10話 十 戯台(下)
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その代り支那の芝居にいれば、客席では話をしていようが、子供がわあわあ泣いていようが、格別苦にも何にもならない。これだけは至極便利である。或は支那の事だから、たとい見物が静かでなくとも、聴戯には差支えが起らないように、こんな鳴物が出来たのかも知れない。現に私なぞは一幕中、筋だの役者の名だの歌の意味だの、いろいろ村田君に教わっていたが、向う三軒両隣りの君子は、一度もうるさそうな顔をしなかった。
支那の芝居の第二の特色は、極端に道具を使わない事である。背景の如きも此処にはあるが、これは近頃の発明に過ぎない。支那本来の舞台の道具は、椅子と机と幕とだけである。山岳、海洋、宮殿、道塗――如何なる光景を現すのでも、結局これらを配置する外は、一本の立木も使ったことはない。役者がさも重そうに、閂を外すらしい真似をしたら、見物はいやでもその空間に、扉の存在を認めなければならぬ。又役者が意気揚々と、房のついた韃を振りまわしていたら、その役者の股ぐらの下には、驕って行かざる紫※を呑みこんでしまう。椅子や机を積上げたのも、山だと思えと云われれば、咄嗟によろしいと引き受けられる。役者がちょいと片足上げたら、其処に内外を分つべき閾があるのだと云われても、これ亦想像に難くはない。のみならずその写実主義から、一歩を隔てた約束の世界に、意外な美しささえ見る事がある。そう云えば今でも忘れないが、小翠花が梅龍鎮を演じた時、旗亭の娘に扮した彼はこの閾を越える度に、必ず鶸色の子の下から、ちらりと小さな靴の底を見せた。あの小さな靴の底の如きは、架空の閾でなかったとしたら、あんなに可憐な心もちは起させなかったのに相違ない。
この道具を使わない所は、上に述べたような次第だから、一向我々には苦にならない。寧ろ私が辟易したのは、盆とか皿とか手燭とか、普通に使われる小道具類が如何にも出たらめなことである。たとえば今の梅龍鎮にしても、つらつら戯考を按ずると、当世に起った出来事じゃない。明の武宗が微行の途次、梅龍鎮の旗亭の娘、鳳姐を見染めると云う筋である。処がその娘の持っている盆は、薔薇の花を描いた陶器の底に、銀鍍金の縁なぞがついている。あれは何処かのデパアトメント・ストアに、並んでいたものに違いない。もし梅若万三郎が、大口にサアベルをぶら下げて出たら、――そんな事の莫迦莫迦しいのは、多言を要せずとも明かである。
支那の芝居の第三の特色は、隈取りの変化が多い事である。何でも辻聴花翁によると、曹操一人の隈取りが、六十何種もあるそうだから、到底市川流所の騒ぎじゃない。その又隈取りも甚しいのは、赤だの藍だの代赭だのが、一面に皮膚を蔽っている。まず最初の感じから云うと、どうしても化粧とは思われない。私なぞは武松の芝居へ、蒋門神がのそのそ出て来た時には、いくら村田君の説明を聴いても、やはり仮面だとしか思われなかった。一見あの所謂花臉も、仮面ではない事が看破出来れば、その人は確に幾分か千里眼に近いのに相違ない。
支那の芝居の第四の特色は、立廻りが猛烈を極める事である。殊に下廻りの活動になると、これを役者と称するのは、軽業師と称するの当れるに若かない。彼等は舞台の端から端へ、続けさまに二度宙返りを打ったり、正面に積上げた机の上から、真っ倒に跳ね下りたりする。それが大抵は赤いズボンに、半身は裸の役者だから、愈曲馬か玉乗りの親類らしい気がしてしまう。勿論上等な武劇の役者も、言葉通り風を生ずる程、青龍刀や何かを振り廻して見せる。武劇の役者は昔から、腕力が強いと云う事だが、これでは腕力がなかった日には、肝腎の商売が勤まりっこはない。しかし武劇の名人となると、やはりこう云う離れ業以外に、何処か独得な気品がある。その証拠には蓋叫天が、宛然日本の車屋のような、パッチばきの武松に扮するのを見ても、無暗に刀を揮う時より、何かの拍子に無言の儘、じろりと相手を見る時の方が、どの位行者武松らしい、凄味に富んでいるかわからない。
勿論こう云う特色は、支那の旧劇の特色である。新劇では隈取りもしなければ、とんぼ返りもやらないらしい。では何処までも新しいかと云うと、亦舞台とかに上演していた、売身投靠と云うのなぞは、火のない蝋燭を持って出てもやはり見物はその蝋燭が、ともっている事と想像する。――つまり旧劇の象徴主義は依然として舞台に残っていた。新劇は上海以外でも、その後二三度見物したが、此点ではどれも遺憾ながら、五十歩百歩だったと云う外はない。少くとも雨とか稲妻とか夜になったとか云う事は、全然見物の想像に依頼するものばかりだった。
最後に役者の事を述べると、――蓋叫天だの小翠花だのは、もう引き合いに出して置いたから、今更別に述べる事はない。が、唯一つ書いて置きたいのは、楽屋にいる時の緑牡丹である。私が彼を訪問したのは、亦舞台の楽屋だった。いや、楽屋と云うよりも、舞台裏と云った方が、或は実際に近いかも知れない。兎に角其処は舞台の後の、壁が剥げた、蒜臭い、如何にも惨憺たる処だった。何でも村田君の話によると、梅蘭芳が日本へ来た時、最も彼を驚かしたものは、楽屋の綺麗な事だったと云うが、こう云う楽屋に比べると、成程帝劇の楽屋なぞは、驚くべく綺麗なのに相違ない。おまけに支那の舞台裏には、なりの薄きたない役者たちが、顔だけは例の隈取りをした儘、何人もうろうろ歩いている。それが電燈の光の中に、恐るべき埃を浴びながら、往ったり来たりしている容子は殆百鬼夜行の図だった。そう云う連中の通り路から、ちょいと陰になった所に、支那鞄や何かが施り出してある。緑牡丹はその支那鞄の一つに、鬘だけは脱いでいたが、妓女蘇三に扮した儘、丁度茶を飲んで居る所だった。舞台では細面に見えた顔も、今見れば存外華奢ではない。寧ろセンシュアルな感じの強い、立派に発育した青年である。背も私に比べると、確に五分は高いらしい。その夜も一しょだった村田君は、私を彼に紹介しながら、この利巧そうな女形と、互に久闊を叙し合ったりした。聞けば君は緑牡丹が、まだ無名の子役だった頃から、彼でなければ夜も日も明けない、熱心な贔屓の一人なのだそうである。私は彼に、玉堂春は面白かったと云う意味を伝えた。すると彼は意外にも、「アリガト」と云う日本語を使った。そうして――そうして彼が何をしたか。私は彼自身の為にも又わが村田烏江君の為にも、こんな事は公然書きたくない。が、これを書かなければ、折角彼を紹介した所が、むざむざ真を逸してしまう。それでは読者に対しても、甚済まない次第である。その為に敢然正筆を使うと、――彼は横を向くが早いか、真紅に銀糸の繍をした、美しい袖を翻して、見事に床の上へ手洟をかんだ。