1話 札幌(1)
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半生を放浪の間に送つて来た私には、折にふれてしみ/″\思出される土地の多い中に、札幌の二週間ほど、慌しい様な懐しい記憶を私の心に残した土地は無い。あの大きい田舎町めいた、道幅の広い、物静かな、木立の多い、洋風擬ひの家屋の離れ/″\に列んだ――そして甚大きい建物も見涯のつかぬ大空に圧しつけられてゐる様な、石狩平原の中央の都の光景は、やゝもすると私の目に浮んで来て、優しい伯母かなんぞの様に心を牽引ける。一年なり、二年なり、何時かは行つて住んで見たい様に思ふ。
私が初めて札幌に行つたのは明治四十年の秋風の立初めた頃である。――それまで私は函館に足を留めてゐたのだが、人も知つてゐるその年八月二十五日の晩の大火に会つて、幸ひ類焼は免れたが、出てゐた新聞社が丸焼になつて、急には立ちさうにもない。何しろ、北海道へ渡つて漸々四ヶ月、内地(と彼地ではいふ。)から家族を呼寄せて家を持つた許りの事で、土地に深い親みは無し、私も困つて了つた。其処へ道庁に勤めてゐる友人の立見君が公用旁々見舞に来て呉れたので、早速履歴書を書いて頼んで遣り、二三度手紙や電報の往復があつて、私は札幌の××新聞に行く事に決つた。条件は余り宜くなかつたが、此際だから腰掛の積りで入つたがよからうと友人からも言つて来た。
私は少し許りの畳建具を他に譲る事にして旅費を調へた。その時は、函館を発つ汽車汽船が便毎に「焼出され」の人々を満載してゐた頃で、其等の者が続々入込んだ為に、札幌にも小樽にも既う一軒の貸家も無いといふ噂もあり、且は又、先方へ行つて直ぐ家を持つだけの余裕も無しするから、家族は私の後から一先づ小樽にゐた姉の許へ引上げる事にした。
九月十何日かであつた。降り続いた火事後の雨が霽ると、伝染病発生の噂と共に底冷のする秋風が立つて、家を失ひ、職を失つた何万の人は、言ひ難き物の哀れを一様に味つてゐた。市街の大半を占めてゐる焼跡には、仮屋建ての鑿の音が急がしく響き合つて、まだ何処となく物の燻る臭気の残つてゐる空気に新らしい木の香が流れてゐた。数少い友人に送られて、私は一人夜汽車に乗つた。
翌暁小樽に着く迄は、腰下す席もない混雑で、私は一夜車室の隅に立ち明した。小樽で下車して、姉の家で朝飯を喫め、三時間許りも仮寝をしてからまた車中の人となつた。車輪を洗ふ許りに涵々と波の寄せてゐる神威古潭の海岸を過ぎると、銭函駅に着く。汽車はそれから真直に石狩の平原に進んだ。
未見の境を旅するといふ感じは、犇々と私の胸に迫つて来た。空は低く曇つてゐた。目を遮ぎる物もない曠野の処々には人家の屋根が見える。名も知らぬ灌木の叢生した箇処がある。沼地がある――其処には蘆荻の風に騒ぐ状が見られた。不図、二町とは離れぬ小溝の縁の畔路を、赤毛の犬を伴れた男が行く。犬が不意に駆け出した。男は膝まづいた。その前に白い煙がパツと立つた――猟夫だ。蘆荻の中から鴫らしい鳥が二羽、横さまに飛んで行くのが見えた。其向ふには、灌木の林の前に茫然と立つて、汽車を眺めてゐる農夫があつた。
恁くして北海道の奥深く入つて行くのだ。恁くして、或者は自然と、或者は人間同志で、内地の人の知らぬ劇しい戦ひを戦つてゐる北海道の生活の、だん/\底へと入つて行くのだ――といふ感じが、その時私の心に湧いた。――その時はまだ私の心も単純であつた。既にその劇しい戦ひの中へ割込み、底から底と潜り抜けて、遂々敗けて帰つて来た私の今の心に較べると、実際その時の私は、単純であつた――
小雨が音なく降り出した来た。気が付くと、同車の人々は手廻りの物などを片付けてゐる。小娘に帯を締直して遣つてゐる母親もあつた。既う札幌に着くのかと思つて、時計を見ると一時を五分過ぎてゐた。窓から顔を出すと、行手に方つて蓊乎とした木立が見え、大きい白ペンキ塗の建物も見えた。間もなく其建物の前を過ぎて、汽車は札幌駅に着いた。
乗客の大半は此処で降りた。私も小形の鞄一つを下げて乗降庭に立つと、二歳になる女の児を抱いた、背の高い立見君の姿が直ぐ目についた。も一人の友人も迎へに来て呉れた。
『君の家は近いね?』
『近い。どうして知つてるね?』
『子供を抱いて来てるぢやないか。』
改札口から広場に出ると、私は一寸立停つて見たい様に思つた。道幅の莫迦に広い停車場通りの、両側のアカシヤの街は、蕭条たる秋の雨に遠く/\煙つてゐる。其下を往来する人の歩みは皆静かだ。男も女もしめやかな恋を抱いて歩いてる様に見える。蛇目の傘をさした若い女の紫の袴が、その周匝の風物としつくり調和してゐた。傘をさす程の雨でもなかつた。
『この逵は僕等がアカシヤ街と呼ぶのだ。彼処に大きい煉瓦造りが見える。あれは五号館といふのだ。……奈何だ、気に入らないかね?』
『好い! 何時までも住んでゐたい――』
実際私は然う思つた。
立見君の宿は北七条の西○丁目かにあつた。古い洋風擬ひの建物の、素人下宿を営んでゐる林といふ寡婦の家に室借りをしてゐた。立見君は其室を「猫箱」と呼んでゐた。台所の後の、以前は物置だつたらしい四畳半で、屋根の傾斜なりに斜めに張られた天井は黒く、隅の方は頭が閊へて立てなかつた。其狭い室の中に机もあれば、夜具もある、行李もある。林務課の事業手といふ安腰弁の立見君は、細君と女児と三人で其室にゐ乍ら、時々藤村調の新体詩などを作つてゐた。机の上には英吉利人の古い詩集が二三冊、旧新約全書、それから、今は忘れて読めなくなつたと言ふ独逸文の宗教史――これらは皆、何かしら立見君の一生に忘れ難い紀念があるのだらう――などが載つてゐた。
私もその家に下宿する事になつた。尤も明間は無かつたから、停車場に迎へに来て呉れたも一人の方の友人――目形君――と同室する事にしたのだ。
宿の内儀は既う四十位の、亡夫は道庁で可也な役を勤めた人といふだけに、品のある、気の確乎した、言葉に西国の訛りのある人であつた。娘が二人、妹の方はまだ十三で、背のヒヨロ高い、愛嬌のない寂しい顔をしてゐる癖に、思ふ事は何でも言ふといつた様な淡白な質で、時々間違つた事を喋つては衆に笑はれて、ケロリとしてゐる児であつた。
姉は真佐子と言つた。その年の春、さる外国人の建てゝゐる女学校を卒業したとかで、体はまだ充分発育してゐない様に見えた。妹とは肖ても肖つかぬ丸顔の、色の白い、何処と言つて美しい点はないが、少し藪睨みの気味なのと片笑靨のあるのとに人好きのする表情があつた。女学校出とは思はれぬ様な温雅かな娘で、絶え/″\な声を出して讃美歌を歌つてゐる事などがあつた。学校では大分宗教的な教育を享けたらしい。母親は、妹の方をば時々お転婆だ/\と言つてゐたが、姉には一言も小言を言はなかつた。
その外に遠い親戚だという眇目な男がゐた。警察の小使をした事があるとかで、夜分などは「現行警察法」といふ古い本を繙いてゐる事があつた。その男が内儀の片腕になつて家事万端立働いてゐて、娘の真佐子はチヨイ/\手伝ふ位に過ぎなかつた。何でも母親の心にしては、末の手頼にしてゐる娘を下宿屋の娘らしくは育てたくなかつたのであらう。素人屋によくある例で、我々も食事の時は一同茶の間に出て、食卓を囲んで食ふことになつてゐたが、内儀はその時も成るべく娘には用をさせなかつた。
或朝、私が何か捜す物があつて鞄の中を調べてゐると、まだ使はない絵葉書が一枚出た。青草の中に罌粟らしい花の沢山咲き乱れてゐる、油絵まがひの絵であつた。不図、其処へ妹娘の民子が入つて来て、
『マア、綺麗な……』
と言つて覗き込む、
『上げませうか?』
『可くつて?』
手にとつて嬉しさうにして見てゐたが、
『これ、何の花?』
『罌粟。』
『恁花、いつか姉ちやんも画いた事あつてよ。』
すると、其日の昼飯の時だ。私は例の如く茶の間に行つて同宿の人と一緒に飯を食つてゐると、風邪の気味だといつて学校を休んで、咽喉に真綿を捲いてゐる民子が窓側で幅の広い橄欖色の飾紐を弄つてゐる。それを見付けた母親は、
『民イちやん、貴女何ですそれ、また姉さんの飾紐を。』
『貰つたの。』とケロリとしてゐる。
『嘘ですよウ。其色はまだ貴女に似合ひませんもの、何で姉さんが上げるものですか?」
『真箇。ホラ、今朝島田さんから戴いた綺麗な絵葉書ね、姉ちやんがあれを取上げて奈何しても返さないから、代りに此を貰つたの。』
『そんなら可いけれど、此間も真佐アちやんの絵具を那にして了うたぢやありませんか?」
私は列んでゐた農科大学生と話をし出した。
それから、飯を済まして便所に行つて来ると、真佐子は例の場所に坐つて、(其処は私の室の前、玄関から続きの八畳間で、家中の人の始終通る室だが、真佐子は外に室がないので、其処の隅ツコに机や本箱を置いてゐた。)編物に倦きたといふ態で、片肘を机に突き、編物の針で小さい硝子の罎にした花を突ついてゐた。豌豆の花の少し大きい様な花であつた。
『何です、その花?』と私は何気なく言つた。
『スヰイトビインです。』
よく聞えなかつたので聞直すと、
『あの、遊蝶花とか言ふさうで御座います。』
『さうですか。これですかスヰイトビインと言ふのは。』
『お好きで被入いますか?』
『さう! 可愛らしい花ですね。』
見ると、耳の根を仄のり紅くしてゐる。私は其儘室に入らうとすると、何時の間にか民子が来て立つてゐて、
『島田さん、もう那絵葉書無くつて?』
『有りません。その内にまた好いのを上げませう。』
『マア、お客様に其事言ふと、母さんに叱られますよ。』
と、姉が妹を譴める。
『ハハヽヽ。』と軽く笑つて、私は室に入つて了つた。
『だつて、切角戴いたのは姉ちやんが取上げたんだもの……』と、民子が不平顔をして言つてる様子。
真佐子は、口を抑へる様にして何か言つて慰めてゐた。
私は毎日午後一時頃から社に行つて、暗くなる頃に帰つて来る。その日は帰途に雨に会つて来て、食事に茶の間に行くと、外の人は既う済んで私一人限だ。内儀は私に少し濡れた羽織を脱がせて、真佐子に切炉の火で乾させ乍ら、自分は私に飯を装つて呉れてゐた。火に翳した羽織からは湯気が立つてゐる。思つたよりは濡れてゐると見えて却々乾せない。好い事にして私は三十分の余も内儀相手にお喋舌をしてゐた。
その翌日、私の妻が来た。既う函館からは引上げて小樽に来てゐるのであるが、さう何時までも姉の家に厄介になつても居られないので、それやこれやの打合せに来たのだ。私の子供は生れてやつと九ヶ月にしかならなかつたが、来ると直ぐ忘れないでゐて私に手を延べた。
が、心がけては居たつたが、空家、せめて二間位の空間と思つても、それすら有りさうになかつた。困つて了つて宿の内儀に話をすると、
『然うですねえ。それでは恁うなすつちや如何でせう、貴方のお室は八畳ですから、お家の見付かるまで当分此処で我慢をなさる事になすつては? さうなれば目形さんには別の室に移つて頂くことに致しますから。何で御座いませう、貴方方もお三人限……?』
『まだ年老つた母があります。外にもあるんですが、それは今直ぐ来なくても可いんです。』
『マア然うですか、阿母さんも御一緒に! ……それにしても立見さんの方よりは窮屈でない訳ですわねえ、当分の事ですから。』
話はそれに決つて、妻は二三日中に家財を纏めて来ることになつた。女同志は重宝なもので、妻は既う内儀と種々生計向の話などをしてゐる。
真佐子は、妻の来るとから私の子供を抱いて、のべつに頬擦りをし乍ら、家の中を歩いたり、外へ行つたりしてゐた。泣き出しさうにならなければ妻の許に伴れて来ない。
『小便しては可けませんから。』と妻が言つても、
『否、構ひませんから、も少し借して下さい。』と言つて却々放さない。母親は笑つてゐた。
二人限になつた時、妻は何かの序に恁事を言つた。
『真佐子さんは少し藪睨みですね。穏しい方でせう。』
軈て出社の時刻になつた。玄関を出ると、其処からは見えない生垣の内側に、私の子を抱いた真佐子が立つてゐた。私を見ると、
『あれ、父様ですよ、父様ですよ。』と言つて子供に教へる。
『重くありませんか、其に抱いてゐて?』
『否、嬢ちやん、サア、お土産を買つて来て下さいツて。マア何とも仰しやらない!』
と言ひながら、耐らないと言つた態に頬擦りをする。赤児を可愛がる処女には男の心を擽る様な点がある。私は二三歩真佐子に近づいたが、気がつくと玄関にはまだ妻が立つてるので、其儘門外へ出て了つた。
帰つて来た時は、小樽へ帰る私の妻を停車場まで見送りに行つた真佐子も、今し方帰つた許りといふところであつた。その晩は、立見君は牧師の家に出かけて行つたので、私は室にゐて手紙などを書いた。茶の間からは女達の話声が聞える。真佐子は私の子供の可愛かつた事を頻りに数へ立てゝゐる、立見君の細君もそれに同じてはゐたが、何となく気の乗らぬ声であつた。