ネオン横丁殺人事件

2話 ネオン横丁殺人事件(2)

6,863字 約14分 2005年8月5日 公開

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「このライターは誰のです?」帆村荘六は、おみねが驚駭(きょうがく)にうちふるえている前に、このカフェ・アルゴンの入口で拾ったライターをさし示した。

「……い、一平のでしょう」と、おみね。

「なに一平のライターだって」大江山警部は身体を前へのり出した。

「おみねさん、君が先刻返事をしてくれなかったことがあったね。この二つの寝床の一つは君が寝ていたが、今一つには誰が寝ていたか。それはナンバー・ワンの女給ゆかりの布団なんだろうが、入ってたのは別人だった。いいかね。この帆村君は、さっき四時前に、ここから長身の男が逃げてゆくのを発見したんだ。つづいてライターをこの家のうちで拾った。すると、こっちの布団(と、一方の寝床を指しながら)には、その背の高い、そのライターの持ち主が寝ていたのだ。もしそのライターがネオン屋の一平のだったら、お前さんはここで一平と寝てたことになるよ、それでいいかい」

「まァ、誰が一平なんかと……」

「もう一つお前さんに見せたいものがある」

 そう言って大江山警部は帆村に目交せをして屋根裏で拾ったピストルをおみねの前につきつけた。

「このピストルを知らないかい」

「ああ、これは……。これこそ一平のもってたピストルです。あいつは、これでいつかあたしのことを……。あたしのことを……」

 おみねはなにを思い出したものか、ヒステリックに喚きだした。

「やっぱし、あいつだ。あいつだ。一平が主人を撃ったのです。その外に犯人はありません。そうなんですよオ、そうなんです」

「これ、おみねさん、しっかりしないか。おい外山君、この婦人を階下へ連れてって休ませてやれ」

 おみねが去ると、三階には係官一行と帆村探偵とだけが残った形になった。

「どうだ帆村君」大江山警部はにこやかに呼びかけた。

「これは単なる痴情関係で、一平が女給ゆかりの身代りにこの寝床にもぐっていて、頃合を見はからって、屋根裏にのぼり、主人の虫尾を射って逃げ、その途中で入口にライターを落とし四つ辻では君に見咎(みとが)められて、逃走したと解釈してはどうかね」

「だが、同じ逃げるものなら、どうして寝床にぬくぬくと入っていたのでしょう。隠れるところはカーテンの後でも、押入の中でもいくらもありますよ」と帆村は反駁(はんばく)したのだった。

「うん、そいつはこう考えてはどうか。すこし穿(うが)ちすぎるが、あの夜、おみねは虫尾の寝床で彼の用事を果すと、この部屋に退いた。爺さん便所に立つときに、隣りの布団をみて(ゆかりの奴、寒がりだから頭から布団をかぶって寝てやがる)と思った。それから再び自分の室に入ると、脅迫状が恐いものだから、厳重に錠をおろして寝た。そこでおみねは、先客の一平が寝ているゆかりの布団へもぐりこんで、午前三時半までいた。それから頃合よしというのであの犯行が始まった。――」

「それにしても午前四時近くの犯行は、すこし遅すぎますよ」

「なあに、一平が脅迫状に寒い日にやっつけると書いた。一日のうちでも一番寒い時刻というのは午前四時ごろだ。で、合っているよ」

「えらいことを課長さんは御存知ですね、一日のうちで午前四時近くが、一番気温が低いなんて。それはそれとして、僕にはどうもぴったりしませんね。もう一つ気になるのは、ドーンとピストルが鳴ってから犯人が逃げだすまでの時間が、十分間ちかくもありましたが、これは犯罪をやった者の行動としては、すこし機敏を欠いていると思うです。タップリみても三分間あれば充分の筈です。しかも犯人は十分もかかりながら(あわ)てくさってライターを落とし、おみねさんは胡麻化(ごまか)すにことかいて、ゆかりの寝床を直すことさえ気がつかなかった。これから見ても両人は余程あわてていたんです。計画的な殺人なら、なにもそんなに泡を食う筈はないのです」

「うむ、すると君の結論は、どうなのだ」

「僕にはまだ結論が出ません」と帆村は首をふって言った。

「だが、この事件を解くにはもっと沢山の関係者がでてこないかぎり、三次方程式の答えを、たった二つの方程式から求めるのと同じに、不可能のことです」

「ほほう、すると、君は、ゆかりのことなんかも怪しいと見るかね」

 そこへドタドタと跫音がして、さっきの警官外山が上ってきた。

「課長どの、唯今、女給のゆかりが、こっそり帰ってきたのを、ここへひっぱりあげて参りました」

「なに、ゆかりというナンバー・ワンが……」

 ふりかえって見ると、その階段の上り口に高価な毛皮の外套を着た、ちょっとみると、入江たか子のような洋装の娘が立っていた。

「おお、ゆかりさんか、ちょっとこっちへ来て下さい」

 物馴れた大江山警部は、こともなげに、彼女をさしまねいたのだった。

「あなた、昨夜、何時ころから出て、どこへ行ってました、叱るわけじゃないから、ドンドン言ってください」

「あたし、あのウなんですノ、昨夜は、ちょっと外泊したんですが……」と、彼女は行末を(ちぎ)ったNという青年と、多摩川の岸にあるH風呂へ泊りに行ったことを、真直ぐに告白した。そうして、午前五時近く暁の露を吹きとばしながら自動車で此処まで帰ってきたのだと言った。

(ウン、もう夜明けだ)

 帆村は、いつしか白く明るい光線が忍びこんで来た室内を、もの珍しそうに眺めまわしたのだった。

「あなたに、ちょいと見て貰いたいものがあるんだが、このピストルと、ライターに見覚えが無いですか」と大江山警部がいった。

「このピストルですね、オヤジを射ったのは。さあ、見覚えがありませんね。こっちのライターは……おや、これは、あの人のだ」そう言って、彼女はライターをキュッと掌のうちに握ると、言おうか言うまいかと思案をするような眼付をして、課長の顔をチラリと見た。

「おみねさんが教えてくれたんだがね」

「まあ、もう白状しちゃったんですか。そいじゃ私が言うまでも、これは銀さんのよ」

「なに、銀さん」警部はキュッと口を結んだ。

「銀さんって誰のことかい」

「おや、マダムは銀さんのだと言わなかったの、まァ悪いことをした。でも、こうなったらしょうがないわ、銀さんッて、マダムのいい人よ、木村銀太といって、ゲリー・クーパーみたいな、のっぽさんよ」

「一平と、その銀太君とは、どっちが背が高いんですか」と、横合から帆村がきいた。

「それはね」と、ゆかりは、新手の質問者の方を見てちょっと顔を赤くして言った。

「どっちもどっちののっぽですわ」

「銀太というのは、ここへもちょくちょく忍んで来るだろうね」大江山警部は訊いた。

「私が、いいだしにつかわれてるのよ」そう言って彼女は寝床の一つを指して鼻の先でフフンと笑った。

「いやその位で、ありがとう」

 警部は外山に、彼女を下げるように目交せした。二人は又元の階段をトコトコと降りていった。

「いよいよ足りなかった最後の方程式がみつかったようだね、帆村君」

「そうですね」

「おみねと、その情夫の木村銀太との共謀なんだ。さっき一平が寝ていたと思ったのはあれは銀太なんだ。君が見た人影ってのもネ、ありゃ銀太なんだよ。こうなるとピストルも誰のものだか判ったもんじゃないよ。一平からピストルを盗むことだって出来る」

「僕はそうは思いませんね。今の話で、おみねと、こっちの寝床に忍びこんでいた情夫の銀太とが犯行に関係のないということが判ったんです」

「そりゃまた、どうして」警部は聞きかえした。

「おみねと銀太が一緒に寝ているところに、思いがけなくあのピストルの音がしたので、二人は吃驚(びっくり)して(あわ)てだしたのですよ。銀太が居てはかかり合いになるから、おみねは銀太を逃がしたのです、銀太は裸の上に着物を着直して、いろんな持ちものを懐にねじこんで逃げるうちに、あのライターを落としたんです。銀太が相当の道程を逃げたころを見はからって、マダムのおみねが『人殺しッ』と怒鳴ったんです」

「すると、あのピストルは、誰が射ったことになるんだい」

「調べてみなければわかりませんが、多分ネオン屋の一平が射ったんでしょう。カフェ・オソメの女坂も怪しいですがね」

「そうかね。僕はさっき言ったように、情夫とおみねの実演だと思うよ。とにかく、他の連中の動静も多田刑事に調べにやったからもう直ぐ判るだろう」

 その話の半ばへ、噂の多田刑事が、ヒョくり顔を出した。

「課長、女坂染吉は家に居ましたよ。昨夜十二時から一歩も外へ出なかったそうです。腹が下ったとかで、夜っぴて女房に、腹をさすらせたり、足をもませたりしていたそうです」

「重宝な現場不在証明(アリバイ)ができたものだな」と課長は、薄笑いをした。

「ゆかりのことはH風呂にきいて午前四時半まで、Nという男と滞在していたことが判りました。それから大久保一平、あのネオン屋ですね、あいつについちゃ意外なことがあるです」

「ほほう、どうしたというんだ」

「あいつの家を叩きおこしてみましたが、昨夜は夕から出たっきり、朝方まで、とうとう帰って来なかったんです」

「それで……」

「それでこいつは怪しいと思って、帰りがけに淀橋署に、ちょっと寄って、偶然一平のことを聞いてみましたところ、意外にも一平は上野署に留置されていることが判ったんです」

「なんだ、一平は上野に抛りこまれているって?」課長は不審にたえぬという顔付をするのだった。

「実は一平さん、昨夜十二時ごろから、山下のおでん屋の屋台に(かじ)りついて、徳利を十何本とか倒して、くだをまいたんだそうです。揚句の果、午前二時近くになって、店をしまうから帰って来れと、屋台の親爺が言うと、なにを生意気な、というので、おでん屋の屋台をゆすぶって、到頭そいつを往来に、ぶっ倒しちまったんです。そこで上野署へ一晩留置ということになったんですが、身柄は今朝五時半釈放されました」

「そうか、こいつは又、素晴らしい現場不在証明(アリバイ)だ。ねえ帆村君、あのピストルが屋根裏でズドンと鳴った頃には、一平の奴上野署の豚箱のなかで、虱に噛まれていたらしいよ」

「……」帆村は黙りこくっていた。

「それで多田君」と警部は刑事の方を向いて言った。

「木村銀太という男の行方をしらべて貰いたい。彼奴はマダムのおみねと共謀して大将の寝首を掻いたらしいんだ。――さア、そこらで室調(へやしらべ)を、便利な階下へうつすことにしようじゃないか」

 帆村荘六の面目玉は丸潰れだった。彼が犯人と指摘した人物は、皮肉にも、警察署の留置場に一と晩送って、この上ないアリバイを拵えていたのだった。帆村に、如何なる整然たる推理があっても、かのアリバイの事実はそれを木ッ葉微塵に吹きとばしてしまったといってよい。

(だが、もしや……)と帆村は螺旋階段を静かに下におりながら、なお諦めかねる思索にとりすがった。

(もしや、犯人が現場にいなくて、ピストルが射てるとしたら、どうだろう。それは果して絶対にあり得べからざることだろうか。一平みたいな人物には、一体どれ位までのことなら出来るのだろうか。あいつは、一個のネオン・サインの看板屋なんだが)

 屋根裏のピストル。それに気になるのは、あの脅迫状の文句「寒い日にやっつける」ということ。

 不図(ふと)気がつくと、階下で男女が声高に争っている様子だ。

「だって、どうしても思い出せないのよオ」そう言って鼻声を出しているのは、先刻のナンバー・ワンのゆかりだった。

「あんたは、冗談を言っているんだ。よオ、あとでウンと奢ってやるから、早くそいつを出しとくれ」そういっているのは、まだ聞いたことのない若い男の声だった。

「冗談いってやしないのよ、本当なの。一平さん、ごめんなさい、ねえ」

 おお、相手の若い男というのは、一平なのだ。帆村は階段の中途に突立って思わず声をあげるところだった。

莫迦(ばか)なやつだなア、貴様は、ううん」一平が苦しそうに呻った。なにか余程重大なものを、ゆかりに預けたのを彼女が無くしたものらしい。

「番頭さんによく訳を言って掛合うといいわ。あたしも、もうせん、あすこの店の質札をなくして困ったけれど、話をしたら、簡単に出してくれたわよ」

 どうやらゆかりが無くしたのは、一平の質札らしい。なぜ質札みたいなものを、わざわざゆかりに預けたんだろう。

「貴様にはもう頼まないや」

 そういうと、一平は裏口へ出て行った。

 戸外へ出ると一平は、あたりを気にしながら、早足にドンドン駈けだした。彼は電車道を越えて、大久保の長屋町の方に走りこんだが、それから露地をくねくね曲った末に、「おうの屋」と白字を染ぬいた一軒の質屋へ飛び込んだ。

「こないだ預けた銘仙の羽織をちょっと出して貰いたいんだが」

「ああ、その羽織なら、今うけだして持ってお帰りになりましたよ」

「しまった。そいつは質札を拾ってきやがったんだ。それに違いない。そいつは、どんな人間だったい、番頭さん」と、一平は真赤になったり蒼白になったりして、地団太(じだんだ)を踏んだのだった。

 その時薄暗い土間の隅から思いがけない声がした。

「芝居もどきで気がさしますが、その人間というのは、僕なんです」

「おお、あんたは、誰です」と一平は目を(みは)った。

「羽織をかえして下さい。あれは私のだから」

「羽織は返しますよ、ほら。だが、その襟に縫いこんであった、この契約書は、僕に貸して下さい。僕は素人探偵の帆村荘六というものです」

「ウヌ!」獅子奮迅(ししふんじん)にとびついてくると一平を軽く左に外すと、再び一平が立ち直ってくるその頤のあたりを、ウーンと下から突きあげたアッパー・カット美事にきまって、哀れ一平は帆村の足許に長々と横に伸びた。

     *   *   *

 事件のあとで、素人探偵の帆村荘六は、こんなことを発表した。

「犯人一平が考案した現場不在証明のある殺人方法というのは、実はネオン・サインと、当日の異常な気温降下とに関係があったんです。そういうと不思議にお思いでしょうが、屋根裏へ仕掛けて置いたピストルを、電気仕掛で発火させたんです。

 そういうと不思議にお思いでしょうが、実は屋根裏に仕掛けてあったピストルの引金を、電気仕掛けで引張るようにしてあったのでした。その電気仕掛けは、ネオン・サインの硝子管と、あれをとりつけてあった壁とに仕掛けてあった銅で出来た二つの接点が普段は離れているために働かないようになっていたのです。一体ネオン・サインは、建物の一番高い壁体にとりつけてありますが、下から見ると、(さぞ)ガッシリとネオンの入った硝子管が止めてあるとお思いでしょうが、本当は、たった一ヶ所だけしっかり留め、一方は、ちょっとした支持物の上に載っているだけなんです。これは、壁体と硝子管との温度に対する伸び縮みが違うところから必要なわけなんで、昼間は硝子管よりも壁体がズッと伸びていますが、夜になると壁体はグッと縮まるのです。高い屋上では、この伸縮がことに著しいのです。犯人一平は、これに目をつけたのでした。二つの銅の接点は屋内に入ってピストルの引金のところと電灯線に(つなが)っていました。昼間はこの接点がかなり離れていますが、夜間となり暁となると壁体の方が硝子管よりグンと縮んでくるために接点の距離はずっと近づきます。しかし普通の寒さでこの接点がまだ接触するほどまでになりませんが、あの事件のあった夜のように、猛烈な寒気が襲ってくると、壁体は著しく伸縮し、壁体とネオン・サインの硝子管とにとりつけて置いた二つの銅の接点が遂に火花を出して接触するのです。接触すると、その接点を通じ始めて電灯線からピストルのところへ電流が流れて引金をグッと引張ることになるから、そこでピストルがドカンと発射される順序になるんです。この仕掛けは、あのように箆棒(べらぼう)に寒い暁近くでもなければ、普通の日の昼間はもちろん夜見ても、二つの接点が離れているからそれだけでは鳥渡(ちょっと)なんのことやら、怪しまれずに済む筈なんです。あの犯行のあった日は大変寒い日で、その夜の明け方ちかく気温が急降することが別ったので、その夜はきっと、兼ねてカフェ・アルゴンの屋根裏から大将虫尾兵作の頭を狙わせてあるピストルがズドンと発射するだろうと見当をつけて、殊更宵のうちから上野くんだりへ出掛け、酒の酔いにかこつけて乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)を働いて、故意に留置され、立派な現場不在証明を作ったのです。ピストルが発射されると、その反動で発火装置用の細い電線などは遠方へとんでしまって、たとえ発見されてもなんとも意味がわからないようになっていたのです。

 殺人の動機ですか。あれは僕が一平の羽織の中から抜きとった契約書を読むとハッキリします。

     殺人契約書

一 拙者は虫尾兵作の殺害を貴殿に依頼せしこと真なり。成功の暁には本書引換に報酬金一萬円相渡すべきものとす。後日のため一札、仍って如件

  四月一日          女坂染吉

 大久保一平殿

 要するに一平なる人物は、和製カポネ団の一員だったんです。質札を預けたのは、その夜、警察でしらべられるのがおそろしかったのでした。それから無論、カフェ・オソメの主人女坂染吉も、主犯として即日、捕縛されたことは言うまでもありません。云々」

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