行人

22話 行人(22)

7,767字 約16分 1999年6月13日 公開

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 座敷に這入(はい)った時、母は自分の顔を見て、「おや珍らしいね」と云っただけであった。自分はほとんど権柄(けんぺい)ずくでここへ引っ張られて来ながらも、途々(みちみち)父の情(なさけ)をありがたく感じていた。そうして暗に家に帰ってから母に会う瞬間の光景を予想していた。その予想がこの一言(いちごん)で打ち崩(くず)されたのは案外であった。父は家内の誰にも打ち合せをせずに、全く自分一人の考えで、この不心得な息子に親切を尽してくれたのである。お重は逃げた飼犬を見るような眼つきで自分を見た。「そら迷子(まいご)が帰って来た」と云った。嫂(あによめ)はただ「いらっしゃい」と平生の通り言葉寡(ことばずくな)な挨拶をした。この間の晩一人で尋ねて来た事は、まるで忘れてしまったという風に見えた。自分も人前を憚(はばか)って一口もそれに触れなかった。比較的陽気なのは父であった。彼は多少の諧謔(かいぎゃく)と誇張とを交ぜて、今日どうして自分をおびき出したかを得意らしく母やお重に話した。おびき出すという彼の言葉が自分には仰山(ぎょうさん)でかつ滑稽(こっけい)に聞えた。

「春になったから、皆(みん)なもちっと陽気にしなくっちゃいけない。この頃のように黙ってばかりいちゃ、まるで幽霊屋敷のようで、くさくさするだけだあね。桐畠(きりばたけ)でさえ立派な家(うち)が建つ時節じゃないか」

 桐畠というのは家のつい近所にある角地面(かどじめん)の名であった。そこへ住まうと何か祟(たたり)があるという昔からの言い伝えで、この間まで空地(あきち)になっていたのを、この頃になってようやく或る人が買い取って、大きな普請(ふしん)を始めたのである。父は自分の家が第二の桐畠になるのを恐れでもするように、活々(いきいき)と傍(そば)のものに話し掛けた。平生彼の居馴染(いなじ)んだ室(へや)は、奥の二間(ふたま)続きで、何か用があると、母でも兄でも、そこへ呼び出されるのが例になっていたが、その日はいつもと違って、彼は初めから居間へは這入らなかった。ただ袴(はかま)と羽織を脱(ぬ)ぎ棄(す)てたなり、そこへ坐(すわ)ったまま、長く自分達を相手に喋舌(しゃべ)っていた。

 久しく住み馴(な)れた自分の家も、こうしてたまに来て見ると、多少忘れ物でも思い出すような趣(おもむき)があった。出る時はまだ寒かった。座敷の硝子戸(ガラスど)はたいてい二重に鎖(とざ)されて、庭の苔(こけ)を残酷に地面から引き剥(はが)す霜(しも)が一面に降っていた。今はその外側の仕切(しきり)がことごとく戸袋の中(うち)に収(おさ)められてしまった。内側も左右に開かれていた。許す限り家の中と大空と続くようにしてあった。樹(き)も苔(こけ)も石も自然から直接に眼の中へ飛び込んで来た。すべてが出る時と趣を異(こと)にしていた。すべてが下宿とも趣を異にしていた。

 自分はこういう過去の記念のなかに坐って、久しぶりに父母(ふぼ)や妹や嫂といっしょに話をした。家族のうちでそこにいないものはただ兄だけであった。その兄の名は先刻(さっき)からまだ一度も誰の会話にも上(のぼ)らなかった。自分はその日彼がKさんの披露会に呼ばれたという事を聞いた。自分は彼がその招待に応じたか、上野へ出かけたか、はたして留守であるかさえ知らなかった。自分は自分の前にいる嫂(あによめ)を見て、彼女が披露の席に臨まないという事だけを確めた。

 自分は兄の名が話頭に上らないのを苦にした。同時に彼の名が出て来るのを憚(はばか)った。そうした心持でみんなの顔を見ると、無邪気な顔は一つもないように思えた。

 自分はしばらくしてお重に「お重お前の室(へや)をちょっと御見せ。綺麗(きれい)になったって威張ってたから見てやろう」と云った。彼女は「当り前よ、威張るだけの事はあるんだから行って御覧なさい」と答えた。自分は下宿をするまで朝夕(ちょうせき)寝起きをした、家中(うちじゅう)で一番馴染(なじみ)の深い、故(もと)のわが室を覗(のぞ)きに立った。お重は果して後(あと)から随(つ)いて来た。

        十一

 彼女の室は自慢するほど綺麗にはなっていなかったけれども、自分の住み荒した昔に比べると、どこかになまめいた匂(にお)いが漂よっていた。自分は机の前に敷いてある派出(はで)な模様の座蒲団(ざぶとん)の上に胡坐(あぐら)をかいて、「なるほど」と云いながらそこいらを見廻した。

 机の上には和製のマジョリカ皿があった。薔薇(ばら)の造り花がセゼッション式の一輪瓶(いちりんざし)に挿(さ)してあった。白い大きな百合(ゆり)を刺繍(ぬい)にした壁飾りが横手にかけてあった。

「ハイカラじゃないか」

「ハイカラよ」

 お重の澄ました顔には得意の色が見えた。

 自分はしばらくそこでお重に調戯(からか)っていた。五六分してから彼女に「近頃兄さんはどうだい」とさも偶然らしく問いかけて見た。すると彼女は急に声を潜(ひそ)めて、「そりゃ変なのよ」と答えた。彼女の性質は嫂とは全く反対なので、こう云う場合には大変都合が好かった。いったん緒口(いとぐち)さえ見出せば、あとはこっちで水を向ける必要も何もなかった。隠す事を知らない彼女は腹にある事をことごとく話した。黙って聞いていた自分にもしまいには蒼蠅(うるさ)いほどであった。

「つまり兄さんが家(うち)のものとあんまり口を利(き)かないと云うんだろう」

「ええそうよ」

「じゃ僕の家を出た時と同じ事じゃないか」

「まあそうよ」

 自分は失望した。考えながら、煙草(たばこ)の灰をマジョリカ皿の中へ遠慮なくはたき落した。お重は厭(いや)な顔をした。

「それペン皿よ。灰皿じゃないわよ」

 自分は嫂(あによめ)ほどに頭のできていないお重から、何も得るところのないのを覚(さと)って、また父や母のいる座敷へ帰ろうとした時、突然妙な話を彼女から聞いた。

 その話によると、兄はこの頃テレパシーか何かを真面目(まじめ)に研究しているらしかった。彼はお重を書斎の外に立たしておいて、自分で自分の腕を抓(つね)った後(あと)「お重、今兄さんはここを抓ったが、お前の腕もそこが痛かったろう」と尋ねたり、または室(へや)の中で茶碗の茶を自分一人で飲んでおきながら、「お重お前の咽喉(のど)は今何か飲む時のようにぐびぐび鳴りやしないか」と聞いたりしたそうである。

「妾(あたし)説明を聞くまでは、きっと気が変になったんだと思って吃驚(びっく)りしたわ。兄さんは後で仏蘭西(フランス)の何とかいう人のやった実験だって教えてくれたのよ。そうしてお前は感受性が鈍いから罹(かか)らないんだって云うのよ。妾(あたし)嬉(うれ)しかったわ」

「なぜ」

「だってそんなものに罹るのはコレラに罹るより厭だわ妾」

「そんなに厭かい」

「きまってるじゃありませんか。だけど、気味が悪いわね、いくら学問だってそんな事をしちゃ」

 自分もおかしいうちに何だか気味の悪い心持がした。座敷へ帰って来ると、嫂の姿はもうそこに見えなかった。父と母は差し向いになって小さな声で何か話し合っていた。その様子が今しがた自分一人で家中を陽気にした賑(にぎ)やかな人の様子とも見えなかった。「ああ育てるつもりじゃなかったんだがね」という声が聞えた。

「あれじゃ困りますよ」という声も聞えた。

        十二

 自分はその席で父と母から兄に関する近況の一般を聞いた。彼らの挙(あ)げた事実は、お重を通して得た自分の知識に裏書をする以外、別に新しい何物をも付け加えなかったけれども、その様子といい言葉といい、いかにも兄の存在を苦(く)にしているらしく見えて、はなはだ痛々しかった。彼ら(ことに母)は兄一人のために宅中(うちじゅう)の空気が湿(しめ)っぽくなるのを辛(つら)いと云った。尋常の父母以上にわが子を愛して来たという自信が、彼らの不平を一層濃く染めつけた。彼らはわが子からこれほど不愉快にされる因縁(いんねん)がないと暗に主張しているらしく思われた。したがって自分が彼らの前に坐(すわ)っている間、彼らは兄を云々するほか、何人(なんびと)の上にも非難を加えなかった。平生から兄に対する嫂の仕打に飽(あ)き足らない顔を見せていた母でさえ、この時は彼女についてついに一口も訴えがましい言葉を洩(も)らさなかった。

 彼らの不平のうちには、同情から出る心配も多量に籠(こも)っていた。彼らは兄の健康について少からぬ掛念(けねん)をもっていた。その健康に多少支配されなければならない彼の精神状態にも冷淡ではあり得なかった。要するに兄の未来は彼らにとって、恐ろしいX《エッキス》であった。

「どうしたものだろう」

 これが相談の時必ず繰り返されべき言葉であった。実を云えば、一人一人離れている折ですら、胸の中(うち)でぼんやり繰り返して見るべき二人の言葉であった。

「変人(へんじん)なんだから、今までもよくこんな事があったには有ったんだが、変人だけにすぐ癒(なお)ったもんだがね。不思議だよ今度(こんだ)は」

 兄の機嫌買(きげんかい)を子供のうちから知り抜いている彼らにも、近頃の兄は不思議だったのである。陰欝(いんうつ)な彼の調子は、自分が下宿する前後から今日(こんにち)まで少しの晴間なく続いたのである。そうしてそれがだんだん険悪の一方に向って真直(まっすぐ)に進んで行くのである。

「本当に困っちまうよ妾(わたし)だって。腹も立つが気の毒でもあるしね」

 母は訴えるように自分を見た。

 自分は父や母と相談のあげく、兄に旅行でも勧めて見る事にした。彼らが自分達の手際(てぎわ)ではとても駄目だからというので、自分は兄と一番親密なHさんにそれを頼むが好かろうと発議(ほつぎ)して二人の賛成を得た。しかしその頼み役には是非共自分が立たなければ済まなかった。春休みにはまだ一週間あった。けれども学校の講義はもうそろそろしまいになる日取であった。頼んで見るとすれば、早くしなければ都合が悪かった。

「じゃ二三日(にさんち)うちに三沢の所へ行って三沢からでも話して貰うかまた様子によったら僕がじかに行って話すか、どっちかにしましょう」

 Hさんとそれほど懇意でない自分は、どうしても途中に三沢を置く必要があった。三沢は在学中Hさんを保証人にしていた。学校を出てからもほとんど家族の一人のごとく始終(しじゅう)そこへ出入していた。

 帰りがけに挨拶(あいさつ)をしようと思って、ちょっと嫂(あによめ)の室(へや)を覗(のぞ)いたら、嫂は芳江を前に置いて裸人形に美しい着物を着せてやっていた。

「芳江大変大きくなったね」

 自分は芳江の頭へ立ちながら手をかけた。芳江はしばらく顔を見なかった叔父に突然綾(あや)されたので、少しはにかんだように唇(くちびる)を曲げて笑っていた。門を出る時はかれこれ五時に近かったが、兄はまだ上野から帰らなかった。父は久しぶりだから飯(めし)でも食って彼に会って行けと云ったが、自分はとうとうそれまで腰を据(す)えていられなかった。

        十三

 翌日(あくるひ)自分は事務所の帰りがけに三沢を尋ねた。ちょうど髪を刈りに今しがた出かけたところだというので、自分は遠慮なく上り込んで彼を待つ事にした。

「この両三日(りょうさんにち)はめっきりお暖かになりました。もうそろそろ花も咲くでございましょう」

 主人の帰る間座敷へ出た彼の母は、いつもの通り丁寧(ていねい)な言葉で自分に話し掛けた。

 彼の室(へや)は例のごとく絵だのスケッチだので鼻を突きそうであった。中には額縁(がくぶち)も何(な)にもない裸のままを、ピンで壁の上へじかに貼(は)り付けたのもあった。

「何だか存じませんが、好(すき)だものでございますから、むやみと貼散らかしまして」と彼の母は弁解がましく云った。自分は横手の本棚(ほんだな)の上に、丸い壺(つぼ)と並べて置いてあった一枚の油絵に眼を着けた。

 それには女の首が描(か)いてあった。その女は黒い大きな眼をもっていた。そうしてその黒い眼の柔(やわら)かに湿(うるお)ったぼんやりしさ加減が、夢のような匂(におい)を画幅全体に漂わしていた。自分はじっとそれを眺めていた。彼の母は苦笑して自分を顧みた。

「あれもこの間いたずらに描きましたので」

 三沢は画(え)の上手な男であった。職業柄自分も画の具を使う道ぐらいは心得ていたが、芸術的の素質を饒(ゆた)かにもっている点において、自分はとうてい彼の敵ではなかった。自分はこの画を見ると共に可憐なオフィリヤを連想した。

「面白いです」と云った。

「写真を台にして描いたんだから気分がよく出ない、いっそ生きてるうちに描かして貰(もら)えば好かったなんて申しておりました。不幸な方で、二三年前に亡くなりました。せっかく御世話をして上げた御嫁入先も不縁でね、あなた」

 油絵のモデルは三沢のいわゆる出戻(でもど)りの御嬢さんであった。彼の母は自分の聞かない先きに、彼女についていろいろと語った。けれども女と三沢との関係は一言(ひとこと)も口にしなかった。女の精神病に罹(かか)った事にもまるで触れなかった。自分もそれを聞く気は起らなかった。かえって話頭をこっちで切り上げるようにした。

 問題は彼女を離れるとすぐ三沢の結婚談に移って行った。彼の母は嬉(うれ)しそうであった。

「あれもいろいろ御心配をかけましたが、今度ようやくきまりまして……」

 この間三沢から受取った手紙に、少し一身上(いっしんじょう)の事について、君に話があるからそのうち是非行くと書いてあったのが、この話でやっと悟れた。自分は彼の母に対して、ただ人並の祝意を表しておいたが、心のうちではその嫁になる人は、はたしてこの油絵に描いてある女のように、黒い大きな滴(したた)るほどに潤(うるお)った眼をもっているだろうか、それが何より先に確めて見たかった。

 三沢は思ったほど早く帰らなかった。彼の母はおおかた帰りがけに湯にでも行ったのだろうと云って、何なら見せにやろうかと聞いたが、自分はそれを断った。しかし彼女に対する自分の話は、気の毒なほど実(み)が入らなかった。

 三沢にどうだろうと云った自分の妹(いもと)のお重は、まだどこへ行くともきまらずにぐずぐずしている。そういう自分もお重と同じ事である。せっかく身の堅まった兄と嫂(あによめ)は折り合わずにいる。――こんな事を対照して考えると、自分はどうしても快活になれなかった。

        十四

 そのうち三沢が帰って来た。近頃は身体(からだ)の具合が好いと見えて、髪を刈って湯に入った後の彼の血色は、ことにつやつやしかった。健康と幸福、自分の前に胡坐(あぐら)をかいた彼の顔はたしかにこの二つのものを物語っていた。彼の言語態度もまたそれに匹敵(ひってき)して陽気であった。自分の持って来た不愉快な話を、突然と切り出すには余りに快活すぎた。

「君どうかしたか」

 彼の母が席を立って二人差向いになった時、彼はこう問いかけた。自分は渋りながら、兄の近況を彼に訴えなければならなかった。その兄を勧めて旅行させるように、彼からHさんに頼んでくれと云わなければならなかった。

「父や母が心配するのをただ黙って見ているのも気の毒だから」

 この最後の言葉を聞くまで、彼はもっともらしく腕組をして自分の膝頭(ひざがしら)を眺めていた。

「じゃ君といっしょに行こうじゃないか。いっしょの方が僕一人より好かろう、精(くわ)しい話ができて」

 三沢にそれだけの好意があれば、自分に取っても、それに越した都合はなかった。彼は着物を着換ると云ってすぐ座を起(た)ったが、しばらくするとまた襖(ふすま)の陰(かげ)から顔を出して、「君、母が久しぶりだから君に飯を食わせたいって今支度(したく)をしているところなんだがね」と云った。自分は落ちついて馳走(ちそう)を受ける気分をもっていなかった。しかしそれを断ったにしたところで、飯はどこかで食わなければならなかった。自分は瞹眛(あいまい)な返事をして、早く立ちたいような気のする尻を元の席に据(す)えていた。そうして本棚(ほんだな)の上に載せてある女の首をちょいちょい眺めた。

「どうも何にもございませんのに、御引留め申しましてさぞ御迷惑でございましたろう。ほんの有合せで」

 三沢の母は召使に膳(ぜん)を運ばせながらまた座敷へ顔を出した。膳の端(はし)には古そうに見える九谷焼の猪口(ちょく)が載せてあった。

 それでも三沢といっしょに出たのは思ったより早かった。電車を降りて五六丁歩(あ)るいて、Hさんの応接間に通った時、時計を見たらまだ八時であった。

 Hさんは銘仙(めいせん)の着物に白い縮緬(ちりめん)の兵児帯(へこおび)をぐるぐる巻きつけたまま、椅子(いす)の上に胡坐をかいて、「珍らしいお客さんを連れて来たね」と三沢に云った。丸い顔と丸い五分刈(ごぶがり)の頭をもった彼は、支那人のようにでくでく肥(ふと)っていた。話しぶりも支那人が慣れない日本語を操(あや)つる時のように、鈍(のろ)かった。そうして口を開くたびに、肉の多い頬が動くので、始終(しじゅう)にこにこしているように見えた。

 彼の性質は彼の態度の示す通り鷹揚(おうよう)なものであった。彼は比較的堅固でない椅子の上に、わざわざ両足を載せて胡坐をかいたなり、傍(はた)から見るとさも窮屈そうな姿勢の下(もと)に、夷然(いぜん)として落ちついていた。兄とはほとんど正反対なこの様子なり気風なりが、かえって兄と彼とを結びつける一種の力になっていた。何にも逆(さか)らわない彼の前には、兄も逆らう気が出なかったのだろう。自分はHさんの悪口を云う兄の言葉を、今までついぞ一度も聞いた事がなかった。

「兄さんは相変らず勉強ですか。ああ勉強してはいけないね」

 悠長(ゆうちょう)な彼はこう云って自分の吐いた煙草(たばこ)の煙を眺めていた。

        十五

 やがて用事が三沢の口から切り出された。自分はすぐその後(あと)に随(つ)いて主要な点を説明した。Hさんは首を捻(ひね)った。

「そりゃ少し妙ですね、そんなはずはなさそうだがね」

 彼の不審はけっして偽(いつわり)とは見えなかった。彼は昨日(きのう)Kの結婚披露に兄と精養軒で会った。そこを出る時にもいっしょに出た。話が途切(とぎ)れないので、浮か浮かと二人連立って歩いた。しまいに兄が疲れたといった。Hさんは自分の家に兄を引張って行った。

「兄さんはここで晩飯を食ったくらいなんだからね。どうも少しも不断と違ったところはないようでしたよ」

 わがままに育った兄は、平生から家(うち)で気むずかしい癖に、外では至極(しごく)穏かであった。しかしそれは昔の兄であった。今の彼を、ただ我儘(わがまま)の二字で説明するのは余りに単純過ぎた。自分はやむをえずその時兄がHさんに向って重(おも)にどんな話をしたか、差支(さしつか)えない限りそれを聞こうと試みた。

「なに別に家庭の事なんか一口も云やしませんよ」

 これも嘘(うそ)ではなかった。記憶の好いHさんは、その時の話題を明瞭(めいりょう)に覚えていて、それを最も淡泊(たんぱく)な態度で話してくれた。

 兄はその時しきりに死というものについて云々したそうである。彼は英吉利(イギリス)や亜米利加(アメリカ)で流行(はや)る死後の研究という題目に興味をもって、だいぶその方面を調べたそうである。けれども、どれもこれも彼には不満足だと云ったそうである。彼はメーテルリンクの論文も読んで見たが、やはり普通のスピリチュアリズムと同じようにつまらんものだと嘆息したそうである。

 兄に関するHさんの話は、すべて学問とか研究とかいう側(がわ)ばかりに限られていた。Hさんは兄の本領としてそれを当然のごとくに思っているらしかった。けれども聞いている自分は、どうしてもこの兄と家庭の兄とを二つに切り離して考える訳には行かなかった。むしろ家庭の兄がこういう研究的な兄を生み出したのだとしか理解できなかった。

「そりゃ動揺はしていますね。御宅の方の関係があるかないか、そこは僕にも解らないが、何しろ思想の上で動揺して落ちつかないで弱っている事はたしかなようです」

 Hさんはしまいにこう云った。彼はその上に兄の神経衰弱も肯(うけ)がった。しかしそれは兄の隠している事でも何でもなかった。兄はHさんに会うたんびに、ほとんどきまり文句のように、それを訴えてやまなかったそうである。

「だからこの際旅行は至極(しごく)好いでしょうよ。そう云う訳なら一つ勧めて見ましょう。しかしうんと云ってすぐ承知するかね。なかなか動かない人だから、ことによるとむずかしいね」

 Hさんの言葉には自信がなかった。

「あなたのおっしゃる事なら素直(すなお)に聞くだろうと思うんですが」

「そうも行かんさ」

 Hさんは苦笑していた。

 表へ出た時はかれこれ十時に近かった。それでも閑静な屋敷町にちらほら人の影が見えた。それが皆(みん)なそぞろ歩きでもするように、長閑(のど)かに履物(はきもの)の音を響かして行った。空には星の光が鈍(にぶ)かった。あたかも眠たい眼をしばたたいているような鈍さであった。自分は不透明な何物かに包まれた気分を抱いた。そうして薄明るい往来を三沢と二人肩を並べて帰った。

        十六

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