上海游記

15話 十五 南国の美人(上)

1,423字 約3分 2015年5月24日 公開

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 上海では美人を大勢見た。見たのは如何なる因縁か、何時も小有天と云う酒楼だった。此処は近年物故した清道人(せいどうじん)李瑞清(りずいせい)が、贔屓(ひいき)にしていた家だそうである。「道道非常道(みちのみちつねのみちにあらず)天天小有天(てんのてんしょうゆうてん)」――そう云う洒落さえあると云う事だから、その贔屓も一方ならず、御念が入っているのに違いない。尤もこの有名な文人は、一度に蟹を七十匹、ぺろりと平げてしまう位、非凡な胃袋を持っていたそうである。

 一体上海の料理屋は、余り居心の好いものじゃない。部屋毎の境は小有天でも無風流を極めた板壁である。その上卓子(テエブル)に並ぶ器物は、綺麗事が看板の一品香(イイピンシャン)でも、日本の洋食屋と選ぶ所はない。その外雅叙園でも、杏花楼(きょうかろう)でも、乃至(ないし)興華川菜館でも、味覚以外の感覚は、まあ満足させられるよりも、ショックを受けるような所ばかりである。殊に一度波多君が、雅叙園を御馳走してくれた時には、給仕に便所は何処だと()いたら、料理場の流しへしろと云う。実際又其処には私よりも先に、油じみた庖丁(コック)が一人、ちゃんと先例を示している。あれには少からず辞易(へきえき)した。

 その代り料理は日本よりも旨い。(いささ)か通らしい顔をすれば、私の行った上海の御茶屋は、たとえば瑞記(ずいき)とか厚徳福とか云う、北京の御茶屋より劣っている。が、それにも関らず、東京の支那料理に比べれば、小有天なぞでも確に旨い。しかも値段の安い事は、ざっと日本の五分の一である。

 大分話が横道に()れたが、私が大勢美人を見たのは、神州日報の社長余洵(よじゅん)氏と、食事を共にした時に勝るものはない。此も前に云った通り、小有天の楼上にいた時である。小有天は何しろ上海でも、夜は殊に賑かな三馬路の往来に面しているから、欄干の外の車馬の響は、(ほとんど)一分も止む事はない。楼上では勿論談笑の声や、唄に合せる胡弓の音が、しっきりなしに湧き返っている。私はそう云う騒ぎの中に、(まいかい)の茶を(すす)りながち、余君穀民が局票の上へ健筆を振うのを眺めた時は、何だか御茶屋に来ていると云うより、郵便局の腰掛の上にでも、待たされているような(いそがわ)しさを感じた。

 局票は洋紙にうねうねと、「叫―速至三馬路大舞台東首小有天菜館―座侍酒勿延(―をしてすみやかにさんまろだいぶたいとうしゅのしょうゆうてんびんさいかんの―ざにいたりしゅにじせえんするなからしめん)」と赤刷の文字をうねらせている。確か雅叙園の局票には、隅に毋忘国恥(こくちをわするるなかれ)と、排日の気焔を挙げていたが、此処のには幸いそんな句は見えない。(局票とは大阪の逢い状のように、校書を呼びにやる用箋である。)余氏はその一枚の上に、私の姓を書いてから、梅逢春(ばいほうしゅん)と云う三字を加えた。

「これがあの林黛玉(りんたいぎょく)です。もう行年五十八ですがね。最近二十年間の政局の秘密を知っているのは、大総統の徐世昌(じょせいしょう)を除けば、この人一人だとか云う事です。あなたが呼ぶ事にして置きますから、参考の為に御覧なさい。」

 余氏はにやにや笑いながら、次の局票を書き始めた。氏の日本語の達者な事は、(かつ)て日支両国語の卓上演説か何かやって、お客の徳富蘇峰氏を感服させたとか云う位である。

 その内に我々、――余氏と波多君と村田君と私とが食卓のまわりへ坐ると、まっさきに愛春と云う美人が来た。これは如何にも利巧そうな、多少日本の女学生めいた、品の好い丸顔の芸者である。なりは白い織紋のある、薄紫の衣裳(イイシャン)に、やはり何か模様の出た、青磁色の(クウズ)だった。髪は日本の御下げのように、根もとを青い紐に(くく)ったきり、長々と後に垂らしている。額に劉海(リュウハイ)(前髪)が下っている所も、日本の少女と違わないらしい。その外胸には翡翠(ひすい)の蝶、耳には金と真珠との耳環、手頸には金の腕時計が、いずれもきらきら光っている。

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