺された。それから(きょう)の旅画師に小田原(おだわら)の渡り大工。浮島(うきしま)真菰大尽(まこもだいじん)の次男坊も引懸ったが、どれも三月とは持たなかった。あれが世にいう悪女の深情けか。まさか切支丹(きりしたん)破天連(ばてれん)でも有るまいが、あの眼で一寸睨まれたら、もう体が痺れて如何(どう)する事も出来ないのだそうな」

 ()うした(うわさ)は至る処に立っていた。

 とは知らぬ磯貝竜次郎、武者修行に出て利根の夜船に乗った時に、江戸帰りのお鉄と一緒で有った。年齢(とし)は既に四十近く、姥桜も散り過ぎた大年増。重量は二十貫の上もあろう程の肥満した体。色は浅黒く、髪の毛には波を打ったような癖が目立って、(しか)生端(はえぎわ)薄く、それを無造作に何時(いつ)も櫛巻きにしていた。鼻は低く、口は大きく、(あご)は二重に見えるので有ったが、如何にも其眼元に愛嬌が(あふ)れていた。()うして云う事()る事、如才無く、総てがきびきびとして気が利いていた。若い時には斯うした風のが、(かえ)って男の心を動かしたかも知れぬのだ。

「大杉様へ御参詣なら、是非手前共へお立ち寄りを」

 押砂河岸(おしすながし)で夜船を上って、阿波村に行く途中の蘆原(あしはら)で、急に竜次郎が腹痛を覚えた時に、お鉄は宛如(まるで)子供でも扱うようにして、軽々と背中に負い、半里足らずの道を担いで吾家に帰り、それから親身も及ばぬ介抱をして()れたまでは好かったが、其儘(そのまま)一歩も外に踏出させぬには、此上も無い迷惑なので有った。

 竜次郎の腹痛は直ぐ治ったが、折角元の健康に復したのも、二日か三日で又衰え始めて、されば、何処が不良という事無しに、唯ぶらぶらの病に均しく、腑抜けのように日を暮らしていた。月代毛(さかやき)も延びた。顔色も蒼白く成った。眼の窪んだのが自分ながら驚かれるので有った。正しく妖魔の囚虜(とりこ)と成ったので有った。

 今日こそはと大勇猛心を出して、お鉄の不在を幸いに、裏庭から崖を降りて稲田伝いに福田(ふくだ)村の方へ出ようと考えたので有った。

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