壊れたバリコン

1話 壊れたバリコン(1)

7,688字 約15分 2005年8月3日 公開

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 なにか読者諸君が吃驚(びっくり)するような新しいラジオの話をしろと仰有(おっしゃ)るのですか? そいつは弱ったな、此の(ごろ)はトント素晴らしい受信機の発明もないのでネ。そうそう近着の外国雑誌にストロボダインという新受信機が大分おおげさに吹聴(ふいちょう)してあったようですね。しかし私は余り感心しないのですよ。結局ビート受信方式の一変形に過ぎないじゃありませんか。

 ヤアどうも、君に議論を吹っかけるつもりじゃ毛頭(もうとう)なかったのですがネ、つい面白い原稿だねのない言訳(いいわけ)に一寸議論の(はし)が飛び出して来たという次第なのですよ。――

 ホウ、君はそこの(とこ)()にポツンと()っている変な置物(おきもの)に目をつけておいでのようですな。そうです、君の仰有るとおり、それは加減蓄電器(バリコン)(こわ)れたものなのですよ。半分ばかり()けてしまって、アルミニュームが流れ出したまま(かたま)っているでしょう。これは何かって言うんですか?

 いや実はネ、それについて一つ、取っておきの因縁(いんねん)ばなしがあるんですがネ、今日は思い切って、そいつを御話してしまうことに致しましょうか。

 だが始めから断って置きますが、此の話はこれから私の言う通り全く同じに発表して貰っては私が困るのですがね。というのも実はこの物語の主人公であり、又同時に尊い実験者であるところの私の亡友(ぼうゆう)Y――が亡くなる少し前に、是非私に判断して()れという前提(ぜんてい)のもとに秘密に語った彼自身の驚くべき実験談なのでして、内容が内容だから、他へは決して()らさぬことを誓わされたものなのです。不幸なる亡友Y――は、永らくおのれが胸だけに()めていた解き得ぬ謎の解決を求めんがために折角(せっかく)私という話相手を選んだのでしたが、流石(さすが)の私にも彼が満足するような明答(めいとう)を与えることが出来ませんでした。それでY――は一層がっかりして謎を謎として(いだ)いたまま、地下に眠ってしまったのです。そして其の時にY――が私に残して行った不気味な遺品が、この壊れたバリコンでして、勿論(もちろん)彼の話の中に出て来る一つの証拠物(しょうこぶつ)とも言うべきものなのです。

 Y――が其の時告白したところによると、謎を包んだ此の物語をはなして聞かせた人間は私が最初であり、また同時にそれが最後であるというのです。(もっと)もこの物語の後に於て判るように、このことがどんな事実であるかということを明瞭(めいりょう)に知っている(はず)の二つの関係があるのですが、これは(いず)れもそれ自身絶対に他へ洩らすことの許されない同じような二つの機密社会(きみつしゃかい)であるために、この驚くべき事実が他へ洩れる道が()しありとすれば、それは亡友Y――によって(いやもっと詳しく言えばY――と私との二人とによって)行われるより(ほか)に出来ないことなのでした。Y――が私以外の者に語ることを断念し(しか)も他界してしまった今日(こんにち)、それは(ただ)私一人によって保たれている秘密なのです。未解決のまま残されている謎なのです。そこに私としての遺憾(いかん)があり、義務さえあるように感ずるのです。そうした気持が、私をして敢えて誓いの(くさり)をひきちぎってまで貴方(あなた)に御話することを決心させたのでした。それはあり得べき事か、またはY――の錯覚(さっかく)であるか、それはこの物語がすんだあとで貴方は当然私に答えて下さらなければならないのです。――

 ではその話を始めましょう。私がY――から聴いたときのように、彼の口調を真似(まね)ておはなしを致しましょう。ですから、次のものがたりで「僕」というのは、とりもなおさずY――自身のことだと思っていただかなければなりません。

     *   *   *

 僕は少年時代からラジオの研究に精進(しょうじん)していたラジオファンとして、あの茫莫(ぼうばく)たるエーテル波の漂う空間に、()くることなき憧憬(どうけい)を持っているのでした。それは僕が始めて簡単な鉱石受信機を作って銚子(ちょうし)の無線電信を受けた其の夜から、不思議に心を躍らせるようになった言わば一種の「()え出でた恋」だったのです。僕は毎晩のように鉱石の上を針でさぐりながら、銚子局の出す報時信号(タイム・シグナル)のリズムに()()れたものです。受話器を頭から(はず)して机の上に横たえておきましても三四尺も離れた寝床に入っている僕の耳にそのシグナルは充分(じゅうぶん)はっきりと聞きとれました。エーテル波の漂う空間の声! 僕はそれを聞いていることにどんなに胸を躍らして喜んだことでしょう。いつの間にやら()()け過ぎてしまった、戸外(とのも)は怖ろしい静寂の中に、時々(こがらし)が雨戸の外を過ぎて行くのに気が付きまして、急に身体中が寒くなり夜着をすっぽり頭から引被(ひっかぶ)って無理に眠りを求めるなどという事も間々ありました。

 年月はうつりかわっていつの間にやら我国にも放送無線電話が始まりました。エーテルの世界には毎晩のようにJOAKの音楽やらラジオドラマが其の強力な電波勢力を(ほこ)りがおに夜更けまでも暴れているような時勢(じせい)になりました。僕はただもう、そういう放送によってエーテルの世界が騒々(そうぞう)しく()きまわされることが(いや)でたまりませんでした。僕は反感的に放送を聴くことを忌避(きひ)していました。そして其の頃にはまだホンの噂話だけであった短波長(たんぱちょう)無線電信の送信(そうしん)受信(じゅしん)の実験にとりかかっていました。その電波長は五メートルとか六メートルとか言った程度の(すこぶ)る短い電波を出したり受けたりしようというのです。放送ラジオの波長の百分の一位に当りますから、うまい具合(ぐあい)に受信機には全然ラジオを聞かないで済みました。

 しかし僕の実験は、放送が終った午前十時から夜明(よあ)け頃にかけてやるのが通例(つうれい)でした。其の時間中は短波長通信には殊に好都合の成績が得られるからこんな変な時を選んだのです。

 さて送信をやってみますと、なるほど電波はうまく空中へ飛び出すことが判りましたが、僕の短波長通信に応じて呉れる相手は中々見付(みつか)りませんでした。米国(べいこく)や英国あたりでは素人(しろうと)のラジオ研究家が大分増えて来たとのことを聞いていましたので、その応答を予期して毎晩のように実験を繰りかえしました。先ず五分間ばかりは、僕が呼出信号を空中へ打って出します。それから今度は空中線を受信機の方へ切り換え、それから五分も十分も耳を()まして何処からか応答があるだろうと聴いているのですが、いつぞや返事のあった(ため)しがありません。僕はそれでも一向断念しませんでした。今にもどこからか「ハロー、オールド、マン」とモールス符号で呼びかけてくる僕同様の素人ラジオ研究家のあるべきを信じていました。

 それどころか、時にはこんな考えさえ持ちましたことです。僕の出している短波長無線電信は、この地球を既に飛び出してしまっているから中々応答が来ないので、其の内には都合よく火星か金星かにぶつかってそこに()んでいる生物から前代未聞の(あや)しげな応答信号が僕に向って発せられるかも知れないと考えて、思わず声を出して嬉しがったこともありました。

 しかし事実の上では、私の送信に対して一回の応答信号も入って来ませんでした。耳朶(みみたぶ)が痛くなる迄、懸けつけた受話器の底には時々ガリガリという空電(くうでん)の雑音が入って来るばかりで、信号の形を備えた電波は全く見出すことが出来ませんでした。時にはこの意味のない空電のガリ、ガリ、ガリという音響を、●●●(トツトツトツ)というモールス符号のSという字にちがいないと思いこんだこともありました。

 それはこの短い波長の無線電信の放送受信を始めてから四十日ほども経ったころには、流石物好(ものず)きからやり出した僕と(いえど)も、少々この「永遠(えいえん)(なし)(つぶて)」には()きて来ました。厭気(いやけ)のさしたのを自覚すると、実験をつづけることが急転直下的(きゅうてんちょっかてき)にたまらなくいやになりました。忘れもしない九月の七日の夜のことです。時計は既に次の日の方に廻って午前一時近くを指していました。僕は送信をやめて、受話器を頭に懸けたまま、シグナルを探すというよりも、この送受信を中止した明日から後は何をすることによって日々を楽しもうかと、あれやこれやの計画を思いつづけていました。その時のことです。恰度(ちょうど)その時のことです。――

 不図(ふと)気のついた僕は、受話器の底に()(かす)(なが)らヒューッという唸音(ビート)らしきものが入っているのを聞きとることが出来ました。其の唸音(ビート)は大きくなったり小さくなったりして全く聴こえなくなり、至って不安定なものでした。電波の遭難船(そうなんせん)とでも申しましょうか。それはエーテルの大海(おおうみ)に、木の葉のように飜弄(ほんろう)せられるシグナルでありました。

 僕は急に頭脳が()え返ったのを(おぼ)えました。僕は()(さま)ローカル・オスシレーションの方を調節して見ました。カップリングを静かに変えて見ました。グリッド、リークを高めてみました。その結果はどうでしょう。僕が今まで出していたよりも(なお)一メートル程短い波長のところで受話器には小さい乍らも、立派に呼出符号と救助信号とを打っていることが聞きとれるではありませんか。

 僕は夢ではないかと驚きました。何は()もあれ僕はスウィッチを直ぐ様、送信機の方へ切換えると「応諾(おうだく)」の符号を送りました。波長は四・五メートルを指していました。

 (やが)て相手からは、生々(いきいき)とした返事がありました。其のシグナルはまことに微弱(びじゃく)である上に、波長が時々に長くなったり短くなったりして僕の聴神経(ちょうしんけい)を悩ませました。しかし相手の報じて来る内容が少しずつ判明(はんめい)して来ると共に、僕は全身の血潮が爪先から段々と頭の方へ昇りつめて来るのを感じました。耳は火のようにほてり、鼓動(こどう)は高鳴り、電鍵(でんけん)を握る指端(したん)にはいつの間にかシットリと油汗(あぶらあせ)(にじ)み出ていました。相手は何者か! 相手は何処の無線局であるか? 其処では只今何事が起っているのか? それは其時に交換した次のような奇怪きわまるモールス符号の会話が、一切を少しずつ明白にして行って呉れましょう。

相手「貴局ト通信ガ出来ルコトヲ(ハナハ)ダシク喜ブモノナリ。予ハ今甚ダシキ危険ニ臨ミ居レリ。当方ノ信号ハ微弱(ビジャク)ナリヤ?」

僕「貴局ノ信号ハR2(微弱ナレド(カロ)ウジテ読ミ得ル程度ノ意)ナリ。但シ不安定ニシテR1(微弱ニ聞コエ判読不能ノ意)又ハR3(微弱ナレド受信可能ノ意)ノ範囲ニ変動スルヲ認ム。危険救助取ハカラウベシ。貴局名如何」

相手「当方局名ナシ。日本人。仮設局ナリ。貴局名如何。貴局所在如何」

僕「当方局名JIZZ。所在東京市。実験局。W大学生Y――貴局所在、及ビ危険詳細知ラセ」

相手「天祐。喜ビ甚ダシ。日本万歳。愛スル友ヨ。予ハ貴局ニ驚クベキ報道ヲセムトス。記事甚ダ長ク、送信力甚ダ短シ。貴局ハ予ノ報道ヲ信ズルヤ」

僕「信ジタク思ウ。予モ(マタ)後ニ質問スベシ。兎モ角モ早ク語レ」

相手「必ズ信ゼヨ。予ハ決死的ナリ。

予ハ神戸K造船所電気課員、セントー・ハヤオ。只今ノ所在ハN県東北部T山ヲK山脈ヘ向ウ中間ノ地点ニ在リ。

予ハ今ヨリ七日前、スナワチ八月三十一日、休暇ヲ利用シ、前人未踏ノ山岳地方ヲ横断セントシテ強力(ゴウリキ)一人ヲ連レN県A町ヲ後ニ登山ヲ開始セリ。

貴局ハ当方ノ送信ヲ了解セラルルヤ」

僕「予ハ了解セリ。予ハ貴局ヨリノ受信シタル通信文ヲ逆ニ送信スベキヤ」

相手「ソノ必要ナシ。愛スル友ヨ。

予等ハ九月四日只今ノ地点ニ通リカカリタリ。今回ノ予ノ目的ハ山岳地方跋渉(バッショウ)ニ在ルト共ニ、尚一ツノ目的アリ。予モ亦ラジオヲ以テ長年ノ趣味トスルモノニシテ、予ガ組立テタル愛機『スーパーヘテロダイン』ヲ(タズサ)エテ今回此途(コノト)ニノボレリ。スナワチ、高山(コウザン)山巓(サンテン)ニ於テ、米国ノ放送ヲ如何ナル程度ニ受信シ得ラルルカヲ(ココロ)ミンガタメナリキ。

貴局ハ当方ノ送信ヲ了解セラルルヤ」

僕「予ハ了解セリ。後ヲ語レ」

相手「予等ハ此地点ニ通リカカルヤ、一大驚異(イチダイキョウイ)ヲ発見セリ。突然予等ノ行手(ユクテ)ニ銃ヲ()シテ立チ防ガリタル一団アリ。彼等ハ異様(イヨウ)風体(フウテイ)ヲナシ身ノ(タケ)程ノ雑草(ザッソウ)(チュウ)(ヒソ)ミ居リシモノナリ。全身ニ毒草(ドクソウ)ノヨウナモノヲツケタルモ、……」(判読不能)

僕「空電妨害ニ(ナヤマ)サル。貴局ノ送信ヲシバラク中止セヨ。――

空中状態ヨロシ。全身ニ毒草ノヨウナモノヲツケタルモ以下語レ」

相手「毒草ノヨウナモノヲツケタルモ。貴局ハ当方ノ送信ヲ了解セラルルヤ」

僕「予ハ了解セリ。後ヲ語レ」

相手「……ソノ下ニハ浅黄色(アサギイロ)ノ軍服ラシキモノヲ(チャク)セリ。而シテ驚クベキコトハ、彼等ノ中ニハ西洋人多ク混ジ居ルヲ認メタリ。其時ハ何処ノ国籍ニ属スルヤ全ク不明ナリシガ只今マデ数日間観察セルトコロニヨレバ○国人ナルモノノ如シ。他ハ日本人ナルカト思イタレドモ、後ニ至リテ彼等ハ日本人ニハ(アラ)ザルモノノ如キコト判明セリ。貴局ハ引続キ当方ノ送信ヲ了解セラルルヤ」

僕「(シカ)リ。其ノ一団ハ何ヲナセルヤ」

相手「予ノ今日マデノ観察ニヨレバ、明カニ軍事的施設ヲ作リツツアルモノノ如シ。

予ハ彼等ノ小屋ノ一室ニ予ノ案内人ト別ノ室ニ幽閉セラレタリ。予等ノ所持品ハ没収サレタリ。予ノ室ハ倉庫ノ一部ナリ。セメント(ダル)多シ。

予ノ室ノ入口ノ(ドア)ニ小サキ窓アリテ金網(カナアミ)ヲ張ル。武装セル監視人巡回シ来リ其ノ窓ヨリ予ヲ(ウカガ)ウ。

予ハ其ノ小窓ヨリ窓外ヲ見タルトコロ傾斜(ケイシャ)セル山腹(サンプク)()リトラレアルヲ見タリ。其ノ前ニ小屋アリテ人々出入ス。雑品倉庫(ザッピンソウコ)ナルコトヲ知リ得タリ。

一昨日マデハ、リベットヲ打ツ「ニュウマチック」ノ音、「コンクリート」混合機ノ音響ヲ時々耳ニシタルモ、其後聞カズ。

飛行機ノプロペラノ如キ音、時々聴コユ。此ノ一団ノ総員(ソウイン)ハ、雑品倉庫ヨリ毎日ノ如ク運搬スル食料品ヨリ見テ四五十名カト思ワル。

貴局ハ左ノ事実ヲ其筋(ソノスジ)ニ急報シ、至急調査開始ヲ依頼サレタシ。前後ノ事情ヨリ推察(スイサツ)スルニ怪施設ハ大部分完備ニ向イタルモノノ如シ。

予ノ生命ハ只今ノトコロ安全ナリ。但シ此ノ通信発覚ノ(アカツキ)ハ直チニ殺サルベシ。予ノ一身上ノコトハ其筋ノ好意ニヨリテ、自宅ヘ一報ヲ乞ウ。予ハ決死ノ覚悟ヲ以テ通信ヲ行ワム。

当方通信用電源小サクシテ長時間ノ通信ニ耐エズ。詳細報ジタキモ()ムヲ得ズ。

貴局ヨリノ質問アリヤ。簡単ニ願ウ」

僕「直ニ其筋ヘ通報スベシ。安心アレ。質問アリ。貴局ノ送受信機ハ何処ヨリ手ニ入レタルヤ」

相手「予ガ携帯(ケイタイ)シ来リタルスーパーヘテロダインハ没収(ボッシュウ)セラレタリ。予ガ隣室ニ監禁セラレタル予ノ案内人ノ室ノ更ニ隣室ニシテ、同様物置ナル所ヘ一時()ゲ入レラレタルヲ知リタリ。予ハ案内人ヲシテ夜暗天井裏伝イニ隣室ニ(シノ)()ミ、其ノスーパーヲ(ヌス)マシメタリ。同夜苦心ノ末、コイル、コンデンサー、乾電池等ヲセット中ヨリ取外(トリハズ)シ、短波長送信機ヲ組立テント試ミタリ。材料ノ不足ニヨリテ意ノ如キ波長ノモノヲ作ルコトヲ得ザルコトヲ発見シタルトキハ絶望ノ(ナミダ)ニ暮レタリ。サレド人事ヲツクシテ天命(テンメイ)()タンコトヲ思イ、許シ得ル範囲ノ応急送信機及ビ受信機ヲ建造セルナリ。

当方ノ信号ハ衰減(スイゲン)セザルヤ」

僕「ヤヤ衰減シタルヨウニ思ウ。予ハ一切ヲ直チニ其筋ニ急報スベシ。次回ノ通信ハ約二時間後、スナワチ午前四時ニ行ウベシ。貴局ノ都合如何」

相手「応諾。当方ハ此後ノ通信ヲ倹約(ケンヤク)セザルベカラズ。電源ノ消耗(ショウモウ)ト、更ニ急報スベキ事件ノ発生ヲ予期スレバナリ」

僕「デハ御機嫌ヨウ。貴君ノ忍耐ト奮闘(フントウ)トヲ祈ル」

 僕は最後の符号を打ち終ると急いで立ち上った。壁にかけてある制服を下ろすと、手早(てばや)(これ)に着換えました。それから一散(いっさん)に家を飛び出して更けた真夜中の街路に走り出でました。火のように上気した僕の頬を夏の夜乍ら冷々(ひやひや)と夜気がうちあたるのを感じました。

 僕は我国を(ねら)っている敵国人が、我国の人跡(じんせき)(まれ)なる山中に立て(こも)っていると聞いてさえ驚かされたのに、彼等はどこから運搬したものか大仕掛の土木工事(どぼくこうじ)を行い、而も工事は既に終ったという説をセントー・ハヤオなる人物から報ぜられて全く昂奮(こうふん)してしまいました。軍事施設について智識(ちしき)のない僕でも、次に何事が計画されているか、実行されるかという事を朧気(おぼろげ)ながら推察することが出来ました。これこそわが大日本帝国(だいにほんていこく)の一大事である。そしてこの一大事を一般国民に知らせることの出来るのは今のところ自分を除いては一人もないという事を考えると僕は重大なる任務のために、身体がガタガタ震え出すのを、どうしても我慢が出来ませんでした。

 さて()うして戸外(そと)に飛び出してはみたものの、第一番に何処に通報すべきであるか。一番手近な方法は、近所の交番へ(うった)え出ることでしたが、警官が簡単に納得して呉れるとも思われないし、それから先、警察署、警視庁、憲兵隊と階級的に軍事当局迄、通報されて行くであろう煩雑(はんざつ)さを考えると、交番へ訴え出ることを躊躇(ちゅうちょ)せずには居られませんでした。

 僕は決心して近所のタクシーを叩き起しました。それから自動車を長舟町の憲兵隊本部へ飛ばせました。自動車は物凄い(うな)りをたてて巨大なる建物の並ぶ真夜中の官庁街を()()けて行きました。

 軈て僕の乗った自動車は三十(マイル)の最大速力を(ゆる)めると共に一つの角を曲りました。警笛を四隣のビルディングに反響させ乍ら、自動車は憲兵隊本部の衛門の前、数間(すうけん)のところに止りました。車から降りる時、歩哨(ほしょう)の大きい声が(おそ)いかかって来ました。見ると半身(はんしん)を衛門の上に輝く煌々(こうこう)たる門灯に照し出された歩哨が、剣付銃をこっちへ向けて身構えをしていました。

「何者かアーッ」

 と又歩哨が叱鳴(どな)りました。僕は、

「至急当直将校に会わせて下さい。内容はお目に(かか)らなければ言えませぬ。早く願います。僕の名刺(めいし)此所(ここ)にあります」

 と私は学生の肩書のついた名刺を出しましたことです。歩哨は僕の年若さと、学生服とに好意をよせたものか、二三の押問答の末、折から衛門から我々の声を聞きつけて飛び出して来た僚兵(りょうへい)に僕を当直将校室へ案内することを命じて呉れました。

 当直将校丸本少佐は、何でもないという顔付をして僕の待たせられている応接室に入って来ました。僕は其の落付いた態度に、自分の持っている昂奮と不安とが、ややうち(しず)められて行くのを感じました。しかしそれからのちの、重大事件の説明は、すらすらと(はこ)びませんでした。それは、小一時間に渡った問答――というよりも訊問――が続いたのちのことです。何等かの決意をした丸本少佐は別室に去りました。営内がこの夜更に少しずつざわめき出して来ました。電話のベルが廊下のあなたに三度四度と鳴らされて行きました。「坩堝(るつぼ)(たぎ)りだした」不図こんな言葉が何とはなしに脳裡(のうり)(うか)びました。

 室の外の長廊下の遠くから、入り乱れて佩剣(はいけん)の音が此方へ近付いて来ました。

 丸本少佐の外に士官が二人、兵士が二人うち連れだって室内に姿を現わしました。少佐は其の人達を僕に紹介して呉れましたが、一人は参謀(さんぼう)の川沼大尉、他の一人の阿佐谷(あさがや)中尉と二人の兵士は通信係の人達でした。少佐はこれより直ちに僕の家を訪問して、謎の短波無線局のセントー・ハヤオ氏の通信を聴きたいということを語りました。僕はまだこれ位語ってみても信用されない自分を一応は腹立たしく思いました。又こんなにさし(せま)った君国の一大事に対して、余りに呑気(のんき)らしい少佐及びその一行を(とが)めたい気持に(おそ)われました。が今は言い争うよりも、あれほど明らかな通信をこの人達に聴かせることによって、この一大事を直接彼等の手に(まか)せた方が、万事に都合のよいことを考えなおすことが出来ました。僕はまた元のような緊張と昂奮を感じ乍ら、訪問を(だく)すると共に、自ら第一番に此の室を(はし)り出ました。

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