蠅男

13話 蠅男(13)

8,101字 約16分 2005年7月12日 公開

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此奴(こいつ)がッ――」

 ドドンと帆村は敢然(かんぜん)引き金を引いた。今や危急存亡(ききゅうそんぼう)(とき)だった……

「うわッはッはッ」

 人を喰った笑い声もろともアーラ不思議、蠅男の身体がドーンと床の上に仆れるが早いか、ガチャガチャと金属の摺れあう音がして、蠅男の胴と手足がバラバラになった。

「呀ッ!」

 と帆村の(たじろ)ぐ前に、バラバラになった蠅男の五体は、まるでその一つ一つが独立した生き物のように、物凄い勢いでクルクルと床上を匍いまわり、次第次第に帆村の身近く迫ってくるのであった。勇猛な帆村探偵も、この勝手のちがった相手の攻勢に遭って、手の出し様がなかった。クルクル廻る蠅男の首を狙うべきか、脚を抑えるべきか。

 帆村は咄嗟(とっさ)にヒラリと安楽椅子の上にとび上った。そして手にしたピストルを下に向けて、ドドドーンと乱射した。

「ぎゃッ。――」

 と、途端(とたん)に聞ゆる悲鳴、素破(すわ)ピストルの弾丸が命中したかと思った刹那(せつな)、傍らの壁に突然ポッカリと丸窓のような穴が明き、蠅男の右腕がまずポーンと飛びこむと、続いて首と胴が、更に鋼条でつながれた二本の義足が、蛇が穴に匍いこむようにゾロゾロッと入ってゆく――。

「こら、待てッ。――」

 と、帆村はピストルを其の場になげだし、折しも穴を潜ろうとする蠅男の一本の足に素手で飛びついた。そうはさせじと蠅男の脚は、恐ろしい力で穴の中へ帆村の身体もろとも引張りこもうとする。エイヤエイヤと、とんだところで蠅男と帆村との力較べが始まったが、やがてギィーッと奇異な音がして帆村探偵は呀ッという間もなくドーンとうしろにひっくりかえる。

 パタンと丸窓の閉まる音。

 ムックリ起き上った帆村の手には、奇妙な物が残った。それは人間の足首そっくりに作られた鋼鉄とゴムとを組合わせた左の義足だった。

 帆村は死人のように青褪(あおざ)め、この奇妙な分捕品を気味わるげに見入った。

 折よくそこへ、正木署長が一隊の腕利きの警官をひきつれて駈けつけ、(ドア)を蹴破ってくれたので、帆村は蠅男の追跡を署長に委せ、彼は暫くの休息をとるために、室内の安楽椅子に腰を下ろして汗をふいた。

「なんという怪奇!」

 帆村は疲労を一本の莨にもとめて、うまそうに紫煙をくゆらせながら、呟いた。今しがたのあの恐ろしい格闘の光景を思い出すと、また急に気が遠くなりそうであった。彼は随分これまで狂暴な殺人犯人にも出会ったが、いくら狂暴でも獰猛(どうもう)でも、この怪奇なる組立て人間「蠅男」に較べると作り物の大入道ほども恐ろしくはなかった。怪物蠅男の出現は、人間の常識を超えている! 神か、魔か? どうしてこんな奇異な人間が存在し得るのか?

 それにしても、蠅男が鴨下ドクトルに化けていたのを今迄誰も知らなかったとは、なんという迂濶(うかつ)なことだろうか。帆村も、それを真逆今日になって発見しようとは考えていなかった。丁度旅から帰ってきた鴨下カオルと上原山治と一度会ったとき、不図(ふと)放った帆村の質問から、(にせ)ドクトルの仮面が()げはじめたのである。しかもその話の最中に二人の若き男女は、偽ドクトルに呼ばれて、この階上に来た筈であるが、怪しくも何処へ行ったものか、影さえ見えない。帆村はそれを蠅男の狂悪性と結びあわせて、思わずブルブルと身慄いを催した。

「こうしちゃいられないぞ」

 帆村は吸いつけたばかりの二本目の莨を灰皿に捨てて、スックと立ち上った。蠅男の正体も調べたいが、若き二人の安危が更に気に懸る。

 彼は書斎を調べて廻ったが、思うようなものにぶつからなかった。そこで廊下に走りでて、両側に並んでいる室々を片っぱしからドンドンと叩いて廻った。

 すると、果して一つの部屋のうちから、(かす)かではあったが、人間の(うめ)くような声を耳にした。その部屋はかつて蠅男が帆村を狙いうちにした暗い部屋だった。

 扉を蹴破ってみると、果してその小暗い室内に、洋装のカオルと山治とが荒縄でもってグルグル巻きに縛り合わされていた。

 帆村は愕いて、すぐさま二人の(いまし)めの縄を解いてやった。

 二人は再生の悦びを交々(こもごも)のべた後で、偽の父と見破った瞬間に、忽ちこんな目に合ってしまったことを説明した。帆村は、それこそ怪物蠅男が化けていたのだ、といえば山治は、

「――その蠅男は、僕たちが階下(した)の応接室で喋っていたことを、マイクロフォン仕掛で、すっかりこっちで聞いていたんだって云っていましたよ」

「そうなんですのよ。あたくしが父の身体の特徴について、貴方に申上げようとしたので、それを喋られては大変と愕いてこの階上に呼びあげたのですわ。あたくしも、もうすっかり覚悟をしてしまいました。父は蠅男のためにストーブの中で焼き殺されたに違いありませんわ」

「なるほど、あの焼屍体の半焼けの右足の拇指が半分ないのは、お父さまの特徴と一致するというわけですね」

 カオルはそれに応える代りに、はふり落ちる泪を手で抑えつつ大きく(うなず)いた。無慚(むざん)な最期を遂げた亡き父に対する悲しみが、今や新たに(なみだ)を誘ったのに相違なかった。

「お嬢さん。ドクトルはどうして蠅男に殺されるようなわけがあったのでしょうネ」

 と、帆村が率直に(たず)ねると、カオルは泪に泣きぬれた白い面をあげて、

「さあそれが、あたくしには一向心当りがございませんのです」

「うむ、貴方にもやはり分りませんか」

 帆村は、また一つ希望を失った。

 だが根本によこたわる彼の信念は微動もしなかった。蠅男の兇刃(きょうじん)(たお)れた鴨下ドクトル、それから富豪玉屋総一郎、最近に元検事正塩田律之進――この三人は、何か蠅男から共通の殺害理由をもちあわしていたに違いないということだ。その殺害理由を探し出すことが、この大事件を解決する一番近道であらねばならぬ。一体それは何だろう。

 この最初の被害者である鴨下ドクトル邸内にも、必ずやその殺害理由を説明するに足る秘密材料の一つや二つが隠されているに相違ない。この際、出来るだけ早くそれを探しあてることだ。

 帆村は、心の中に(うなず)いて、小暗い部屋の中を見廻した。暗さの中に瞳が慣れると、この部屋は書庫であるのに気がついた。その書庫には、プーンと(かび)の生えた匂いのする古い図書が何万冊となく雑然と積みかさねられてあったのである。

 いま帆村の感覚は針のように尖っていた。彼はその堆高(うずたか)い古書の山を前に向いあっていたとき、不図(ふと)一つの霊感を得た。

(――この古書の中に、なにか参考になる記録が交っておりはしまいか?)

 そう思いつくと、帆村は猛然と活動を開始した。彼はその堆高い古書を、片っぱしから調べ始めたのである。

 カオルと山治も、帆村のために進んで協力を申出でた。そこで三人は、鼠のようになって、古書の山を切り崩していった。

 小半時間も懸ったであろうか。

「うむ、あったぞッ!」

 と、突然帆村が叫んだ。カオルと山治が愕いてその方を見ると、帆村探偵は、空っぽになった本棚の隅から一冊の皮表紙の当用日記を、頭上高くさしあげていた。

「これだこれだ。ドクトルの日記だ。塩田検事正の名が出ている!」

「ええッ」

「まだある。玉屋総一郎の名もあるんだ」

 帆村探偵は興奮のあまり、ドクトルの日記帳をもつ手のブルブル慄えるのをどうすることもできなかった。

 鴨下ドクトルの日記帳の中には、そも如何なる大秘密が認められてあったろうか?

   縮小人間の秘密

 実に貴重なる鴨下ドクトルの日記帳だった。

 プーンと黴の匂いが鼻をうつその黄色くなったドクトルの日記帳のページの中から、永らく帆村の知りたいと思っていた「蠅男」の正体が遂に顔を出したのであった。

 帆村は、青白い額の上にジットリと脂汗(あぶらあせ)(にじ)ませながら、日記帳の中に認められていた愕くべき十年前の秘密について、ドクトルの遺児カオルとその愛人との前に説明をした。その大略は次のようなものであった。

     *

 その日記帳を展げてみると、まずドクトルが一つの素晴らしい医学的研究を思いついて、たいへん得意らしい文章が目についた。そこには、その研究がどんな素晴らしい内容をもっているのか、それには触れていなかった。

 其の次には、ドクトルはその研究材料となってくれる人間を何とかして獲たいものだと、くどくどと熱望の言葉がつらねてあった。

 それからしばらくページを繰ってゆくと、こんどはいよいよ念願が叶って、近く試験台になる人間を手に入れることができるかもしれないと書いてあった。

 時の塩田検事正の名が登場したのも、それから幾日と経たないのちのことだった。塩田検事正は、予(ドクトルのこと)の願いを入れて死刑囚を一旦処刑後引渡すから後はそのまま死なすなり生かすなり思うようにしろと云ってくれたこと、但しこれが他に知れると由々敷(ゆゆし)大事(だいじ)であるから絶対秘密を守るようにという条件を持ち出されたことが認められてあった。

 それから一週間ほどして、日記帳のページは何のためか十日間ほど空白のまま残されていたが、その後の日附のところには、突然糊本千四郎(のりもとせんしろう)の名が現われ、しかも毎日附け落ちもなくその消息がつけてある。この様子から見ると既に糊本はドクトル邸に同居しているらしかった。

 二十八歳の死刑囚糊本のことについては、ずっと後に数頁を(ついや)して詳しく説明がしてあった。それによると、死刑囚糊本は南洋で案内人を業としているうち、日本から出稼ぎできていた西山某なる商人の所持金を奪うため、海岸の人気のないところで棍棒をふるって無慚(むざん)にも撲殺し、所持金を奪って逃走した。誰知らぬと思いの(ほか)、それを同じくこの地に出稼ぎ中の同郷の人、玉屋総一郎に見られてしまい、後に裁判所に於て玉屋の証言が取上げられ、糊本は遂に死刑を宣告されたとある。

 その殺人犯の糊本が刑死すると、塩田検事正の取計いで彼のまだ生温い屍体はドクトル鴨下の待っていた寝台自動車のなかに搬びいれられた。

 糊本はドクトルの手で、見事に蘇生(そせい)せしめられた。しかし彼は蘇生したことを悦ぶ前に、身動きならぬほど厳重に手術台の上に縛りつけられている我が身を怪しまねばならなかった。彼の眼は、ピカピカ光るメスを手にした鴨下ドクトルを見つけた。「何事?」と詰問しようと思ったとき、彼の鼻孔には麻酔薬の高い匂いが(にお)った。――ドクトルの実験は、そのような光景の中に始まったのである。

 鴨下ドクトルは、糊本の手足を、惜し気もなく電気メスで切断した。そればかりではない。腹腔をたち割って、腸を三分の一に縮めた。胃袋はすっかり取り去られて、食道と腸とが連結された。肺臓とか腎臓とか二つある内臓の一つは切除された。不用な骨や筋肉が取り去られた。満足なのは頸から上だけだった。四時間ほどのうちに遂に手術台の上の糊本の身体は、見るかげもなく小さく縮められた。まるで首の下に肉色の男枕をくくりつけたような畸形人間となり果てた。なんという無慚(むざん)な浅ましい姿に変ってしまったのだろう。

 鴨下ドクトルは、始めてホッと息をついた。こうして大実験のための手術だけは終ったのである。彼はなぜこんな残虐きわまる畸形人間を作ったのであろうか。

 鴨下ドクトルは、一つの大きな学説を持っていた。それをこの縮小人間によって確かめようと考えたのだ。その学説によると、もし人間が生きるのに直接必要でない肉体部分――つまり心臓や肺臓は是非必要だが、手足や二つ以上ある内臓は、これを切除するか又は一つに減らしてしまう。そうすると人間の脳力は、手足などのことに煩わされることがなくなり、結局今まで無駄につかっていた脳力が余ってくるから、従ってその人間は普通の人間よりも何倍も悧巧になる。――だろうというのが、縮小人間に対する鴨下ドクトルの学説だった。この大胆なる学説が、果して正しいかどうか、鴨下ドクトルはそれを人類文化に大なる貢献をする研究だと思い、遂にその実験台となる人間を親しい塩田検事正に無心したのである。そこで死刑囚糊本が選ばれ、大手術の結果、ここに通称「蠅男」の誕生となったものである。鴨下ドクトルの日記によれば、この縮小人間は体力の回復とともに、予期したとおり普通の人間とは比べものにならぬほどの悧巧さを示した。鴨下ドクトルの悦びは、何物にもたとえ難かったが、彼はこの発表をさしひかえて、更に縮小人間の完成に研究をすすめたのであった。蠅男は今やドクトルの懸けがえのない優れた助手だった。二人の共同研究で、電力や磁石で働くという巧妙な新義手や義足を作製した。この組立式の手足のため、蠅男の立居は非常に便利になった。実に愕くべき成功だった。

 しかし鴨下ドクトルは、どうやら大事なことを忘れていたようであった。ドクトルはそのことを日記の終りの方に自ら記しているが、それはこの蠅男の修理された脳力は、あまりにも超人的であって、不世出の大天才と折紙をつけられた鴨下ドクトルの脳力さえ、蠅男の脳力の前には太陽の傍の月のように見劣りがするという事実だった。それは愕くというよりも、むしろ恐ろしいことであった。ドクトルの日記は次のような文句をもって結ばれていた。

「――予はあまりにも、神を忘れて魔の学問の中に足を踏み入れすぎた形だ。予は『縮小人間』を(こしら)えたことを今や後悔している。出来るなら、今宵のうちにも、この『縮小人間』を殺してしまいたいと思う。そうすることが、自分の研究を永久に葬りさり、そして万一『縮小人間』が世の中に飛びだして、前代未聞の超人的暴行を働くのを(あらかじ)め阻止することにもなるのだ。一刻も早く彼を殺さねばならぬ。しかし予は懼れる。あの悧発な『縮小人間』が予のこの危惧と殺意に気づかぬ筈はないのだ。今や時既に手遅れなのではあるまいか。

 予は今日になって、幼なきときに人手に預けてしまった只一人の子供カオルのことを想う。おお吾が愛するカオルよ。汝の父は愛しき御身を今日まで忘れていた。汝の父は、その罪のために、今や悪魔の牙に噛みくだかれようとしているのだ。罪の父はただひと目、御身の(かんばせ)を見たいと切望するが、その願いも今はもう(むな)しき夢と諦めなければならないのかもしれない、(ああ)!」

 帆村の読みあげる天才ドクトルの切々の情をこめた日記の文句に、遺児カオルは(こら)えに(こら)えていた悲しみの泪をおさえかね、ワッと声をあげて愛人山治の膝に泣き崩れた。

 さて探偵帆村荘六の努力が遂に酬いられて前代未聞の「蠅男」の全貌が始めて明らかになった。中でも悦んだのは、府下を守る捜査陣であった。村松検事も自由の身となった。蠅男が検事に塩田先生殺しの罪をぬりつけようとした次第が明らかになったので。蠅男は鴨下ドクトルに化けて洗面所に入ると見せ、すぐさまその窓から法曹ビルの外壁を、あの巧妙な鉄の爪でもって匍いのぼり、窓の外から塩田先生の頭蓋骨に用意の文鎮(ぶんちん)を発射したことが判明したのだった。村松検事は、帆村の顔を見るや走りよって固い固い握手をした。それは冷静を以て聞える村松検事にしては、先例のない昂奮状態であった。帆村も強くその手を握りかえし、

「さあ、村松さん。ぐずぐずしてはいられませんよ。蠅男は想像以上に恐ろしい奴です。亡き鴨下ドクトルも、万一蠅男が市中にとび出したときには、その卓越した頭脳力をもって、どんな狂悪極まる暴行をするかしれないと云っています。あの右手左手の機関銃やなんかのカラクリも、蠅男がドクトルに隠れて作りあげたものに相違ありません。さあ、われわれは一刻も早く、市民の安全のために、恐るべき蠅男を捕えなければなりません」

「そうだ」と村松検事も警官隊の方をふりむき、「蠅男の恐るべき正体はようやく分ったが、蠅男は毒牙を磨いて、暴行の機を狙っているのだ。彼奴(きゃつ)を捕えてしまわないうちは、われわれは枕を高くして眠れないのだ。さあ、こうなったら決死の覚悟で、直ちに蠅男狩りを始めるんだ!」

 警官隊も、この検事の激励の辞にふるい立った。そして此処に、大阪全市をあげての警備陣が組織され、厳重を極めた大捜索戦の幕が切って落とされた。怪人蠅男は、そも何処(いずこ)に潜んでいるのであろうか。

   警察投書

 稀代の怪人「蠅男」の世にも恐ろしき正体は遂に曝露(ばくろ)した。

 青年探偵帆村荘六の必死の努力は、警察官をよく(たす)けて、この前代未聞の怪事件の謎を解くことに成功したのだった。

 ただ惜しいことには、もう一歩というところで、怪人「蠅男」を逃がしてしまったことである。

 蠅男は、しかしながら、帆村の得意とする投縄によって、機関銃仕掛になっている左腕を肩のところから《も》ぎ落とされ、あまつさえ左の足首さえ切断されてしまった。蠅男の勢いは、それだけ削がれたのであった。これは皆、帆村の直接手を下した殊勲であった。

 だが普通の人間とちがい、勝れた智能をもった蠅男のことだから、いついかなる手をもちいて又候(またぞろ)暴逆の挙に出てくるか分らない。だから結局、蠅男を完全に逮捕してしまわないうちは、大阪全市の市民たちは、枕を高くして睡ることができないわけだった。

 帆村探偵を激励する手紙や、警察官の奮起をのぞむ投書などが、毎日のように各署の机の上にうずたかく山のように積まれていった。

 蠅男は何処に潜んでいるのであろうか。

 多分、お竜と呼ばれる彼の情婦と手を組みあって、市内に潜伏しているのであろう。

 さあいま一息だとばかり、係官はじめ帆村探偵も、昼夜を分かたず、蠅男の逃げ去った跡を追い、要所要所を隈なく探していったのであるが、蠅男の隠れ様がうまいのか、それとも係官たちの探し様が拙いためか、尋ねる蠅男の行方について、何の手懸りも発見されなかったのであった。住吉署の捜索本部には、連日の活動に協力した人々が集っていた。

「どうも弱ったなア。近来投書が、なかなか辛辣になってきましたよ。蠅男なんて、探偵の夢にすぎなかったのではないかなどというのがある」

 と、帆村もつい(こぼ)せば、

「大阪府の警察で間に合わないようなら兵庫県の警察に頼んでみたらどうや、などと書いて来るやつが居る。なんで、隣りの警察の手を借りる必要があるんや。そういわれて腹が立たん者があるやろか」

 正木署長も投書のハガキを握ってカンカンに怒っていた。

 ひどい者になると、小包郵便で坊主枕を送ってきた。その附け文句に、

「こっちは枕を高うして睡られへんさかい、この枕はそっちへさし上げます。警官さんはお昼寝にお夜寝ばかりにお忙しいんだっしゃろから枕もさぞ痛みますやろ。そのときは御遠慮なく、この枕をお使い遊ばせ」

 村松検事がこれを見て(くま)()をなめたような顔をした。

「これは投書にしても、最悪性(さいあくしょう)のものだ。警察官侮辱も、実に極まれりというべきだ」

 どうやら検事も、本当に怒っているらしい。

 帆村も、この枕の小包には(あき)れるより外なかった。彼は差出人の悪意の(こも)るその美しい坊主枕をとりあげて、つくづくと眺め入った。

「オヤ、――」

 と、彼はそのとき叫んで、枕に耳をソッと当てた。

「これはいかん。皆さん早く逃げて下さい」

 そう叫ぶと、帆村は脱兎のように窓際にかけだした。そして川に面した硝子窓をガラリと明けるが早いか、手にしていた美しい坊主枕をエイッと川の中へ投げこんだ。

「どうした」

「どうしたんや」

 と、皆はかえって帆村の方に駆けよってきた。そのときだった。

 どどーン。

 川中に、時ならぬ烈しい爆音が起り、枕を投げこんだところに、水煙が一丈もドーンとうちあげられた。

()ッ、――」

「ば、爆弾やあれへんか」

 署員は(ことごと)く窓にかけよって、なおも大きく息をする河面を凝視した。

「爆弾仕掛の枕なんですよ」と帆村が汗をぬぐいながら説明した。「枕を持ってみると、コチコチと変な音がするので気がついたのです。なアに、よくあるやつですが、時計仕掛の爆弾ですよ。僕たちを皆殺しにしようと思ってたに違いありません」

「なんちゅう悪たれの市民やろ。断然取締らんとあかん」

「いや、これは市民といっても、普通の市民じゃありません」

「普通の市民でないちゅうと、――」

「つまり、これは蠅男が差出した小包なんですよ」

「うむ、な、なるほど」

 一同はいまさらながらに、狂暴な蠅男のやり方に憤慨(ふんがい)の色を示した。

   (あや)しき女

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