8話 地獄の使者(8)
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亀之介を退室させた後、帆村は「どうでしたか」と感想を検事たちに需めた。
「さっぱり瓦斯中毒に関する訊問は出なかったじゃないか」
長谷戸検事は不満の意を示した。
「そうでもないのですがねえ。例えば、こういう事実が分ったと思います。すなわち鶴彌氏の死ぬ前には、この窓はちゃんと閉っていたのです。それから十二時頃、亀之介の二度目の帰邸のとき窓は開放されたこと、そしてその後で閉じられたが完全閉鎖ではなかったこと――これだけは今亀之介が認めていったのです」
「それはそうだが……」
「毒瓦斯が放出されたとき、この部屋は密閉状態にあったことを証明したかったのです。密閉状態にあったが故に、毒瓦斯は室内の者を殺すに十分な働きをしたわけです。鶴彌氏が死んだばかりではなく、洗面場の下にいた鼠までが死んだのですからねえ」
帆村はようやく亀之介訊問の意図をはっきりさせた。
外に感想はと、帆村が重ねて聞くと、大寺警部は笑いながらいった。
「君はひどいね。亀之介をうまくひっかけたじゃないか。芝山は押入の中に入っていたが、入って来た人物の顔を見なかったというのに君がさっき亀之介にいった話は、芝山が亀之介を見たように聞えたよ。もっとも君は、芝山が見たとはいわなかったが、亀之介はあれで見られたと思って恐れ入ったのだろう」
「いや、あれは苦しまぎれの手段です。見のがして下さい」
と帆村は頭を掻いた。帆村の要請で、次にこの部屋へ呼び出されたのは家政婦の小林トメであった。
「小林さん。この前もあなたによく見て調べてもらったんですが、もう一度調べてもらいたいのです。ここに写真がありますがね……」
と帆村は、死者の前にあった小卓子の上に並んでいる皿や酒壜や灰皿などの写真を小林の手へ渡し「このテーブルの上に二十七点ばかりの品物がのっていますがね、この中からあなたがあの晩この部屋へ持ちこんだ物はどれとどれですか、選って下さい」
この質問をうけて、家政婦の顔はゆるんだ。彼女は、また芝山との関係について突込んだことを訊かれるのだろうと恐れていたらしかった。
「はい。わたくしのお持ちしたものは、この皿と、この皿と……」
と、家政婦は十四点をあげた。帆村は一々それに万年筆でしるしをつけた。
「それではね、こんどは残りの品物の中から、いつもこの部屋にあって、あなたに見覚えのある品を選ってみて下さい」
「はい。……しかしあとは全部そうなんですけれど……おや、この缶詰は存じません」
「まあ一々指していって下さい」
「はい」
家政婦は、彼女が写真の中の品物を指している間に、傍にいる帆村がけしからず荒々しい呼吸をしているのに気がついて、いやらしいことだと思った。――写真の中には、さっき彼女がいったとおり、一ポンド入りの空き缶が一つ残った。
「この缶詰に見おぼえがないというんですね。間違いありませんね」
「旦那さまが御自分で缶詰をお買いになって、御自分でこっそりおあけになるということは、今まで一度もございませんでした。ふしぎでございますわねえ」
「いや、ありがとう。あなたにお伺いすることはそれだけでした」
家政婦は、いそいそとこの部屋から送り出されて行った。
検事も警部も、帆村が手に持っている写真のところへ集って来た。
「うむ、この缶詰だけ知らないというのか。これはたしか、中が洗ったように綺麗な空き缶だったね」
「そうです」
「君は、この缶詰の中から毒瓦斯がすうッと出て来たと考えているんじゃあるまいね」
と検事の言葉に、
「ははは、まさかそんなことが……手品や奇術じゃあるまいし。はははは」
帆村が応える代りに、先へ笑ったのは大寺警部だった。
「この缶詰の中に毒瓦斯を詰めることは困難でしょうね」と帆村は真面目な顔でいった。「この缶詰は普通の缶でした。瓦斯を封入するには少くとも二箇の特殊の穴を明け、その穴をあとでハンダでふさいでおかなければなりますまい。しかしそんな痕もない全く普通の缶だったのです。もしそれが出来たら、大寺さんのいわれる手品か奇術です。いや、手品や奇術や魔術でも、この缶にそれを仕込むことは不可能でしょう」
「しかし、この空き缶が一体どうしたというだろう」
検事はふしぎでたまらないという風にひとり言をいって、首を振った。
「検事さん。こうなると、あの空き缶についている指紋がたいへん参考になるんですが聞いて頂けませんか。もう鑑識課で判別した頃じゃありませんか」
「うむ、それはいいだろう。おい君――」
と検事は、部下のひとりを呼んで、電話をかけさせた。
その部下は、間もなく紙片を手に持って、一同のところへ戻って来た。
「このとおりだそうです」
帆村と検事とが、左右からその、紙片を引張り合って覗いた。
「指紋ハ四人分有リ。ソノウチ事件関係者ノ指紋ハ、旗田鶴彌、土居三津子、本郷末子ノ三名ノ分。他ノ一名ノ指紋ハ未詳ナリ」
鶴彌の指紋があるのは当然として、土居と女中お末の指紋があるとは、事重大であった。それからもう一人未詳の人物が、この事件に関係したことが新たに判明したのだ。一体それは何者だろう?
缶詰の軽さ
興味ある四種の指紋だ。この缶詰の空缶に、四人の指紋がついている。主人鶴彌の指紋がついていることは、何人にも納得がいく。彼はこの缶詰を前にして死んでいたのだから。
しかしこの缶詰を開いたのは、果して彼鶴彌であったかどうか、それはまだ分っていない。またその缶詰が、彼の死に関係があるのかどうかも、まだ分っていないが、帆村探偵はこの缶詰に非常な興味を持ち、とことんまで洗いあげる決心でいる。
そしてもしこの缶詰が万一鶴彌の死に関係があったとしたら、それは一体どういう形でこの事件の中へ食い入っているのであろうか。帆村はそのことをちらりと思い浮べただけで、昂奮の念を禁じ得なかった。
土居三津子の指紋が、なぜあの空缶についているのであろうか。帆村としては、三津子の潔白を既に証明し得たつもりで今はもう安心していたのだ。ところがここに突然三津子の指紋が問題の空缶の上にあると分って、三津子に再び疑いの目が向けられることとはなった。
お手伝いのお末の指紋が発見されたことは、この事件の一発展だった。お末のことは、今までほとんど問題になっていなかった。彼女は鶴彌殺しの容疑者としてはほとんど色のうすい人物だった。しかるに今、突然お末の指紋が空缶の上に発見されたのである。一体お末はいつその缶の上に彼女の指の跡をつけたのであろうか。常識では、お末はこの缶詰とは関係がないものと思われる。なぜなら家政婦小林トメでさえ、この缶詰を前に見たこともないし、主人の部屋へ持って来たおぼえもないといっているのだ。ところが、その缶の上にお末の指紋がついていたということは、そこに何かの異常が感ぜられる。お末が指紋をそれにつけた場所と時間とが分ると、この事件を解く一つの有力な鍵が見つかったことになるのではあるまいか――と、帆村はひそかに胸をおどらせているのだ。
更に興味津々たるは、第四の指紋の主のことである。彼(または彼女)は、これまでにこの事件に登場したことのない人物なのである。果して如何なる人物であろうか。それこそ兇悪なる真犯人であるかも知れない。また、それは事件に関係のない売店の売子の指紋であるのかも知れない。
さて、旗田邸に集まる検察官と帆村探偵のところへ鑑識課から右の指紋報告の電話が来て、ひとしきり討論が栄えたあとで、長谷戸検事は、帆村が引続いて取調べを進行させる意志があるなら、暫く君に委かせておいていいといったので、帆村は肯いて、自ら取調べ続行をする旨表明した。
「土居三津子氏をここへ呼んで頂きましょう」
帆村の要請は、係官たちもそれが当然の順序だと同感した。そして三津子が再びこの部屋に入って来た。
「おたずねしますが、この写真のここにうつっている缶詰の空缶が一つあります。これはこの写真のとおり、この小卓子の上に載っていたもので、今本庁へ持っていっています。――そこであなたにおたずねしたいのは、事件の当夜、あなたはこの部屋へ入って来られて、この空缶を見ましたか。どうです」
帆村の目は、するどく三津子の横顔へ。
「さあ……空缶は見ませんでしたけれど……」
否定はしたが、三津子はあと口籠った。
「見ませんけれど――けれど、どうしたんですか」
三津子は写真の中を熱心に見入りながら、
「この缶でございますね、レッテルの貼ってない裸の缶で、端のところに赤い線がついている……」
「そうです。それです」
帆村はその細い赤線がついていたことまで覚えていた。そして検事の方へ目配せした。検事は心得て、大寺警部に耳うちをして、本庁へ電話をかけ、その空缶をすぐここへ持ってくるように命じた。
「その空缶は、たいへん軽い缶詰ではございませんか」
「えッ……そ、そうかもしれません」
帆村は電撃をくらったほど愕いた。“たいへん軽い缶詰”――そんなことは今まで想像したこともなかった。帆村は愕いたが、三津子の方は別に愕いていなかった。
「その缶詰なら――その缶詰なら、あたくしはこの部屋で見ました。しかしこの写真にあるように、あけてはございませんでした」
「あけてなかったというんですね」帆村の顔はいよいよ青白くなる。
「あなたは、その缶詰をどこで見ましたか」
「その小卓子の上にありました」
「この小卓子の上にね。たしかですね」
帆村の額に青い血管がふくれあがる。
「たしかでございます。あたくしがこの部屋に入って参りましたとき、先生――旗田先生は小卓子の脇を抜けてその皮椅子へ腰をおろそうとなさいましたが、そのときお服がさわりまして、あの缶詰が下にころがり落ちました。あたくしは急いでそれを拾って、この小卓子におのせしました。するとそのとき先生はお愕きになって――下は絨毯ですから、軽い缶詰が落ちても大きな音をたてなかったので、先生はそれにお気づきになっていなかったようでしたわ――それで、あたくしをお睨みになって『余計なことをしてはいかんです』と仰有いました」
「なるほど。それからどうしました」
「それから――それから先生はその缶詰をお持ちになって、あそこの戸棚の引出におしまいになりました。それから元の椅子へおかえりになりました」
「なるほど、なるほど」帆村は昂奮をおさえつけようとして、しきりに瞼をしばたたいている。
「あなたが拾いあげた缶詰はたいへん軽かったというが、どれ位の重さだったんですか」
「さあ、どの位の重さでしょうか」と三津子は困惑の表情になったが、やがていった。
「信用して下さるかどうか分りませんが、それはまるでからっぽみたいでございました」
「中で何か音がしなかったですか」
「さあ、気がつきませんでございました」
お手伝いお末の訊問
三津子が退場して、次はお手伝いのお末が呼ばれることになった。
今しがた三津子が証言していった缶詰にまつわる謎は、すぐその場で解きがたいものであっただけに、係官たちはお手伝いお末が次に如何なる証言をして、連立方程式の数を揃えてくれるかと、興味を深くしていた。
お末こと、本郷末子は、例のとおり黄いろく乾からびた貧弱な顔を前へ突出すようにして、鼠のようにちょこちょこと入って来た。
帆村はお末を招いて、例の写真を見せ一応説明し、それから訊いた。
「この缶詰の空缶ですがね、あなたはこれをどこで見ましたか」
「あたくしは何にも存じません」
と、お末ははげしく首を左右に振って、度のつよい近眼鏡の下から、とび出た大きな目玉を光らせた。
「いや、あなたが知らないことはないんです。よく心をしずめて、思い出して下さい」
帆村はやさしくいった。
「全然存じませんもの。いくらお聞きになっても無駄です。あたくしはこのお部屋へお出入りすることは全然ございませんのですもの」
「それは確かですか。事件の当日、この部屋へ入ったことはありませんか」
「あたくしは誓って申します。あの日、この部屋へ入ったことはございませんです」
ヒステリックな声で、お末は叫んだ。
「しかしねえ、お末さん。この缶詰には、あなたの指紋がちゃんとついているのですよ」
「まあ、そんなことが、……そんなこと、信ぜられませんわ」
「あなたの指紋がついているかぎり、あなたはたしかにこの缶詰にさわったことがあるわけです。さあ思い出して下さい。どこであの缶を見たか、そしてさわったか……」
「……」
お末は唇をかんで、首をかしげて考えていた。
沈黙の数分が過ぎた。
「まだ思い出せませんか。あなたは、この缶詰が空き缶になっているときに見ましたか、それともまだ空いていないときに見ましたか」
「見ません。全然あたくしは見たことがないんですから、そんなこと知りません」
「あなたはこの缶詰を、亡くなったこの家の主人鶴彌氏のところへ届けたのじゃないのですか」
「そんなことは全然ありません」とお末はいまいましそうに、どんと床を踏みならした。
「あたくしはこの一ヶ月、御主人さまの前へ出たこともございません。御主人さまの御用は、みんな他の方がなさるんでございます」
「本当ですか」
「あなただって一目でお分りになりましょう。あたくしみたいな器量の悪い者は、殿方が見るのもお嫌いなのでございます」
「まさか、そんなことが――」
「いえ、お世辞をいって頂こうとは思いませんです」
ひょんなことになってしまって、帆村はあとの言葉が続かず立往生だ。
そのとき幸運は帆村を救ってくれた。それは本庁から、例の空き缶がここへ届けられたのである。
二重の白い布片にまかれてあった空き缶は大寺警部の手によって小卓子の上でしずかに布片を解いて、取出された。
(あッ――)
帆村は硬直した。口の中で、愕きの声をのんだ。彼は見たのだ、大寺警部が取出した問題の空き缶をお手伝いお末が一瞥した瞬間、彼女はそれまでの落着きを失って、はっとなって目を瞑じ、次に目を開いたときには明らかに愕きの色を示して、大きく目をみはり、息をすいこんだのである。手応えがあった。思いがけない手応えがあったのだ。帆村の心は躍った――。
「どうです、お末さん、この缶は……」と帆村は極力冷静を維持しようと努めながら呼びかけた。
「実物を見ると、なるほどこれなら知っていると、気がついたでしょう。どうです、お末さん」
お末は返事をしなかった。
「お末さん。あなたはいつこの缶詰を手に持ったのですか。どこで持ったのですか」
「……存じません。全然あたくしには覚えがないんですの」
「だってそれじゃあ君、まさかあなたの幽霊が指紋をつけやしまいし、説明がつかないじゃないですか。あなたがこの缶を手に持ったことは明々白々なんだ」
「あとでよく考えてみますけれど、全くあたしには合点がいかないんです」
お末の取調べはその位にして、一時下らせるより外なかった。
帆村は係官の前へ出て、自分の困惑を正直にぶちまけた。
「お末さんが、なぜあんなに頑強に『全然覚えがない』といい張っているのか、訳が分りませんね。それが解けると、この事件は解決の方向へ数歩前進すると思うんですがね」
「今まで気がつかなかったが、あのお手伝いはなかなか変り者だね」と長谷戸検事が本格的に口を開いた。
「帆村君のいう彼女の頑張ぶりを解く一つの手段として、あの女の住居を家宅捜索してみたらいいと思う。佐々君、君ちょっと行ってみてくれんか」
部長刑事の佐々は、令状を貰って、すぐ出発した。お末の住居は、新宿の旭町のアパートであった。
小休憩
調べ室は、そこで暫くの休憩をとることとなり、お茶がいいつけられた。一同は隅っこに椅子を円陣において、煙草をふかしたり、ポケットから南京豆をつまみ出してぽりぽりやる者もあった。お茶が配られると、一同は生色を取戻した。なにしろ厄介な事件である。一体どこへ流れて行くのか分らない。帆村もお茶をすすりながら、メモのページを指先でくりひろげて見ている。大寺警部が長谷戸検事に話しかける。
「長谷戸さん。一体どこで犯行を確認するんですかね。つまり、ここの主人は病死か、他殺か。他殺ならば、どうして殺されたか。それをどこで証明したらいいのですかね」
三津子を犯人と見て、自信満々だった大寺警部も、このところすっかり自信を失ったらしい。とはいえ、帆村が今やっている脱線的捜査方針には同意の仕様がないと思っているらしい。
「もうすこし捜査を進めてみないと何にもいえないと思うよ。しかし今やっていることは決して無駄じゃないと思っている。なにしろ今まで手懸りと見えたものが、みんな崩壊しちまったんだ。この上は、すこしでも腑に落ちない点を掘り下げていくより方法はないと思うね」
検事は、間接に帆村が今とっている捜査方針を是認した。
「そうでしょうかねえ。だが、あの空き缶が犯行に一体どんな役目を持つと考えられますか。土居三津子の証言によると、あの缶詰はあけない先から、からっぽ同様に軽かったそうですね。しからば、あの中に入っていた内容物が、鶴彌の胃袋に入って中毒を起したとは考えられない」
「胃袋に入ったとは考えられない。しかし肺臓に入ったとは考えられなくもない」
「肺臓というと……肺臓になにが入るのですか」
「瓦斯体がね。つまり毒瓦斯だ。この缶詰の中に毒瓦斯がつめてあったとすれば、そんなことになるはずじゃないか」
「毒瓦斯がこの缶詰の中につめてあったというんですか。それは奇抜すぎる。少々あそこの先生かぶれですな」
大寺警部は、向こうでメモのページをめくっている帆村の方へ、ちらりと目を走らせた。
「そうなんだ、帆村名探偵かぶれなんだ」
検事はにやにや笑った。そのとき帆村が、ぴょんと椅子からとび上って、こっちへ急ぎ足でやって来た。検事と警部はびっくりした。
「われわれはうっかりしていましたよ。こんなところにぐずぐずしている場合ではなかったです」
帆村は気色ばんで、大声でいった。
「どうしたんだ、君……」
「お末をこの前調べましたね。あの時お末がここでお手伝いをしているかたわら、夜は河田町のミヤコ缶詰工場の検査場で働いていると自供したじゃありませんか」
「おお、そうだった」
検事は呻った。あの調べのときは、お末をも問題視せず、またお末が缶詰工場で働いていることも、彼女がたいへんによく働く人間だと思った外に、別に気に留めなかった。だが今となっては、帆村の指摘する通り、彼女の勤め先が「缶詰工場」であることは非常に重大なる意義があるのだ。
「だから、佐々さんだけに委しておけませんよ。これからすぐにわれわれも出かけましょう。まずお末さんのアパートへ行って家宅捜索をした上で、河田町のミヤコ缶詰工場へ廻ったがいいと思います。きっと何か掴めると思いますねえ」
「そうだ。大寺君。われわれ一同は、すぐ出掛けよう」
「いいでしょう。――で、やっぱり問題の缶詰の中に毒瓦斯がつめてあったという推定で捜査を進めるのですね」
「あ、そのことだが……」
と帆村が手をあげて抑えた。
「その缶詰の中に毒瓦斯そのものを詰めてあったとは考えられません。もし詰めてあったものなら、缶詰の缶のどこかに、少くとも二つの穴があけられていて、あの穴はハンダづけがしてあるはずです。そうしないと、瓦斯をこの中へ送りこむことができないのです。しかしこの缶詰は、ごらんになる通り、穴をあけた形跡がなく、缶の壁は綺麗です。ですから、この缶の中に毒瓦斯そのものが詰めてあったとは考えられないのです」
「なあんだ君は……。君は自分で毒瓦斯説を提唱しておいて、こんどは自分からそれをぶち壊すのかい。それじゃ世話がないや」
検事は笑った。
「いや、しかし早く本当のことを説明しておかないと、大寺警部の如き真面目で真剣なる方々から後できつく恨まれますからね」
「じゃあどうするんです。缶詰追及をやるんですか、それともそれは取りやめですか」
警部はいらいらしながら訊いた。
「行くんだ。さあ出掛けよう」
長谷戸検事は椅子から立上った。帆村もメモをしまって、出掛ける用意をした。
「さあ参りましょう。なんといっても、あの缶詰を追って行けば、この事件はきっと解けるにきまっているんですから……」
帆村はいつになく広言した。一同は、どたどたとこの部屋から出ていった。それから賑やかさは玄関に移った。三台の自動車が、次々に白いガソリンの排気をまき散らしながら、通りへ走り出していった。そして邸内は急に静かになってしまった。
意外な行動