恐しき通夜

3話 4 第三話 大蘆原軍医の話

5,981字 約12分 2002年11月9日 公開

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「それでは私が、今夜の通夜物語の第三話を始めることにしよう」そう云って軍医はスリー・キャッスルに火をつけた。

「川波大尉どののお話といま聞いたばかりの星宮君の話とは全然内容がちがっている癖に、恋愛論というか性愛論というか、それが含まれているところには、一種連続点があるようだ。そこで、私の話も、勢いその後を引継いだように進めるのが、面白いように思う。ところが丁度ここに偶然、第三話として、まことに恰好な物語があるんだ。そいつを話すことにしよう。

 実は今夜、私がここへ出勤するのが、常日頃に似合わず、大変遅れてしまって、諸君に御迷惑をかけたが(と云って軍医は軽く頭を下げた)何故私が手間どったのか、それについてお話しよう。

 今夜七時、私の自宅に開いている医院に、一人の婦人患者がやってきたのだ。美貌(びぼう)のせいもあるだろうが、二十を過ぎたとは見えぬうら若い女性だった。その、少女とでも云いたいような彼女が、私に受けたいというのは、実は人工流産だというんだ。一体、人工流産をさせるには、医学的に相当の理由が無くては、開業医といえどもウッカリ手を下せないのだ。母体が肺結核(はいけっかく)とか慢性腎臓炎(まんせいじんぞうえん)であるとかで、胎児(たいじ)の成長や分娩(ぶんべん)やが、母体の生命を(おびやか)すような場合とか、母体が悪質の遺伝病を持っている場合とかに始めて人工流産をすることが、法律で許されてある。()しこれに反して、別段母体が危険に(ひん)してもいないのに、人工流産を(ほどこ)すと、その医者は無論のこと、患者も共ども、堕胎罪(だたいざい)として、起訴されなければならない。

 さて、その若い女の全身に(わた)って、精密な診断を施したところ、人工流産を(ほどこ)すべきや(いな)やについて、非常に困難な判断が要ることが判った。それというのが、打ちみたところ、この女は立派に成熟していたが、すこし心神(しんしん)にやや過度の消耗(しょうもう)があり、左肺尖(ひだりはいせん)軽微(びじゃく)ながら心配の種になるラッセル音が聴こえるのだ。この患者の体力消耗が一時的現象で、このまま回復するのだと、肺尖加答児(はいせんかたる)も間もなく治癒(ちゆ)するだろうから、折角始めて得た子宝(こだから)のことでもあり、流産をさせないで其の(まま)、正規分娩にまで進ませていいのだ。だが()し、この消耗が恢復せず、更に悪化するようなら、断然(だんぜん)流産をさせて置く方がよろしい。しからば、この女性について、見込みはいずれであろうか、と考えると、これがどっちにも考えられるのだ。私として、これは惑わざるを得ない事柄だった。

『もう()ト月待ってみませんか』

 と私は云いたいところだ。しかし、一ヶ月後の人工流産では、すこし大きくなりすぎているので、母体の余後が少し案ぜられるのだった。けれども、私はそんなことを口に出して云わなかった。それというのが、以前この女の口から(なみだ)をもって聞かされた話があるからなのだ。

 この若い女には、彼女の胎児にパパと呼ばせる男がなかったのだ。と云って、その男が死んでしまったわけではない。早く云えばこの女は、親の許さぬ或る男に身を委せ、とうとう妊娠(にんしん)して仕舞ったのだ。男は、幣履(へいり)のごとく、この女をふり捨ててしまったのだった。彼女は、星宮君の云うが如きロシアの女には、なりきれなかったのだ。棄てられてしまうと、彼女はやっと目が覚めた。貞操を(もてあそ)ばれた悔恨(かいこん)が、彼女の小さい胸に、深い深い(みぞ)を刻みこんだ。それからというものは、彼女は人が変ったように終日(ひねもす)おのれの小さい室に引籠(ひきこも)って、家人にさえ顔を合わすのを(いや)がったが、遂には極度の神経衰弱に陥り、一時は、あられもない事を口走るようになってしまったのだった。

 彼女の家庭のひとびとは、彼女を捨てたその男を(のろ)ってやまなかった。中でも一番ふかい憤怒(ふんぬ)をいだいたのは、次兄にあたる人だった。次兄は彼女が幼いときから、特別に彼女を可愛いがっていたのだった。

『大きくなったら、あたいのお嫁さんに貰おうかなア』

 などと云って両親や、伯母たちに散々笑われたほどだった。そんなに可愛いがった妹が、(すく)(みち)のない汚辱(おじょく)に泣き暮しているのを見ると、その次兄は、

復讐(ふくしゅう)だ、復讐だ! きっと其の男を殺して、八ツ()きにしてやるんだ。おれがその男を殺した(かど)により、次の日、死刑にされたっていい』

 と家中を呶鳴(どな)って歩いたものだ。彼は復讐の方法をあれやこれやと考えたのだったが、遂には、それはすべて無駄だと判った。それというのが、その男は、星宮君と同じような近代的の主義思想の男で殺されても一向制裁と感じないという種類の人物だった――とマア、斯様(かよう)に連絡をつけて話をしないと、どうも面白味が出てこない」

 軍医はポケットから手帛(ハンカチ)を探しだして汗を拭いた。このとき南に面した硝子窓(ガラスまど)が、カタコトと鳴って、やがてパラパラと高い音をたてて大粒の雨がうち当った。

「ほう、これはひどい雨になったな。――で其の次兄というのが、智恵袋(ちえぶくろ)を、いくたびもいくたびも(しぼ)りかえしているうちに、とうとう彼は、その場に三尺も躍りあがるような、素晴らしい復讐(ふくしゅう)を考えついたのだった。それは……」

 と、ここまで大蘆原軍医が話してくると、どこかで、

「コトコト、コトコト……」

 と(ドア)を叩くような物音がした。三人の男は、サッと顔色をかえると、一(せい)に入口の扉の方にふりむいたのだった。

()ッ!」

 扉が、しずかに手前へ開いてゆく。

 扉の蔭から、若い女の姿が現われた。ぴったり身体についた緋色(ひいろ)の洋装が、よく似合う美しい女だった。

「紅子――」

 そう呼んだのは、川波大尉だった。それは、(まぎ)れもなく川波大尉夫人の紅子に違いなかったのであった。

「紅子、お前は一体、どうしてこんな夜更(よふけ)に、こんな場所までやって来たのだ」

「ちょいと、お顔がみたかったのよ。それだけなの、おほほほほ」

 と紅子は笑いながら、悪びれた様子もなく一座を見まわした。このときニヤリと笑ったのは、星宮学士だった。待ち構えたように、それを逸早(いちはや)く認めた川波大尉だった。彼は軍医の話をそちのけにして、スックリ其の場に立ち上った。

「紅子、お前にちょっと聞くが、儂が土耳古(トルコ)で買ってきたといった珍らしい彫刻のある指環を、お前にやって置いたが、先日そいつを、どこかで失くしたと云ったね」

「エエそうですわ。でもあれは、もう済んだことじゃありませんの」と紅子は、丸い肩を、ちょっとすぼめるようにして云った。

「よォし、無いと判ってりゃ、よいのだ」大尉はそう云うとクルリと身を(ひるがえ)し、いきなり星宮学士の両腕をグッと(つか)んだ。「貴様! という貴様は、実に怪しからん奴だ。(わし)の女房を誘惑して置いて、よくもあんな無礼(ぶれい)きわまる口を叩いたな。死ぬのを怖れんという貴様に、殺される苦痛がどんなものか教えてやるんだ!」

 実験室の静寂(せいじゃく)と平和とは、古石垣(ふるいしがき)のようにガラガラと崩れて行った。

「ウフ。今になって気がついたか、可哀想な大尉どの。だが僕が簡単に殺せると思ったら大間違いだよ」

「言うな、色魔(しきま)!」

「なにを――」と星宮学士は、右のポケットにあるピストルを探りあてた。それを出そうと思って、大尉につかまれた右腕を離そうとして、必死に振りきった。べりべりッという()やな音がして、学士の洋服が引裂けると、右腕が急に自由になった。

(こうなると、こっちのものだ)

 そう思った星宮学士は、ピストルを握った右の拳をグッと前にのばそうとした。そこを、

「エイ、ヤッ」

 と大尉が飛びついて、両腕をグッと()じあげた。学士は捻じられながらも、いきなり大尉の脇腹を力一杯

「ウン!」

 と蹴とばしたが、この時遅し、大尉は素早く、身体を左に開いたので、気絶することから、(かろ)うじて免れたが、その代り、二人の身体は、もつれあったまま、もんどり打って床の上に(たお)れてしまった。二人は跳ねおきようと、(たがい)死物(しにもの)ぐるいの格闘をつづけ、机をひっくりかえし、書類箱を押したおしているうちに、どうした(はず)みか、ピストルが星宮理学士の手許をはなれ、ガチャンと音をたてて、向うの壁に叩きつけられた。

「さあ、この野郎。ほざけるなら、ほざいてみろ!」

 そう云って、いかにも勝ちほこった名乗をあげたのは、川波大尉だった。星宮理学士は大尉の(たくま)しい腕にその細首をねじあげられて、ほとんど宙にぶらさがっていた。が、どんな(すき)があったのだろうか、学士は両手を大尉の股間(こかん)にグッと落とすと、無我夢中になって大尉の急所を(つか)んだのだった。

「ウーム」

 と大尉が(うな)った。彼の顔は赤くなり、青くなりしたが、これも死にもの狂いの形相(ぎょうそう)ものすごく、学士の身体をグッと手許へよせると、骨も砕けよと敵手の(くび)を締めつけた。学士は朦朧(もうろう)と落ちてゆく意識のうちに、(しき)りに口を大きくひらいては(あえ)いでいた。だが彼の執念(しゅうねん)ぶかい両手は、なおも大尉の急所を掴んでそれを(ゆる)めようとはしなかった。この(まま)に捨てておくと、二人とも共軛関係(きょうやくかんけい)において死の門をくぐるばかりだった。

「紅子、うう射て……ピストル、いいから……」

 大尉の声は、切れ切れに、蚊細(かぼそ)く、夫人の援助をもとめたのだった。

 このとき紅子は、いつの間にやら、右手にしっかりとピストルを握りしめていたが、夫大尉のこの声をきくと、莞爾(かんじ)とほほえんだ。

「いいこと!」

 紅子のしなやかな腕がグッと前に伸びる。キラリとピストルの腹が光って、引金がカチリと引かれた。

「ズドーン!」

 銃声一発――大尉と学士とは、壁際(かべぎわ)から同体に(から)みあったまま、ズルズルと音をさせて、横に(たお)れた。

 ピストルの煙が、やっと薄らいだとき、仆れた二人のうちの一人が、フラフラと半身を起した。それは大尉にはあらで、意外にも星宮理学士だった。

 彼は、紅子が一発のもとに射ち殺したのは、彼女の夫君(ふくん)である川波大尉だと知ると、咄嗟(とっさ)のうちに気をとり直し、威厳をつけて、ノッソリ起きあがると、フラフラと紅子の方に歩みよるのだった。

「星宮君。ここへ懸け給え」

 このとき、静かに云ったのは、この場の生命のやりとりに、一と言も口を利かず、片腕もあげなかった奇怪の人物、大蘆原軍医(おおあしはらぐんい)だった。自分の名をよばれると、流石(さすが)の星宮理学士も、ギョッとして、その場に立ち(すく)んだ。

「星宮君。私の第三話が、もうすこしで、尻切(しりき)蜻蛉(とんぼ)になるところだった。幸い君は生命をとりとめたようだから、サアここへ坐って、あの話の続きを聞いてくれ給え」

 軍医は、落着きはらって、空虚になった二つの椅子を指した。学士は、眼に見えぬ糸に(あやつ)られるかのように、ヨロヨロとよろめきながら、やっとその椅子の傍まで近付くと、崩れるように、その上に腰を下ろした。

「……」

「さア、いいかね、星宮君。さっきは、僕に手術を頼んだ娘の次兄というのが、素晴らしい復讐方法を、妹をかどわかした男に加えるため、考えついた、というところまで話したのだったね。サアその続きだが、さて、あの女の次兄が考えだした讐打(あだう)ちというのはね、死をも怖れないと自称する人間に『死』以上の恐怖を与えることにあったのだった。それで次兄は、今夜妹を人工流産させることに決心したのだ。手術は四十分ばかりかかったが、私の手で巧く終了した。摘出されたのは、すこし太い試験管の、約半分ばかりを占領している四ヶ月目の××××××だった。いいかね、その試験管の底に沈澱(ちんでん)している胎児は、その男と、あの可憐(かれん)なる少女とが、おのれの血と肉とを共に別けあって生長させた彼等の真実の子供なのだった。でも母親の胎内を無理に引離され、こうしているその胎児には、もうすでに生命が通っていないのだった。闇から闇へ流れさった、その不幸な胎児の、今日は命日なのだ。その胎児にとって、今夜のこの話は、本当の意味の通夜物語(つやものがたり)なのだ。

 これだけ云えば、星宮君、君にはなにもかも判ったろう。あの胎児の父は、君なのだ。あの胎児の母は、ちどり()と呼ぶ。さて此処(ここ)で、君から()かして貰いたいことがある。君に返事ができるかね。

 先刻(さっき)、君は私の手料理になる栄螺(さざえ)を、鱈腹(たらふく)()べてくれたね。ことに君は、×××××、(はし)尖端(さき)に摘みあげて、こいつは甘味(うまい)といって、嬉しそうに食べたことを覚えているだろうね。

 それで若し、私が、あのちどり()の次兄であったとして、いやそう驚かなくてもいいよ、先刻、君が口中で(あじわ)い、胃袋へおとし、唯今は胃壁から吸収してしまったであろうと思われる、アノ××××が、栄螺(さざえ)の内臓でなくして、実は、君の血肉(ちにく)()けた、あの胎児(たいじ)だったとしたら、ハテ君は矢張り、

『×××××を、ムシャムシャ喰べてみたが、たいへんに美味(おいし)かった』

 と嬉しがって呉れるだろうか、ねえ星宮君――」

「ウーム。知らなかったッ」

 と、ふり絞るような声をあげたのは星宮理学士だった。その顔面はみるみる真青(まっさお)になり、ガタガタと細かく全身を(ふる)わせると、われとわが咽喉(のど)のあたりを、両手で()きむしるのだった。

 ああ、時はもうすでに遅かった。いま気がついて、ムカムカと()()を催しても、彼の喰った栄螺は、もはや半ば以上消化され、胃壁を通じて濁った血となったのだった。頸動脈(けいどうみゃく)を切断して、ドンドンその濁った血潮(ちしお)をかいだしても、かい出し(つく)せるものではなかった。彼の肉塊(にくかい)をいちいち引裂いて火の中に投じても、焼き尽せるものではなかった。彼は自己嫌悪の全身的な嘔吐(おうと)と、極度の恐怖とを感ずると、

「ギャッ」

 と一声、獣のような悲鳴をあげて、その場に卒倒したのだった。呪われたる人喰人種――。

     ×

 それを見届けると、大蘆原軍医は始めて莞爾(かんじ)と笑って、(かたわ)らに()りよってくる紅子の手をとって、入口の()の方にむかって歩きだした。

 今宵、紅子は、彼女の良人(おっと)、川波大尉を射殺して置きながら、それを振返ってみようともしないのは、どうしたことであるか。それは、川波大尉こそは、第一話に出て来た熊内中尉に、あの恐ろしい無理心中を使嗾(しそう)した悪漢だった。そのために、当時、鮎川紅子(あゆかわべにこ)と名乗っていた彼女は、愛の殿堂(でんどう)にまつりあげておいた婚約者の竹花中尉を、永遠に(うしな)ってしまったのだった。

 いわば、今宵(こよい)良人(おっと)射殺事件は、あたかも竹花中尉の敵打(かたきう)ちをしたようなものだった。この隠れた事実を、紅子が知ったのは、()く最近のことで、それを教えたのは、炯眼(けいがん)きまわる大蘆原軍医だった。今夜の紅子の登場も、無論、軍医の書いたプログラムの一つだった。

 ここへ来て、この軍医を賞讃する前に、読者諸君は、すこし考えてみなければならない。それは、いくら愛する妹の復讐とは云え、彼女の産みおとしたものを、人間に喰わせるという手段が、人道上許されるものであろうかどうか。奇怪にも友人の細君だった婦人を、()()れしく、かき抱いてゆく大蘆原軍医は、誰よりも一番恐ろしい、鬼か魔かというべき人物ではあるまいか。

 それはそれとして、二人の姿が、戸外の闇に(まぎ)れて、見えなくなった丁度その時、血みどろに染った二つの死骸が転っている実験室では、真夜中の十二時を報ずる柱時計が、ボーン、ボーンと、無気味な音をたてて、鳴り始めたのだった。

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