私の個人主義

3話 私の個人主義(3)

1.5万字 約29分 1998年11月19日 公開

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械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔(わがものがお)にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞(ほ)めるのです。

 けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手もなく孔雀(くじゃく)の羽根を身に着けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華(ふか)を去って摯実(しじつ)につかなければ、自分の腹の中はいつまで経(た)ったって安心はできないという事に気がつき出したのです。

 たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとか云っても、それはその西洋人の見るところで、私の参考にならん事はないにしても、私にそう思えなければ、とうてい受売(うけうり)をすべきはずのものではないのです。私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢(どひ)でない以上はこれくらいの見識は国民の一員として具(そな)えていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。

 しかし私は英文学を専攻する。その本場の批評家のいうところと私の考(かんがえ)と矛盾(むじゅん)してはどうも普通(ふつう)の場合気が引ける事になる。そこでこうした矛盾がはたしてどこから出るかという事を考えなければならなくなる。風俗、人情、習慣、溯(さかのぼ)っては国民の性格皆この矛盾の原因になっているに相違ない。それを、普通の学者は単に文学と科学とを混同して、甲の国民に気に入るものはきっと乙(おつ)の国民の賞讃を得るにきまっている、そうした必然性が含(ふく)まれていると誤認してかかる。そこが間違っていると云わなければならない。たといこの矛盾を融和(ゆうわ)する事が不可能にしても、それを説明する事はできるはずだ。そうして単にその説明だけでも日本の文壇(ぶんだん)には一道の光明を投げ与(あた)える事ができる。――こう私はその時始めて悟ったのでした。はなはだ遅(おそ)まきの話で慚愧(ざんき)の至(いたり)でありますけれども、事実だから偽(いつわ)らないところを申し上げるのです。

 私はそれから文芸に対する自己の立脚地(りっきゃくち)を堅(かた)めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁(えん)のない書物を読み始めました。一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的(てつがくてき)の思索(しさく)に耽(ふけ)り出したのであります。今は時勢が違いますから、この辺の事は多少頭のある人にはよく解せられているはずですが、その頃は私が幼稚(ようち)な上に、世間がまだそれほど進んでいなかったので、私のやり方は実際やむをえなかったのです。

 私はこの自己本位という言葉を自分の手に握(にぎ)ってから大変強くなりました。彼(かれ)ら何者ぞやと気慨(きがい)が出ました。今まで茫然(ぼうぜん)と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図(さしず)をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。

 自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯(しょうがい)の事業としようと考えたのです。

 その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰欝(いんうつ)な倫敦を眺めたのです。比喩(ひゆ)で申すと、私は多年の間懊悩(おうのう)した結果ようやく自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘(ほ)り当てたような気がしたのです。なお繰(く)り返(かえ)していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。

 かく私が啓発(けいはつ)された時は、もう留学してから、一年以上経過していたのです。それでとても外国では私の事業を仕上(しあげ)る訳に行かない、とにかくできるだけ材料を纏めて、本国へ立ち帰った後、立派に始末をつけようという気になりました。すなわち外国へ行った時よりも帰って来た時の方が、偶然(ぐうぜん)ながらある力を得た事になるのです。

 ところが帰るや否や私は衣食のために奔走(ほんそう)する義務がさっそく起りました。私は高等学校へも出ました。大学へも出ました。後では金が足りないので、私立学校も一軒(けん)稼(かせ)ぎました。その上私は神経衰弱(しんけいすいじゃく)に罹りました。最後に下らない創作などを雑誌に載(の)せなければならない仕儀(しぎ)に陥(おちい)りました。いろいろの事情で、私は私の企(くわだ)てた事業を半途(はんと)で中止してしまいました。私の著(あら)わした文学論はその記念というよりもむしろ失敗の亡骸(なきがら)です。しかも畸形児(きけいじ)の亡骸です。あるいは立派に建設されないうちに地震(じしん)で倒(たお)された未成市街の廃墟(はいきょ)のようなものです。

 しかしながら自己本位というその時得た私の考は依然としてつづいています。否年を経るに従ってだんだん強くなります。著作的事業としては、失敗に終りましたけれども、その時確かに握った自己が主で、他は賓(ひん)であるという信念は、今日の私に非常の自信と安心を与えてくれました。私はその引続きとして、今日なお生きていられるような心持がします。実はこうした高い壇の上に立って、諸君を相手に講演をするのもやはりその力のお蔭(かげ)かも知れません。

 以上はただ私の経験だけをざっとお話ししたのでありますけれども、そのお話しを致した意味は全くあなたがたのご参考になりはしまいかという老婆心(ろうばしん)からなのであります。あなたがたはこれからみんな学校を去って、世の中へお出かけになる。それにはまだ大分時間のかかる方もございましょうし、またはおっつけ実社界に活動なさる方もあるでしょうが、いずれも私の一度経過した煩悶(はんもん)(たとい種類は違っても)を繰返(くりかえ)しがちなものじゃなかろうかと推察されるのです。私のようにどこか突き抜けたくっても突き抜ける訳にも行かず、何か掴(つか)みたくっても薬缶頭(やかんあたま)を掴むようにつるつるして焦燥(じ)れったくなったりする人が多分あるだろうと思うのです。もしあなたがたのうちですでに自力で切り開いた道を持っている方は例外であり、また他(ひと)の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとはけっして申しませんが、(自己に安心と自信がしっかり附随(ふずい)しているならば、)しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。いけないというのは、もし掘りあてる事ができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。私のこの点を力説するのは全くそのためで、何も私を模範(もはん)になさいという意味ではけっしてないのです。私のようなつまらないものでも、自分で自分が道をつけつつ進み得たという自覚があれば、あなた方から見てその道がいかに下らないにせよ、それはあなたがたの批評と観察で、私には寸毫(すんごう)の損害がないのです。私自身はそれで満足するつもりであります。しかし私自身がそれがため、自信と安心をもっているからといって、同じ径路(けいろ)があなたがたの模範になるとはけっして思ってはいないのですから、誤解してはいけません。

 それはとにかく、私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定(かんてい)しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫(さけ)び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊(こわ)されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡(もた)げて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲(ぎせい)を払(はら)っても、ああここだという掘当(ほりあ)てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰(ふみつぶ)すまで進まなければ駄目ですよ。――もっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。私は忠告がましい事をあなたがたに強いる気はまるでありませんが、それが将来あなたがたの幸福の一つになるかも知れないと思うと黙(だま)っていられなくなるのです。腹の中の煮え切らない、徹底(てってい)しない、ああでもありこうでもあるというような海鼠(なまこ)のような精神を抱(いだ)いてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないか知らんと思うからいうのです。不愉快でないとおっしゃればそれまでです、またそんな不愉快は通り越(こ)しているとおっしゃれば、それも結構であります。願(ねがわ)くは通り越してありたいと私は祈(いの)るのであります。しかしこの私は学校を出て三十以上まで通り越せなかったのです。その苦痛は無論鈍痛(どんつう)ではありましたが、年々歳々(さいさい)感ずる痛(いたみ)には相違なかったのであります。だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛(ゆうもう)にお進みにならん事を希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握る事ができるようになると思うから申し上げるのです。

 今まで申し上げた事はこの講演の第一篇(ぺん)に相当するものですが、私はこれからその第二篇に移ろうかと考えます。学習院という学校は社会的地位の好い人が這入る学校のように世間から見傚(みな)されております。そうしてそれがおそらく事実なのでしょう。もし私の推察通り大した貧民はここへ来ないで、むしろ上流社会の子弟ばかりが集まっているとすれば、向後あなたがたに附随してくるもののうちで第一番に挙げなければならないのは権力であります。換言(かんげん)すると、あなた方が世間へ出れば、貧民が世の中に立った時よりも余計権力が使えるという事なのです。前申した、仕事をして何かに掘りあてるまで進んで行くという事は、つまりあなた方の幸福のため安心のためには相違ありませんが、なぜそれが幸福と安心とをもたらすかというと、あなた方のもって生れた個性がそこにぶつかって始めて腰がすわるからでしょう。そうしてそこに尻を落ちつけてだんだん前の方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう。ああここにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事とあなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めて云い得るのでしょう。

 これと同じような意味で、今申し上げた権力というものを吟味(ぎんみ)してみると、権力とは先刻(さっき)お話した自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧(お)しつける道具なのです。道具だと断然云い切ってわるければ、そんな道具に使い得る利器なのです。

 権力に次ぐものは金力です。これもあなたがたは貧民よりも余計に所有しておられるに相違ない。この金力を同じくそうした意味から眺めると、これは個性を拡張するために、他人の上に誘惑(ゆうわく)の道具として使用し得る至極重宝なものになるのです。

 してみると権力と金力とは自分の個性を貧乏人(びんぼうにん)より余計に、他人の上に押し被(かぶ)せるとか、または他人をその方面に誘(おび)き寄せるとかいう点において、大変便宜(べんぎ)な道具だと云わなければなりません。こういう力があるから、偉いようでいて、その実非常に危険なのです。先刻申した個性はおもに学問とか文芸とか趣味(しゅみ)とかについて自己の落ちつくべき所まで行って始めて発展するようにお話し致したのですが、実をいうとその応用ははなはだ広いもので、単に学芸だけにはとどまらないのです。私の知っている兄弟で、弟の方は家に引込(ひっこ)んで書物などを読む事が好きなのに引(ひ)き易(か)えて、兄はまた釣道楽(つりどうらく)に憂身(うきみ)をやつしているのがあります。するとこの兄が自分の弟の引込思案でただ家にばかり引籠(ひきこも)っているのを非常に忌(い)まわしいもののように考えるのです。必竟(ひっきょう)は釣をしないからああいう風に厭世的(えんせいてき)になるのだと合点(がてん)して、むやみに弟を釣に引張り出そうとするのです。弟はまたそれが不愉快でたまらないのだけれども、兄が高圧的に釣竿(つりざお)を担がしたり、魚籃(びく)を提げさせたりして、釣堀へ随行を命ずるものだから、まあ目を瞑(つむ)ってくっついて行って、気味の悪い鮒(ふな)などを釣っていやいや帰ってくるのです。それがために兄の計画通り弟の性質が直ったかというと、けっしてそうではない、ますますこの釣というものに対して反抗心を起してくるようになります。つまり釣と兄の性質とはぴたりと合ってその間に何の隙間もないのでしょうが、それはいわゆる兄の個性で、弟とはまるで交渉(こうしょう)がないのです。これはもとより金力の例ではありません、権力の他を威圧する説明になるのです。兄の個性が弟を圧迫(あっぱく)して無理に魚を釣らせるのですから。もっともある場合には、――例えば授業を受ける時とか、兵隊になった時とか、また寄宿舎でも軍隊生活を主位におくとか――すべてそう云った場合には多少この高圧的手段は免(まぬ)かれますまい。しかし私はおもにあなたがたが一本立(いっぽんだち)になって世間へ出た時の事を云っているのだからそのつもりで聴いて下さらなくては困ります。

 そこで前申した通り自分が好いと思った事、好きな事、自分と性の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させて行くうちには、自他の区別を忘れて、どうかあいつもおれの仲間に引(ひ)き摺(ず)り込んでやろうという気になる。その時権力があると前云った兄弟のような変な関係が出来上るし、また金力があると、それをふりまいて、他(ひと)を自分のようなものに仕立上げようとする。すなわち金を誘惑の道具として、その誘惑の力で他を自分に気に入るように変化させようとする。どっちにしても非常な危険が起るのです。

 それで私は常からこう考えています。第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進(まいしん)しなければ一生の不幸であると。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向(けいこう)を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。自分は天性右を向いているから、あいつが左を向いているのは怪(け)しからんというのは不都合じゃないかと思うのです。もっとも複雑な分子の寄って出来上った善悪とか邪正(じゃせい)とかいう問題になると、少々込み入った解剖(かいぼう)の力を借りなければ何とも申されませんが、そうした問題の関係して来ない場合もしくは関係しても面倒(めんどう)でない場合には、自分が他(ひと)から自由を享有(きょうゆう)している限り、他にも同程度の自由を与えて、同等に取り扱(あつか)わなければならん事と信ずるよりほかに仕方がないのです。

 近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴(ふちょう)に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては毫も認めていないのです。いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。我々は他が自己の幸福のために、己(おの)れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害(ぼうがい)してはならないのであります。私はなぜここに妨害という字を使うかというと、あなたがたは正しく妨害し得る地位に将来立つ人が多いからです。あなたがたのうちには権力を用い得る人があり、また金力を用い得る人がたくさんあるからです。

 元来をいうなら、義務の附着しておらない権力というものが世の中にあろうはずがないのです。私がこうやって、高い壇の上からあなた方を見下して、一時間なり二時間なり私の云う事を静粛(せいしゅく)に聴いていただく権利を保留する以上、私の方でもあなた方を静粛にさせるだけの説を述べなければすまないはずだと思います。よし平凡(へいぼん)な講演をするにしても、私の態度なり様子なりが、あなたがたをして礼を正さしむるだけの立派さをもっていなければならんはずのものであります。ただ私はお客である、あなたがたは主人である、だからおとなしくしなくてはならない、とこう云おうとすれば云われない事もないでしょうが、それは上面(うわつら)の礼式にとどまる事で、精神には何の関係もない云わば因襲(いんしゅう)といったようなものですから、てんで議論にはならないのです。別の例を挙げてみますと、あなたがたは教場で時々先生から叱られる事があるでしょう。しかし叱りっ放しの先生がもし世の中にあるとすれば、その先生は無論授業をする資格のない人です。叱る代りには骨を折って教えてくれるにきまっています。叱る権利をもつ先生はすなわち教える義務をももっているはずなのですから。先生は規律をただすため、秩序(ちつじょ)を保つために与えられた権利を十分に使うでしょう。その代りその権利と引き離す事のできない義務も尽(つく)さなければ、教師の職を勤め終(おお)せる訳に行きますまい。

 金力についても同じ事であります。私の考(かんがえ)によると、責任を解しない金力家は、世の中にあってならないものなのです。その訳を一口にお話しするとこうなります。金銭というものは至極重宝なもので、何へでも自由自在に融通(ゆうずう)が利く。たとえば今私がここで、相場をして十万円儲(もう)けたとすると、その十万円で家屋を立てる事もできるし、書籍(しょせき)を買う事もできるし、または花柳(かりゅう)社界を賑(にぎ)わす事もできるし、つまりどんな形にでも変って行く事ができます。そのうちでも人間の精神を買う手段に使用できるのだから恐ろしいではありませんか。すなわちそれをふりまいて、人間の徳義心を買い占(し)める、すなわちその人の魂(たましい)を堕落(だらく)させる道具とするのです。相場で儲(もう)けた金が徳義的倫理的(りんりてき)に大きな威力をもって働らき得るとすれば、どうしても不都合な応用と云わなければならないかと思われます。思われるのですけれども、実際その通りに金が活動する以上は致し方がない。ただ金を所有している人が、相当の徳義心をもって、それを道義上害のないように使いこなすよりほかに、人心の腐敗(ふはい)を防ぐ道はなくなってしまうのです。それで私は金力には必ず責任がついて廻らなければならないといいたくなります。自分は今これだけの富の所有者であるが、それをこういう方面にこう使えば、こういう結果になるし、ああいう社会にああ用いればああいう影響(えいきょう)があると呑み込むだけの見識を養成するばかりでなく、その見識に応じて、責任をもってわが富を所置しなければ、世の中にすまないと云うのです。いな自分自身にもすむまいというのです。

 今までの論旨(ろんし)をかい摘(つま)んでみると、第一に自己の個性の発展を仕遂(しと)げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴(ともな)う責任を重(おもん)じなければならないという事。つまりこの三カ条に帰着するのであります。

 これをほかの言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもう一遍(ぺん)云い換(か)えると、この三者を自由に享(う)け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他(ひと)を妨害する、権力を用いようとすると、濫用(らんよう)に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。ずいぶん危険な現象を呈(てい)するに至るのです。そうしてこの三つのものは、あなたがたが将来において最も接近しやすいものであるから、あなたがたはどうしても人格のある立派な人間になっておかなくてはいけないだろうと思います。

 話が少し横へそれますが、ご存じの通り英吉利(イギリス)という国は大変自由を尊ぶ国であります。それほど自由を愛する国でありながら、また英吉利ほど秩序の調った国はありません。実をいうと私は英吉利を好かないのです。嫌(きら)いではあるが事実だから仕方なしに申し上げます。あれほど自由でそうしてあれほど秩序の行き届いた国は恐らく世界中にないでしょう。日本などはとうてい比較(ひかく)にもなりません。しかし彼らはただ自由なのではありません。自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、小供の時分から社会的教育をちゃんと受けているのです。だから彼らの自由の背後にはきっと義務という観念が伴っています。 England expects every man to do his duty といった有名なネルソンの言葉はけっして当座限りの意味のものではないのです。彼らの自由と表裏して発達して来た深い根柢(こんてい)をもった思想に違(ちがい)ないのです。

 彼らは不平があるとよく示威運動をやります。しかし政府はけっして干渉(かんしょう)がましい事をしません。黙って放っておくのです。その代り示威運動をやる方でもちゃんと心得ていて、むやみに政府の迷惑(めいわく)になるような乱暴は働かないのです。近頃女権拡張論者と云ったようなものがむやみに狼藉(ろうぜき)をするように新聞などに見えていますが、あれはまあ例外です。例外にしては数が多過ぎると云われればそれまでですが、どうも例外と見るよりほかに仕方がないようです。嫁(よめ)に行かれないとか、職業が見つからないとか、または昔しから養成された、女を尊敬するという気風につけ込むのか、何しろあれは英国人の平生の態度ではないようです。名画を破る、監獄(かんごく)で断食(だんじき)して獄丁(ごくてい)を困らせる、議会のベンチへ身体(からだ)を縛(しば)りつけておいて、わざわざ騒々(そうぞう)しく叫び立てる。これは意外の現象ですが、ことによると女は何をしても男の方で遠慮するから構わないという意味でやっているのかも分りません。しかしまあどういう理由にしても変則らしい気がします。一般の英国気質というものは、今お話しした通り義務の観念を離れない程度において自由を愛しているようです。

 それで私は何も英国を手本にするという意味ではないのですけれども、要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。と云うものは、そうしたわがままな自由はけっして社会に存在し得ないからであります。よし存在してもすぐ他から排斥(はいせき)され踏(ふ)み潰(つぶ)されるにきまっているからです。私はあなたがたが自由にあらん事を切望するものであります。同時にあなたがたが義務というものを納得せられん事を願ってやまないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚(はばか)らないつもりです。

 この個人主義という意味に誤解があってはいけません。ことにあなたがたのようなお若い人に対して誤解を吹(ふ)き込(こ)んでは私がすみませんから、その辺はよくご注意を願っておきます。時間が逼っているからなるべく単簡に説明致しますが、個人の自由は先刻お話した個性の発展上極めて必要なものであって、その個性の発展がまたあなたがたの幸福に非常な関係を及(およ)ぼすのだから、どうしても他に影響のない限り、僕(ぼく)は左を向く、君は右を向いても差支ないくらいの自由は、自分でも把持(はじ)し、他人にも附与(ふよ)しなくてはなるまいかと考えられます。それがとりも直さず私のいう個人主義なのです。金力権力の点においてもその通りで、俺(おれ)の好かないやつだから畳んでしまえとか、気に喰(く)わない者だからやっつけてしまえとか、悪い事もないのに、ただそれらを濫用(らんよう)したらどうでしょう。人間の個性はそれで全く破壊(はかい)されると同時に、人間の不幸もそこから起らなければなりません。たとえば私が何も不都合を働らかないのに、単に政府に気に入らないからと云って、警視総監(けいしそうかん)が巡査(じゅんさ)に私の家を取り巻かせたらどんなものでしょう。警視総監にそれだけの権力はあるかも知れないが、徳義はそういう権力の使用を彼に許さないのであります。または三井とか岩崎とかいう豪商(ごうしょう)が、私を嫌うというだけの意味で、私の家の召使(めしつかい)を買収して事ごとに私に反抗させたなら、これまたどんなものでしょう。もし彼らの金力の背後に人格というものが多少でもあるならば、彼らはけっしてそんな無法を働らく気にはなれないのであります。

 こうした弊害(へいがい)はみな道義上の個人主義を理解し得ないから起るので、自分だけを、権力なり金力なりで、一般に推し広めようとするわがままにほかならんのであります。だから個人主義、私のここに述べる個人主義というものは、けっして俗人の考えているように国家に危険を及ぼすものでも何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。

 もっと解りやすく云えば、党派心がなくって理非がある主義なのです。朋党(ほうとう)を結び団隊を作って、権力や金力のために盲動(もうどう)しないという事なのです。それだからその裏面には人に知られない淋(さび)しさも潜んでいるのです。すでに党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、そうしてこれと同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。そこが淋しいのです。私がかつて朝日新聞の文芸欄(ぶんげいらん)を担任していた頃、だれであったか、三宅雪嶺(みやけせつれい)さんの悪口を書いた事がありました。もちろん人身攻撃ではないので、ただ批評に過ぎないのです。しかもそれがたった二三行あったのです。出たのはいつごろでしたか、私は担任者であったけれども病気をしたからあるいはその病気中かも知れず、または病気中でなくって、私が出して好いと認定したのかも知れません。とにかくその批評が朝日の文芸欄に載ったのです。すると「日本及び日本人」の連中が怒りました。私の所へ直接にはかけ合わなかったけれども、当時私の下働きをしていた男に取消(とりけし)を申し込んで来ました。それが本人からではないのです。雪嶺さんの子分――子分というと何だか博奕打(ばくちうち)のようでおかしいが、――まあ同人といったようなものでしょう、どうしても取り消せというのです。それが事実の問題ならもっともですけれども、批評なんだから仕方がないじゃありませんか。私の方ではこちらの自由だというよりほかに途はないのです。しかもそうした取消を申し込んだ「日本及び日本人」の一部では毎号私の悪口を書いている人があるのだからなおのこと人を驚ろかせるのです。私は直接談判はしませんでしたけれども、その話を間接に聞いた時、変な心持(こころもち)がしました。というのは、私の方は個人主義でやっているのに反して、向うは党派主義で活動しているらしく思われたからです。当時私は私の作物をわるく評したものさえ、自分の担任している文芸欄へ載せたくらいですから、彼らのいわゆる同人なるものが、一度に雪嶺さんに対する評語が気に入らないと云って怒ったのを、驚ろきもしたし、また変にも感じました。失礼ながら時代後れだとも思いました。封建(ほうけん)時代の人間の団隊のようにも考えました。しかしそう考えた私はついに一種の淋しさを脱却(だっきゃく)する訳に行かなかったのです。私は意見の相違はいかに親しい間柄(あいだがら)でもどうする事もできないと思っていましたから、私の家に出入りをする若い人達に助言はしても、その人々の意見の発表に抑圧(よくあつ)を加えるような事は、他に重大な理由のない限り、けっしてやった事がないのです。私は他(ひと)の存在をそれほどに認めている、すなわち他にそれだけの自由を与えているのです。だから向うの気が進まないのに、いくら私が汚辱を感ずるような事があっても、けっして助力は頼めないのです。そこが個人主義の淋しさです。個人主義は人を目標として向背(こうはい)を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。それはそのはずです。槙雑木(まきざっぽう)でも束(たば)になっていれば心丈夫(こころじょうぶ)ですから。

 それからもう一つ誤解を防ぐために一言しておきたいのですが、何だか個人主義というとちょっと国家主義の反対で、それを打ち壊すように取られますが、そんな理窟(りくつ)の立たない漫然(まんぜん)としたものではないのです。いったい何々主義という事は私のあまり好まないところで、人間がそう一つ主義に片づけられるものではあるまいとは思いますが、説明のためですから、ここにはやむをえず、主義という文字の下にいろいろの事を申し上げます。ある人は今の日本はどうしても国家主義でなければ立ち行かないように云いふらしまたそう考えています。しかも個人主義なるものを蹂躙(じゅうりん)しなければ国家が亡(ほろ)びるような事を唱道するものも少なくはありません。けれどもそんな馬鹿気たはずはけっしてありようがないのです。事実私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもあるのであります。

 個人の幸福の基礎(きそ)となるべき個人主義は個人の自由がその内容になっているには相違ありませんが、各人の享有(きょうゆう)するその自由というものは国家の安危に従って、寒暖計のように上ったり下ったりするのです。これは理論というよりもむしろ事実から出る理論と云った方が好いかも知れません、つまり自然の状態がそうなって来るのです。国家が危くなれば個人の自由が狭(せば)められ、国家が泰平(たいへい)の時には個人の自由が膨脹(ぼうちょう)して来る、それが当然の話です。いやしくも人格のある以上、それを踏み違えて、国家の亡びるか亡びないかという場合に、疳違(かんちが)いをしてただむやみに個性の発展ばかりめがけている人はないはずです。私のいう個人主義のうちには、火事が済んでもまだ火事頭巾(ずきん)が必要だと云って、用もないのに窮屈がる人に対する忠告も含まれていると考えて下さい。また例になりますが、昔し私が高等学校にいた時分、ある会を創設したものがありました。その名も主意も詳(くわ)しい事は忘れてしまいましたが、何しろそれは国家主義を標榜(ひょうぼう)したやかましい会でした。もちろん悪い会でも何でもありません。当時の校長の木下広次さんなどは大分肩を入れていた様子でした。その会員はみんな胸にめだるを下げていました。私はめだるだけはご免(めん)蒙(こうむ)りましたが、それでも会員にはされたのです。無論発起人でないから、ずいぶん異存もあったのですが、まあ入っても差支なかろうという主意から入会しました。ところがその発会式が広い講堂で行なわれた時に、何かの機(はずみ)でしたろう、一人の会員が壇上に立って演説めいた事をやりました。ところが会員ではあったけれども私の意見には大分反対のところもあったので、私はその前ずいぶんその会の主意を攻撃していたように記憶しています。しかるにいよいよ発会式となって、今申した男の演説を聴いてみると、全く私の説の反駁(はんばく)に過ぎないのです。故意だか偶然だか解りませんけれども勢い私はそれに対して答弁の必要が出て来ました。私は仕方なしに、その人のあとから演壇に上りました。当時の私の態度なり行儀なりははなはだ見苦しいものだと思いますが、それでも簡潔に云う事だけは云って退(の)けました。ではその時何と云ったかとお尋ねになるかも知れませんが、それはすこぶる簡単なのです。私はこう云いました。――国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家と云ってあたかも国家に取りつかれたような真似はとうてい我々にできる話でない。常住坐臥(じょうじゅうざが)国家の事以外を考えてならないという人はあるかも知れないが、そう間断なく一つ事を考えている人は事実あり得ない。豆腐(とうふ)屋が豆腐を売ってあるくのは、けっして国家のために売って歩くのではない。根本的の主意は自分の衣食の料を得るためである。しかし当人はどうあろうともその結果は社会に必要なものを供するという点において、間接に国家の利益になっているかも知れない。これと同じ事で、今日の午(ひる)に私は飯を三杯(ばい)たべた、晩にはそれを四杯に殖(ふ)やしたというのも必ずしも国家のために増減したのではない。正直に云えば胃の具合できめたのである。しかしこれらも間接のまた間接に云えば天下に影響しないとは限らない、否観方(みかた)によっては世界の大勢に幾分(いくぶん)か関係していないとも限らない。しかしながら肝心(かんじん)の当人はそんな事を考えて、国家のために飯を食わせられたり、国家のために顔を洗わせられたり、また国家のために便所に行かせられたりしては大変である。国家主義を奨励(しょうれい)するのはいくらしても差支ないが、事実できない事をあたかも国家のためにするごとくに装(よそお)うのは偽りである。――私の答弁はざっとこんなものでありました。

 いったい国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。国が強く戦争の憂(うれい)が少なく、そうして他から犯される憂がなければないほど、国家的観念は少なくなってしかるべき訳で、その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。今の日本はそれほど安泰でもないでしょう。貧乏である上に、国が小さい。したがっていつどんな事が起ってくるかも知れない。そういう意味から見て吾々は国家の事を考えていなければならんのです。けれどもその日本が今が今潰れるとか滅亡(めつぼう)の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。火事の起らない先に火事装束(しょうぞく)をつけて窮屈な思いをしながら、町内中駈(か)け歩くのと一般であります。必竟ずるにこういう事は実際程度問題で、いよいよ戦争が起った時とか、危急存亡の場合とかになれば、考えられる頭の人、――考えなくてはいられない人格の修養の積んだ人は、自然そちらへ向いて行く訳で、個人の自由を束縛(そくばく)し個人の活動を切りつめても、国家のために尽すようになるのは天然自然と云っていいくらいなものです。だからこの二つの主義はいつでも矛盾して、いつでも撲殺(ぼくさつ)し合うなどというような厄介なものでは万々ないと私は信じているのです。この点についても、もっと詳しく申し上げたいのですけれども時間がないからこのくらいにして切り上げておきます。ただもう一つご注意までに申し上げておきたいのは、国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺(さぎ)をやる、ごまかしをやる、ペテンにかける、めちゃくちゃなものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘(あま)んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。だから国家の平穏(へいおん)な時には、徳義心の高い個人主義にやはり重きをおく方が、私にはどうしても当然のように思われます。その辺は時間がないから今日はそれより以上申上げる訳に参りません。

 私はせっかくのご招待だから今日まかり出て、できるだけ個人の生涯を送らるべきあなたがたに個人主義の必要を説きました。これはあなたがたが世の中へ出られた後、幾分かご参考になるだろうと思うからであります。はたして私のいう事が、あなた方に通じたかどうか、私には分りませんが、もし私の意味に不明のところがあるとすれば、それは私の言い方が足りないか、または悪いかだろうと思います。で私の云うところに、もし曖昧(あいまい)の点があるなら、好い加減にきめないで、私の宅までおいで下さい。できるだけはいつでも説明するつもりでありますから。またそうした手数を尽さないでも、私の本意が充分(じゅうぶん)ご会得になったなら、私の満足はこれに越した事はありません。あまり時間が長くなりますからこれでご免を蒙ります。

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