若菜のうち

1話 若菜のうち

3,159字 約6分 2003年5月1日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 春の山――と、優に大きく、申出(もうしい)でるほどの事ではない。われら式のぶらぶらあるき、彼岸(ひがん)もはやくすぎた、四月上旬の田畝路(たんぼみち)は、()とのぼせるほど(あたたか)い。

 修善寺(しゅぜんじ)の温泉宿、新井(あらい)から、――着て出た羽織(はおり)は脱ぎたいくらい。が脱ぐと、ステッキの片手の荷になる。つれの家内が持って()ろうというのだけれど、二十か、三十そこそこで双方容子(ようす)()いのだと野山の景色にもなろうもの……紫末濃(むらさきすそご)でも小桜縅(こざくらおどし)でも何でもない。茶縞(ちゃじま)布子(ぬのこ)と来て、(すみれ)、げんげにも恥かしい。……第一そこらにひらひらしている蝶々(ちょうちょう)(そで)に対しても、果報ものの狩衣(かりぎぬ)ではない、衣装持(いしょうもち)後見(こうけん)は、いきすぎよう。

 汗ばんだ猪首(いくび)(かぶと)、いや、中折(なかおれ)の古帽を脱いで、薄くなった折目を気にして、そっと()でて、(つえ)()に引っ掛けて、ひょいと、かつぐと、

「そこで端折(はしょ)ったり、じんじんばしょり、頬かぶり。」

 と、うしろから(おんな)がひやかす。

「それ、狐がいる。」

「いやですよ。」

 何を、こいつら……大みそかの事を忘れたか。新春の(よみ)ものだからといって、暢気(のんき)らしい。

 田畑を隔てた、桂川(かつらがわ)の瀬の音も、小鼓(こつづみ)に聞えて、一方、なだらかな山懐(やまふところ)に、桜の咲いた里景色(さとげしき)

 薄い桃も(まじ)っていた。

 近くに藁屋(わらや)も見えないのに、その山裾(やますそ)の草の(みち)から、ほかほかとして、女の子が――姉妹(きょうだい)らしい二人づれ。……時間を思っても、まだ小学校前らしいのが、手に、すかんぼも茅花(つばな)も持たないけれど、摘み草の夢の中を歩行(ある)くように、うっとりとした顔をしたのと、(みち)の角で行逢(ゆきあ)った。

今日(こんち)は、(ねえ)ちゃん、(わらび)のある(ところ)を教えて下さいな。」

 肩に耳の附着(くッつ)くほど、右へ顔を傾けて、も一つ左へ傾けたから、

「わらび――……小さなのでもいいの、かわいらしい、あなたのような。」

 この無遠慮な小母(おば)さんに、妹はあっけに取られたが、姉の方は(うなず)いた。

「はい、お煎餅(せんべい)、少しですよ。……お二人でね……」

 お駄賃(だちん)に、懐紙(かいし)に包んだのを白銅製のものかと思うと、銀の小粒で……宿の勘定前だから、怪しからず気前が好い。

 女の子は、半分気味の悪そうに狐に(つま)まれでもしたように(てのひら)に受けると――二人を、山裾(やますそ)のこの坂口まで、導いて、上へ指さしをした――その来た時とおんなじに妹の手を引いて、少しせき足にあの(みち)を、何だか、ふわふわと浮いて()く。……

 さて、二人がその帰り道である。なるほど小さい、白魚(しらうお)ばかり、そのかわり、根の群青(ぐんじょう)に、薄く(あい)をぼかして(さき)真紫(まむらさき)なのを五、六本。何、牛に乗らないだけの仙家(せんか)()(わらわ)指示(しめし)である……もっと山高く、草深く分入(わけい)ればだけれども、それにはこの陽気だ、蛇体(じゃたい)という障碍(しょうげ)があって、望むものの方に、苦行(くぎょう)が足りない。で、その小さなのを五、六本。園女(そのじょ)の鼻紙の間に何とかいう(すみれ)に恥よ。懐にして、もとの野道へ出ると、小鼓は響いて花菜(はなな)(まばゆ)い。影はいない。――彼処(かしこ)に、路傍(みちばた)に咲き残った、紅梅(こうばい)か。いや桃だ。……近くに行ったら、花が(おのずか)ら、ものを言おう。

 その町の方へ、近づくと、桃である。根に軽く()いた草堤(くさづつみ)の蔭から、黒い髪が、(ひたい)が、鼻が、口が、おお、赤い帯が、おなじように、(そろ)って、二人出て、前刻(せんこく)姉妹(きょうだい)が、黙って……襟肩(えりかた)で、少しばかり、極りが悪いか、むずむずしながら、姉が二本、妹が一本、鼓草(たんぽぽ)の花を、すいと出した。

「まあ、(ねえ)ちゃん。」

「どうも、ありがとう。」

 私も今はかぶっていた帽を取って、その二本の方を慾張(よくば)った。

 とはいえ、何となく胸に響いた。響いたのは、形容でも何でもない。川音がタタと鼓草(たんぽぽ)を打って花に日の光が動いたのである。濃く(かぐわ)しい、その幾重(いくえ)花葩(はなびら)(うち)に、幼児(おさなご)の姿は、二つながら吸われて消えた。

 ……ものには順がある。――胸のせまるまで、二人が――思わず(じっ)姉妹(きょうだい)の顔を(みまも)った時、(たちま)ち背中で――もお――と鳴いた。

 振向くと、すぐ其処(そこ)に小屋があって、親が留守の(こうし)が光った鼻を出した。

 ――もお――

 濡れた鼻息は、陽炎(かげろう)に蒸されて、長閑(のどか)銀粉(ぎんぷん)()いた。その(ひま)に、姉妹(きょうだい)は見えなくなったのである。桃の花の微笑(ほほえ)む時、黙って顔を見合せた。

 子のない夫婦は、さびしかった。

 おなじようなことがある。様子はちょっと違っているが、それも修善寺で、時節は秋の末、十一月はじめだから、……さあ、もう冬であった。

 場所は――前記のは、桂川(かつらがわ)(のぼ)る、大師(だいし)の奥の院へ行く本道と、渓流を隔てた、川堤の岐路(えだみち)だった。これは新停車場(しんていしゃじょう)へ向って、ずっと滝の末ともいおう、瀬の下で、大仁通(おおひとがよ)いの街道を(わき)へ入って、田畝(たんぼ)の中を、小路へ幾つか(うね)りつつ(のぼ)った途中であった。

 上等の小春日和(こはるびより)で、今日も汗ばむほどだったが、今度は外套を脱いで、杖の(さき)には引っ掛けなかった。()ると、案山子(かかし)を抜いて来たと叱られようから。

 (おんな)は、道端の(やぶ)(のぞ)き松の根を(くぐ)った、竜胆(りんどう)の、茎の細いのを摘んで持った。これは(たもと)にも懐にも入らないから、何に対し、(たれ)に恥ていいか分らない。

「マッチをあげますか。」

「先ず一服だ。」

 安煙草(やすたばこ)(におい)のかわりに、稲の甘い()が耳まで包む。日を一杯に吸って、目の前の稲は、とろとろと、垂穂(たりほ)で居眠りをするらしい。

 向って、外套の黒い(すそ)と、青い(つま)で腰を掛けた、むら尾花(おばな)(つらな)って輝く穂は、キラキラと白銀(はくぎん)の波である。

 預けた、竜胆の影が紫の()のように穂をすいて、昼の十日ばかりの月が澄む。稲の下にも(すすき)の中にも、細流(せせらぎ)(ささや)くように、ちちろ、ちちろと声がして、その鳴く()高低(たかひく)に、静まった草もみじが、そこらの(かり)あとにこぼれた(あわ)の落穂とともに、風のないのに軽く動いた。

 (ふもと)を見ると、塵焼場(ちりやきば)だという、煙突が、豚の鼻面のように低く仰向(あおむ)いて、むくむくと煙を()くのが、黒くもならず、青々と一条(ひとすじ)立騰(たちのぼ)って、空なる昼の月に(うす)く消える。これも夜中には幽霊じみて、旅人を(おびや)かそう。――夜泣松(よなきまつ)というのが丘下(おかした)の山の出端(でばな)に、黙った(からす)のように羽を重ねた。

「大分(のぼ)ったな。」

「帰りますか。」

一奮発(ひとふんぱつ)、向うへ廻ろうか。その道は、修善寺の裏山へ抜けられる。」

 一廻り(ななめ)に見上げた、尾花(おばな)を分けて、稲の真日南(まひなた)へ――スッと低く飛んだ、赤蜻蛉(あかとんぼ)を、(かざし)にして、小さな女の()が、――また二人。

「まあ、おんなじような、いつかの鼓草(たんぽぽ)のと……」

「少し違うぜ、春のが、山姫のおつかわしめだと、向うへ出たのは山の神の落子(おとしご)らしいよ、(がら)ゆきが――(もっと)も今度の方はお前には(えん)がある。」

「大ありですね。」

 と荒びた(ところ)が、すなわち、その山の神で……

「第一、大すきな柿を食べています。ごらんなさい。小さい方が。」

「どッちでも構わないが、その柿々をいうな、というのに――柿々というたびに、宿のかみさんから庭の柿のお見舞が来るので、ひやひやする。」

「春時分は、(たけのこ)が掘って見たい筍が掘って見たいと、御主人を驚かして、お惣菜(そうざい)にありつくのは誰さ。……ああ、おいしそうだ、頬辺(ほっぺた)から、菓汁(つゆ)が垂れているじゃありませんか。」

 横なでをしたように、妹の子は口も頬も――熟柿(じゅくし)と見えて、だらりと赤い。姉は大きなのを握っていた。

 (よだれ)も、(はな)も見える(ところ)で、

「その柿、おくれな、小母(おば)さんに。」

 と唐突(だしぬけ)にいった。

 昔は、川柳(せんりゅう)に、熊坂(くまさか)(すね)のあたりで、みいん、みいん。で、(すすき)(すそ)には、蟋蟀(こおろぎ)が鳴くばかり、幼児(おなさご)の目には鬼神(きじん)のお松だ。

 ぎょっとしたろう、首をすくめて、泣出(なきだ)しそうに、べそを掻いた。

 その時姉が、並んで来たのを、()と前へ出ると、ぴったりと妹をうしろに囲うと、筒袖(つつそで)だが、袖を開いて、小腕で(かば)って、いたいけな(てのひら)をパッと開いて、(やじり)の如く五指を反らした。

 しかして、踏留(ふみと)まって、(にら)むかと目をみはった。

「ごめんよ。」

 私が帽子を取ると(ひと)しく、(おんな)がせき込んで、くもった声で、

「ごめんなさい、(ねえ)ちゃん、ごめんなさい。」

 二人は、思わず、ほろりとした。

 宿の廊下づたいに、湯に()く橋がかりの欄干(らんかん)ずれに、その名樹(めいじゅ)の柿が、梢を暗く、紅日(こうじつ)に照っている。

 二羽。

「雀がいる。」

 その雀色時(すずめいろどき)

「めじろですわ。」

目次に戻る

感想を書く

目次