鼠小僧次郎吉

1話 鼠小僧次郎吉(1)

2,360字 約5分 1999年1月17日 公開

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       一

 或初秋の日暮であつた。

 汐留(しほどめ)の船宿、伊豆屋の表二階には、遊び人らしい二人の男が、さつきから差し向ひで、(しきり)献酬(けんしう)を重ねてゐた。

 一人は色の浅黒い、小肥りに肥つた男で、(かた)の如く結城(ゆふき)単衣物(ひとへもの)に、八反の平ぐけを締めたのが、上に羽織つた古渡(こわた)唐桟(たうざん)の半天と一しよに、その苦みばしつた男ぶりを、一層いなせに見せてゐる趣があつた。もう一人は色の白い、どちらかと云へば小柄な男だが、手首まで彫つてある剳青(ほりもの)が目立つせゐか、(のり)の落ちた小弁慶の単衣物に算盤珠(そろばんだま)の三尺をぐるぐる巻きつけたのも、意気と云ふよりは(むし)ろ凄味のある、自堕落な心もちしか起させなかつた。のみならずこの男は、役者が二三枚落ちると見えて、相手の男を呼びかける時にも、始終親分と云ふ名を用ひてゐた。が、年輩は彼是(かれこれ)同じ位らしく、それだけ又世間の親分子分よりも、()()けた交情が通つてゐる事は、互に差しつ抑へつする盃の間にも明らかだつた。

 初秋の日暮とは云ひながら、向うに見える唐津(からつ)様の海鼠壁(なまこかべ)には、まだ赤々と入日がさして、その日を浴びた一株の柳が、こんもりと葉かげを蒸してゐるのも、去つて間がない残暑の思ひ出を新しくするのに十分だつた。だからこの船宿の表二階にも、葭戸(よしど)こそもう唐紙(からかみ)に変つてゐたが、江戸に未練の残つてゐる夏は、手すりに下つてゐる伊予簾(いよすだれ)や、何時からか床に掛け残された墨絵の滝の掛物や、或は又二人の間に並べてある膳の水貝や洗ひなどに、まざまざと尽きない名残りを示してゐた。実際往来を一つ(へだ)ててゐる掘割の明るい水の上から、時たま此処に流れて来るそよ風も、微醺(びくん)を帯びた二人の男には、刷毛先(はけさき)を少し左へ曲げた水髪の(びん)を吹かれる度に、涼しいとは感じられるにした所が、毛頭秋らしいうそ寒さを覚えさせるやうな事はないのである。殊に色の白い男の方になると、こればかりは冷たさうな掛守(かけまも)りの銀鎖もちらつく程、思入れ小弁慶の胸をひろげてゐた。

 二人は女中まで遠ざけて、暫くは何やら密談に(ふけ)つてゐたが、やがてそれも一段落ついたと見えて、色の浅黒い、小肥りに肥つた男は、無造作に猪口(ちよく)を相手に返すと、膝の下の煙草入をとり上げながら、

「と云ふ訳での、おれもやつと三年ぶりに、又江戸へ帰つて来たのよ。」

「道理でちつと御帰りが、遅すぎると思つてゐやしたよ。だがまあ、かうして帰つて来ておくんなさりや、子分子方のものばかりぢや()え、江戸つ子一統が喜びやすぜ。」

「さう云つてくれるのは、手前(てめえ)だけよ。」

「へへ、仰有(おつしや)つたものだぜ。」

 色の白い、小柄な男は、わざと相手を(にら)めると、人が悪るさうににやりと笑つて、

「小花(ねえ)さんにも聞いて御覧なせえまし。」

「そりや()え。」

 親分と呼ばれた男は、如心形(によしんがた)煙管(きせる)(くは)へた儘、僅に苦笑の色を漂はせたが、すぐに又真面目(まじめ)な調子になつて、

「だがの、おれが三年見()え間に、江戸もめつきり変つたやうだ。」

「いや、変つたの、変ら無えの。岡場所なんぞの(さび)れ方と来ちや、まるで嘘のやうでごぜえますぜ。」

「かうなると、年よりの云ひぐさぢや無えが、やつぱり昔が恋しいの。」

「変ら無えのは(わつち)ばかりさ。へへ、何時(いつ)になつてもひつてんだ。」

 小弁慶の浴衣(ゆかた)を着た男は、受けた盃をぐいとやると、その手ですぐに口の端の滴を払つて、自ら(あざけ)るやうに眉を動かしたが、

「今から見りや、三年(めえ)は、まるでこの世の極楽さね。ねえ、親分、お前さんが江戸を御売んなすつた時分にや、(ぬす)()にせえあの鼠小僧のやうな、石川五右衛門とは行かねえまでも、ちつとは(にら)みの()いた野郎があつたものぢやごぜえませんか。」

「飛んだ事を云ふぜ。何処の国におれと盗つ人とを一つ扱ひにする奴があるものだ。」

 唐桟(たうざん)の半天をひつかけた男は、煙草の煙にむせながら、思はず又苦笑を洩らしたが、鉄火な相手はそんな事に頓着する気色(けしき)もなく、手酌でもう一杯ひつかけると、

「そいつがこの頃は御覧なせえ。けちな稼ぎをする奴は、(はうき)で掃く程ゐやすけれど、あの(くれえ)な大泥坊は、つひぞ聞か無えぢやごぜえませんか。」

「聞か無えだつて、好いぢや無えか。国に盗賊、家に鼠だ。大泥坊なんぞはゐ無え方が好い。」

「そりや居無え方が好い。居無え方が好いにや違えごぜえませんがね。」

 色の白い、小柄な男は、剳青(ほりもの)のある(ひぢ)を延べて、親分へ猪口(ちよく)を差しながら、

「あの時分の事を考へると、へへ、妙なもので盗つ人せえ、懐しくなつて来やすのさ。先刻御承知にや違え無えが、あの鼠小僧と云ふ野郎は、心意気が第一嬉しいや。ねえ、親分。」

「嘘は無え。盗つ人の尻押しにや、こりや博奕打(ばくちうち)が持つて来いだ。」

「へへ、こいつは一番おそれべか。」

 と云つて、ちよいと小弁慶の肩を落したが、こちらは忽ち又元気な声になつて、

(わつち)だつて何も盗つ人の肩を持つにや当ら無えけれど、あいつは懐の(あつたけ)え大名屋敷へ忍びこんぢや、御手許金と云ふやつを掻攫(かつさら)つて、その日に追はれる貧乏人へ恵んでやるのだと云ひやすぜ。成程(なるほど)善悪にや二つは無えが、どうせ盗みをするからにや、悪党冥利(みやうり)にこの(くれえ)な陰徳は積んで置き()えとね、まあ、(わつち)なんぞは思つてゐやすのさ。」

「さうか。さう聞きや無理は無えの。いや、鼠小僧と云ふ野郎も、改代町(かいだいまち)裸松(はだかまつ)贔屓(ひいき)になつてくれようとは、夢にも思つちや居無えだらう。思へば冥加(みやうが)な盗つ人だ。」

 色の浅黒い、小肥りに肥つた男は、相手に猪口を返しながら、思ひの外しんみりとかう云つたが、やがて何か思ひついたらしく、大様に膝を進めると、急に晴々した微笑を浮べて、

「ぢや聞きねえ。おれもその鼠小僧ぢや、とんだ御茶番を見た事があつての、今でも思ひ出すたんびに、腹の皮がよれてなら()えのよ。」

 親分と呼ばれた男は、かう云ふ前置きを聞かせてから、又悠々と煙管(きせる)(くは)へて、夕日の中に消えて行く煙草の煙の輪と一しよに、次のやうな話をし始めた。

       二

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