夜泣き鉄骨

1話 夜泣き鉄骨(1)

5,823字 約12分 2005年7月15日 公開

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     1

 真夜中に、第九工場の大鉄骨(だいてっこつ)が、キーッと声を立てて泣く――

 という噂が、チラリと、わしの耳に、入った。

「そんな、莫迦(ばか)な話が、あるもんか!」

 わしは、検査ハンマーを振る手を停めて、カラカラと笑った。

「そう笑いなさるけどナ、組長さん」その噂を持ってきた職工は、(おび)えた眼を、わしの方に向けて云った。「昨夜のことなんだよ、それは……。火の番の、常爺(つねじい)が、両方の耳で、たしかに、そいつを聴いたよッて、(あお)い顔をして、()おいらに話したんだ。満更(まんざら)(いつわ)りを云っているんだたァ、思えねぇ」

 いつの間にか、わし達の(まわ)りには、大勢の職工が、集ってきた。

「組長さん、それァ本当なんだ」別の声が叫んだ。

「なんだとォ――」おれは、その声のする方を見た。「てめえは、雲的(うんてき)だな。雲的ともあろうものが、軽卒(かるはずみ)なことを(しゃべ)って、後で(わらわ)れンな」

「大丈夫ですよ――」雲的(うんてき)は大いに自信ありげに、言葉をかえした。「それについちゃ、ちィっとばかり、手前(てめえ)の恥も、(さら)けださにゃならねえが、もう五日ほど前のことでさァ。徹夜勝負(よあかししょうぶ)のそれが、十二時を過ぎたばかりに、スッカラカンでヨ、場に貸してやろうてえ親切者もなしサ、やむなく、工場の宿直(しゅくちょく)、たあさんのところへ、真夜中というのに、無心(むしん)に来たというわけ。さ、その無心を(かな)えて貰っての帰りさ、通り(かか)ったのが今話しの第九工場の横手。だしぬけに、キーイッという(きし)るような物音を聴いた。(オヤ、何処だろう)と、あっし立停(たちどま)った。(しばら)くは、何にも音がしねえ。(空耳(そらみみ)かな?)と思って、歩きだそうとすると、そこへ、キーイッとな、又聞えたじゃねえか。物音のする場所は、たしかに判った。第九工場の内部からだッ。(何の音だろう? 夜業(やぎょう)をやってんのかな)そう思ったのであっしは、顔をあげて、硝子(ガラス)の貼ってある工場の高窓を見上げたんだが、内部は真暗(まっくら)と見えて、なんの光もうつらない。(こりゃ、変だ!)(にわか)に背筋が、ゾクゾクと寒くなってきた。そこへ又その怪しい物音が……。(こわ)いとなると、(なお)聴きたい。重い鉄扉(てっぴ)耳朶(みみたぶ)をおっつけて、あっしァ、たしかに聴いた。キーイッ、カンカンカン、硬い金属が、(きし)み合い、噛み合うような、鋭い悲鳴だった」

「大方、工場に、(ねずみ)が暴れてるんだろう」わしは、不機嫌に云い放った。

「どうして、組長!」雲的(うんてき)はハッキリ軽蔑(けいべつ)の色を見せて、叫びかえした。「あっしにァ、あの物音が、どこから起るのか、ちゃんと見当がついてるのでサ」

「ンじゃ、早く(しゃべ)れッてことよ」

「こう、みんなも聴けよ」彼は、周囲(まわり)南瓜面(かぼちゃづら)を、ずーッと()めまわした。「ありゃナ、クレーンが、動いている音さ!」

「なに、クレーンが」

 一同が、思わず声を合わせて、叫んだ。

 クレーンというのは、格納庫(かくのうこ)のように巨大な、あの第九工場の内部へ入って、高さが百尺近い天井を見上げると判るのだが、そこには(たくま)しい鉄骨で組立てられた大きな橋梁(きょうりょう)のような形の起重車(きじゅうしゃ)が、南北の方向に渡しかけられている。それが、クレーンだった。その橋梁の下には、重い物体をひっかける化物(ばけもの)のようにでっかい(かぎ)が、太い()鋼線(ロープ)()ってあり、また橋梁の一隅(いちぐう)には、鉄板(てっぱん)で囲った小屋が()っていて、その中には、このクレーンを動かすモートルと其の制動機とが()えてあった。制動機を動かすと、この鉄橋は、あたかも川の中で(はし)を横に流すように、広い第九工場の東端(とうたん)から西端(せいたん)まで、ゴーッと音をたてて横に動くのだった。

「おい、(まさ)ッ!」わしは、クレーンの運転手をやっている男を、人垣の中に呼んだ。

「へえ――」政は、紙のように、白い顔をして、おずおずと、前へ出てきた。

「クレーンが、真夜中に動き出すてのは、本当かな」

「わたしは、ナなんにも、(ぞん)じませんです。しかし、クレーンのスウィッチは、必ず切って帰りますで、真夜中に、ヒョロヒョロ動き出すなんて、そんな妙なことが……」

 そこまで云った政は、発作(ほっさ)みたいな様子となり、言葉のあとをブツブツ口の中で(つぶや)いて、それから急に気がついたかのように、ワナワナ慄える両手を、周章(あわ)てて背後に隠したのだった。

「よォし。今夜は、一つ正体(しょうたい)を確かめてやろう。いいか、みんな夜中の十二時を廻ったら、裏門前に集るんだ!」

     2

 合宿所の、三階の、廊下を、パタパタと音をさせて、近づいてくる跫音(あしおと)があった。

「組長さん、おいでですか――」

 その跫音は、「舎監居間(しゃかんいま)」と書いた木札(きふだ)を、釘で打ちつけてあるわしの室の入口の前で停るが早いか、そう、声をかけたのだった。

「おう。誰かい」

栗原(くりはら)です。倉庫係(そうこがかり)の栗原ですて」

「栗原? 栗原が、なんの用だッ」

「へえ、ちょっと工場の用なんで……」

「なにッ。工場の用て、どんなことだか云ってみろ」

「へえ、実は――」栗原は、言い(よど)んでいる風だった。「先日(せんじつ)お持ちになりました乙型(おつがた)スウィッチが、急に入用になりましたんで、いただきに参ったんですが……」

「スウィッチなんか、明日にしろ」

「ところが生憎(あいにく)、工場で至急使うことになったんで、直ぐ持って行かないと困るんでして、実にその……」

「よォし、いま入口を開けるから、ちょっと待て」

 暫くして、わしは、入口の()を、サッと開けた。

「どうも相済(あいす)みません」栗原は、わしの顔を見るなり、ペコリと頭を下げた。

「お前、この間、そう云ったじゃねえか。このスウィッチは、当分(とうぶん)不用(ふよう)だから、いつまでもお使いなさい、とな」

「申訳がありませんです」栗原は、ひどく恐縮(きょうしゅく)している(てい)で、ペコペコ頭を下げた。「組長さんは、スウィッチの図面を書きたいから御持ちになるというので、そんな簡単な御用ならと、栗原は帳簿に書かないで、御貸ししたんです。ところが、今急に、拡張(かくちょう)工事係の方から、在庫(ざいこ)になっている乙型(おつがた)スウィッチは全部数を揃えて出せという命令なんで。どうも()むを得ず、ソノ……」

「文句はいいや。さア、早く持ってゆけ」

 わしは、(かか)えていた乙型スウィッチを、彼の前に、さしだした。

 乙型スウィッチというのは、長さ一尺五寸、(はば)七寸の、細長い木箱(きばこ)に収められた大きなスウィッチで、硝子(ガラス)蓋を開くと、大理石(だいりせき)底盤(ていばん)の上に幅の広い(どう)リボンでできた電気断続用(だんぞくよう)()がテカテカ光り、エボナイト製の、しっかりした把手(ハンドル)がついていた。このスウィッチ一つで、鳥渡(ちょっと)したモートルの開閉は充分できるのであった。

「栗原さん、俺が持ってゆくよ」

 横の方から、思いがけない、違った声がして、頭髪(かみのけ)をモシャモシャにした若い男が、姿を現した。

「だッ、誰だ。手前(てめえ)は……」

 わしは、戸口の蔭から、イキナリ飛び出した男に、(おどろ)いた。

「こいつは、横瀬(よこせ)といいましてネ」若い男の代りに栗原が弁解した。「この栗原の遠縁(とおえん)のものです」

「何故ひっぱってきたんだ」

「いまお願いして、倉庫で、私の下を働かせて、いただいてるのです。というのは、下町(したまち)薬種屋(やくしゅや)で働いていたのが、馘首(くび)になりましてナ、栗原のところへ、(ころが)りこんできたのです」

「ふウん、お前さん、薬屋かア」

 珍らしそうに、スウィッチの表や裏を、眺めている若い男に、わしは、声をかけた。

「薬屋だったんです」その横瀬は、ぶっきら棒の返事をした。

「どうだろうな。わしは、お前さんに、ちょっと頼みたいことがあるんだが」

「骨の折れねえことなら、手伝いますよ」

「これッ――」栗原が(おどろ)いて、横瀬の汚い職工服を、ひっぱった。

「骨は折れねえことだ。じゃ、栗原、お前の若い衆を、ちょいと借りたぜ」

「へえ、ようがす」

 栗原は、若い横瀬から、スウィッチの箱をうけとると一人で帰って行ったのだった。

「さあ、こっちへ、入んねえ」

「はあ――」

わしは、鳥渡(ちょっと)、お前さんに、見て貰いてえものがあるんだ」

「俺に、判るかなァ」

ものは、これなんだ」わしは、机の抽斗(ひきだ)しの奥から、新聞紙にくるんだものを、出してきた。

「この硝子(ガラス)で出来たものはなんだね」わしは、それを横瀬に手渡した。

「これは、注射器の一部分ですよ」

「注射器? そうだろうな、わしも、そう思った。それで、何の注射器か、お前さんに判らないかい」

「さァ――」横瀬は、モシャモシャ頭髪(かみのけ)を、指でゴシゴシ()いた。「注射器は判るが、尖端(さき)についている針が無いから、見当(けんとう)がつかねえ」

「じゃ、此処(ここ)んとこを見て呉れ。この注射器の底に、ほんのり茶っぽいものが附いているが、これは、なんて薬かい」

「うん、なんか附いてはいるが――」若い男は注射器を、明り窓の方に()かして、その茶色の汚点(おてん)に眺め入った。「電灯は()きませんか」

生憎(あいにく)、この合宿じゃ、六時にならないと、点かないんだ。まだ三十分も間があるよ」

 初夏(しょか)の夕方は、五時半を廻っても、まだ大分明るかった。

「さあ、わかりませんね。こんなに分量が少くちゃ見当がつかない。薬品のようでもあり、血痕(けっこん)のようでもあり……」

 わしは、グッと(つば)を呑みこんだ。

「もう一つ、見て貰いたいものがある」わしは、新聞紙包みの中から、もう一つの品物をとりだした。「これは何かね」

「こんなもの、どっから持って来たんです」横瀬は、ピカピカ光る、その外科道具のようなものを手に取上げ、ニヤニヤ笑いだした。

「何に使う品物かね」わしは、横瀬の質問には答えようとせず、同じことを、聞きかえしたのだった。

「一口に云えば――」と、わしの顔をジロリと見て、「子宮鏡(しきゅうきょう)という、産婦人科の道具だね」

「よし、判った」わしは、ピカピカするそれを、横瀬の手から、ひったくるようにして、元の新聞紙の中に、包んでしまった。

「いや、御苦労だった」と、わし挨拶(あいさつ)をした。「ところで、もう一つだけ、お前さんに見て貰いたいものがあるんだが」

「あるんなら、早く出しなせえ」

 横瀬は、面倒くさそうに、云った。

「ここには、無いんだ。ちょっと、近所まで附合ってくれ」

「ようがす。ドッコイショ」

 横瀬は、「ひびき」を一本、衣嚢(ポケット)から出して口に(くわ)えると、火も点けないで、室内をジロジロと、眺めまわした。

「何を見てるんだ」わしは、()いた。

「マッチは無いのかね」と彼は云った。

     3

 合宿の門を出ると、(どぶ)くさい露路(ろじ)に、夕方の、気ぜわしい人の往来(ゆきき)があった。初夏とは云っても、(おく)れた梅雨(つゆ)の、湿(しめ)りがトップリ、長坂塀(ながいたべい)()みこんで、そこを毎日通っている工場街の人々の心を、いよいよ重くして行った。

 道では、逢う誰彼(だれかれ)が、挨拶をして行った。

 向うから、見覚えのある若い女が、小さい風呂敷包みを(かか)えてやってきた。

「お前さん」と其の女は、わしの連れを、チラリと(にら)みながら、云った。「これから、何処へゆくんだい」

「お前こそ、どこへ行くんだい」

「ふン、見れば判るじゃないか。今夜は、徹夜作業があるんだよ」

「夜業か。まァしっかり、やんねえ」

「お前さんの方は、どこへ行くのさァ」その女は、一歩近よって、云った。

「ちょいと、この(じん)と、用達(ようた)しに」

「そうかい、あのネ」女は、口を、わしの耳に近づけて、連れに聞かせたくない言葉を(ささや)いた。

「……」わしは、黙って、(うなず)いた。

 女に別れると、後から、附いてくる横瀬がわしに声をかけた。

「今の若いひとは、なかなか、()い女ですネ」

「そうかね」

「何て名前です」

「おせい」

「大将の、なにに当るんです」

「馬鹿!」

 露路を二三度、曲った末に、わし達は、目的の家の前へ来たのだった。

 わしは、雨戸を引かれた、表の格子窓(こうしまど)に近づいて、家の内部の様子を(うかが)った。(さいわ)いこのところは、露路裏の、そのまた裏になっている袋小路(ふくろこうじ)のこととて、人通りも無く、この(あや)しげな振舞(ふるまい)も、人に(とが)められることがなかった。とにかく、家は留守と見えて、なんの物音もしなかった。わしは、()れを(うなが)して、裏手に廻った。

 勝手元の引戸(ひきど)に、家の割には、たいへん頑丈(がんじょう)で大きい錠前(じょうまえ)が、(かか)っていた。わしは、懐中(ふところ)を探って、一つの鍵をとり出すと、鍵孔(かぎあな)にさしこんで、ぐッとねじった。錠前は、カチャリと、もの高い音をたてて、外れたのだった。

 わしは、後を見て、横瀬に、家の中へ入るように、目くばせをした。

 障子(しょうじ)(ふすま)とを、一つ一つ開けて行ったが、果して、誰も居なかった。若い女の体臭(たいしゅう)が、プーンと(ただよ)っていた。壁にかけてあるセルの単衣(ひとえ)に、合わせてある桃色の襦袢(じゅばん)(えり)が、重苦しく(なま)めいて見えた。

「いいのかね。こう上りこんでいても」

 横瀬は、さすがに、気が引けているらしかった。

()ッ――」わしは、(にら)みつけた。

 わしは、逡巡(しゅんじゅん)するところなく、押入をあけた。上の段に入っている蒲団(ふとん)を、静かに下ろすと、その段の上に登った。そして、一番端の天井の板を、ソッと横に滑らせた。そこには、幅一尺ほどの、長方形の、真暗な(あなぐら)がポッカリ明いた。そこでわしは、両手を差入れて、天井裏を()ぐったが、思うものは、直ぐ手先に触れた。手文庫(てぶんこ)らしい古ぼけた(はこ)を一つ(かか)え下ろしてきたときには、横瀬は呆気(あっけ)にとられたような顔をしていた。

 わしは、急製の薄っぺらな鍵を、紙入の中から取出すと、その手文庫を、何なく開くことに、成功したのだった。その中には、貯金帳や、戸籍謄本(こせきとうほん)らしいものや、(かび)の生えた写真や、其他(そのた)二三冊の絵本などが入っていたが、わしが横瀬の前へ取出したものは、手文庫の一隅(いちぐう)に立ててあった二〇(いり)硝子壜(ガラスびん)だった。それには、底の方に、三分の一ばかりの黒い液体が残っていた。

「さァ、こいつだ」わしはソッと壜を横瀬に渡した。「最後に、お前さんから、教えて貰いたいのは」

「そうだね、これは――」横瀬は、十(しょく)の電灯の光の下に、小さい薬壜を、ふってみながら、いつまでも、後を云わなかった。

「判らねえのかい」

「うんにゃ、判らねえことも、ねえけれど」

「じゃ、何て薬だい」

「そいつは、云うのを(はばか)る――」

「教えねえというのだな」

「仕方が無い。これァ薬屋仲間で、御法度(ごはっと)の薬品なんだ」

「御法度であろうと無かろうと、わしは、()かにゃ、(ただ)では置かねえ」

「脅かしっこなしにしましょうぜ、組長さん。そんなら云うが、この薬の働きはねえ、人間の柔い皮膚を浸蝕(しんしょく)する力がある」

「そうか、柔い皮膚を、(えぐ)りとるのだな」

「それ以上は、言えねえ」

「ンじゃ、先刻みせた注射器の底に残っていた茶色の附着物(ふちゃくぶつ)は、この薬じゃなかったかい」

「さァ、どうかね。これは元々茶褐色の液体なんだ。ほら、振ってみると、硝子のところに、茶っぽい色が見えるだろう」

「それとも、やっぱりあれは、血のあとか。いや大きに、御苦労だった。こいつは、少ないが、当座(とうざ)のお礼だ」

 そう云って、わしは、十円紙幣(さつ)を、横瀬の手に握らせ、今日のことは、堅く口止(くちど)めだということを、云いきかせたのだった。

     4

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