人間生活の矛盾

8話

2,057字 約4分 2015年11月22日 公開

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 以上述べたとおり、今日の人間生活には、限りなく矛盾が含まれてあるが、これは何と解釈すべきであるか、他の人々の考えは知らぬが、私一個の学説によれば、これは当然かくあるべきはずで、実は矛盾でも何でもない。矛盾の生ずべき理由がないのに、しかも矛盾が生じたのならば、これこそ真の矛盾であるが、矛盾の生ぜざるべからざる原因があって、その当然の結果として、矛盾が生じたのならば、これは少しも矛盾ではない。前に述べたとおり私の学説によれば、人間の過去の歴史には社会本能と階級本能とが発達した上り坂の時代と、その退化した下り坂とがあり、現今はその下り坂の途中にあってさらに下に向って降り行く所である。今日の人間をかような歴史の所有者として観察し、本能退化の程度が各個人によって一様でないことを考慮すると、その生活に現われる数多くの矛盾は、いずれもかくあるべきはずで、とうてい避けることのできぬものであったことが明らかに知れる。

 昔からいつの代にも世は澆李(ぎょうき)であるとか、世が末になったとかいい来ったが、私の学説によればこれは実際をいうたもので、けっして厭世家の感傷的な嘆息のみではない。二千年前も千年前も、百年前も、今日もいつもその時が世の末であるというのはすなわち全部が下り坂であったからである。階級型の社会を造っている動物に社会本能と階級本能とが退化すれば、その生活に破綻の生ずるのは当然のことで、退化の度が進むにしたがい、破綻はますます顕著にならざるを得ない。社会本能が退化すれば、相互扶助の行動が減って、自己本位の行動が増し、階級本能が退化すれば下は上を敬わずいよいよ治め難くなって行く。その時に澆季という昔を今から振り返って見れば、今の澆季よりは人情風俗に、はるかに奥床しいところがある。憂しと見し世も後に恋しくなることは千年前も今日も変りはない。思想の悪化ということは、生活難などのために、近頃になっていちじるしく目立ち始めたかも知れぬが、実は何千年も前からすでに緒が開かれてあったのである。

 本能の退化ということに心づかぬ人たちは、社会生活に何らかの破綻が現われるごとに、これを制度に不条理な点があるためと解釈し、その改革をはかった。もとより階級本能の盛んな頃に造られた制度は、この本能の退化につれて、おいおい時勢に適せぬものとなったから、これを適当に改正することは必要であったろうが、制度さえ改めたら、それで社会生活が完全に行なわれると考えるのは大間違いである。いくら制度ばかりを改良しても、肝心な社会本能が退化しては、めいめいの了見が自己本位的になるために、満足な結果は得られぬ。何度も姑息な改良を施しても社会生活が相変らず思うようにならぬのを見て、これは一回全部を覆して根底から新たに築き直さなければ駄目であると考える人も出てくるが、かような人が殖えると実際に革命が行なわれるに至る。しかし革命が行なわれた後の状態は如何というと、一時だけ幾分か胸の透いた感じはあるかも知れぬが、社会生活の不完全なことは、やはり従前のとおりで苦しさは増すばかりである。これでは革命などはなかった方がましと考える人が無論出てきて、これが相当な数に達すると、革命派を倒そうと企てる。革命の直後にいつもかならず反革命の起るのは右のごとき理由による。階級本能が復旧せぬ限りはいかなる改革を試みてもとうてい理想的な社会生活に戻すことはできぬ。

 社会生活の破綻がだんだんと顕著になってきては誰も彼も苦しみに堪えぬゆえ、何とかしてこれを押え防がなければならぬが、その役にあたったのが教育家と宗教家とである。その中で宗教家の方は、階級本能の盛んであった頃にはすこぶる勢いが強くて、ほとんど抵抗し得る者がなかったが、この本能の退化とともに次第に衰え、しばらくは上に位する者の手先となって服従と諦めとを説法しつづけた後、今日では、とうてい昔の面影はなくなった。もっとも今の世の中にも階級本能のあまり退化せぬ人間はたくさんにあるゆえ、宗教家の働く範囲も未だ相応に広くはあるが、この本能は一代ごとに少しずつ確かに退化して行くから、今後はけっして昔のごとくには働けぬに定っている。残るところは教育家であるが、これまでの成績から判断すると、社会生活を理想に近づけるために、何ほどの効果を挙げ得たやらすこぶる疑わしい。教育家が次代の人間をいかようにも注文どおりに造り得るようなことをいうのを聞いては、いささか片腹痛く感ぜぬでもないが、社会本能や階級本能の退化に基づく少年青年の悪変化を、世間では皆教育の行き届かぬ結果と解釈し、その尻をことごとく教育家のところへ持って行くのを見ては大いに同情に堪えぬこともある。教育家の今後の務めは、無意識ながら有力に働く社会本能や階級本能の退化に対し、智、情、意の意識的訓練によってその欠陥を補い繕うことであるが、それがいかなる程度まで成功するかは、今後の世の成り行きを見て初めて知ることができるであろう。(大正十四年十一月)

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