灰神楽

4話

3,941字 約8分 2018年4月26日 公開

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 さて、その翌日、愈々(いよいよ)実行となると、彼は又しても二の足を踏まなければならなかった。表の往来から聴えて来る威勢(いせい)のいい玄米パンの呼声、自動車の警笛、自転車の(ベル)、そして、障子を照す(まぶ)しい白日の光、どれもこれも、彼の暗澹たる計画に比べては、何と健康に冴え渡っていることであろう。この快活な、あけっぱなしな世界で、果してあの異様な考えが実現出来るものであろうか。

「だが、へこたれてはいけない。昨夜あんなにも考えた挙句、堅く堅く決心した計画ではないか。その外にどんな方法があるというのだ。躊躇(ちゅうちょ)している時ではない。これを実行しなかったら、お前には絞首台があるばかりだ。仮令失敗したところで、元々ではないか。実行だ、実行だ」

 彼は奮然として起き上った。ゆっくりと手水(ちょうず)を使って食事を済ませると、態と暢気らしく、一渡り新聞に目を通し、ふだん散歩に出るのと同じ調子で、口笛さえ吹きながら、ブラブラと宿を出た。

 それから一時間ばかりの間、彼が何処(どこ)へ行って何をしたか、それは(あと)になって自然読者に分ることだから、ここには説明を(はぶ)いて、彼が奥村二郎を訪問した所から話を進めるのが便宜である。

 さて、奥村二郎の家の、殺人の行われたその同じ部屋で、庄太郎と死者の弟の二郎とが相対(あいたい)していた。

「で、警察では加害者の見当がついているのかい」

 一渡り(くや)みの挨拶(あいさつ)取交(とりかわ)されてから、庄太郎はこんな風に切り出すのであった。

「さあどうだか」中学上級生の二郎は、あらわなる敵意を以って、相手の顔をじろじろ眺めながら答えた「多分駄目(だめ)だろうと思う。だって証拠が一つもないんだからね。仮令疑わしい人間があるとしても、どうすることも出来ないさ」

「他殺は疑う余地がないらしいね」

「警察ではそう云っている」

「証拠が残っていないという話だが、この部屋は十分調べたのかしら」

「そりゃ無論だよ」

「誰かの本で読んだことがあるが、証拠というものは、どんな場合にでも残らない筈はない相だ。ただそれが人間の目で発見出来るか出来ないかが問題なのだ。例えば一人の男がこの部屋へ入って、何一つ品物を動かさないで出て行ったとする。そんな場合にも、少くとも畳の上の(ほこり)には、何等(なんら)かの変化が起こっている筈だ。だから、とその本の著者が云うのだよ、綿密なる科学的検査によれば、どの様な巧妙な犯罪をも発見することが出来るって」

「…………」

「それから又、こういうこともある。人間というものは、何かを探す場合、なるべく目につかない様な所、部屋の隅々とか、物の蔭とかに注意を奪われて、すぐ鼻の先に(ほう)り出してある、大きな品物なぞを見逃すことがある。これは面白い心理だよ。だから、最も上手な隠し場所は、ある場合には最も人目につき易い所へ露出して置くことなんだよ」

「だからどうだって云うのだい。僕等(ぼくら)にして見れば、そんな暢気らしい理窟(りくつ)を云っている場合ではないんだが」

「だからさ、例えばだね」庄太郎は考え深そうに続けた「この火鉢だってそうだ。こいつは部屋の中で、最も目につき易い中央にある。この火鉢を誰かが調べたかね。殊に中の灰に注意した人があるかね」

「そんな物を調べた人はない様だね」

「そうだろう。火鉢の灰なんてことは、誰しも閑却(かんきゃく)し易いものだ。ところで君はさっき、兄さんが殺された時には、この火鉢のところに一面に灰がこぼれていたと云ったね、無論それはここにかけてあった鉄瓶が傾いて、灰神楽が立ったからだろう。問題は何がその鉄瓶を傾けたかという点だよ。実はね、僕はさっき、君がここへ来るまでに、変なものを発見したのだ。ソラ、これを見給(みたま)え」

 庄太郎はそういうと、火箸(ひばし)を持って、グルグル灰の中をかき探していたが、やがて一つの汚れたボールをつまみ出した。

「これだよ。この(まり)がどうして灰の中に隠れていたか。君は変だとは思わないかね」

 それを見ると二郎は驚きの目を見張った。そして、彼の額には、少しばかり不安らしい色が浮んだ。

「変だね。どうしてそんな所へボールが入ったのだろう」

「変だろう。僕はさっきから一つの推理を組み立てて見たのだがね。兄さんの死んだ時、ここの障子はすっかり閉っていたかしら」

「いや、丁度この机の前の所が一枚()いてたよ」

「ではね、こういうことは云えないかしら、兄さんを殺した犯人――そんなものがあったと仮定すればだよ――その犯人の手が触れて鉄瓶の湯がこぼれたと見ることも出来るけれど、又もう一つは、そこの障子の外から何かが飛んで来て、この鉄瓶にぶっつかったと考えることも出来(そう)だね。そして後の場合の方が何となく自然に見えやしないかい」

「じゃ、このボールが(そと)から飛んで来たというのか」

「そうだよ。灰の中にボールが落ちていた以上、そう考える方が至当ではないだろうか。ところで、君はよく、この裏の広っぱで、鞠投げをやるね。その日はどうだったい。兄さんの死んだ日には」

「やっていたよ」二郎は益々(ますます)不安を感じながら答えた「だが、ここまでボールを飛ばした筈はない。(もっと)も一度そこの塀を越したことはあるけれど、杉の木に当って下へ落ちたよ。僕はちゃんとそれを拾ったのだから間違いはない、たまは一つもなくなってやしないんだよ」

「そうかい。塀を越したことがあるのかい。無論バットで打ったのだろうね。だが、その時下へ落ちたと思ったのは間違いで、実は杉の木をかすって、ここまで飛んで来たのではないだろうか。君は何か思い違いをしてやしないかい」

「そんなことはないよ。ちゃんと、そこの一番大きい杉の木の根元の所で、たまを拾ったんだもの。その(ほか)には一度だって塀を越したことなぞありゃしない」

「じゃ、そのボールに何か目印でもつけてあったのかい」

「いや、そんなものはないけれど、たまが塀を越して、探して見ると庭の中に落ちていたんだから、間違いっこないよ」

「併しこういう事も考え()るね。君が拾ったボールは、実はその時打った奴ではなくて、以前からそこに落ちていたボールであったということもね」

「そりゃ、そうだけれど、だっておかしいよ」

「でも、そうでも考える外に方法がないじゃないか。この火鉢の中にボールがある以上は。そして、丁度その時鉄瓶の(くつがえ)ったという一致がある以上は。君は時々この庭の中へボールを打ち込みはしないかい。そして、ひょっとして、その時探しても、植込みが茂っていたりして、分らないままになって了った様なことはないだろうか」

「それは分らないけれど……」

「で、これが最も肝要な点なのだが、そのボールが塀を越したという時間だね、それが若しや兄さんの死んだ時と一致してやしないかい」

 その瞬間、二郎はハッとした様に、顔の色を変えた。そして、暫く云い渋ったあとで、やっとこう答えた。

「考えて見ると、それが偶然一致しているんだ。変だな、変だな」

 そうして、彼は(にわか)にそわそわと落ちつかぬ様子を示した。

「偶然ではないよ。そんなに偶然が幾つも(かさな)るということはないよ」庄太郎は勝ちほこって云った「()ず灰神楽だ。灰の中のボールだ。それから君達の打ったたまが塀を越した時間だ。それが(ことごと)く兄さんの死んだ時に前後しているじゃないか。偶然にしては、余り揃いすぎているよ」

 二郎はじっと一つ所を見つめて、何かに考え耽っていた。顔は青ざめ、鼻の頭には粟粒(あわつぶ)の様な汗の玉が浮かんでいた。庄太郎は(ひそか)に計画の奏効を喜んだ。彼はその問題のボールの打者が、外ならぬ二郎自身であったことを知っていたのだ。

「君はもう、僕が何を云おうとしているかを推察しただろう。その時ボールが、杉の木を通り越して、ここの障子の間から、兄さんの前へ飛んで来たのだよ。そして、丁度その時兄さんは、君も知っている通りピストルをいじる事の好きな兄さんは、たまを込めたそれを顔の前でもてあそんでいたのだよ。偶然指が引金にかかっていたのだね。ボールが兄さんの手を打った拍子(ひょうし)に、ピストルが発射したのだ。そして兄さんは自分の手で自分の額を打ったのだよ。僕はそれに似た事件を、外国の雑誌で読んだことがある。それから、そこで一度はずんだボールは、その余勢で鉄瓶を覆して、灰の中に落ち込んだのだ。(いきおい)がついているから、ボールは無論灰の中へもぐって了う。これは(すべ)て仮定に過ぎない。だが、非常にプロバビリティのある仮定ではないだろうか。先にも云った通り偶然としては余りに揃いすぎた様々の一致が、この解釈を裏書きしてはいないだろうか。警察のいう様に、これから先犯人が出れば()(かく)、いつまでもそれが分らない様なら、僕のこの推定を事実と見る外はないのだ。ネ、君はそうは思わないかい」

 二郎は返事をしようともしなかった。さっきからの姿勢を少しもくずさないで、じっと一つ所を見つめていた。彼の顔には、恐しい苦悶(くもん)の色が現れていた。

「ところで、二郎君」庄太郎はここぞと、取って置きの質問を発した「その時、塀を越したボールを打ったのは、一体誰なんだい。君の友達かい。その男は、考えて見れば罪の深いことをしたものだね」

 二郎はそれでも答えなかった。見ると彼の大きく見張った目尻から、ギラギラと涙が湧き上っていた。

「だが君、何もそう心配することはないよ」庄太郎はもうこれで十分だと思った「若し僕の考えが当っていたとしても、それは過失に過ぎないのだ。ひょっとして、あのボールを打ったのが君自身であったところが、それはどうも仕方のないことだ。決してその人が兄さんを殺した訳ではない。アア僕はつまらないことを云い出したね。君、気を悪くしてはいけないよ。じゃね、僕はこれから下へ行って姉さんにお悔やみを云って来るから、もう君は何も考えないことにしたまえ」

 そして彼は、()つては無様(ぶざま)に辷り落ちたあの梯子段(はしごだん)を、意気揚々(ようよう)(くだ)って行くのであった。

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