政談十二社

2話 政談十二社(2)

8,063字 約16分 2007年3月31日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 婆さんは過日(いつか)(おの)が茶店にこの紳士の休んだ折、不意にお米が来合せたことばかりを知っているが――知らずやその時、同一(おなじ)赤羽の停車場(ステエション)に、沢井の一行が卓子(テエブル)を輪に囲んだのを、遠く離れ、帽子を目深(まぶか)に、外套(がいとう)の襟を立てて、(くだん)の紫の煙を吹きながら、目ばかり出したその清い目で、一場(いちじょう)の光景を(きっ)(みまも)っていたことを。――されば婆さんは今その事について何にも言わなかったが、実はこの(おうな)、お米に椅子を払って招じられると、帯の(あい)からぬいと青切符をわざとらしく抜出して手に持ちながら、勿体ない(わたくし)風情がといいいい貴夫人の一行をじろりと《みまわ》し、(にじ)り寄って、お米が背後(うしろ)に立った前の処、すなわち(もと)の椅子に直って、そして手を合せて小間使を拝んだので、一行が白け渡ったのまで見て知っている位であるから、この間のこの茶店における会合は、娘と婆さんとには不意に顔の合っただけであるけれども、判事に取っては(けだ)し不思議のめぐりあいであった。

 かく停車場(ステエション)にお幾が演じた喜劇を知っている判事には、婆さんの昔の栄華も、俳優(やくしゃ)を茶屋の二階へ呼びなどしたことのある様子も、この寂寞(せきばく)の境に堪え得て一人で秋冬を送るのも、全体を通じて思い合さるる事ばかりであるが、()し、それもこれも判事がお米に対する心の秘密とともに胸に秘めて何事も()わず、ただ憂慮(きづか)わしいのは女の身の上、聞きたいのは(ばば)が金貨を頂かせられて、――

「それから、お前がその金子(かね)を見せてもらうと、」

 促して尋ねると、意外千万、

「そのお金が五百円、その晩お手箪笥(てだんす)抽斗(ひきだし)から出してお使いなさろうとするとすっかり紛失をしていたのでございます、」と句切って、判事の顔を見て婆さんは溜息(ためいき)()いたが、小山も驚いたのである。

 赤羽停車場(ステエション)の婆さんの挙動と金貨を頂かせた奥方の所為(しわざ)とは不言不語(いわずかたらず)の内に線を引いてそれがお米の身に結ばれるというような事でもあるだろうと、聞きながら推したに、五百円が()せたというのは思いがけない(きわみ)であった。

「ええ、すっかり紛失?」と判事も(きっ)と目を(みは)ったが、この人々はその意気において、五という(すう)が、百となって、円とあるのに慌てるような風ではない。

「まあどうしたというのでございますか、抽斗にお(しま)いなすったのは(わたくし)もその時見ておりましたのに、こりゃ聞いてさえ吃驚(びっくり)いたしますものお邸では大騒ぎ。女などは髪切(かみきれ)の化物が飛び込んだように上を下、くるくる舞うやらぶつかるやら、お米なども蒼くなって飛んで参って、私にその話をして行きましたっけ。

 さあ二日()っても三日経っても解りますまい、貴夫人とも謂われるものが、内からも外からも自分の家のことに就いて罪人は出したくないとおっしゃって、表沙汰にはなりませんが、とにかく、不取締でございますから、旦那に申訳がないとのことで大層御心配、お見舞に伺いまする出入のものに、(わずか)ばかりだけれども纔ばかりだけれどもと念をお入れなすっちゃあ、その御吹聴(ごふいちょう)で。

 そういたしますとね、日頃お出入の大八百屋の亭主で佐助と申しまして、平生は奉公人大勢に荷を担がせて廻らせて、自分は帳場に坐っていて四ツ谷切って手広く()っておりまするのが、わざわざお邸へ出て参りまして、奥様に勧めました。さあこれが旦那様、目黒、堀ノ内、渋谷、大久保、この目黒(あたり)をかけて徘徊(はいかい)をいたします、真夜中には誰とも知らず空のものと談話(はなし)をしますという、鼻の大きな、(じじい)化精(ばけもの)でございまして。」

       八

「旦那様、この辺をお通り遊ばしたことがございますなら、田舎道などでお見懸けなさりはしませんか。もし、御覧(ごろう)じましたら、ただ鼻とこう申せば、お分りになりますでございましょう。」

 判事はちょっと口を挟んで、

「鼻、何鼻の大きい老人、」

「御覧じゃりましたかね。」

「むむ、過日(いつか)来る時奇代な人間が居ると思ったが、それか。」

「それでございますとも。」

「お待ち、ちょうどあすこだ、」と判事は胸を斜めに振返って、欄干(てすり)(ひじ)を懸けると、滝の下道が三ツばかり(うね)って葉の蔭に入る一叢(ひとむら)(やぶ)(ゆびさ)した。

「あの藪を出て、少し行った路傍(みちばた)日当(ひあたり)()い処に植木屋の木戸とも思うのがある。」

「はい、植吉でございます。」

「そうか、その木戸の前に、どこか四ツ谷辺の縁日へでも持出すと見えて、女郎花(おみなえし)だの、桔梗(ききょう)竜胆(りんどう)だの、何、大したものはない、ほんの草物ばかり、それはそれは綺麗に咲いたのを積んだまま置いてあった。

 私はこう下を向いて来かかったが、目の前をちょろちょろと小蛇が一条(ひとすじ)、彼岸(すぎ)だったに、ぽかぽか暖かったせいか、植木屋の生垣の下から道を横に切って畠の草の中へ入った。大嫌(だいきらい)だから身震(みぶるい)をして立留ったが、また歩行(ある)き出そうとして見ると、蛇よりもっとお前心持の悪いものが居たろうではないか。

 それが(じじい)よ。

 綿を厚く入れた薄汚れた棒縞(ぼうじま)広袖(どてら)を着て、日に向けて(せなか)を円くしていたが、なりの低い事。草色の股引(ももひき)穿()いて藁草履(わらぞうり)で立っている、顔が荷車の上あたり、顔といえば顔だが、成程鼻といえば鼻が。」

「でございましょうね、旦那様。」

「高いんじゃあないな、あれは希代だ。一体馬面(うまづら)で顔も胴位あろう、白い(ひげ)が針を刻んでなすりつけたように生えている、(おとがい)といったら(へそ)の下に届いて、その(あご)(とこ)まで垂下って、口へ押冠(おっかぶ)さった鼻の(さき)はぜんまいのように巻いているじゃあないか。薄紅(うすあか)く色がついてその癖筋が通っちゃあいないな。目はしょぼしょぼして眉が薄い、腰が曲って大儀そうに、船頭が持つ(かい)のような握太(にぎりぶと)な、短い杖をな、唇へあてて手をその上へ重ねて、あれじゃあ持重(もちおも)りがするだろう、鼻を乗せて、気だるそうな、退屈らしい、呼吸(いき)づかいも切なそうで、病後(やみあが)り見たような、およそ何だ、身体(からだ)中の精分が不残(のこらず)集って熟したような鼻ッつきだ。そして背を(かが)めて立った処は、(こう)の鳥が寝ているとしか思われぬ。」

「ええ、もう(からかさ)のお化がとんぼを切った形なんでございますよ。」

(ぷん)とえた村へ入ったような(におい)がする、その(じい)、余り日南(ひなた)ぼッこを仕過ぎて逆上(のぼ)せたと思われる、大きな真鍮(しんちゅう)耳掻(みみかき)を持って、片手で鼻に杖をついたなり、馬面を据えておいて、耳の穴を掻きはじめた。」

「あれは癖でございまして、どんな時でも耳掻を放しましたことはないのでございます。」

「余り希代だから、はてな、これは植木屋の荷じゃあなくッて、どこへか小屋がけをする(かざり)につかう鉢物(はちうえ)で、この爺は見世物(みせもの)の種かしらん、といやな(におい)を手でおさえて見ていると、爺がな、クックックッといい出した。

 恐しい鼻呼吸(はないき)じゃあないか、荷車に積んだ植木鉢の中に突込(つっこ)むようにして桔梗を()ぐのよ。

 風流気はないが秋草が可哀そうで見ていられない。私は見返(みかえり)もしないで、さっさとこっちへ通抜けて来たんだが、何だあれは。」といいながらも判事は眉根を寄せたのである。

「お聞きなさいまし旦那様、その爺のためにお米が飛んだことになりました。」

       九

「まずあれは易者なんで、佐助めが奥様に勧めましたのでございます、鼻は(うらない)をいたします。」

「卜を。」

「はい、卜をいたしますが、旦那様、あの筮竹(ぜいちく)を読んで算木を並べます、ああいうのではございません。二三度何とかいう新聞にも大騒ぎを遣って書きました。耶蘇(ヤソ)の方でむずかしい、予言者とか何とか申しますとのこと、やっぱり活如来(いきにょらい)様が千年のあとまでお見通しで、あれはああ、これはこうと御存じでいらっしゃるといったようなものでございますとさ。」

 真顔で言うのを聞きながら、判事は二ツばかり握拳(にぎりこぶし)を横にして火鉢の(ふち)を軽く(おさ)えて、確めるがごとく、

「あの鼻が、活如来?」

「いいえ、その新聞には予言者、どういうことか(わたくし)には解りませんが、そう申して出しましたそうで。何しろ貴方、(せん)の二十七年八年の日清戦争の時なんざ、はじめからしまいまで、昨日(きのう)はどこそこの城が取れた、今日は可恐(おそろ)しい軍艦を沈めた、明日は雪の中で大戦(おおいくさ)がある、もっともこっちがたが勝じゃ喜びなさい、いや、あと二三ヶ月で鎮るが、やがて台湾が日本のものになるなどと、一々申す事がみんな(あた)りまして、号外より(さき)整然(ちゃあん)と心得ているくらいは(おろか)な事。ああ今頃は清軍(ちゃんちゃん)の地雷火を犬が()ぎつけて前足で掘出しているわの、あれ、見さい、軍艦の帆柱へ(たか)が留った、めでたいと、何とその戦に支那へ行っておいでなさるお方々の、親子でも奥様でも夢にも解らぬことを手に取るように知っていたという吹聴(ふいちょう)ではございませんか。

 それも道理、その老人(としより)は、年紀(とし)十八九の時分から一時(ひとしきり)、この世の中から行方が知れなくなって、今までの間、甲州の山続き白雲(しらくも)という峰に閉籠(とじこも)って、人足(ひとあし)の絶えた処で、行い澄して、影も形もないものと自由自在に(はなし)が出来るようになった、実に希代な予言者だと、その山の形容などというものはまるで大薩摩(おおざつま)のように書きました。

 その鼻があの(じじい)なんでございましてね。

 はい、いえ、さようでございます、旦那様も新聞で御存じでも、あの爺のこととは思召しますまいよ。ちっとも鼻の大きなことは書いてないのだそうでございますから。

 もっとも鐘馗(しょうき)様がお笑い遊ばしちゃあ、鬼が(こわ)がりはいたしますまい、私どもが申せば活如来、新聞屋さんがおっしゃればその予言者、活如来様や予言者殿の、その鼻ッつきがああだとあっては、根ッから難有味(ありがたみ)がございませんもの、売ものに咲いた花でございましょう。

 その癖雲霧が立籠めて、昼も真暗(まっくら)だといいました、甲州街道のその峰と申しますのが、今でも爺さんが時々お(こもり)をするという(いおり)がございますって。そこは貴方、府中の鎮守様の裏手でございまして、手が届きそうな小さな丘なんでございますよ。もっとも何千年の昔から人足の絶えた処には違いございません、何(わらび)でも生えてりゃ小児(こども)が取りに入りましょうけれども、御覧じゃりまし、お茶の水の向うの崖だって仙台様お堀割の昔から誰も足踏をした者はございませんや。日蔭はどこだって朝から暗うございまする、どうせあんな(もやし)糸瓜(へちま)のような大きな鼻の生えます処でございますもの、うっかり入ろうものなら、蚯蚓(みみず)の天上するのに出ッくわして、目をまわしませんければなりますまいではございませんか。」と、何か激したことのあるらしく婆さんはまくしかけた。

       十

 一息つき言葉をつぎ、

「第一、その日清戦争のことを見透(みすか)して、何か自分が山の(ほこら)の扉を開けて、神様のお馬の(くつわ)を取って、跣足(はだし)で宙を駈出(かけだ)して、旅順口にわたりゃあお手伝でもして来たように申しますが、ちっとも(いくさ)のあった最中に、そんなことが解ったのではございません。ようよう一昨年から去年あたりへかけて騒ぎ出したのでございますもの、(うたぐ)ってみました日には、(あて)になりはいたしません。しかしまあ何でございますね、前触(まえぶ)(みんな)勝つことばかりでそれが事実(まったく)なんですから結構で、(わたくし)などもその話を聞きました当座は、もうもう貴方。」

 と黙って聞いていた判事に強請(ねだ)るがごとく、

「お可煩(うるさ)くはいらっしゃいませんか、」

(くわ)しく聞こうよ。」

 判事は()める色もあらず、お幾はいそいそして、

「ええどうぞ。(すじ)を申しませんと解りません。(わたくし)どもは以前、ただ戦争のことにつきましてあれが御祈祷(ごきとう)をしたり、お(こもり)、断食などをしたという事を聞きました時は、難有(ありがた)い人だと思いまして、あんな鼻附でも何となく尊いもののように存じましたけれども、今度のお米のことで、すっかり敵対(むこう)になりまして、憎らしくッて、(しゃく)に障ってならないのでございます。

 あんなもののいうことが当になんぞなりますものか。(うらない)くだらないもあったもんじゃあございません。

 でございますが、難有味(ありがたみ)はなくッても信仰はしませんでも、(いや)な奴は厭な奴で、私がこう悪口(あっこう)を申しますのを、形は見えませんでもどこかで聞いていて、(あだ)をしやしまいかと思いますほど、気味の悪い(じじい)なんでございまして、」

 といいながら日暮際のぱっと(あかる)い、(つや)のないぼやけた下なる納戸に、自分が座の、人なき薄汚れた座蒲団のあたりを見て、婆さんは(うしろ)見らるる風情であったが、声を低うし、

「全体あの爺は甲州街道で、小商人(こあきんど)、煮売屋ともつかず、茶屋ともつかず、駄菓子だの、柿だの饅頭(まんじゅう)だのを商いまする内の隠居でございまして、(わたくし)ども子供の内から親どもの話に聞いておりましたが、何でも十六七の小僧の時分、神隠しか、(さら)われたか、行方知れずになったんですって。見えなくなった日を命日にしている位でございましたそうですが、七年ばかり()ちましてから、ふいと内の者に姿を見せたと申しますよ。

 それもね、旦那様、まともに帰って来たのではありません。破風(はふ)を開けて顔ばかり出しましたとさ、厭じゃありませんか、正丑(しょううし)の刻だったと申します、」と婆さんは肩をすぼめ、

「しかも降続きました五月雨(さみだれ)のことで、(さら)われて参りましたと同一(おんなじ)夜だと申しますが、皺枯(しわが)れた声をして、

家中(うちじゅう)無事か、)といったそうでございますよ。見ると、真暗(まっくら)な破風の(あい)から、ぼやけた鼻が(のぞ)いていましょうではございませんか。

 (みんな)、手も足も(すく)んでしまいましたろう、縛りつけられたようになりましたそうでございますが、まだその親が()りました時分、魔道へ入った()でも鼻を()めたいほど可愛かったと申しまする。

(せがれ)、まあ、)と父親(てておや)が寄ろうとしますと、変な声を出して、

 寄らっしゃるな、しばらく人間とは(まじわ)らぬ、と払い退()けるようにしてそれから一式の恩返しだといって、その時、饅頭の(あん)の製し方を教えて、屋根からまた行方が解らなくなったと申しますが、それからはその島屋の饅頭といって街道名代の名物でございます。」

       十一

「在り(きた)りの皮は、麁末(そまつ)な麦の香のする田舎饅頭なんですが、その餡の工合(ぐあい)がまた格別、何とも申されません(うま)さ加減、それに幾日(いくか)置きましても干からびず、味は変りませんのが評判で、売れますこと売れますこと。

 近在は申すまでもなく、府中八王子(あたり)までもお土産折詰になりますわ。三鷹(みたか)村深大寺、桜井、駒返(こまかえ)し、結構お茶うけはこれに限る、と東京のお客様にも自慢をするようになりましたでしょう。

 三年と五年の(うち)にはめきめきと身上(しんしょう)を仕出しまして、(うち)は建て増します、座敷は(こしら)えます、通庭(とおりにわ)の両方には入込(いりごみ)でお客が一杯という(いきおい)、とうとう蔵の二戸前(とまえ)(こしら)えて、(はじめ)はほんのもう屋台店で渋茶を汲出(くみだ)しておりましたのが俄分限(にわかぶげん)

 七年目に一度顔を見せましてから毎年五月雨のその晩には、きっと一度ずつ破風(はふ)から(のぞ)きまして、

(家中無事か。)おお、厭だ!」と寂しげに笑ってお幾婆さんは身顫(みぶるい)をした。

「その(うち)親が(なく)なって代がかわりました。三人の兄弟で、仁右衛門と申しますあの鼻は、一番の惣領、二番目があとを取ります(はず)の処、これは厭じゃと家出をして坊さんになりました。

 そこで三蔵と申しまする、末が(うち)へ坐りましたが、街道一の家繁昌、どういたして早やただの三蔵じゃあございません、寄合にも上席で、三蔵旦那でございまする。

 誰のお(かげ)だ、これも兄者人(あにじゃひと)の御守護のせい何ぞ恩返しを、と神様あつかい、伏拝みましてね、」

 と婆さんは(たなそこ)を合せて見せ、

(ある)年、やっぱりその五月雨の晩に破風から鼻を出した処で、(何ぞお(のぞみ)のものを)と申上げますと、(ただ据えておけば可い、女房を一人、)とそういったそうでございます。」

「ふむ、」

「まあ、お聞き遊ばせ、こうなんでございますよ。

 それから何事を差置いても探しますと、ございました。来るものも一生奉公の気なら、島屋でも飼殺しのつもり、それが年寄でも不具(かたわ)でもございません。

(色の白い、美しいのがいいいい。)

 と異な声で、破風口から食好みを遊ばすので、十八になるのを()れて参りました、一番目の嫁様は来た晩から(うめ)いて、泣煩うて貴方、三月日には痩衰(やせおとろ)えて死んでしまいました。

 その次のも時々悲鳴を上げましたそうですが、二年()ってやっぱり骨と皮になって、可哀そうにこれもいけません。

 さあ来るものも来るものも、一年たつか二年持つか、五年とこたえたものは居りませんで、九人までなくなったのでございます。

 あるに任して金子(かね)も出したではございましょうが、よくまあ、世間は広くッて八人の九人のと目鼻のある、手足のある、胴のある、髪の黒い、色の白い女があったものだと思いますのでございますよ。十人目に十三年生きていたという評判の婦人(おんな)が一人、それは(わたくし)もあの辺に参りました時、饅頭を買いに寄りましてちょっと見ましたっけ。

 大柄な婦人(おんな)で、鼻筋の通った、()容色(きりょう)、少し(すご)いような風ッつき、乱髪(みだれがみ)浅葱(あさぎ)顱巻(はちまき)()めまして病人と見えましたが、奥の()のふちに立膝をしてだらしなく、こう額に長煙管をついて、骨が抜けたように、がっくり俯向(うつむ)いておりましたが。」

       十二

「百姓家の納戸の薄暗い中に、毛筋の乱れました頸脚(えりあし)なんざ、雪のようで、それがあの、客だと見て真蒼(まっさお)な顔でこっちを向きましたのを、今でも(わたくし)は忘れません。可哀そうにそれから二年目にとうとう(なく)なりましたが、これは府中に居た女郎上りを買って来て置いたのだと申します。

 もうその以前から評判が立っておりましたので、山と積まれてからが金子(かね)生命(いのち)までは売りませんや、誰も島屋の隠居には片づき()がなかったので、どういうものでございますか、その癖、そうやって、嫁が(きま)りましても女房が居ましても、家へ顔を出しますのはやっぱり破風(はふ)から毎年その月のその日の夜中、ちょうど入梅(つゆ)真中(まんなか)だと申します、入梅から勘定して隠居が来たあとをちょうど同一(おんなじ)ように指を折ると、大抵梅雨あけだと噂があったのでございまして。

 実際、おかみさんが出来るようになりましてからも参るのは(たしか)に年に一度でございましたが、それとも日に三度ずつも来ましたか、そこどこはたしかなことは解りません。

 何にいたしましても、来るものも()るものも亡くなりましたのは、こりゃ葬式(とむらい)が出ましたから事実(まったく)なんで。

 さあ、どんづまりのその女郎が殺されましてからは、怪我にもゆき()がございません、これはまた無いはずでございましょう。

 そうすると一年、二年、三年と、段々店が寂れまして、家も蔵も(もと)のようではなくなりました。一時は買込んだ田地(でんじ)なども売物に出たとかいう評判でございました。

 そうこういたします内に、さよう、一昨年でございましたよ、島屋の隠居が(うち)へ帰ったということを聞きましたのは。それから戦争の祈祷の評判、ひとしきりは女房一件で、饅頭の餡でさえ胸を悪くしたものも、そのお国のために断食をした、お(こもり)をした、千里のさき三年のあとのあとまで見通しだと、人気といっちゃあおかしく聞えますが、また隠居殿の曲った鼻が素直(まっすぐ)になりまして、新聞にまで出まする騒ぎ。予言者だ、と旦那様、活如来(いきにょらい)(あつかい)でございましょう。

 ああ、やれやれ、(うち)へ帰ってもあの年紀(とし)で毎晩々々機織(はたおり)の透見をしたり、糸取場を(のぞ)いたり、のそりのそり()うようにして歩行(ある)いちゃ、五宿の宿場女郎の張店(はりみせ)を両側ね、糸をかがりますように一軒々々格子戸の中へ鼻を突込(つっこ)んじゃあクンクン()いで歩行(ある)くのを御存じないか、と内々私はちっと聞いたことがございますので、そう思っておりましたが、善くは思いませんばかりでも、お(なか)のことを嗅ぎつけられて、変な杖でのろわれたら、どんな目に逢おうも知れぬと、薄気味の悪い(じじい)なんでございます。

 それが貴方、以前からお米を貴方。」

 と少し言渋りながら、

()けつ廻しつしているのでございます。」と思切った風でいったのである。

「何、お米を、あれが、」と判事は口早にいって、膝を立てた。

「いいえ、あの、これと定ったこともございません、ございませんようなものの、ふらふら堀ノ内様の近辺、五宿あたり、夜更(よふけ)でも行きあたりばったりにうろついて、この辺へはめったに寄りつきませなんだのが、沢井様へお米が参りまして、ここでもまた、容色(きりょう)が評判になりました時分から、(やぶ)からでも垣からでも、ひょいと出ちゃああの()()くさきを()けるのでございます。薄ぼんやりどこにかあの爺が立ってるのを見つけましたものが、もしその歩き出しますのを待っておりますれば、きっとお米の姿が道に見えると申したようなわけでございまして。」

       十三

目次に戻る

目次