紅玉

2話 紅玉(2)

3,644字 約7分 2003年9月8日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

三羽の烏 (声を揃えて叫ぶ)おいらのせいじゃないぞ。

一の烏 (笑う)ははははは、そこで何と言おう。

二の烏 しょう事はあるまい。やっぱり、あとは、烏のせいだと言わねばなるまい。

三の烏 すると、人間のした事を、俺たちが引被(ひっかぶ)るのだな。

二の烏 かぶろうとも、背負(しょ)おうとも。かぶった処で、背負った処で、人間のした事は、人間同士が勝手に夥間(なかま)うちで帳面づらを合せて()く、勘定の()り取りする。俺たちが構う事は少しもない。

三の烏 成程な、罪も(むくい)も人間同士が背負いっこ、(かぶ)りっこをするわけだ。一体、このたびの事の発源(おこり)は、そこな、お(いち)どのが悪戯(いたずら)からはじまった次第だが、さて、こうなれば高い処で見物で事が済む。(くちばし)引傾(ひっかた)げて、ことんことんと案じてみれば、われらは、これ、余り(たち)()い夥間でないな。

一の烏 いや、悪い事は少しもない。人間から言わせれば、善いとも悪いとも言おうがままだ。俺はただ屋の棟で、例の夕飯(ゆうめし)を稼いでいたのだ。処で艶麗(あでやか)な、奥方とか、それ、人間界で言うものが、虹の目だ、虹の目だ、と云うものを((くちばし)を指す)この黒い、鼻の先へひけらかした。この節、肉どころか、血どころか、贅沢(ぜいたく)な目玉などはついに賞翫(しょうがん)した(ためし)がない。鳳凰(ほうおう)(ずい)麒麟(きりん)(えら)さえ、世にも稀な珍味と聞く。虹の目玉だ、やあ、八千年生延びろ、と逆落(さかおと)しの(ひさし)のはずれ、鵯越(ひよどりごえ)を遣ったがよ、生命(いのち)がけの仕事と思え。(とび)なら油揚(あぶらあげ)(さら)おうが、人間の手に持ったままを引手繰(ひったぐ)る段は、お互に得手でない。首尾よく、かちりと(くわ)えてな、スポンと中庭を抜けたは()かったが、虹の目玉と云う(くだん)(しろ)ものはどうだ、歯も立たぬ。や、堅いの(そうろう)の。先祖以来、田螺(たにし)(つッ)つくに(きた)えた口も、さて、がっくりと参ったわ。お(かげ)で舌の根が(ゆる)んだ。(しゃく)だがよ、振放して素飛(すっと)ばいたまでの事だ。な、それが(もと)で、人間が何をしょうと、かをしょうと、さっぱり俺が知った事ではあるまい。

二の烏 道理かな、説法かな。お釈迦様(しゃかさま)より間違いのない事を云うわ。いや、またお一どのの指環を銜えたのが悪ければ、晴上がった雨も悪し、ほかほかとした陽気も悪し、虹も悪い、と云わねばならぬ。雨や陽気がよくないからとて、どうするものだ。得ての、空の美しい虹の立つ時は、地にも綺麗な花が咲くよ。芍薬(しゃくやく)か、牡丹(ぼたん)か、菊か、(えて)が折って(みの)にさす、お花畑のそれでなし不思議な花よ。名も知れぬ花よ。ざっと虹のような花よ。人間の()(うち)に、そうした花の咲くのは壁にうどんげの開くとおなじだ。俺たちが見れば、薄暗い人間界に、(まぶし)い虹のような、その花のパッと咲いた処は鮮麗(あざやか)だ。な、家を忘れ、身を忘れ、生命(いのち)を忘れて咲く怪しい花ほど、美しい眺望(ながめ)はない。分けて今度の花は、お一どのが()いた(あか)い玉から咲いたもの、吉野紙の霞で包んで、露をかためた硝子(ビイドロ)(うつわ)の中へ(そっ)(しま)ってもおこうものを。人間の黒い手は、これを見るが最後(つか)み散らす。当人は、黄色い手袋、白い腕飾と思うそうだ。お互に見れば真黒(まっくろ)よ。人間が見て、俺たちを黒いと云うと同一(おなじ)かい、別して今来た親仁(おやじ)などは、鉄棒同然、腕に、火の舌を(から)めて吹いて、右の不思議な花を微塵(みじん)にしょうと(あせ)っておるわ。野暮(やぼ)めがな。はて、見ていれば綺麗なものを、仇花(あだばな)なりとも美しく咲かしておけば()い事よ。

三の烏 なぞとな、お(ふた)めが、(てい)()い事を(ぬか)す癖に、朝烏の、朝桜、朝露の、朝風で、朝飯を急ぐ和郎(わろ)だ。何だ、仇花なりとも、美しく咲かしておけば可い事だ。からからからと笑わせるな。お互にここに何している。その虹の散るのを待って、やがて食おう、突こう、()みょう、しゃぶろうと、毎夜、毎夜、この間、……咽喉(のど)(くちばし)を、カチカチと噛鳴(かみな)らいておるのでないかい。

二の烏 さればこそ待っている。桜の枝を踏めばといって、虫の数ほど花片(はなびら)も露もこぼさぬ俺たちだ。このたびの不思議なその大輪の虹の(うてな)、紅玉の(しべ)に咲いた花にも、俺たちが、何と、手を着けるか。雛芥子(ひなげし)が散って実になるまで、風が誘うを(なが)めているのだ。色には、恋には、(なさけ)には、その咲く花の二人を()けて、他の人間はたいがい風だ。中にも、ぬしというものはな、主人(あるじ)というものはな、(ふち)()むぬし、峰にすむ主人(あるじ)と同じで、これが暴風雨(あらし)よ、旋風(つむじかぜ)だ。一溜(ひとたま)りもなく吹散らす。ああ、無慙(むざん)な。

一の烏 と云ふ(くちばし)を、こつこつ鳴らいて、内々その吹き散るのを待つのは誰だ。

二の烏 ははははは、俺達だ、ははははは。まず口だけは(てい)()い事を言うて、その実はお互に餌食(えじき)を待つのだ。また、この花は、紅玉の(しべ)から虹に咲いたものだが、散る時は、肉になり、血になり、五色(ごしき)(はらわた)となる。やがて見ろ、脂の乗った鮟鱇(あんこう)のひも、という珍味を、つるりだ。

三の烏 いつの事だ、ああ、聞いただけでも(たま)らぬわ。(ばたばたと羽を(あお)つ。)

二の烏 急ぐな、どっち道俺たちのものだ。餌食がその柔かな白々とした手足を解いて、木の根の塗膳(ぬりぜん)錦手(にしきで)()の葉の小皿盛となるまでは、精々、咲いた花の首尾を守護して、夢中に躍跳ねるまで、(たのし)ませておかねばならん。網で()ったと、釣ったとでは、(たい)の味が違うと言わぬか。あれ等を(くるし)ませてはならぬ、(かなし)ませてはならぬ、海の水を酒にして泳がせろ。

一の烏 むむ、そこで、椅子(いす)やら、卓子(テェブル)やら、天幕(テント)の上げさげまで手伝うかい。

三の烏 あれほどのものを、(天幕を指す)持運びから、始末まで、俺たちが、この黒い翼で人間の目から(おお)うて手伝うとは悟り得ず、(すすき)の中に隠したつもりの、彼奴等(あいつら)の甘さが(たま)らん。が、俺たちの()す処は、退いて見ると、如法(にょほう)これ下女下男の所為(しょい)だ。(あめ)が下に何と烏ともあろうものが、大分権式を落すわけだな。

二の烏 獅子(しし)(とら)(ひょう)、地を走る獣。空を飛ぶ仲間では、(わし)(たか)、みさごぐらいなものか、餌食を掴んで容色(きりょう)()いのは。……熊なんぞが、あの形で、椎の実を拝んだ形な。鶴とは申せど、尻を振って泥鰌(どじょう)追懸(おっかけ)る容体などは、余り喝采(やんや)とは参らぬ図だ。誰も誰も、(くら)うためには、品も威も下げると思え。さまでにして、手に入れる餌食だ。(つつ)くとなれば会釈はない。骨までしゃぶるわ。餌食の無慙(むざん)さ、いや、またその骨の肉汁(ソップ)(うま)さはよ。(身震いする。)

一の烏 (聞く半ばより、じろじろと酔臥(よいふ)したる画工を見ており)おふた、お二どの。

二の烏 あい。

三の烏 あい、と(ぬか)す、魔ものめが、ふてぶてしい。

二の烏 望みとあらば、可愛い、とも鳴くわ。

一の烏 いや、串戯(じょうだん)()け。俺は先刻(さっき)から思う事だ、待設けの珍味も()いが、ここに目の前に転がった餌食はどうだ。

三の烏 その事よ、血の酒に酔う前に、腹へ底を入れておく相談にはなるまいかな。何分にも空腹だ。

二の烏 御同然に夜食前よ。俺も一先(いっさき)に心付いてはいるが、その人間はまだ食頃(くいごろ)にはならぬと思う。念のために、(つら)を見ろ。

三羽の烏、ばさばさと寄り、(こうべ)を、手を、足を、ふんふんとかぐ。

一の烏 (たま)らぬ(におい)だ。

三の烏 ああ、(うま)そうな。

二の烏 いや、まだそうはなるまいか。この歯をくいしばった処を見い。総じて寝ていても口を結んだ奴は、(ふた)をした貝だと思え。うかつに(はし)を入れると最後、大事な舌を挟まれる。やがて意地汚(いじきたな)の野良犬が来て()めよう。這奴(しゃつ)四足(よつあし)めに瀬踏(せぶみ)をさせて、()いとなって、その後で取蒐(とりかか)ろう。食ものが、悪いかして。脂のない人間だ。

一の烏 この際、()ものでも構わぬよ。

二の烏 生命(いのち)がけで乾ものを食って、一分(いちぶん)が立つと思うか、高蒔絵(たかまきえ)のお(とと)を待て。

三の烏 や、待つといえば、例の通り、ほんのりと薫って来た。

一の烏 おお、人臭いぞ。そりゃ、女のにおいだ。

二の烏 はて、下司(げす)な奴、同じ事を不思議な花が薫ると言え。

三の烏 おお、蘭奢待(らんじゃたい)、蘭奢待。

一の烏 鈴ヶ森でも、この(かおり)は、百年目に二三度だったな。

二の烏 化鳥(ばけどり)が、古い事を云う。

三の烏 なぞと(わか)い気でおると見える、はははは。

一の烏 いや、こうして暗やみで笑った処は、我ながら無気味だな。

三の烏 人が聞いたら何と言おう。

二の烏 烏鳴(からすなき)だ、と(ぬか)すやつよ。

一の烏 何も知らずか。

三の烏 不便(ふびん)な奴等。

二の烏 (手を取合うて)おお、見える、見える。それ侍女(こしもと)の気で迎えてやれ。(みずから天幕(テント)の中より、(とも)したる蝋燭(ろうそく)を取出だし、野中に黒く立ちて、高く手に(かざ)す。一の烏、三の烏は、二の烏の(すそ)(しゃが)む。)

(すすき)彼方(あなた)、舞台深く、天幕の奥斜めに、男女(なんにょ)の姿立顕(たちあらわ)る。(いつ)(わかき)紳士、一は貴夫人、容姿美しく輝くばかり。

二の烏 恋も風、無常も風、(なさけ)も露、生命(いのち)も露、別るるも(すすき)、招くも薄、泣くも虫、歌うも虫、跡は野原だ、勝手になれ。(怪しき声にて(じゅ)す。一と三の烏、同時に(ひざまず)いて天を拝す。風一陣、(ともしび)消ゆ。舞台一時暗黒。)

はじめ、月なし、この時薄月出づ。舞台(あかる)くなりて、貴夫人も(わかき)紳士も、三羽の烏も皆見えず。天幕あるのみ。

画工、猛然として()む。

(おそ)われたるごとく四辺(あたり)を《みま》わし、(あわただ)しく()の包をひらく、衣兜(かくし)のマッチを探り、枯草に火を点ず。

野火(やか)、炎々。絹地に三羽の烏あらわる。

凝視。

彼処(かしこ)に敵あるがごとく、腕を挙げて睥睨(へいげい)す。

画工 俺の画を見ろ。――待て、しかし、絵か、それとも実際の奴等か。

――幕――

大正二(一九一三)年七月

目次に戻る

感想を書く

目次