12話 緑町、亀沢町
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江東橋を渡つた向うもやはりバラツクばかりである。僕は円タクの窓越しに赤錆をふいた亜鉛屋根だのペンキ塗りの板目だのを見ながら、確か明治四十三年にあつた大水のことを思ひ出した。今日の本所は火事には会つても、洪水に会ふことはないであらう。が、その時の大水は僕の記憶に残つてゐるのでは一番水嵩の高いものだつた。江東橋界隈の人々の第三中学校へ避難したのもやはりこの大水のあつた時である。僕は江東橋を越えるのにも一面に漲つた泥水の中を泳いで行かなければならなかつた。……
「実際その時は大変でしたよ。尤も僕の家などは床の上へ水は来なかつたけれども。」
「では浅い所もあつたのですね?」
「緑町二丁目――かな。何でもあの辺は膝位まででしたがね。僕はSと云ふ友だちと一しよにその露地の奥にゐるもう一人の友だちを見舞ひに行つたんです。するとSと云ふ友だちが溝の中へ落ちてしまつてね。……」
「ああ、水が出てゐたから、溝のあることがわからなかつたんですね。」
「ええ、――しかしSのやつは膝まで水の上に出てゐたんです。それがあつと言ふ拍子に可也深い溝だつたと見え、水の上に出てゐるのは首だけになつてしまつたんでせう。僕は思はず笑つてしまつてね。」
僕等をのせた円タクはかう云ふ僕等の話の中に寿座の前を通り過ぎた。画看板を掲げた寿座は余り昔と変らないらしかつた。僕の父の話によれば、この辺、――二つ目通りから先は「津軽様」の屋敷だつた。「御維新」前の或年の正月、父は川向うへ年始に行き、帰りに両国橋を渡つて来ると、少しも見知らない若侍が一人偶然父と道づれになつた。彼もちやんと大小をさし、鷹の羽の紋のついた上下を着てゐた。父は彼と話してゐるうちにいつか僕の家を通り過ぎてしまつた。のみならずふと気づいた時には「津軽様」の溝の中へ転げこんでゐた。同時に又若侍はいつかどこかへ見えなくなつてゐた。父は泥まみれになつたまま、僕の家へ帰つて来た。何でも父の刀は鞘走つた拍子にさかさまに溝の中に立つたと云ふことである。それから若侍に化けた狐は(父は未だこの若侍を狐だつたと信じてゐる。)刀の光に恐れた為にやつと逃げ出したのだと云ふことである。実際狐の化けたかどうかは僕にはどちらでも差支へない。僕は唯父の口からかう云ふ話を聞かされる度にいつも昔の本所の如何に寂しかつたかを想像してゐた。
僕等は亀沢町の角で円タクをおり、元町通りを両国へ歩いて行つた。菓子屋の寿徳庵は昔のやうにやはり繁昌してゐるらしい。しかしその向うの質屋の店は安田銀行に変つてゐる。この質屋の「利いちやん」も僕の小学時代の友だちだつた。僕はいつか遊び時間に僕等の家にあるものを自慢し合つたことを覚えてゐる。僕の友だちは僕のやうに年とつた小役人の息子ばかりではない。が、誰も「利いちやん」の言葉には驚嘆せずにはゐられなかつた。
「僕の家の土蔵の中には大砲万右衛門の化粧廻しもある。」
大砲は僕等の小学時代に、――常陸山や梅ヶ谷の大関だつた時代に横綱を張つた相撲だつた。