大導寺信輔の半生 ――或精神的風景画――

4話 四 学校

2,219字 約4分 1998年10月11日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 学校も亦信輔には薄暗い記憶ばかり残している。彼は大学に在学中、ノオトもとらずに出席した二三の講義を除きさえすれば、どう言う学校の授業にも興味を感じたことは一度もなかった。が、中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通り抜けることは(わず)かに貧困を脱出するたった一つの救命袋だった。尤も信輔は中学時代にはこう言う事実を認めなかった。少くともはっきりとは認めなかった。しかし中学を卒業する頃から、貧困の脅威は曇天のように信輔の心を圧しはじめた。彼は大学や高等学校にいる時、何度も廃学を計画した。けれどもこの貧困の脅威はその度に薄暗い将来を示し、無造作に実行を不可能にした。彼は勿論学校を憎んだ。殊に拘束の多い中学を憎んだ。如何に門衛の喇叭(らっぱ)の音は刻薄な響を伝えたであろう。如何に又グラウンドのポプラアは憂欝(ゆううつ)な色に茂っていたであろう。信輔は其処に西洋歴史のデエトを、実験もせぬ化学の方程式を、欧米の一都市の住民の数を、――あらゆる無用の小智識を学んだ。それは多少の努力さえすれば、必しも苦しい仕事ではなかった。が、無用の小智識と言う事実をも忘れるのは困難だった。ドストエフスキイは「死人の家」の中にたとえば第一のバケツの水をまず第二のバケツへ移し、更に又第二のバケツの水を第一のバケツへ移すと言うように、無用の労役を強いられた囚徒の自殺することを語っている。信輔は鼠色(ねずみいろ)の校舎の中に、――丈の高いポプラアの(そよ)ぎの中にこう言う囚徒の経験する精神的苦痛を経験した。のみならず――

 のみならず彼の教師と言うものを最も憎んだのも中学だった。教師は皆個人としては悪人ではなかったに違いなかった。しかし「教育上の責任」は――殊に生徒を処罰する権利はおのずから彼等を暴君にした。彼等は彼等の偏見を生徒の心へ種痘する為には如何なる手段をも選ばなかった。現に彼等の或ものは、――達磨(だるま)と言う諢名(あだな)のある英語の教師は「生意気である」と言う為に度たび信輔に体刑を課した。が、その「生意気である」所以(ゆえん)畢竟(ひっきょう)信輔の独歩や花袋(かたい)を読んでいることに外ならなかった。又彼等の或ものは――それは左の眼に義眼をした国語漢文の教師だった。この教師は彼の武芸や競技に興味のないことを喜ばなかった。その為に何度も信輔を「お前は女か?」と嘲笑(ちょうしょう)した。信輔は或時(かっ)とした拍子に、「先生は男ですか?」と反問した。教師は勿論彼の不遜(ふそん)に厳罰を課せずには()かなかった。その外もう紙の黄ばんだ「自ら欺かざるの記」を読み返して見れば、彼の屈辱を(こうむ)ったことは枚挙し難い位だった。自尊心の強い信輔は意地にも彼自身を守る為に、いつもこう言う屈辱を反撥(はんぱつ)しなければならなかった。さもなければあらゆる不良少年のように彼自身を軽んずるのに(おわ)るだけだった。彼はその自彊術(じきょうじゅつ)の道具を当然「自ら欺かざるの記」に求めた。――

「予の蒙れる悪名は多けれども、分つて三と為すことを得べし。

「その一は文弱也。文弱とは肉体の力よりも精神の力を重んずるを言ふ。

「その二は軽佻(けいてう)浮薄也。軽佻浮薄とは功利の外に美なるものを愛するを言ふ。

「その三は傲慢(がうまん)也。傲慢とは(みだり)に他の前に自己の所信を屈せざるを言ふ。

 しかし教師も(ことごと)く彼を迫害した訣ではなかった。彼等の或ものは家族を加えた茶話会に彼を招待した。又彼等の或ものは彼に英語の小説などを貸した。彼は四学年を卒業した時、こう言う借りものの小説の中に「猟人日記」の英訳を見つけ、歓喜して読んだことを覚えている。が、「教育上の責任」は常に彼等と人間同士の親しみを交える妨害をした。それは彼等の好意を得ることにも何か彼等の権力に媚びる卑しさの潜んでいる為だった。さもなければ彼等の同性愛に媚びる醜さの潜んでいる為だった。彼は彼等の前へ出ると、どうしても自由に振舞われなかった。のみならず時には不自然に巻煙草(まきたばこ)の箱へ手を出したり、立ち見をした芝居を吹聴したりした。彼等は勿論この無作法を不遜の為と解釈した。解釈するのも亦尤もだった。彼は元来人好きのする生徒ではないのに違いなかった。彼の筺底(きょうてい)の古写真は体と不吊合(ふつりあい)に頭の大きい、(いたず)らに目ばかり(かがや)かせた、病弱らしい少年を映している。しかもこの顔色の悪い少年は絶えず毒を持った質問を投げつけ、人の好い教師を悩ませることを無上の愉快としているのだった!

 信輔は試験のある度に学業はいつも高点だった。が、所謂(いわゆる)操行点だけは一度も六点を上らなかった。彼は6と言うアラビア数字に教員室中の冷笑を感じた。実際又教師の操行点を(たて)に彼を(あざけ)っているのは事実だった。彼の成績はこの六点の為にいつも三番を越えなかった。彼はこう言う復讐(ふくしゅう)を憎んだ。こう言う復讐をする教師を憎んだ。今も、――いや、今はいつのまにか当時の憎悪を忘れている。中学は彼には悪夢だった。けれども悪夢だったことは必しも不幸とは限らなかった。彼はその為に少くとも孤独に堪える性情を生じた。さもなければ彼の半生の歩みは今日よりももっと苦しかったであろう。彼は彼の夢みていたように何冊かの本の著者になった。しかし彼に与えられたものは畢竟落寞(ひっきょうらくばく)とした孤独だった。この孤独に安んじた今日、――或はこの孤独に安んずるより外に仕かたのないことを知った今日、二十年の昔をふり返って見れば、彼を苦しめた中学の校舎は(むし)ろ美しい薔薇色(ばらいろ)をした薄明りの中に(よこた)わっている。(もっと)もグラウンドのポプラアだけは不相変欝々(あいかわらずうつうつ)と茂った(こずえ)に寂しい風の音を宿しながら。………

目次に戻る

目次