先生と父兄の皆さまへ

1話 先生と父兄の皆さまへ

705字 約1分 2021年6月25日 公開

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 (わたし)たちが、子供(こども)のころから、(した)しみなれてきた一休(いっきゅう)さんは、紫野大徳寺(むらさきのだいとくじ)、四十七代目(だいめ)住職(じゅうしょく)として、天下(てんか)にその智識(ちしき)高徳(こうとく)をうたわれた(ひと)でした。

 一休(いっきゅう)さんは、応永元年(おうえいがんねん)(がつ)一日(ついたち)将軍義満(しょうぐんよしみつ)が、その()義持(よしもち)(しょく)をゆずった(とし)南朝(なんちょう)後小松天皇(ごこまつてんのう)(ちち)とし、伊予局(いよのつぼね)(はは)として(うま)れました。

 しかし、一休(いっきゅう)さんを()んだ伊予局(いよのつぼね)は、后宮(きさきのみや)嫉妬(しっと)のため、()危険(きけん)がせまったので、自分(じぶん)から皇居(こうきょ)をのがれることになりました。つまり、一休(いっきゅう)さんは、()かげの()となったわけで、そんなことから、大徳寺(だいとくじ)華叟禅師(かそうぜんじ)のもとに弟子入(でしい)りし、仏門(ぶつもん)(ひと)となったわけです。

 乳母(うば)玉江(たまえ)は、これも、高橋三位満実卿(たかはしさんみみつざねきょう)(いもうと)で、りっぱな婦人(ふじん)でした。

 一休(いっきゅう)さんは、幼時(ようじ)から、()から(はな)()けるような、りこうな子供(こども)でしたが、そのりこうさが、仏門(ぶつもん)(はい)ってみがきをかけられ、後世(こうせい)にのこるような英僧(えいそう)にとなったわけでしょう。一休(いっきゅう)さんの頓智(とんち)というものは、まるで、とぎすました(やいば)のような、(するど)さで、もし、一休(いっきゅう)さんが、仏門(ぶつもん)(はい)って(とく)をみがいたのでなければ、大分(だいぶ)危険(きけん)なようにさえおもわれるところもあるくらいです。

 しかし、ここでは、一休(いっきゅう)さんの頓智(とんち)を、こどもたちにもおもしろくて、ためになる、ということにおきかえて()きました。

 一休(いっきゅう)さんの「とんち」は、すてきにおもしろいばかりでなく、その(ひと)(ひと)つが、ためになるように、できています。

 よく「おもしろくて、ためになる(ほん)」と、いうことが、いわれますが、一休(いっきゅう)さんの(はなし)などは、その代表的(だいひょうてき)なものの(ひと)つだろうと(おも)います。

 ことに、こどもの道徳教育(どうとくきょういく)が、真剣(しんけん)(かんが)えられている今日(こんにち)、こういう、道徳的教訓(どうとくてききょうくん)のふくんだ物語(ものがたり)は、お()さんのために、ぜひおすすめしたいものと(おも)います。

五十公野 清一

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