15話 方丈記
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僕「きょう本所へ行って来ましたよ。」
父「本所もすっかり変ったな。」
母「うちの近所はどうなっているえ?」
僕「どうなっているって……釣竿屋の石井さんにうちを売ったでしょう。あの石井さんのあるだけですね。ああ、それから提灯屋もあった。……」
伯母「あすこに銭湯もあったでしょう。」
僕「今でも常盤湯という銭湯はありますよ。」
伯母「常盤湯といったかしら。」
妻「あたしのいた辺も変ったでしょうね?」
僕「変らないのは石河岸だけだよ。」
妻「あすこにあった、大きい柳は?」
僕「柳などは勿論焼けてしまったさ。」
母「お前のまだ小さかった頃には電車も通っていなかったんだからね。」
僕「『榛の木馬場』あたりはかたなしですね。」
父「あすこには葛飾北斎が住んでいたことがある。」
僕「『割下水』もやっぱり変ってしまいましたよ。」
母「あすこには悪御家人が沢山いてね。」
僕「僕の覚えている時分でも何かそんな気のする所でしたね。」
妻「お鶴さんの家はどうなったでしょう?」
僕「お鶴さん? ああ、あの藍問屋の娘さんか。」
妻「ええ、兄さんの好きだった人。」
僕「あの家はどうだったかな。兄さんのためにも見て来るんだったっけ。尤も前に通ったんだけれども。」
伯母「あたしは地震の年以来一度も行ったことはないんだから――行っても驚くだろうけれども。」
僕「それは驚くだけですよ。伯母さんには見当もつかないかも知れない。」
父「何しろ変りも変ったからね。そら、昔は夕がたになると、みんな門を細目にあけて往来を見ていたもんだろう?」
母「法界節や何かの帰って来るのをね。」
伯母「あの時分は蝙蝠も沢山いたでしょう。」
僕「今は雀さえ飛んでいませんよ。僕は実際無常を感じてね。……それでも一度行ってごらんなさい。まだずん/\変ろうとしているから。」
妻「わたしは一度子供達に亀戸の太鼓橋を見せてやりたい。」
父「臥竜梅はもうなくなっただろうな?」
僕「ええ、あれはもうとうに……さあ、これから驚いたということを十五回だけ書かなければならない。」
妻「驚いた、驚いたと書いていれば善いのに。」(笑う)
僕「その外に何も書けるもんか、若し何か書けるとすれば……そうだ。このポケット本の中にちゃんともう誰か書き尽している。――『玉敷きの都の中に、棟を並べ甍を争へる、尊き卑しき人の住居は、代々を経てつきせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。……いにしへ見し人は、二三十人の中に僅に一人二人なり。朝に死し、夕に生まるゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。』……」
母「何だえ、それは? 『お文様』のようじゃないか?」
僕「これですか? これは『方丈記』ですよ。僕などよりもちょっと偉かった鴨の長明という人の書いた本ですよ。」