こころ

64話 下 先生と遺書 十

1,541字 約3分 2026年9月1日 公開

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「金に不自由のない(わたくし)は、騒々(そうぞう)しい下宿を出て、新しく一戸を構えてみようかという気になったのです。しかしそれには世帯道具を買う面倒もありますし、世話をしてくれる(ばあ)さんの必要も起りますし、その婆さんがまた正直でなければ困るし、(うち)を留守にしても大丈夫なものでなければ心配だし、といった訳で、ちょくらちょいと実行する事は覚束(おぼつか)なく見えたのです。ある日私はまあ(うち)だけでも探してみようかというそぞろ(ごころ)から、散歩がてらに本郷台(ほんごうだい)を西へ下りて小石川(こいしかわ)の坂を真直(まっすぐ)伝通院(でんずういん)の方へ上がりました。電車の通路になってから、あそこいらの様子がまるで違ってしまいましたが、その(ころ)は左手が砲兵工廠(ほうへいこうしょう)土塀(どべい)で、右は原とも丘ともつかない空地(くうち)に草が一面に生えていたものです。私はその草の中に立って、何心(なにごころ)なく向うの(がけ)(なが)めました。今でも悪い景色ではありませんが、その頃はまたずっとあの西側の(おもむき)が違っていました。見渡す限り緑が一面に深く茂っているだけでも、神経が休まります。私はふとここいらに適当な(うち)はないだろうかと思いました。それで()草原(くさはら)を横切って、細い通りを北の方へ進んで行きました。いまだに()い町になり切れないで、がたぴししているあの(へん)家並(いえなみ)は、その時分の事ですからずいぶん汚ならしいものでした。私は露次(ろじ)を抜けたり、横丁(よこちょう)(まが)ったり、ぐるぐる歩き(まわ)りました。しまいに駄菓子屋(だがしや)(かみ)さんに、ここいらに小ぢんまりした貸家(かしや)はないかと尋ねてみました。上さんは「そうですね」といって、少時(しばらく)首をかしげていましたが、「かし()はちょいと……」と全く思い当らない(ふう)でした。私は(のぞみ)のないものと(あき)らめて帰り掛けました。すると上さんがまた、「素人下宿(しろうとげしゅく)じゃいけませんか」と聞くのです。私はちょっと気が変りました。静かな素人屋(しろうとや)に一人で下宿しているのは、かえって(うち)を持つ面倒がなくって結構だろうと考え出したのです。それからその駄菓子屋の店に腰を掛けて、上さんに詳しい事を教えてもらいました。

 それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清(にっしん)戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷(いちがや)士官(しかん)学校の(そば)とかに住んでいたのだが、(うまや)などがあって、(やしき)が広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人(ぶにん)(さむ)しくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人(びぼうじん)と一人娘と下女(げじょ)より(ほか)にいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極(しごく)好かろうと心の(うち)に思いました。けれどもそんな家族のうちに、私のようなものが、突然行ったところで、素性(すじょう)の知れない書生さんという名称のもとに、すぐ拒絶されはしまいかという掛念(けねん)もありました。私は()そうかとも考えました。しかし私は書生としてそんなに見苦しい服装(なり)はしていませんでした。それから大学の制帽を(かぶ)っていました。あなたは笑うでしょう、大学の制帽がどうしたんだといって。けれどもその頃の大学生は今と違って、大分(だいぶ)世間に信用のあったものです。私はその場合この四角な帽子に一種の自信を見出(みいだ)したくらいです。そうして駄菓子屋の上さんに教わった通り、紹介も何もなしにその軍人の遺族の(うち)を訪ねました。

 私は未亡人(びぼうじん)に会って来意(らいい)を告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支(さしつか)えないという挨拶(あいさつ)即坐(そくざ)に与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然(はっきり)した人でした。私は軍人の妻君(さいくん)というものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性(きしょう)でどこが(さむ)しいのだろうと疑いもしました。

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