本州横断 痛快徒歩旅行

1話 本州横断 痛快徒歩旅行(1)

7,449字 約15分 2018年1月3日 公開

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前号でお別れしてから横断旅行の一隊は、炎天に照り付けられ、豪雨に洗われて、その(こう)を続けた。峠を越すこと四、人跡絶せる深山に分け入り、峡谷の巌頭(がんとう)()じてついた日本海沿岸に出た。詳しくは全編を読め。

▲ヨタ馬車を追い越せッ

 いよいよ一行は四人と相なった。水戸以来総勢八人、八溝(やみぞ)の天も何のその、一足跳びにワッショイワッショイと飛び越えて来たものの、急に少なくなると何だか寂しい。それに春浪(しゅんろう)冒険将軍が都合で帰京したので、(あた)かも百千の味方を失ったような心地だ。

 西那須(にしなす)からは三島通庸(つうよう)君が栃木県令時代に俗論を排して開いた名高い三島道路。先頭に立ったのが吉岡虎髯(こぜん)将軍、屑屋(くずや)に払ったらば三銭五厘位のボロ洋傘(こうもり)をつき立てて進む。(あと)に続く木川子、それにかく申す吾輩、殿軍(しんがり)としては五尺六寸ヌーボー式を発揮した未醒(みせい)画伯、(いず)れも着茣蓙(きござ)を羽織って、意気揚々塩原(しおばら)へこそ乗りこんだり。

 太陽(おてんとさま)は猛烈に照り付ける。汗は滝のように流れるけれども、そんなことは平気の平左、グングン先に立つ馬車を追越すこと前後合計五台。はるかに馬車の影が見えてテートーと喇叭(らっぱ)を吹けば、これ我等がためにマーチを吹くなりと称して痛快に()け出し、(たちま)ちにして追い越してしまう。大那須野平野を行くこと五里にして関谷(せきや)へ着く。

 ここでひと息入れて、さらに進む半里ばかり、いよいよ塩原の峡谷へ差しかかる。入勝橋(にゅうしょうばし)というを渡れば山勢、渓流いよいよ非凡奇抜、ケチ臭い滝が(みち)の両側にあったが、名は(ことごと)く忘却(つかまつ)った。ただ谷が莫迦(ばか)に深かいのと巌壁(がんぺき)開鑿(かいさく)して造った桟道とは流石(さすが)に宏壮、雄大の景だと思われた。大網(おおあみ)を過ぐればやがて福渡(ふくわたり)。この辺の景色は絶景といっても差支えあるまい。ここを通り越せば、その尖端(せんたん)雲に()るかと思わる天狗岩が掃川(はきがわ)の岸から(そびえ)立っているワイ。

 由来塩原という処、金持共が贅沢(ぜいたく)に夏の暑さを避けに来る土地ゆえ、街路には至る処ハイカラ男女共が手を連ねてノサ張りまわりつつあり。老人や隠居や病人共が、養生のために来ているなら結構であるが、若い身空で親爺(おやじ)(すね)(かじ)り噛りロクな事もしないでブラブラ女の手を引いて歩るく、なんぞいう奴が多いから(しゃく)に触る。大手を振って、薄汚ない服を着ながら、大道(だいどう)せましと乗り込んだ吾等一行の有様を見て、細い目を見張ったのも痛快じゃった。

 古町(ふるまち)の会津屋旅館へ御投宿。早速一風呂浴びて渓流を耳にしながら杯を傾け、(しん)に付く前四人して浴場へ志ざす。第一に飛び込んだる髯将軍、オットセイと称して浴槽の中へ(あお)のけのまま(おど)り込み、頭から、足からザブンザブン飛び込むこと十数回、危うく浴構内の土左衛門さんとならんとせしところを三人して引挙げ、ようやく事なきを得た。将軍浴場内に大の字に成ってへた張ったところ、三人して頭からガジャガジャ冷水の洗礼を見舞うとこ、たちまち家屋を震動せしむるウエーウエーの大声を連発する数回。宿屋の番頭殿びっくりして飛んで来て、眼をキョロキョロさせながら、

「何でございますえ、今の声は」

 痛快痛快。

▲ヤッ断橋!

 翌朝強力(ごうりき)を雇って宿を出発したのが七時。これからいよいよ高原越え、元気はますます加わる。塩原古町(ふるまち)から一里ほど人里放れた山の中を行くと新湯(あらゆ)に出る。ここらでチョイトひと休み。山間の僻村(へきそん)、人皆淳朴(じゅんぼく)で、休んだ大黒屋旅館も気持のいい家であった。これからは(ほと)んど人の歩るいた事のないような谷合を通り、前黒山(まえぐろやま)釈迦(しゃか)ヶ岳の山の中腹を迂回して深林の薄暗い中を()くのである。(さいわい)にも晴天だからいいようなものの、これが雨降りでもあったものなら、たまったものではない。熊笹は人の身の丈を没すという深さ、暗い林の遠くには気味の悪い鳥の声がして、谿川(たにがわ)の音は物凄(ものすご)いように樹立(こだち)の間に(うた)っている。

 行くこと数里、深山幽谷深かく分け入ると、谿川の流れ(いわ)に激しく、奔流矢を射るごとき淵に出た。

「ヤッ橋が落ちてるぞッ」

真先(まっさき)に立ちたる未醒(みせい)君、立留(たちど)まって、一行を顧みた。見れば(まさ)しく橋は陥落して、碧流(へきりゅう)(いわ)()む。一行相顧みて唖然(あぜん)たり。

「ヨシヨシ仕方がない。吾々の足が勝つか、水の勢いが勝つか、一つ力比べをやろう。飛び込め飛び込め」これ位のことは覚悟の上だ、ゴシンゴシン渡れっとばかりに各々手は連ねて、なるたけ大きな岩の上へ脚をしつかとのせ、「踏ん張れ踏ん張れ」とばかり、(たちま)ちにして彼岸へ達することが出来た。

 水深腰に及び、河原の岩の上に座してまずホッと一息。

 すると、遥か河下に(あた)って百雷の轟ろくがごとき音響が地を鳴らして聞える。なんだろう? 早速吾輩が飛んでく。河に沿うて(およ)そ三丁ばかり、一大飛瀑発見! 大滝!

「オーイ()んな来い、大瀑布! 大瀑布がある」

 残りの三人宙を飛んで()けつけた。岩にせばまれたる一条の水路、懸崖百尺の九天よりすさまじき音響を立て、落下する。(いわ)に飛び散る霧は雨のよう。恐々(こわごわ)ながら巌頭(がんとう)に四つん()いになると、数十丈遥か下の滝壺は紺碧(こんぺき)(たた)えて、白泡物凄(ものすご)()き返るさま、とてもチラチラして長く見ていることが出来ぬ。木川子の腰に細引を結び付けて、将軍が巌角(いわかど)に足を踏ん張り、大冒険を企てて、早速奔流落下の(さま)を写し取った。案内の父爺(おやじ)に聞けば「これが赤川の大滝です。この辺は年に一回とも人が来ませんから、こんな大滝でも知ってる人は、山林局の御役人様位でがんす」。

▲薄気味悪き工夫(こうふ)殿

 密林鬱乎(うっこ)として怪鳥(かいちょう)梢に鳴く深山を行くこと二里余、初めて広々とした高原へ出た。ここから左方に高原(たかはら)の山が(そび)えて見える。右方の栗の古木は栗山(くりやま)ヘ続く林だということだ。維新以前、会津侯が江戸登城の折は四千余尺のこの山道を通られたということで、路傍の叢中(そうちゅう)には一基の古碑、その(おもて)に「右塩原あら湯(みち)、左会津道」と刻されてあるのが蘚苔(せんたい)に覆われて読める。少し行くと(いにし)えの高原(たかはら)駅の跡がある。四十余年前までは高原の村はこの山上に在ったのだそうだ。廃駅の陣屋跡に、石垣の草に(うず)もれたのや、形の(ほと)んど崩れてしまった石の地蔵尊が、尾花の中にボンヤリ立っているのも、人里離れたこの山上にはことに趣が深かった。

 塩原から雇って来た強力(ごうりき)殿の足の早いこと、(およ)そ五、六貫位の重荷であるが、平気でドンドン行く。鉄脚自慢の我々もゴシゴシ引張られて閉口した。やがて眼界(にわか)に開けた所へ出れば、重畳(ちょうじょう)せる群山波浪のごとく起伏して、下瞰(かかん)すれば鬼怒(きぬ)の清流真っ白く、新しき(ふんどし)のごとく山裾(やますそ)()ぐっている。

 高原でひとまず人夫を返し、荷馬車に大荷物を頼んでテクル事にした。一茶店に入りて用意の握り飯を()じる。胡瓜(うり)()みを命じたところが、怪し気な女が出て来て大皿の中にチョッピリ盛り付けたのが、驚くなかれ代価四十銭。イクラ開けない山の中でも、あんまり人を馬鹿にしている。田舎といったところが、なかなかこの調子では馬鹿に出来ない。

 棒のようになった脚を引摺って出かけた。汗は用捨(ようしゃ)なく出る。服はグショ濡れだ。これからは鬼怒の渓流に沿うて桟道を行くのである。

 この(へん)は鬼怒川水力電気の工事があるので、至る処、鬼のような工夫に逢う。大きな鶴嘴(つるはし)を手にして大道の上に五人十人休んでいる。(いず)れも薄気味悪るいギョロギョロした眼を光らして、吾等一行を見送っている。この工事が初まってから、縄からげの土左右衛門が血まみれになって河下へ流れて来たという話を聞いておったから、ひと通りならず薄気味悪かった。一騎当千の吾々、喧嘩では五、六人相手にしても負けない元気でいるが、なにしろ向うの連中はダイナマイトを持っているから、空心(うっかり)したことは出来ぬ。ダイナマイトで粉々に砕かれてはつまらぬし、(たか)が工夫、相手にしたところが自慢にもならない。ここは(おと)なしく通り越した。

 しかし、鬼怒の渓流は天下に紹介しても恥ずかしからぬ、壮大な、雄偉な、しかして変化に富める渓谷であると思った。

 藤原から十七、八才になる人夫を雇って荷物を担がせた。時計を見るともう五時過ぎである。どうしても今日のうちに日光まで辿(たど)り着かぬと予定の行路が狂う。ウンコラウンコラ脚を飛ばして行くこと二里。着いたのが、大原(おおはら)という村である。

▲蛮力、馬を助く

 八時今市(いまいち)発の汽車に乗らぬと、今晩中に日光へ()くことは出来ぬ。一体(いったい)、塩原から日光へひと跳びというのが(すで)に人間(わざ)ではない。自慢じゃないが、高原(たかはら)越えだけで普道の人間ならば凹垂(へこた)れるところである。高原七里の峠を越えて、これから十里、日光まで伸ばそうというのだから、まるで天狗の仕事である。無謀といわばいえ。吾々は朝に計画した事を夕に変更することは断じて採らざる所、なんでもいいから今日中にやっつけろというのだ。そうすると、歩るいてた分には今晩歩るき通しにしなければ日光へは出られぬ。よし、かくなる上は今市日光間の四(まいる)を汽車で行こうということになった。

 日はもう暮れに近い。それに雨が降って来そうになった。どうあっても八時に今市まで行かなければならぬ。仕方がない、今市まで馬車に乗ってウンと飛ばそうとなった。大原という処は鬼怒(きぬ)水電工事の中心である。ために入込(はいりこ)んでいる工夫(こうふ)の数は三千人程あるという話だ。山間の僻地(へきち)の割には景気がいいらしい。商賈(しょうこ)もドシドシ建つようだし、人間の往来も多い。しかしながら、今まで素朴であった村邑(むらむら)が工夫という渡り物の来たためにアブク銭が落ち込むので、農家はいずれも(なか)ば飲食店のようになり、善良なりし村家(むらや)戸毎(こごと)から酒気溢れ、淫声戸外に洩るるようになったのは、残念で堪らぬような気がした。金力の跋扈(ばっこ)、ことに下等獣類に等しき工夫共の手により質朴なる田舎に撤かるる悪銭は、実に慨嘆に堪えぬ。余計な心配だが、これから五年あるいは十年の(のち)、工事(おわ)りて元の閑寂なる山村に帰った時、初めて眼醒(めざ)むる彼等の苦痛は、一旦(いったん)心に(いん)せられた惰弱の(ふう)と共に永久に消ゆるの時がなかろう。可憐(あわれ)のものじゃ。

 馬車に乗って二里の道程を飛ばすこととした。幸いに御者(ぎょしゃ)先生は十六、七の小僧君。将軍早速談判して、八時までに今市へ着けば五十銭の酒代をやることにした。が、先生も欲と二人連れ、帰れば一晩ゆっくり遊べるという寸法だから、馬の尻を叩くは叩くは、

「ハイヨウハイヨウ、ピシッ」

 初めの一里ばかりは馬君(うまくん)風を()って駆けたが、次第に暗くはなるし、山路の事とて(みち)は素敵に悪るい。路の中には大きな石がゴロゴロしている。打っても叩いても進まばこそ、五十銭損得の境だから御者少年も汗みずくだ。一生懸命になって「ハイ、ッコラ、ヨッ」。最初は吾々も我慢して乗っていたが、いよいよ歩みの遅々たるに業を煮やし、ソレッとばかり飛び下りて、四人がワッショイワッショイ馬車の後押し、前後左右へガッタンガッタンするのを、一向お構いなく一生懸命になって馬車の後押しをした。お客が馬車の後押しをするなんてことは恐らくどこにもあるまい。村の人は軒に立って何事かと出てみては呆れている。お陰様で八時には今市へ着いた。五十銭の酒代で御者先生ホクホクもの。盛んに礼をいっておった。

 八時の汽車には間に合ったが、さて乗り込んだところが連日の強行軍で洋服は泥まみれ。その上、大きな茣蓙(ござ)を抱え込んだものだから、日光避暑連中は目を回しておった。これ位ならまだいいとして、汗臭氛々(ふんぷん)用捨なく室内に(みなぎ)るには、日光行きのハイカラ先生少なからず顔をしかめておったわい。

 日光へ着くと、未醒(みせい)画伯は弟妹首を延ばして待っている郷家(きょうか)へ一夜の宿り、吾々三人はボロ洋服に茣蓙(ござ)を引っ掛けて小西別館へと入り込んだ。幸いにも天から拒絶されなかったのが何より。風呂から上がり、姿見に向かい三人相顧みて、

随分(ずいぶん)黒くなったなあ」

 この夜、吉岡髯将軍ビール二杯呑んだところが早速酔っ払ってしまい、自分から注文した名物の羊羹(ようかん)が来たのも知らずに、鼾声(かんせい)(らい)のごとくグーグームニャムニャ。木川子と吾輩二人で一皿を平らぐ。ただし、この事、将軍にはナイショナイショ。

▲雨中の突進

 翌朝、未醒(みせい)画伯九時に雨を冒して来たり。

「ドウダ、用意はまだか、早くしろ早くしろ」

 雨の中に立って(おお)元気なり。早速足ごしらいをして飛び立つ。案内者を一名雇う。佐十(さじゅう)さんという頑強日光一の案内老爺(おやじ)負梯子(おいばしご)に一行の荷物をのせて雨中を出かける。

 馬返(うまがえ)(へん)に至れば、雨ますます烈しくして男体颪(なんたいおろし)の強風吹き()くって、うっかり足の力を抜けば、五、六町吹き返されるは請合(うけあい)なり。満身の力を足に集注して大谷川の沿岸を(さかのぼ)る。河身を見れば濁水巨巌(きょがん)咆哮(ほうこう)して(まさ)しく天に(みな)ぎるの有様、方等般若(ほうとうはんにゃ)の滝もあったものにあらず、濁り水が汚なく絶壁を落つるに過ぎない。中の茶屋で昼食(ちゅうじき)。出かけるとまたもや烈風強雨。その中を冒して突進、不動坂を駆け上がるのが髯将軍、早くも胸つき八丁の上に(あた)りてまたぞろ雨中でウエーウエー。

 猛烈の雨中突進、遮二無二(しゃにむに)登りつめれば中禅寺の八丁平なり。ここから華巖(けごん)の滝壺を見に行った。この滝壺道というのは、五郎平(じい)が十三年の日子(にっし)を費やして独力造り上げた道である。惜しいかな、この老爺(ろうや)、今年四月病いを得て死んでしまった。

 雨中を冒して、将軍と吾輩勇を鼓して五郎平茶屋より一丁あまり、懸崖(けんがい)(みち)なき所を下りて、滝壺探検と出かけた。雨水を含んでいる岩角はウッカリすると墜落して手も足もかけることが出来ぬ。木の根岩角に手をかけ、足を踏みしめて、ようよう飛沫(ひまつ)雨のごとき中に下り立ちて、巨巌の上へ登り、海内(かいだい)無双の大瀑布、華厳の雄姿を眺めた時には思わず快哉三呼(かいさいさんこ)

 足の皮を摺りむいて五郎平茶屋へ這い上がる。

▲将軍、またもや馬を救う

 いよいよ中禅寺湖畔へ出た。湖面暗くして波浪上らず、雨脚(うきゃく)矢のごとく湖上を打つ。毛唐(けとう)の乗ったボートは橋に引掛かり、対山の(みどり)は雨雲に包まれて、更に一鳥の飛ぶを見ず。商賈(しょうこ)戸を(とざ)して風雨いよいよ烈しく、冷気肌を襲うてなんとなく物凄い。

 五人は湖畔を辿(たど)って菖蒲(しょうぶ)ヶ浜へ出た。ここは昼なお暗き古木が深々として茂っている。この中に山林局の養魚場がある。白亜の洋館に行き養魚の有様を見んと(おとな)えば、ここに偶然にも、僕の旧知、法科大学生福田甚二郎(ふくだじんじろう)君がいて、種々養魚上の説明をしてくれ、ここの所長をしている谷口利三郎(たにぐちりさぶろう)氏も出て来られて、雨中に学術上の説明をしてくれた。

 ここを出て地獄茶屋でひと休み(やす)んでいると、只事(ただごと)ならぬ叫び声が聞える。スワ何事の出来(しゅったい)と、四人一度に飛び出す。見れば一頭の悍馬(かんば)谷川へ()ちて今や押し流されんず有様。何でこの状を目睹(もくと)して躊躇(ちゅうちょ)すべき。将軍、(たちま)ち着のみ着のまま川の中へ飛び込んで口元を(しっ)かと握り、金剛力を(ふる)い起こし、「エーヤッ」とばかりに引揚げた。呆気(あっけ)に取られて見ていた馬子さん、涙を流さんばかりに、

「どうもありがとうござんした。お陰様(かげさま)で……」

と平身低頭礼を言っている。馬殿、鼻をブルンブルンいわせながら、一(せい)風に(いなな)いてヒーン。

 将軍濡鼠のごとくなって(おか)に上がり、茶屋でボロ洋服を乾かす。

 竜頭(りゅうず)の滝を見て、戦場ヶ原の入口に()りし時は、雨ようやく晴れて、額が痛くなるほど黒髪山(くろかみやま)が頭上にのぞいている。強風は例によって猛烈に吹く。雨が()んだので未醒画伯戦場ヶ原の真中(まんなか)へ三脚を立て、悠々(ゆうゆう)写生を初めたところが、折悪しく吹き()くって来た一陣の烈風に、画板を吹っ飛ばされ、絵の具は躍り出す、いやはや大狼狽(ろうばい)。せっかく計画して来た戦場ヶ原の写生もこれでおジャン。

 右顧左眄(うこさべん)、雄大無比なるこの高原の絶勝を眺めながら湯本へ着いたのが、もう日が暮れて大分間が経ってからである。先発宿()めの佐十さんが南摩(なんま)ホテルで拒絶され、釜屋で門前払いを食い、ようやくにして佐野屋という変梃(へんてこ)な家の二階と決まる。(あと)から乗り込んだ吾々、至る処引張り回されて、薄汚い二階へ案内された時にはヤレヤレ。未醒君の発起で陰気な二階の一夜を怪談に更かす。

▲ヒー、イズ、アクター

 十八日朝七時出発、快晴。今日は名にし()金精(こんせい)峠である。(ほと)んど直立せる断崖絶壁を登ること一里八丁、樵夫(きこり)が連れて来た犬が莫迦(ばか)()え付いて始未におえぬ。将軍の一喝、小牛大の猛犬(たちま)ち縮み上がりて熊笹の間へ逃げ込んでしまった。六十の佐十さんは壮者を(しの)ぐ程の元気。脚の達者なことといったら比類なし。グングン荷物を担いだまま登る。

 峠の頂上に達して振り返れば、屏風(びょうぶ)を立てたごとき山腹の(みち)は赤くなって見える。遠くには湯の湖、戦場ヶ原を隔てて男体山が毅然(きぜん)として雲表に(そび)え立っている。雄大な眺めだ。将軍山頂に便を催おし、(くさむら)の中に男体山を眺めながら、上野(こうずけ)下野(しもつけ)の国境上に真黒な塊を残す。

 深山を下ること二里余り、紺碧(こんぺき)の水を(たた)えたる湖の(ほとり)へ出た。ここで渇したる(のど)を清水に(うる)おし、物凄き山中を行くと、深林の中に人が歩るいたらしい小径(しょうけい)がある。物好半分の連中、早速行ってみると、驚くべし、人の住み捨てた家が(くず)れて雨に柱が朽ちかかっているのを見出した。棒の先で屋根の下を掘ってみると、中から出たのは人骨か、獣の骨か、――ゴソゴソとひと固まり。有繋(さすが)の将軍も、「ヒャー何物!」。

 何が出るか掘ってみようというので、なおも一生懸命に棒の先で掻き散らしてみると、出たものは土鍋の破片一個、茶碗三個、衣服ようのもの一つ、錆鉈(さびなた)(ちょう)、一同不審の思をなしてここを出発した。これから丸沼(まるぬま)へ出て、その次が大尻沼(おおじりぬま)である。この湖畔に一軒の掘建(ほったて)小屋があって、ここには丈夫そうな漁師夫婦が住んでいる。ここで茶を貰い、昼食(ちゅうじき)をすます。ここから人間の住んでいる村へ出るには、二里余の山を行かなければならないそうである。

 吾々の(あと)から一人の西洋人が人夫を一人連れて湯本からやって来た。将軍(たちま)ち怪し気なる会話を始める。一心に写生をやっている未醒画伯を(ゆびさ)して「あれはなんだ」と聞かれ、将軍反り返り、得意になって(いわ)く、

「ヒー、イズ、アクター」

 西洋人、目を丸くして未醒氏の顔を見る。将軍、アーチストとアクターとを何の気なしに滑らして、色の黒い未醒画伯とうとう俳優となってしまった。

 食後の小憩を未醒氏渚の扁舟(へんしゅう)(さお)さして湖心に()づ。木川子は真裸になりて水中に泳ぐこと一、二分、たちまち躍り出して「アー冷たい」。

 ここから渓流に沿うて下ること二里。山中に朽木の独木(まるき)橋を渡り、アワヤ谷底へ真逆様にならんとせしは某君。難なく東小川(ひがしおがわ)村へ着いた。普通の人はここへ泊るのが一日の行程だそうだが、足は多少痛くても元気はますます加わる吾等一行、小憩の(のち)片品(かたしな)川の沿岸に沿うてここから四里余もある追貝(おいかい)まで猛烈なる強行軍。暮靄(ぼあい)寒村をこむる夕方、片品川の水声を聞きつつ淀屋(よどや)というへ泊す。

▲未醒画伯、一命を棒に振らんとす

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