北京日記抄

2話 二 辜鴻銘先生

1,099字 約2分 2015年3月31日 公開

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 辜鴻銘(ここうめい)先生を訪う。ボイに案内されて通りしは素壁に石刷の掛物をぶら下げ、床にアンペラを敷ける庁堂なり。ちょっと南京虫はいそうなれど、蕭散(しょうさん)愛すべき庁堂と言うべし。

 待つこと一分ならざるに眼光烱々(けいけい)たる老人あり。(たつ)を排して入り来り、英語にて「よく来た、まあ坐れ」と言う。勿論辜鴻銘先生なり。胡麻塩の辮髪(べんぱつ)、白の大掛児(タアクワル)、顔は鼻の寸法短かければ、何処か大いなる蝙蝠(こうもり)に似たり。先生の僕と談ずるや、テエブルの上に数枚の藁半紙を置き、手は鉛筆を動かしてさっさと漢字を書きながら、口はのべつ幕なしに英吉利語(イギリスご)をしゃべる。僕の如く耳の怪しきものにはまことに便利なる会話法なり。

 先生、南は福建に生れ、西は蘇格蘭(スコットランド)のエディンバラに学び、東は日本の婦人を娶り、北は北京に住するを以て東西南北の人と号す。英語は勿論、独逸語も仏蘭西語も出来るよし。されどヤング・チャイニィイズと異り、西洋の文明を買い冠らず。基督教、共和政体、機械万能などを罵る次手(ついで)に、僕の支那服を着たるを見て、「洋服を着ないのは感心だ。只(うら)むらくは辮髪がない。」と言う。先生と談ずること三十分、忽ち八九歳の少女あり。羞かしそうに庁堂へ入り来る。蓋し先生のお嬢さんなり。(夫人は既に鬼籍に入る。)先生、お嬢さんの肩に手をかけ、支那語にて何とか囁けば、お嬢さんは小さい口を開き、「いろはにほへとちりぬるをわか……」云々と言う。夫人の生前教えたるなるべし。先生は満足そうに微笑していれど、僕は(いささか)センティメンタルになり、お嬢さんの顔を眺むるのみ。

 お嬢さんの去りたる後、先生、又僕の為に段を論じ、呉を論じ、併せて又トルストイを論ず。(トルストイは先生へ手紙をよこしたよし。)論じ来り、論じ去って、先生の意気大いに昂るや、眼は(いよいよ)(きょ)の如く、顔は(ますます)蝙蝠に似たり。僕の上海を去らんとするに当り、ジョオンズ、僕の手を握って(いわく)、「紫禁城は見ざるも可なり、辜鴻銘を見るを忘るること勿れ。」と。ジョオンズの言、僕を欺かざるなり。僕、(また)先生の論ずる所に感じ、何ぞ先生の時事に慨して時事に関せんとせざるかを問う。先生、何か早口に答うれど、生憎(あいにく)僕に聞きとること能わず。「もう一度どうか」を繰り返せば、先生、さも忌々しそうに藁半紙の上に大書して曰、「老、老、老、老、老、……」と。

 一時間の後、先生の邸を辞し、歩して東単牌楼(とうたんはいろう)のホテルに向えば、微風、並木の合歓花(ごうかんか)を吹き、斜陽、僕の支那服を照す。しかもなお蝙蝠に似たる先生の顔、僕の眼前を去らざるが如し。僕は大通りへ出ずるに当り、先生の門を回看して、――先生、幸に咎むること勿れ、先生の老を歎ずるよりも先に、未だ年少有為なる僕自身の幸福を讃美したり。

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