藪の中

6話 清水寺に来れる女の懺悔

1,526字 約3分 1997年11月10日 公開

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 ――その(こん)水干(すいかん)を着た男は、わたしを手ごめにしてしまうと、縛られた夫を眺めながら、(あざけ)るように笑いました。夫はどんなに無念だったでしょう。が、いくら身悶(みもだ)えをしても、体中(からだじゅう)にかかった縄目(なわめ)は、一層ひしひしと食い入るだけです。わたしは思わず夫の側へ、(ころ)ぶように走り寄りました。いえ、走り寄ろうとしたのです。しかし男は咄嗟(とっさ)(あいだ)に、わたしをそこへ蹴倒しました。ちょうどその途端(とたん)です。わたしは夫の眼の中に、何とも云いようのない輝きが、宿っているのを(さと)りました。何とも云いようのない、――わたしはあの眼を思い出すと、今でも身震(みぶる)いが出ずにはいられません。口さえ一言(いちごん)()けない夫は、その刹那(せつな)の眼の中に、一切の心を伝えたのです。しかしそこに(ひらめ)いていたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、――ただわたしを(さげす)んだ、冷たい光だったではありませんか? わたしは男に蹴られたよりも、その眼の色に打たれたように、我知らず何か叫んだぎり、とうとう気を失ってしまいました。

 その内にやっと気がついて見ると、あの(こん)水干(すいかん)の男は、もうどこかへ行っていました。跡にはただ杉の根がたに、夫が(しば)られているだけです。わたしは竹の落葉の上に、やっと体を起したなり、夫の顔を見守りました。が、夫の眼の色は、少しもさっきと変りません。やはり冷たい(さげす)みの底に、憎しみの色を見せているのです。恥しさ、悲しさ、腹立たしさ、――その時のわたしの心の(うち)は、何と云えば()いかわかりません。わたしはよろよろ立ち上りながら、夫の側へ近寄りました。

「あなた。もうこうなった上は、あなたと御一しょには居られません。わたしは一思いに死ぬ覚悟です。しかし、――しかしあなたもお死になすって下さい。あなたはわたしの(はじ)を御覧になりました。わたしはこのままあなた一人、お残し申す訳には参りません。」

 わたしは一生懸命に、これだけの事を云いました。それでも夫は(いま)わしそうに、わたしを見つめているばかりなのです。わたしは()けそうな胸を抑えながら、夫の太刀(たち)を探しました。が、あの盗人(ぬすびと)に奪われたのでしょう、太刀は勿論弓矢さえも、藪の中には見当りません。しかし幸い小刀(さすが)だけは、わたしの足もとに落ちているのです。わたしはその小刀を振り上げると、もう一度夫にこう云いました。

「ではお命を頂かせて下さい。わたしもすぐにお供します。」

 夫はこの言葉を聞いた時、やっと(くちびる)を動かしました。勿論口には笹の落葉が、一ぱいにつまっていますから、声は少しも聞えません。が、わたしはそれを見ると、たちまちその言葉を覚りました。夫はわたしを蔑んだまま、「殺せ。」と一言(ひとこと)云ったのです。わたしはほとんど、夢うつつの内に、夫の(はなだ)の水干の胸へ、ずぶりと小刀(さすが)を刺し通しました。

 わたしはまたこの時も、気を失ってしまったのでしょう。やっとあたりを見まわした時には、夫はもう縛られたまま、とうに息が絶えていました。その蒼ざめた顔の上には、竹に(まじ)った杉むらの空から、西日が一すじ落ちているのです。わたしは泣き声を呑みながら、死骸(しがい)の縄を解き捨てました。そうして、――そうしてわたしがどうなったか? それだけはもうわたしには、申し上げる力もありません。とにかくわたしはどうしても、死に切る力がなかったのです。小刀(さすが)(のど)に突き立てたり、山の裾の池へ身を投げたり、いろいろな事もして見ましたが、死に切れずにこうしている限り、これも自慢(じまん)にはなりますまい。(寂しき微笑)わたしのように腑甲斐(ふがい)ないものは、大慈大悲の観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)も、お見放しなすったものかも知れません。しかし夫を殺したわたしは、盗人(ぬすびと)の手ごめに遇ったわたしは、一体どうすれば()いのでしょう? 一体わたしは、――わたしは、――(突然烈しき歔欷(すすりなき)

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