母を恋うる記

2話 母を恋うる記(2)

8,805字 約18分 2022年5月14日 公開

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………空はどんよりと曇って居るけれど、月は深い雲の奥に呑(の)まれて居るけれど、それでも何処(どこ)からか光が洩(も)れて来るのであろう、外(と)の面(も)は白々と明るくなって居るのである。その明るさは、明るいと思えば可なり明るいようで、路(みち)ばたの小石までがはっきりと見えるほどでありながら、何だか眼(め)の前がもやもやと霞(かす)んで居て、遠くをじっと見詰めると、瞳(ひとみ)が擽(くすぐ)ったいように感ぜられる、一種不思議な、幻のような明るさである。何か、人間の世を離れた、遥(はる)かな遥かな無窮の国を想(おも)わせるような明るさである。その時の気持次第で、闇夜(やみよ)とも月夜とも孰方(どっち)とも考えられるような晩である。しろじろとした中にも際立(きわだ)って白い一とすじの街道が、私の行く手を真直(まっすぐ)に走って居た。街道の両側には長い長い松並木が眼のとどく限り続いて、それが折々左の方から吹いて来る風のためにざわざわと枝葉を鳴らして居た。風は妙に湿り気を含んだ、潮の香の高い風であった。きっと海が近いんだなと、私は思った。私は七つか八つの子供であったし、おまけに幼い時分から極めて臆病(おくびょう)な少年であったから、こんな夜更(よふ)けにこんな淋(さび)しい田舎路(いなかみち)を独りで歩くのは随分心細かった。なぜ乳母(ばあや)が一緒に来てくれなかったんだろう。乳母はあんまり私がいじめるので、怒って家(うち)を出てしまったのじゃないか知ら。そう思いながらも、私はいつも程恐(こわ)がらないで、その街道をひたすら辿(たど)って行った。私の小さな胸の中は、夜路の恐ろしさよりももっと辛(つら)い遣(や)るせない悲しみのために一杯になって居た。私の家が、あの賑(にぎや)かな日本橋の真中(まんなか)にあった私の家が、こう云う辺僻(へんぴ)な片田舎へ引っ越さなければならなくなってしまったこと、昨日に変る急激な我が家の悲運、―――それが子供心にも私の胸に云いようのない悲しみをもたらして居たのであった。私は自分で自分のことを可哀(かわい)そうな子供だと思った。この間までは黄八丈の綿入れに艶々(つやつや)とした糸織の羽織を着て、ちょいと出るにもキャラコの足袋(たび)に表附きの駒下駄(こまげた)を穿(は)いて居たものが、まあ何と云う浅ましい変りようをしたのだろう。まるで寺小屋の芝居に出て来る涎(よだれ)くりのような、うすぎたない、見すぼらしい、人前に出るさえ耻(はず)かしい姿になってしまって居る。そうして私の手にも足にもひびやあかぎれが切れて軽石のようにざらざらして居る。考えて見れば乳母が居なくなったのも無理はない。私の家にはもう乳母を抱(かか)えて置く程のお金がなくなったのだ。それどころか、私は毎日お父さんやお母さんを助けて、一緒に働かなければならない。水を汲(く)んだり、火を起したり、雑巾(ぞうきん)がけをしたり、遠い所へお使いに行ったり、いろいろの事をしなければならない。

もう、あの美しい錦絵(にしきえ)のような人形町の夜の巷(ちまた)をうろつく事は出来ないのか。水天宮(すいてんぐう)の縁日にも、茅場町(かやばちょう)の薬師様にも、もう遊びに行く事は出来ないのか。それにしても米屋町の美代(みい)ちゃんは今頃(いまごろ)どうして居るだろう。鎧橋(よろいばし)の船頭の忰(せがれ)の鉄公はどうしただろう。蒲鉾屋(かまぼこや)の新公や、下駄屋の幸次郎や、あの連中は今でも仲よく連れだって、煙草屋(たばこや)の柿内の二階で毎日々々芝居ごっこをして居るだろうか。もうあの連中とは、大人になるまで恐らくは再び廻(めぐ)り遇(あ)う時はない。それを考えると恨めしくもあり情なくもある。だが、私の胸を貫いて居る悲しみは単にそのためばかりではないらしい。ちょうどこの松並木の月の色が訳もなく悲しいように、私の胸には理由の知れない無限の悲しみが、ひしひしと迫って居るのである。なぜこのように悲しいのだろう。そうして又、それ程悲しく思いながらなぜ私は泣かないのだろう。私は不断の泣虫にも似合わず、涙一滴こぼしては居ないのである。たとえば哀音に充(み)ちた三味線(しゃみせん)を聞く時のような、冴(さ)え冴(ざ)えとした、透き徹(とお)った清水のように澄み渡った悲しみが、何処からともなく心の奥に吹き込まれて来るのである。

長い長い松原の右の方には、最初は畑があるらしかったが、歩きながらふと気が付いて見ると、いつの間にやら畑ではなくなって、何だか真暗な海のような平面がひろびろと展(ひら)けて居る。そうして、平面のところどころに青白いひらひらしたものが見えたり隠れたりする。左の方から、例の磯(いそ)ッ臭い汐風(しおかぜ)が吹いて来る度に、その青白いひらひらは一層数が多くなって、皺(しわ)がれた、老人の力のない咳(せき)を想わせるような、かすれた音を立てながらざわざわと鳴って居る。海の表面に波頭が立つのか知らとも考えたが、どうもそうではないらしい。海があんなカサカサした声を出す訳がない。どうかした拍子には、魔者が白い歯をムキ出してにやにや笑って居るようにも見えるので、私は成るべくその方へ眼をやらないように努めた。けれども、薄気味が悪いと思えば思うほど、やっぱり見ずには居られなくなって、時々ちらりとその方を偸(ぬす)み視(み)る。ちらり、ちらり、と、何度見ても容易に正体は分らない。ざあーッと云う松風の音の間から、カサカサと鳴る声がいよいよ繁(しげ)く私の耳を脅(おびや)かして居る。すると、そのうちに左の松原の向うの遠いところから、ど、ど、どどん―――と云うほんとうの海の音が聞えて来た。あれこそたしかに波の音だ。海が鳴って居るのだ、と私は思った。その海の音は、離れた台所で石臼(いしうす)を挽(ひ)くように、微(かす)かではあるが重苦しく、力強く、殷々(いんいん)と轟(とどろ)いて居るのである。

浪(なみ)の音、松風の音、カサカサと鳴るえたいの知れぬ物の音、―――私は時々ぴったりと立ち止まって、身に沁(し)み渡るそれ等の音に耳を傾けては、又とぼとぼと歩いて行った。折々、田圃(たんぼ)の肥料(こやし)の臭(にお)いのようなものが何処からともなく匂(にお)って来るのが感ぜられた。過ぎて来た路を振り返ると、やはり行く手と同じような松の縄手(なわて)が果てしもなくつづいて居る。孰方を向いても人家の灯(ひ)らしいものは一点も認められない。それに、先(さっき)からもう一時間以上も歩いて居るのに人通りが全くない。たまたま出会うのは左側の松原に並行して二十間置きぐらいに立って居る電信柱だけである。そうしてその電信柱も、あの波の音と同じようにゴウゴウと鳴って居る。私はしょざいなさに一本の電信柱を追い越すと、今度は次の電信柱を目標にして、一本、二本、三本、………と云う風に数えながら歩いて行くのであった。

三十本、三十一本、三十二本、………五十六本、五十七本、五十八本、………こう云うようにして、私が多分七十本目の電信柱を数えた時分であったろう、遠い街道の彼方(かなた)に始めて一点の灯影が、ぽつりと見え出したのである。自然と私の目標は電信柱からその灯の方へ転じたが、灯は幾度か松並木の間にちらちらと隠れては又現れる。灯と私との間隔は電信柱の数にして十本ぐらい離れて居るらしく思われたけれど、歩いて見るとなかなかそんなに近くではない。十本どころか、二十本目の柱を追い越しても、灯は依然として遠くの方でちらちらして居る。提灯(ちょうちん)の火ほどの明るさで、じっと一つ所に停滞して居るようであるが、しかし或(あるい)は私と同じ方角に向って同じような速力で一直線に動きつつあるのかも知れない。………

私が、ようようその灯のある所から半町ほど手前までやって来たのは、それから何分ぐらい、或は何十分ぐらい後であったろう。提灯の明るさほどに鈍く見えて居たその光は、やがてだんだん強く鮮かになって、その附近の街道の闇を昼間のようにハッキリと照して居る。ほの白い地面と、黒い松の樹(き)とを長い間見馴(みな)れて来た私は、その時やっと、松の葉と云うものが緑色であったことを想い出した。その灯はとある電信柱の上に取り附けられたアーク燈であったのである。ちょうどその真下へ来た時に、私は暫(しばら)く立ち止まって、影をくっきりと地面に映して居る自分の姿を眺(なが)め廻(まわ)した。ほんとうに、松の葉の色をさえ忘れて居たくらいなのだから、若(も)しもこの辺でアーク燈に出遇わなかったら、私は自分の姿までも忘れてしまったかも知れない。こうして光の中に這入(はい)って見ると、今通って来た松原も、これから行こうとする街道も、私の周囲五六間ばかりの圏の内を除いては、総(す)べて真黒な闇の世界である。あんな暗い処(ところ)を自分はよく通って来たものだと思われる。恐らくあの暗闇を歩いた折には自分は魂ばかりになって居たかも分らない。そうして、この明るみへ出ると共に肉体が魂の所へ戻って来たのかも分らない。

その時私はふっと、例のカサカサと云う皺嗄(しわが)れた物の音が未(いま)だに右手の闇の中から聞えて居るのに心付いた。白いヒラヒラしたものが、アーク燈の光を受けて、先よりは余計まざまざと暗中に動いて居るようである。その動くのが薄ぼんやりとした明りを帯びているだけに、却(かえ)って一層気味悪く感ぜられる。私は思い切って、松並木の間から暗い方へ首を出して、そのヒラヒラした物をじっと視詰めた。一分………二分………暫く私はそうして視詰めていたけれど、矢張正体は分らなかった。白い物がつい私の足の下から遠い向うの真暗な方にまで無数の燐(りん)が燃えるようにぱっと現れては又消えてしまう。私はあまり不思議なので、ぞっと総身に水を浴びたようになりながらも、猶(なお)暫くは凝視を続けていた。そうしているうちに次第々々に、ちょうど忘れかかっていたものが記憶に蘇生(よみがえ)ってくるような工合に、或は又ほのぼのと夜が明けかかるような塩梅(あんばい)に、その不思議な物の正体がふいっと分って来たのである。その真暗な茫々(ぼうぼう)たる平地は一面の古沼であって、其処(そこ)に沢山の蓮(はす)が植わっていたのである。蓮はもう半分枯れかかって、葉は紙屑(かみくず)か何ぞのように乾涸(ひから)びている。その葉が風の吹く度にカサカサと云う音を立てて、葉の裏の白いところを出しながら戦(そよ)いでいるのであった。

それにしてもその古沼は非常に大きなものに違いない。もう余程前から私を脅かしているのである。全体これから先何処まで続いているのかしらん。―――そう思って、私は沼の向うの行く手の方を眺めやった。沼と蓮とは眼の届くかぎり何処までも何処までも横(よこた)わっていて、遥かにどんよりと曇った空に連なっている。まるで暴風雨の夜の大海原を見渡すようである。が、その中にたった一点、沖の漁(いさ)り火(び)のように赤く小さく瞬(またた)くものがある。

「あ、彼処(あすこ)に灯が見える。彼処に誰かが住んでいるのだ。あの人家が見え出したからには、もう直(じ)き町へ着くだろう」

私は何がなしに嬉(うれ)しくなって、アーク燈の光の中から暗い方へと、更に勇を鼓して道を急いだ。

五六町ばかり行くうちに、灯はだんだん近くなって来る。其処には一軒の茅葺(かやぶき)の百姓家があって、その家の窓の障子(しょうじ)から灯が洩(も)れて来るらしい。彼処には誰が住んでいるのだろう。事によると、あのわびしい野中の一軒家には、私のお父さんとお母さんがいるのではないかしら。彼処が私の家なのではないかしら。あの灯の点(とも)っている懐(なつ)かしい窓の障子を明けると、年をとったお父さんとお母さんとが囲炉裏(いろり)の傍(そば)で粗朶(そだ)を焚(た)いていて、

「おお潤一か、よくまあお使いに行って来てくれた。さあ上って火の傍にお出(い)で。ほんとうに夜路は淋しかったろうに、感心な子だねえ」

そう云って、私をいたわって下さるのではないかしら。

街道の一と筋路は百姓家のあたりで少しく左の方へ折れ曲っているらしく、右側にあるその家の明りが、ちょうど松並木のつきあたりに見えている。家の表には四枚障子が締め切ってあって、障子の横の勝手口には、縄暖簾(なわのれん)が下っているらしい。暖簾を洩れる台所の火影が街道の地面をぼんやりと照して、向う側の大木の松の根本にまで微かにとどいている。………もうその家の一間ばかり手前まで私はやって来た。暖簾の蔭(かげ)の流し元で何かを洗っているらしい水の音が聞える。軒端(のきば)の小窓からは細い煙がほのぼのと立ち昇って、茅葺の軒先に燕(つばめ)の巣のようにもくもくと固まっている。今時分何をしているのだろう。こんな遅い時刻に夕餉(ゆうげ)の支度をしているのだろうか。そう思ったとたんに、嗅(か)ぎ馴れた味噌汁(みそしる)の匂がぷーんと私の鼻をおそって来た。それから魚を焼くらしいじくじくと脂(あぶら)の焦(こ)げる旨(うま)そうな匂がした。

「ああお母さんは大好きな秋刀魚(さんま)を焼いているんだな。きっとそうに違いない」

私は急に腹が減って来た。早く彼処に行って、お母さんと一緒に秋刀魚と味噌汁で御膳(おぜん)を喰(た)べたいと思った。

もう私はその家の前まで来た。縄暖簾の中を透かして見ると、やっぱり私の思った通り、お母さんが後向きになって手拭(てぬぐい)を姐(ねえ)さん冠(かぶ)りにして竈(へっつい)の傍にしゃがんでいる。そうして火吹竹を持って、煙そうに眼をしばたたきながら、頻(しき)りに竈の下を吹いている。其処には二三本の薪(まき)がくべてあって、火が蛇(へび)の舌のように燃え上る度(たび)毎(ごと)に、お母さんの横顔がほんのりと赤く照って見える。東京で何不足なく暮していた時分には、ついぞ御飯なぞを炊(た)いたことはなかったのに、さだめしお母さんは辛いことだろう。………ぶくぶくと綿の這入った汚れた木綿の二子(ふたこ)の上に、ぼろぼろになった藍微塵(あいみじん)のちゃんちゃんを着ているお母さんの背中は、一生懸命に火を吹いているせいか、傴僂(せむし)のように円くなっている。まあいつの間にこんな田舎のお媼(ばあ)さんになってしまったんだろう。

「お母さん、お母さん、私ですよ、潤一が帰って来たんですよ」

私はこう云って門口のところから声をかけた。するとお母さんは徐(しず)かに火吹竹を置いて、両手を腰の上に組んで体を屈(かが)めながらゆっくりと立ち上った。

「お前は誰だったかね。お前は私の忰だったかね」

私の方をふり向いてそう云った声は、あの古沼の蓮の音よりももっと皺嗄れて微かである。

「ええそうです、私はお母さんの忰です。忰の潤一が帰って来たんです」

が、母はじーっと私の姿を見詰めたきり黙っている。姐さん冠りの下から見える白毛交りの髪の毛には竈の灰が積っている。頬(ほお)にも額にも深い皺が寄って、もうすっかり耄碌(もうろく)してしまったらしい。

「私はもう長い間、十年も二十年もこうして忰の帰るのを待っているんだが、しかしお前さんは私の忰ではないらしい。私の忰はもっと大きくなっている筈(はず)だ。そうして今にこの街道のこの家の前を通る筈だ。私は潤一なぞと云う子は持たない」

「ああそうでしたか。あなたは余所(よそ)のお媼さんでしたか」

そう云われて見れば成程そのお媼さんは確に私の母ではない。たといどんなに落ちぶれたにしても、私のお母様はまだこんなに年を取っては居ない筈である。―――だがそうすると、一体私のお母様の家は何処にあるのだろう。

「ねえお媼さん、私は又わたしのお母さんに会いたさに、こうしてこの街道を先から歩いて居るんですが、お媼さんは私のお母さんの家(うち)が何処にあるか知らないでしょうか。知っているなら後生だから教えて下さい」

「お前さんのおふくろの家かい?」

そう云って、お媼さんは眼脂(めやに)だらけな、しょぼしょぼとした眼を見張った。

「お前さんのおふくろの家なんぞを私が何で知るもんかね」

「そんならお媼さん、私は夜路を歩いて来て大変お腹(なか)が減っているんですが、何か喰べさしてくれませんか」

するとお媼さんはむっつりとした顔つきで、私の姿を足の先から頭の上までずっと見上げた。

「まあお前さんは、年も行かない癖に、何と云うずうずうしい子供だろう。お前はおふくろがいるなんて、大方※をして、お前は乞食(こじき)じゃないのかい?」

「いえいえお媼さん、そんなことはありません。私にはちゃんとお父(とッ)つぁんもあればおッ母(か)さんもあるのです。私の家(うち)は貧乏ですから、穢いなりをしていますけれど、それでも乞食じゃないんです」

「乞食でなければ自分の家へ帰っておまんまを喰べるがいい。私のところにはなんにも喰べるものなんかありゃしないよ」

「だってお媼さん、其処にそんなに喰べるものがあるじゃありませんか。お媼さんは今御飯を炊いていたんでしょう。そのお鍋(なべ)の中にはおみおつけも煮えているし、その網の上にはお魚も焼けているじゃありませんか」

「まあお前は厭(いや)な児(こ)だ。家の台所のお鍋の中にまで眼を付けるなんて、ほんとうに厭な児だ。このおまんまやお魚やおみおつけはね、お気の毒だがお前さんにはやれないのだよ。今に忰が帰って来たらば、きっとおまんまを喰べるだろうと思って、それで拵(こしら)えているのだよ。可愛(かわい)い可愛い忰のために拵えたものを、どうしてお前なんかにやれるもんか。さあさあ、こんなところにいないで早く表へ出て行っておくれ。私は用があるんだよ。お釜(かま)の御飯が噴いているのに、お前のお蔭で焦(こ)げ臭くなったじゃないか」

お媼さんは面を膨(ふく)らせてこんな事を云いながら、そっけない風で竈の傍へ戻って行った。

「お媼さんお媼さん、そんな無慈悲な事を云わないで下さい。私はお腹が減って倒れそうなんです」

そう云って見たけれど、もうお媼さんは背中を向けたきり返辞もせずに働いている。………

「仕方がない。お腹が減っても我慢をするとしよう。そうして早く家のおッ母さんの処へ行こう」

私は独りで思案をして縄暖簾の外へ出た。

そこで左へ曲っている街道の五六町先には、一つの丘があるらしい。路(みち)はその丘の麓(ふもと)までほの白く真直ぐに伸びているけれど、丘に突き当ってそれから先はどうなるのだか、此処(ここ)からはよく分らない。丘にはこの街道の松並木と同じような真黒な大きな松の木の林が頂上までこんもりと茂っているようである。暗いのでハッキリは見えないが、さあッさあッと云う松風の音が丘全体を揺がしているので、それと想像がつくのである。だんだん近づくに随(したが)って、路は丘の裾(すそ)を縫って松の間を右の方へ迂廻(うかい)している。私の周囲には木の下闇(やみ)がひたひたと拡(ひろ)がって、あたりは前よりも一層暗さが濃くなっている。私は首を上げて空を仰いだ。が、鬱蒼(うっそう)とした松の枝に遮(さえぎ)られて空は少しも見えない。頭の上では例の松風の音が颯々(さっさつ)と聞えている。私はもう、腹の減っていることも何も忘れて、ひたすら恐ろしいばかりであった。電信柱のごうごうと云う唸(うな)りも蓮沼のカサカサと云う音も聞えなくなって、ただ海の轟(とどろ)きばかりが未(いま)だに地響きをさせて鳴っている。何だか足の下が馬鹿に柔かになって、歩く度毎にぼくりぼくりと凹(へこ)むような心地がする。きっと路が砂地になったのであろう。そうだとすれば別に不思議はない訳だが、しかしやっぱり気持が悪い。いくら歩いても一つ所を蹈(ふ)んでいるようである。砂地と云うものがこんなに歩きにくいとは今迄(いままで)嘗(かつ)て感じなかった。おまけに、前とは違って僅(わず)かの間に路が何遍も左へ曲ったり右へ折れたりする。うっかりすると松林へ紛れ込んでしまいそうである。私は次第に興奮して来た。額にはじいッと冷汗が滲(にじ)み出て、胸の動悸(どうき)と息づかいの激しさを自分の耳で明瞭(めいりょう)に聞き取ることが出来た。

うつむいて、足下を見詰めながら歩いていた私はその時ふと、洞穴(どうけつ)のような狭い所からひろびろした所へ出かかっているような気がしたので、何気なく顔を擡(もた)げた。まだ松林は尽きないけれど、そのずっと向うに、遠眼鏡を覗(のぞ)いた時のように、円い小さい明るいものがある。尤(もっと)もそれは燈火(ともしび)のような明るさではなく、銀が光っているような鋭い冷たい明るさである。

「ああ月だ月だ、海の面に月が出たのだ」

私は直ぐとそう思った。ちょうど正面の松林が疎(まば)らになって、窓の如(ごと)く隙間(すきま)を作っている向うから、その冴(さ)え返った銀光がピカピカと、練絹(ねりぎぬ)のように輝いている。私の歩いている路は未だに暗いけれど、海上の空は雲が破れて、其処から皎々(こうこう)たる月がさしているのだろう。見ているうちに海の輝きはいよいよ増して来て、この松林の奥へまでも眩(まぶ)しいほどに反射する。何だかこう、きらきらと絶え間なく反射しながら、水の表面がふっくらと膨れ上って、澎湃(ほうはい)と湧(わ)き騒いでいるように感ぜられる。

海の方から晴れて来る空は、だんだんとこの山陰の林の上にも押し寄せて、私の歩く路の上も刻一刻に明るくなって来る。しまいには私自身の姿の上にも、青白い月が松の葉影をくっきりと染め出すようになる。丘の突角は次第に左の方へ遠退(とおの)いて行って、私は知らず識(し)らずの間に、殆(ほとん)ど不意に林の中から渺茫(びょうぼう)たる海の前景のほとりに立たされてしまった。

ああ何と云う絶景だろう。―――私は暫(しばら)く恍惚(こうこつ)として其処に彳(たたず)んでいた。私の歩いて来た街道は、白泡(しらあわ)の砕けている海岸に沿うて長汀曲浦(ちょうていきょくほ)の続く限り続いている。此処は三保の松原か、田子の浦か、住江(すみのえ)の岸か、明石の浜か、―――兎(と)にも角(かく)にも、それ等の名所の絵ハガキで見覚えのある枝振りの面白い磯馴松(そなれまつ)が、街道のところどころに、鮮かな影を斜に地面へ印している。街道と波打ち際(ぎわ)との間には、雪のように真白な砂地が、多分凸凹に起伏しているのであろうけれど、月の光があんまり隈(くま)なく照っているために、その凸凹が少しも分らないで唯(ただ)平べったくなだらかに見える。その向うは、大空に懸(かか)った一輪の明月と地平線の果てまで展開している海との外に、一点の眼を遮るものもない。先刻松林の奥から見えたのは、ちょうどその月の真下に方(あた)って、最も強く光っている部分なのである。その海の部分は、単に光るばかりでなく、光りつつ針金を捩(ね)じるように動いているのが分る。或(あるい)は動いているために、一層光が強いのだと云ってもよい。其処が海の中心であって、其処から潮が渦巻(うずま)き上るために、海が一面に膨れ出すのかも知れない。何しろその部分を真中(まんなか)にして、海が中高に盛り上って見えるのは事実である。盛り上った所から四方へ拡がるに随って、反射の光は魚鱗(ぎょりん)の如く細々と打ち砕かれ、さざれ波のうねりの間にちらちらと交り込みながら、汀(みぎわ)の砂浜までしめやかに寄せて来る。どうかすると、汀で崩れてひたひたと砂地へ這(は)い上る水の中にまでも、交り込んで来るのである。

その時風はぴったりと止(や)んで、あれほどざわざわと鳴っていた松の枝も響きを立てない。渚(なぎさ)に寄せて来る波までがこの月夜の静寂を破ってはならないと力(つと)めるかの如く、かすかな、遠慮がちな、囁(ささや)くような音を聞かせているばかりである。それは例えば女の忍び泣きのような、蟹(かに)が甲羅(こうら)の隙間からぶつぶつと吹く泡のような、消え入るようにかすかではあるが、綿々と

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