2話 下
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お菊はその晩寝付かれなかった。自分を睨んでいる若旦那の怖い顔や、泣いて自分に頼むような若いお内儀さんの痛々しい顔や、むずかしそうな在所の両親の顔や、十両の小判や、黄八丈の小袖や、それが走馬燈のように彼女の頭の中をくるくると廻った。隣に床を延べているお久はと覗いて見ると平日は寝付が悪いと口癖のように云っている彼女が、今夜に限って枕に顔を押付けるかと思うと、何にも云わずに衾をすっぽりと引被ってしまった。
寝付が悪いというお久が今夜は熟睡って、寝坊だと笑われている自分が今夜は何うして睡られそうもないので、お菊は幾たびか輾転した。軈てうとうとと睡ったかと思うと、彼女は何だか得体の知れない真黒な大きい怪物にぐいぐいと胸を圧さえ付けられて、悶いて苦しんでようように眼を醒ますと、しっかり獅噛付いていた衾の襟は冷い汗にぐっしょりと湿れていた。
「ああ気味が悪い。」
彼女は寝衣の袂で首筋のあたりを拭きながら、腹這いになって枕辺の行燈の微な灯かげを仰いだ時に、廊下を踏む足音が低くひびいた。
「おや、泥棒か知ら。」とお菊は今夜に限って急に怖気立った。彼女は慌てて俯伏して再び衾を被っていると、枕もとの襖が軋みながらに明いた。長い裾を畳に曳いているらしい衣の音が軽く聞えた。怖いもの見たさに、お菊は眼を少しく明けて窃と窺うと、うす暗い行燈の前に若い女の立姿が幻のように浮き出していた。もしや幽霊かとお菊は又悸えて首を悚めると、女は彼女の枕もとへすうと這い寄って来て低声で呼んだ。
「お菊。寝ているのかえ。」
それが若いお内儀さんの優しい声であることを知った時に、お菊はほっとして顔をあげると、お熊は抑えるように又囁いた。
「可いから寝ておいでよ。」
主人の前で寝そべっている訳には行かないので、お菊はすぐに衾を跳退けて蒲団の上に跪坐ると、お熊はその蒲団の端へ乗りかかるように両膝を突き寄せて彼女の顔を覗き込んだ。
「今日の夕方、阿母さんからお前に何か頼んだことがあるだろう。」
若いお内儀さんが夜半に閨をぬけ出して、下女部屋へ忍んで来た仔細は直に判った。判ると同時に、お菊は差当りの返事に困った。さりとて嘘を吐く訳にも行かないので、彼女は恐れるように窃と答えた。
「はい。」
「まことに無理なことだけれどもね。お前、後生だから承知しておくれでないか。定めて怖ろしい女だと思うかもしれないが、妾の身にもなっておくれ。お前も大抵知っているだろうが忠七と妾との仲を引き分けて、気に染まない婿を無理に取らせたのは、皆阿母さんが悪い。ここの家へお嫁に来てから足掛け三十年の間に、仕度三昧の道楽や贅沢をして、阿母さんは白子屋の身上を皆な亡くして了った。その身上を立直す為に、妾はとうとう人身御供にあげられて忌な婿を取らなければならないことになった。思えば思うほど阿母さんが怨めしい、憎らしい。世間には親の病気を癒す為に身を売る娘もあるそうだが、寧そその方が優であったろう。」
お熊は声を忍ばせて泣いた。彼女の痩せた肩が微におののく度に、行燈の弱い灯も顫えるようにちらちらと揺れて、眉の痕のまだ青い女房の横顔を仄白く照していた。今の水々しい美しさを見るに付けても、その娘盛りが思い遣られて、お菊は若いお内儀さんの悲しい過去と現在とを悼ましく眺めた。
「ねえ、お菊。くどいようだけれども、承知しておくれでないか。阿母さんも流石、娘が可哀そうになったと見えて、この頃では何うかして又四郎を離縁したいと色々に心配してくれているようだけれど、何しろ五百両という金の工面は付かず、こんな辛い思いをして何日までも生きている位なら、妾はもう寧そのこと……。」
遣瀬ないように身を悶えて、お熊は嗚咽の顔をお菊の膝の上に押付けると、夜寒に近い此頃の夜にも奉公人の寝衣はまだ薄いので、若い女房の熱い涙はその寝衣を透して若い下女の柔かい肉に滲んだ。お熊の魂はその涙を伝わってお菊の胸に流れ込んだらしく、彼女は物に憑かれたように、身を顫わせて、若いお内儀さんの手を握った。
「判りました。よろしゅうございます。」
「え。それでは聞いてくれるの。」
「はい。」と、お菊は誓うように答えた。
お熊は何にも云わないでお菊を拝んだ。その途端に、隣に寝ていたお久が不意に此方へ向いて輾転を打った。お菊は吃驚して見かえると、それを相図のようにお熊は窃と起った。どこかで既う一番鶏の歌う声が聞えた。
それから八日目の九月十一日の夜半に、お菊は厳重に縛り上げられて白子屋の店から牽き出された。名主や五人組も附添って、町奉行所の方へ急いで行った。夜露がもう薄い露になっていて、地に落ちる提灯の影が白かった。
北の町奉行は諏訪美濃守であった。お菊はその夜主人又四郎の寝間へ忍び込んで、剃刀で彼が咽喉を少しばかり傷つけたと云うので主殺しの科人として厳重の吟味を受けた。お菊は心中であると申し立てた。かねて主人と情を通じていたが所詮一所に添い遂げることは能ないので、男を殺して自分も死のうとしたのであると云った、相手の又四郎も翌日呼び出されたが、彼はお菊の申し立てを一切否認して、白子屋は悪人どもの巣であると云った。入婿の自分は今まで何事にも虫を殺して堪忍していたが、第一に女房のお熊は手代と密通しているらしいと云った。母のお常にも不行跡が多いと云った。今度の一条もお菊の一存でなく、ほかに彼女を唆した者があるに相違ないと云い切った。
奉行所でも手を廻して吟味すると、どの方面から齎して来る報告もすべて又四郎に有利なものであった。
「上を欺くな。正直に白状しろ。」
この訊問に対して、正直なお菊は脆くも恐れ入って了った。奉行の美濃守は眉を顰めた。これは容易ならざる大事件である。経験の浅い自分には迂闊に裁判を下し難いと思ったので、彼はその事情を打ち明けてこの一件を南の町奉行所へ移した。南の奉行は大岡越前守忠相で、享保二年以来、十年以上もここに勤続して名奉行の名誉を頂いている人物であった。
「おそろしいことじゃ。これには死罪が大勢出来る。」と流石の越前守も一件書類に眼を通して、悲しそうに嘆息をついた。
同じ月の十五日に白子屋の主人庄三郎、女房お常、養子又四郎、女房お熊、手代忠七、清兵衛、下女お久、下男彦八、長助、権介、伊介の十一人は奉行所へ呼び出されて、名奉行の吟味を受けた。お久が先ず白状した。お常とお熊と忠七もつづいて奉行の問に落ちた。お菊は勿論お常とお熊と忠七とお久の四人もすぐに入牢申し付けられた。この時代の法によると、この罪人の殆ど全部が死罪に処せらるべき運命を荷っていた。
入牢中にお熊も泣いた。お菊は声を立てて毎日泣き叫んで、牢屋役人を困らせた。秋も段々に末になって伝馬町の牢屋でも板間の下で《こうろぎ》が鳴いた。家根の上を雁が鳴いて通った暗い冬空が近づくと共に罪人の悲しい運命も終りに近づいて来たが、何分にも死罪の多い裁判であるので、越前守も吟味に吟味を重ねて、その中から一人でも多くを救い出そうと努めたが、お常のほかには何うしても仕置を軽くする理由を見出すことが能なかった。
「もともとお内儀さんが悪いのでございます」と、お菊は泣いて訴えた。しかしお常は彼女の主人であった。被害者の又四郎に取っても母であった。階級制度の厳重なこの時代にあっては、実際お常がこの事件の張本人であるとしても、彼女は第一の寛典に浴すべき利益の地位に立っていた。
死罪は老中に伺いを立てなければならない、老中から更に将軍の裁可を受けなければならない。こうして時日を遷延している中に、何とかして死罪から一等を減ずる方法を見出させようと云うのが、所謂「上のお慈悲」であった。しかし今度の罪人はこのお慈悲を受けることが能なかった。享保十二年の冬は容赦なく暮れて云った。十二月七日に関係者一同を白洲へ呼び出して、越前守は眉の間に深い皺を刻みながら厳重の宣告を下した。
主人の庄三郎は直接この事件に何の関係もなかったが、一家の主人としてこれほどの事件について何にも知らないと云うのが已に不都合であると認められて、家事不取締の廉を以て江戸追放を申し渡された。彼はその時に五十五歳であった。お常は前にも云う通り、母であり主人であるが為に、生命だけは繋がれて流罪になった。お熊と忠七とは密通の廉を以て、町中引廻しの上に浅草(今の小塚原)で獄門に梟けられることになった。忠七は三十歳であった。お久も町中引廻しの上に死罪を申し渡された。最後にお菊は左の通りの宣告を受けた。
庄三郎下女 きく
此者儀主人庄三郎妻つね何程申付候うとも、主人のことに候えば致方も可有之の処、又四郎に疵付候段不届至極に付、死罪に申付。但し引廻しに及ばず候。
死罪四人の中ではお熊が一番落付いていて、少しも悪びれた姿を見せなかった。忠七とお久は今更のように蒼くなって顫えていた。お菊は白洲の砂利の上に身を投げ伏して泣いた。それを見た時に、お熊の眼からは真白な涙が糸を引いて流れた。罪人が引立てられて白洲を退る時に、お菊は容易に動かなかった。
「お慈悲でございます、お慈悲でございます。」と、彼女は砂利の上を転げながら叫んだ。自分はこれまでに一度も悪いことをした覚えはない。今度のことも據ろなく頼まれたのであると切りに訴えたが、彼女の涙は名奉行の心を動かすことは能なかった。しかし名奉行にも涙が無いのではなかった。四人の中で三人は引廻しを申し渡されたにも拘らず、お菊だけは引廻しの恥を免れたのである。仮にも主人に刃を向けた彼女に対しては、この以上に寛大の仕置を加えようが無いのであった。又四郎その他の者はすべて御構い無しと申渡された。
牢にいる間に、お熊は窃とお菊に約束して、もしお前が命を助かったらば、妾の形見として黄八丈の小袖を遣ろうと云った。しかしお菊も助からなかった。いよいよ申渡しを受けて牢屋へ帰った後、お菊もようよう覚悟したらしく、隙を見てお熊に囁いた。
「お内儀さん。お前がお仕置に出る時には、あの黄八丈を召して下さい。寧そ思いを残すことが無くって可うございます。」
お熊はさびしく微笑んだ。
引廻しの三人はそれから二日経って仕置に行われた。お菊は更に三日の後に、牢内で斬られる筈であった。たとい三日でも仕置を延ばして呉れたのは、これも上の慈悲であった。
お熊が引廻しの裸馬に乗せられた時には、自分の家から差入れて貰った白無垢の上に黄八丈の小袖をかさねて、頸には水晶の珠数をかけていた。その朝は霜が一面に白く降っていた。これから江戸中の人の眼に晒されようとするお熊が黄八丈の姿を、お菊は牢格子の間から夢のように見送った。
(『婦人公論』17年6月号)