1話 本州横断 痛快徒歩旅行(1)
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前号でお別れしてから横断旅行の一隊は、炎天に照り付けられ、豪雨に洗われて、その行を続けた。峠を越すこと四、人跡絶せる深山に分け入り、峡谷の巌頭を攀じてついた日本海沿岸に出た。詳しくは全編を読め。
▲ヨタ馬車を追い越せッ
いよいよ一行は四人と相なった。水戸以来総勢八人、八溝の天も何のその、一足跳びにワッショイワッショイと飛び越えて来たものの、急に少なくなると何だか寂しい。それに春浪冒険将軍が都合で帰京したので、恰かも百千の味方を失ったような心地だ。
西那須からは三島通庸君が栃木県令時代に俗論を排して開いた名高い三島道路。先頭に立ったのが吉岡虎髯将軍、屑屋に払ったらば三銭五厘位のボロ洋傘をつき立てて進む。後に続く木川子、それにかく申す吾輩、殿軍としては五尺六寸ヌーボー式を発揮した未醒画伯、孰れも着茣蓙を羽織って、意気揚々塩原へこそ乗りこんだり。
太陽は猛烈に照り付ける。汗は滝のように流れるけれども、そんなことは平気の平左、グングン先に立つ馬車を追越すこと前後合計五台。はるかに馬車の影が見えてテートーと喇叭を吹けば、これ我等がためにマーチを吹くなりと称して痛快に馳け出し、忽ちにして追い越してしまう。大那須野平野を行くこと五里にして関谷へ着く。
ここでひと息入れて、さらに進む半里ばかり、いよいよ塩原の峡谷へ差しかかる。入勝橋というを渡れば山勢、渓流いよいよ非凡奇抜、ケチ臭い滝が路の両側にあったが、名は悉く忘却仕った。ただ谷が莫迦に深かいのと巌壁を開鑿して造った桟道とは流石に宏壮、雄大の景だと思われた。大網を過ぐればやがて福渡。この辺の景色は絶景といっても差支えあるまい。ここを通り越せば、その尖端雲に入るかと思わる天狗岩が掃川の岸から聳立っているワイ。
由来塩原という処、金持共が贅沢に夏の暑さを避けに来る土地ゆえ、街路には至る処ハイカラ男女共が手を連ねてノサ張りまわりつつあり。老人や隠居や病人共が、養生のために来ているなら結構であるが、若い身空で親爺の脛を噛り噛りロクな事もしないでブラブラ女の手を引いて歩るく、なんぞいう奴が多いから癪に触る。大手を振って、薄汚ない服を着ながら、大道せましと乗り込んだ吾等一行の有様を見て、細い目を見張ったのも痛快じゃった。
古町の会津屋旅館へ御投宿。早速一風呂浴びて渓流を耳にしながら杯を傾け、寝に付く前四人して浴場へ志ざす。第一に飛び込んだる髯将軍、オットセイと称して浴槽の中へ仰のけのまま跳り込み、頭から、足からザブンザブン飛び込むこと十数回、危うく浴構内の土左衛門さんとならんとせしところを三人して引挙げ、ようやく事なきを得た。将軍浴場内に大の字に成ってへた張ったところ、三人して頭からガジャガジャ冷水の洗礼を見舞うとこ、たちまち家屋を震動せしむるウエーウエーの大声を連発する数回。宿屋の番頭殿びっくりして飛んで来て、眼をキョロキョロさせながら、
「何でございますえ、今の声は」
痛快痛快。
▲ヤッ断橋!
翌朝強力を雇って宿を出発したのが七時。これからいよいよ高原越え、元気はますます加わる。塩原古町から一里ほど人里放れた山の中を行くと新湯に出る。ここらでチョイトひと休み。山間の僻村、人皆淳朴で、休んだ大黒屋旅館も気持のいい家であった。これからは殆んど人の歩るいた事のないような谷合を通り、前黒山、釈迦ヶ岳の山の中腹を迂回して深林の薄暗い中を行くのである。幸にも晴天だからいいようなものの、これが雨降りでもあったものなら、たまったものではない。熊笹は人の身の丈を没すという深さ、暗い林の遠くには気味の悪い鳥の声がして、谿川の音は物凄いように樹立の間に唱っている。
行くこと数里、深山幽谷深かく分け入ると、谿川の流れ巌に激しく、奔流矢を射るごとき淵に出た。
「ヤッ橋が落ちてるぞッ」
と真先に立ちたる未醒君、立留まって、一行を顧みた。見れば正しく橋は陥落して、碧流巌を噛む。一行相顧みて唖然たり。
「ヨシヨシ仕方がない。吾々の足が勝つか、水の勢いが勝つか、一つ力比べをやろう。飛び込め飛び込め」これ位のことは覚悟の上だ、ゴシンゴシン渡れっとばかりに各々手は連ねて、なるたけ大きな岩の上へ脚をしつかとのせ、「踏ん張れ踏ん張れ」とばかり、忽ちにして彼岸へ達することが出来た。
水深腰に及び、河原の岩の上に座してまずホッと一息。
すると、遥か河下に方って百雷の轟ろくがごとき音響が地を鳴らして聞える。なんだろう? 早速吾輩が飛んでく。河に沿うて凡そ三丁ばかり、一大飛瀑発見! 大滝!
「オーイ皆んな来い、大瀑布! 大瀑布がある」
残りの三人宙を飛んで馳けつけた。岩にせばまれたる一条の水路、懸崖百尺の九天よりすさまじき音響を立て、落下する。巌に飛び散る霧は雨のよう。恐々ながら巌頭に四つん這いになると、数十丈遥か下の滝壺は紺碧を湛えて、白泡物凄く涌き返るさま、とてもチラチラして長く見ていることが出来ぬ。木川子の腰に細引を結び付けて、将軍が巌角に足を踏ん張り、大冒険を企てて、早速奔流落下の状を写し取った。案内の父爺に聞けば「これが赤川の大滝です。この辺は年に一回とも人が来ませんから、こんな大滝でも知ってる人は、山林局の御役人様位でがんす」。
▲薄気味悪き工夫殿
密林鬱乎として怪鳥梢に鳴く深山を行くこと二里余、初めて広々とした高原へ出た。ここから左方に高原の山が聳えて見える。右方の栗の古木は栗山ヘ続く林だということだ。維新以前、会津侯が江戸登城の折は四千余尺のこの山道を通られたということで、路傍の叢中には一基の古碑、その面に「右塩原あら湯道、左会津道」と刻されてあるのが蘚苔に覆われて読める。少し行くと古えの高原駅の跡がある。四十余年前までは高原の村はこの山上に在ったのだそうだ。廃駅の陣屋跡に、石垣の草に埋もれたのや、形の殆んど崩れてしまった石の地蔵尊が、尾花の中にボンヤリ立っているのも、人里離れたこの山上にはことに趣が深かった。
塩原から雇って来た強力殿の足の早いこと、凡そ五、六貫位の重荷であるが、平気でドンドン行く。鉄脚自慢の我々もゴシゴシ引張られて閉口した。やがて眼界頓に開けた所へ出れば、重畳せる群山波浪のごとく起伏して、下瞰すれば鬼怒の清流真っ白く、新しき褌のごとく山裾を迂ぐっている。
高原でひとまず人夫を返し、荷馬車に大荷物を頼んでテクル事にした。一茶店に入りて用意の握り飯を噛じる。胡瓜揉みを命じたところが、怪し気な女が出て来て大皿の中にチョッピリ盛り付けたのが、驚くなかれ代価四十銭。イクラ開けない山の中でも、あんまり人を馬鹿にしている。田舎といったところが、なかなかこの調子では馬鹿に出来ない。
棒のようになった脚を引摺って出かけた。汗は用捨なく出る。服はグショ濡れだ。これからは鬼怒の渓流に沿うて桟道を行くのである。
この辺は鬼怒川水力電気の工事があるので、至る処、鬼のような工夫に逢う。大きな鶴嘴を手にして大道の上に五人十人休んでいる。孰れも薄気味悪るいギョロギョロした眼を光らして、吾等一行を見送っている。この工事が初まってから、縄からげの土左右衛門が血まみれになって河下へ流れて来たという話を聞いておったから、ひと通りならず薄気味悪かった。一騎当千の吾々、喧嘩では五、六人相手にしても負けない元気でいるが、なにしろ向うの連中はダイナマイトを持っているから、空心したことは出来ぬ。ダイナマイトで粉々に砕かれてはつまらぬし、高が工夫、相手にしたところが自慢にもならない。ここは温なしく通り越した。
しかし、鬼怒の渓流は天下に紹介しても恥ずかしからぬ、壮大な、雄偉な、しかして変化に富める渓谷であると思った。
藤原から十七、八才になる人夫を雇って荷物を担がせた。時計を見るともう五時過ぎである。どうしても今日のうちに日光まで辿り着かぬと予定の行路が狂う。ウンコラウンコラ脚を飛ばして行くこと二里。着いたのが、大原という村である。
▲蛮力、馬を助く
八時今市発の汽車に乗らぬと、今晩中に日光へ行くことは出来ぬ。一体、塩原から日光へひと跳びというのが已に人間業ではない。自慢じゃないが、高原越えだけで普道の人間ならば凹垂れるところである。高原七里の峠を越えて、これから十里、日光まで伸ばそうというのだから、まるで天狗の仕事である。無謀といわばいえ。吾々は朝に計画した事を夕に変更することは断じて採らざる所、なんでもいいから今日中にやっつけろというのだ。そうすると、歩るいてた分には今晩歩るき通しにしなければ日光へは出られぬ。よし、かくなる上は今市日光間の四哩を汽車で行こうということになった。
日はもう暮れに近い。それに雨が降って来そうになった。どうあっても八時に今市まで行かなければならぬ。仕方がない、今市まで馬車に乗ってウンと飛ばそうとなった。大原という処は鬼怒水電工事の中心である。ために入込んでいる工夫の数は三千人程あるという話だ。山間の僻地の割には景気がいいらしい。商賈もドシドシ建つようだし、人間の往来も多い。しかしながら、今まで素朴であった村邑が工夫という渡り物の来たためにアブク銭が落ち込むので、農家はいずれも半ば飲食店のようになり、善良なりし村家の戸毎から酒気溢れ、淫声戸外に洩るるようになったのは、残念で堪らぬような気がした。金力の跋扈、ことに下等獣類に等しき工夫共の手により質朴なる田舎に撤かるる悪銭は、実に慨嘆に堪えぬ。余計な心配だが、これから五年あるいは十年の後、工事了りて元の閑寂なる山村に帰った時、初めて眼醒むる彼等の苦痛は、一旦心に印せられた惰弱の風と共に永久に消ゆるの時がなかろう。可憐のものじゃ。
馬車に乗って二里の道程を飛ばすこととした。幸いに御者先生は十六、七の小僧君。将軍早速談判して、八時までに今市へ着けば五十銭の酒代をやることにした。が、先生も欲と二人連れ、帰れば一晩ゆっくり遊べるという寸法だから、馬の尻を叩くは叩くは、
「ハイヨウハイヨウ、ピシッ」
初めの一里ばかりは馬君風を斫って駆けたが、次第に暗くはなるし、山路の事とて路は素敵に悪るい。路の中には大きな石がゴロゴロしている。打っても叩いても進まばこそ、五十銭損得の境だから御者少年も汗みずくだ。一生懸命になって「ハイ、ッコラ、ヨッ」。最初は吾々も我慢して乗っていたが、いよいよ歩みの遅々たるに業を煮やし、ソレッとばかり飛び下りて、四人がワッショイワッショイ馬車の後押し、前後左右へガッタンガッタンするのを、一向お構いなく一生懸命になって馬車の後押しをした。お客が馬車の後押しをするなんてことは恐らくどこにもあるまい。村の人は軒に立って何事かと出てみては呆れている。お陰様で八時には今市へ着いた。五十銭の酒代で御者先生ホクホクもの。盛んに礼をいっておった。
八時の汽車には間に合ったが、さて乗り込んだところが連日の強行軍で洋服は泥まみれ。その上、大きな茣蓙を抱え込んだものだから、日光避暑連中は目を回しておった。これ位ならまだいいとして、汗臭氛々用捨なく室内に漲るには、日光行きのハイカラ先生少なからず顔をしかめておったわい。
日光へ着くと、未醒画伯は弟妹首を延ばして待っている郷家へ一夜の宿り、吾々三人はボロ洋服に茣蓙を引っ掛けて小西別館へと入り込んだ。幸いにも天から拒絶されなかったのが何より。風呂から上がり、姿見に向かい三人相顧みて、
「随分黒くなったなあ」
この夜、吉岡髯将軍ビール二杯呑んだところが早速酔っ払ってしまい、自分から注文した名物の羊羹が来たのも知らずに、鼾声雷のごとくグーグームニャムニャ。木川子と吾輩二人で一皿を平らぐ。ただし、この事、将軍にはナイショナイショ。
▲雨中の突進
翌朝、未醒画伯九時に雨を冒して来たり。
「ドウダ、用意はまだか、早くしろ早くしろ」
雨の中に立って大元気なり。早速足ごしらいをして飛び立つ。案内者を一名雇う。佐十さんという頑強日光一の案内老爺。負梯子に一行の荷物をのせて雨中を出かける。
馬返し辺に至れば、雨ますます烈しくして男体颪の強風吹き捲くって、うっかり足の力を抜けば、五、六町吹き返されるは請合なり。満身の力を足に集注して大谷川の沿岸を遡る。河身を見れば濁水巨巌に咆哮して正しく天に漲ぎるの有様、方等般若の滝もあったものにあらず、濁り水が汚なく絶壁を落つるに過ぎない。中の茶屋で昼食。出かけるとまたもや烈風強雨。その中を冒して突進、不動坂を駆け上がるのが髯将軍、早くも胸つき八丁の上に方りてまたぞろ雨中でウエーウエー。
猛烈の雨中突進、遮二無二登りつめれば中禅寺の八丁平なり。ここから華巖の滝壺を見に行った。この滝壺道というのは、五郎平爺が十三年の日子を費やして独力造り上げた道である。惜しいかな、この老爺、今年四月病いを得て死んでしまった。
雨中を冒して、将軍と吾輩勇を鼓して五郎平茶屋より一丁あまり、懸崖路なき所を下りて、滝壺探検と出かけた。雨水を含んでいる岩角はウッカリすると墜落して手も足もかけることが出来ぬ。木の根岩角に手をかけ、足を踏みしめて、ようよう飛沫雨のごとき中に下り立ちて、巨巌の上へ登り、海内無双の大瀑布、華厳の雄姿を眺めた時には思わず快哉三呼。
足の皮を摺りむいて五郎平茶屋へ這い上がる。
▲将軍、またもや馬を救う
いよいよ中禅寺湖畔へ出た。湖面暗くして波浪上らず、雨脚矢のごとく湖上を打つ。毛唐の乗ったボートは橋に引掛かり、対山の翠は雨雲に包まれて、更に一鳥の飛ぶを見ず。商賈戸を鎖して風雨いよいよ烈しく、冷気肌を襲うてなんとなく物凄い。
五人は湖畔を辿って菖蒲ヶ浜へ出た。ここは昼なお暗き古木が深々として茂っている。この中に山林局の養魚場がある。白亜の洋館に行き養魚の有様を見んと訪えば、ここに偶然にも、僕の旧知、法科大学生福田甚二郎君がいて、種々養魚上の説明をしてくれ、ここの所長をしている谷口利三郎氏も出て来られて、雨中に学術上の説明をしてくれた。
ここを出て地獄茶屋でひと休み息んでいると、只事ならぬ叫び声が聞える。スワ何事の出来と、四人一度に飛び出す。見れば一頭の悍馬谷川へ陥ちて今や押し流されんず有様。何でこの状を目睹して躊躇すべき。将軍、忽ち着のみ着のまま川の中へ飛び込んで口元を確かと握り、金剛力を振い起こし、「エーヤッ」とばかりに引揚げた。呆気に取られて見ていた馬子さん、涙を流さんばかりに、
「どうもありがとうござんした。お陰様で……」
と平身低頭礼を言っている。馬殿、鼻をブルンブルンいわせながら、一声風に嘶いてヒーン。
将軍濡鼠のごとくなって陸に上がり、茶屋でボロ洋服を乾かす。
竜頭の滝を見て、戦場ヶ原の入口に入りし時は、雨ようやく晴れて、額が痛くなるほど黒髪山が頭上にのぞいている。強風は例によって猛烈に吹く。雨が歇んだので未醒画伯戦場ヶ原の真中へ三脚を立て、悠々写生を初めたところが、折悪しく吹き捲くって来た一陣の烈風に、画板を吹っ飛ばされ、絵の具は躍り出す、いやはや大狼狽。せっかく計画して来た戦場ヶ原の写生もこれでおジャン。
右顧左眄、雄大無比なるこの高原の絶勝を眺めながら湯本へ着いたのが、もう日が暮れて大分間が経ってからである。先発宿定めの佐十さんが南摩ホテルで拒絶され、釜屋で門前払いを食い、ようやくにして佐野屋という変梃な家の二階と決まる。後から乗り込んだ吾々、至る処引張り回されて、薄汚い二階へ案内された時にはヤレヤレ。未醒君の発起で陰気な二階の一夜を怪談に更かす。
▲ヒー、イズ、アクター
十八日朝七時出発、快晴。今日は名にし負う金精峠である。殆んど直立せる断崖絶壁を登ること一里八丁、樵夫が連れて来た犬が莫迦に吠え付いて始未におえぬ。将軍の一喝、小牛大の猛犬忽ち縮み上がりて熊笹の間へ逃げ込んでしまった。六十の佐十さんは壮者を凌ぐ程の元気。脚の達者なことといったら比類なし。グングン荷物を担いだまま登る。
峠の頂上に達して振り返れば、屏風を立てたごとき山腹の路は赤くなって見える。遠くには湯の湖、戦場ヶ原を隔てて男体山が毅然として雲表に聳え立っている。雄大な眺めだ。将軍山頂に便を催おし、叢の中に男体山を眺めながら、上野と下野の国境上に真黒な塊を残す。
深山を下ること二里余り、紺碧の水を湛えたる湖の畔へ出た。ここで渇したる咽を清水に濡おし、物凄き山中を行くと、深林の中に人が歩るいたらしい小径がある。物好半分の連中、早速行ってみると、驚くべし、人の住み捨てた家が壊れて雨に柱が朽ちかかっているのを見出した。棒の先で屋根の下を掘ってみると、中から出たのは人骨か、獣の骨か、――ゴソゴソとひと固まり。有繋の将軍も、「ヒャー何物!」。
何が出るか掘ってみようというので、なおも一生懸命に棒の先で掻き散らしてみると、出たものは土鍋の破片一個、茶碗三個、衣服ようのもの一つ、錆鉈一挺、一同不審の思をなしてここを出発した。これから丸沼へ出て、その次が大尻沼である。この湖畔に一軒の掘建小屋があって、ここには丈夫そうな漁師夫婦が住んでいる。ここで茶を貰い、昼食をすます。ここから人間の住んでいる村へ出るには、二里余の山を行かなければならないそうである。
吾々の後から一人の西洋人が人夫を一人連れて湯本からやって来た。将軍忽ち怪し気なる会話を始める。一心に写生をやっている未醒画伯を指して「あれはなんだ」と聞かれ、将軍反り返り、得意になって曰く、
「ヒー、イズ、アクター」
西洋人、目を丸くして未醒氏の顔を見る。将軍、アーチストとアクターとを何の気なしに滑らして、色の黒い未醒画伯とうとう俳優となってしまった。
食後の小憩を未醒氏渚の扁舟に棹さして湖心に出づ。木川子は真裸になりて水中に泳ぐこと一、二分、たちまち躍り出して「アー冷たい」。
ここから渓流に沿うて下ること二里。山中に朽木の独木橋を渡り、アワヤ谷底へ真逆様にならんとせしは某君。難なく東小川村へ着いた。普通の人はここへ泊るのが一日の行程だそうだが、足は多少痛くても元気はますます加わる吾等一行、小憩の後、片品川の沿岸に沿うてここから四里余もある追貝まで猛烈なる強行軍。暮靄寒村をこむる夕方、片品川の水声を聞きつつ淀屋というへ泊す。
▲未醒画伯、一命を棒に振らんとす