獄中消息

1話 獄中消息(1)

9,458字 約19分 2004年4月20日 公開

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市ヶ谷から(一)

   *

 宛名・日附不明

 僕は三畳の室を独占している。日当りもいいし、風通しもいいし、新しくて綺麗だし、なかなか下六番町の僕の家などの追いつくものでない。……こんなところなら一生はいっていてもいいと思うくらいだ。しかし警視庁はいやなところだった。南京虫が多くてね。僕も左の耳を噛まれて、握拳大の瘤を出かした。三、四日の間はかゆくてかゆくて、小刀でもあったらえぐり取りたいほどであった。

 十分間と口から離したことのない煙草とお別れするのだもの、定めて寤寝切(ごしんせつ)なる思いをしなければなるまいと思っていたが、不思議だ、煙草のたの字も出て来ない。強いて思って見ようと努めて見たが、やっぱり駄目だ。

 いつまでここに居るか知らないが、在監中には是非エスペラント語を大成し、ドイツ語を小成したいと思ってる。

 監獄へ来て初めて冷水摩擦というものを覚えた。食物もよくよく噛みこなしてから呑込むようになった。食事の後には必ずウガイする。毎朝柔軟体操をやる。なかなか衛生家になった。

   *

 来た初めに一番驚いたのは監房にクシとフケトリとが揃えてあったことです。これがなかったら大ハイ当時の僕のアダ名、ハイはハイカラのハイも何も滅茶苦茶です。しかしまさかに鏡はありません。於是乎、腕を拱いて大ハイ大いに考えたのです。そしてとうとう一策を案出したのです。それは監房の中に黒い渋紙を貼った塵取がありますから、ガラス窓を外して、その向側にそれを当てて見るのです。試みにやって御覧なさい。ヘタな鏡などよりよほどよく見えます。

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 宛名不明・明治三十九年四月二日

 この頃は、半ば丸みがかった月が、白銀の光を夜なかまで監房のうちに送ってくれます。

 監獄といえども花はあります。毎朝運動場に出ると、高い壁を越えて向うに、今は真っ盛りの桃の木を一株見ることができます。なおその外にも、病監の前に数株の桜がありますから、近いうちにはこの花をも賞することがあるのでしょう。

 月あり、花あり、しこうしてまた鳥も居ります。本も読みあきて、あくびの三つ四つも続いて出る時に、ただ一つの友として親しむのは、窓側の桧に群がって来る雀です。その羽の色は決して麗わしくはありません。その声音も決して妙なるものではありません。その容姿もまた決して美なるものではありません。しかし何だかなつかしいのはこの鳥です。

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 宛名・日附不明

 今朝早くからエスペラントで夢中になっております。一瀉千里の勢いとまでは行きませんが、ともかくもズンズン読んでゆけるので嬉しくて堪りません。予審の終結する頃までにはエスペラントの大通になって見せます。

 ここにもやはり南京虫が居ります。これさえ居なければ時々は志願して来てもいいと思って居ったのに惜しいことです。今日までに噛まれた数と場所とは左のごとくです。警視庁では左の耳の下三。監獄では、左の耳の下二。右の耳の下一。左の頬一。右の頬一。咽喉二。胸一。左の腕四。右の腕三。右の足一。右の手の指一。こんなに噛まれて居ながら、未だにその正体を拝んだことがないので、はなはだ遺憾に思っています。

 朝から晩まで続けざまに本を見て居れるものでなし、例の雀もどこかへ行ってしまう、やむを得ずに南京虫に喰われた跡などを数えて時を過しています。時々に地震があって少しは興にもなりますが、これとてあまり面白いものではありません。こんな時に欲しいのは手紙です。

   *

 堺利彦宛・明治三十九年四月

 五日、父面接に来り、社会党に加盟せるを叱責すること厳也。予すなわちこれに答えて曰う。「父たるの権威を擁して、しこうしてすでに自覚に入れる児の思想に斧鉞を置かんとす、これ実に至大至重の罪悪也。児たる我は、かくのごときの大罪を父に犯さしむるを絶対に拒む」と。噫々これはたして孝乎不孝乎。しかれどもまた翻りて思う。社会の基礎は家庭也。余社会をして(二字削除)に帰せしめんと欲す。(二字削除)の(二字削除)は、まず家庭に点火せらるるによりて初めてその端緒を開く。噫々われすでに家庭に火を放てり。微笑と涕泣、もってわが家の焼尽し行くさまを眺めんかな。

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 堺利彦宛・日附不明

 毎日毎日南京虫に苦しめられるから、どうしたら善かろうかと、運動の時に相棒の強盗殺人犯先生に聞いて見た。先生の言うには、それは殺すに限る、朝起きたら四方の壁を三十分ぐらいにらんで居るのだ、きっと一疋や二疋は這って居る、と。果然、のっそりのっそりとやっている。すぐに捕えてギロチンに掛けた。人の血を吸う奴はみなこうしてやるに限る。

   *

 宛名・日付不明

 先々月の二十二日にここに入れられたまま一昨日はじめて外へ出た。それは公判の下調べと言うので遠く馬車を駆って裁判所まで行ったのだ。例の金網越しに路ゆく人を見ると、綿入れは袷となった。中折はパナマや麦藁となった。そしてチラホラと氷店の看板さえも見える。世はいつの間にか夏に近づいたのだね。途で四谷見附の躑躅(つつじ)を見た。桃散り桜散り、久しく花の色に餓えたりし僕は、ただもう恍惚として酔えるがごときうちに、馬車は遠慮なくガタガタと馳せて行った。

 読書はこの頃なかなか忙がしい。まず朝はフォィエルバッハの『宗教論』を読む。アルベエル(仏国アナーキスト)の『自由恋愛論』を読む。午後はエスペラント語を専門にやる。先月は読む方ばかりであったが、こんどは、それと書く方とを半々にやる。つまらない文法の練習問題を一々真面目にやって行くなどは、監獄にでもはいって居なければとうていできぬ業だろうと思う。ただ、一人では会話ができないで困る。夕食後就寝まで二時間余りある。その間はトルストイの小説集を読んでいる。

   *

 この頃はノミと蚊と南京虫とが三位一体になって攻め寄せるので、大いに弱っている。僕昨日剃髪した。髪を長くのばしていたのを短かく刈ったのだこれは旗などをかついで市中を駆けまわった前非を悔いたのだ。

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 由分社宛・明治三十九年五月

 どうせ食うなら重罪の方が面白い。軽罪はあまり気がきかない。無罪ならもっとも妙だ。看守さんに聞いたら九年以上との話。マア十年と思って考えて見よう。すると僕が出た時には、堺さんが五十近くの半白爺、秀哉坊がちょうど恋を知りそむる頃、僕がまだようやく三十二、三、男盛りの登り坂にかかる時だ。身体は大切にして居ればそう容易く死にもしまい。

 エスペラントは面白いように進んで行く。今はハムレットの初幕のところを読んでいる。英文で読んだことはないが、仏文では一度読んだことがある。しかしこんどほど容易くかつ面白くはなかったようだ。

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 宛名・日付不明

 昨日から特待というものになった。と言ってもわかるまい、説明をしよう。社会主義者が人類を別けて紳士閥と平民との二になすがごとく、監獄では待遇上被告人を二つの階級に別けてある。しこうしてその一は雑房に住み、他の一は独房に住むの差異がある。……すなわち独房をもって監獄における紳士閥として置こう。

 平民の方は少しも様子を知らないが、この紳士閥の方にはまた二つの階級がある。一は特待と言うが、一は何と言うのかたぶん名はないと思う。特待になると純粋の特権階級で、一枚の布団が二枚になり、朝一回の運動が午前と午後との二回になり、さらに監房の中に机と筆と墨壷までがはいる。この上に原稿を書いて『研究』や『光』に送ることができたら、被告人生活というものもなかなかオツなものなんだけれど。

 白熊、孤剣、起雲、世民の徒は、来るとすぐにこの特権階級にはいったようだ。他のものはみな平民の部に属して居る。少翁なども勉強ができぬと言って大いにコボシているそうだ。僕のところは机だけは初めから入れてくれた。たぶん特待候補者とでも言うのであったんだろう。

 自分が特権階級にはいって見れば、なるほど気持の悪いこともないが、その代りに特権褫奪という恐れが始終頭に浮ぶ。紳士閥が、軍隊だとか、警察だとか、法律だとかを、五百羅漢のように並べ立てて置くのも、要するにこの特権維持に苦心した結果に過ぎないのだ。

   *

 折々着物についての御注意ありがとう。天にも地にもたった一枚の羽織と綿入れだもの、大切にしなくて如何しよう。ただ困るのは綻びの切れることだが、これは糸を結んで玉を作って、穴の大きくならぬようにして置く。もっとも看守さんに話をすれば針と糸とを貸して下さるのだけれど、食品口という四寸四方ばかりの小窓を開けて「看守殿お願いします、お願いします」と言わなければならぬのがいやさに、ツイ一度もいわゆるお願いしたことがない。

 僕等の監房の窓の下は、女監へ往来する道になっている。毎日十人くらいずつ五群も六群もはいって来る。道がセメントで敷きつめられているから、そのたびごとに、カランコロン、カランコロンと実に微妙な音楽を聞くことができる。

 女監を見るたびにいつも思うが、僕等の事件に一人でも善い、二人でも善い、ともかくも婦人がはいっていたらどんなに趣味あることだろう。『家庭雑誌』に載った秀湖のハイカラ女学生論も、決して日比谷公園で角帽と相引きするをもって人生の全部と心得ているようなものを指したのではあるまい。僕秀湖に問う。兇徒聚衆の女学生! これこそ真に「痛快なるハイカラ女学生」じゃあるまいか。

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 昨日保子さんから猫の絵はがきを戴いた。何だか棒っ切の先から煙の出てるのを持っているが、あれが物の本で見る煙草とかいうものなのだろう。今までは人間の食物だと聞いて居たが、ではなくて猫の玩弄品と見える。

 今朝妹と堀内とが面会に来た。こんな善いところにいるのを、何故悲しいのか、オイオイとばかり泣いていた。面会所で泣くことと怒ることだけは厳禁してもらいたい。そしてニコニコと笑っていてもらいたい。

 入獄するチョット前からハヤシかけていた髭は、暇に任せてネジったりヒッパったり散々に虐待するものだから、たださえ薄い少ないのが可哀相に切れたり抜けたり少しも発達せぬ。よく見ると顔のあちこちに薄い禿がたくさんできた。これは南京虫に噛まれたのを引っかいたあとだ。入獄の好個の紀念として永久に保存せしめたいものだと思っている。

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 今朝は暗い頃から火事のために目がさめて、その後ドウしても寝つかれない。そこでさっそく南京虫の征伐に出かけた。いるいるウジウジいる。ついに夜明け頃までに十有三疋捕えた。大きいのが大豆の半分ぐらい、小さいのが米粒ぐらい、中ぐらいのが小豆ぐらいある。これは出獄の時の唯一のお土産と思って、紙に包んで大切にしてしまってある。そしてその包紙に下のごとくいたずら書きをした。

 社会において吾人平民の膏血を吸取するものは、すなわちかの紳士閥なり。監獄において吾人平民の膏血を吸取するものは、すなわちこの南京虫なり。後者は今幸いにこれを捕えて断頭台上の露と消えしむるを得たり。予はこれをもって前者の運命のはなはだ遠からざるを卜せんと欲す。社会革命党万歳! 資本家制度寂滅!

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 同志諸君・明治三十九年六月二十二日

 昨夕六時頃、身受けのしろ百円ずつで、ともかくも一とまず自由の身となりました。

 入獄中、同志諸君より寄せられた、温かき同情と、深き慰藉と、強き激励とは、私どもの終生忘るべからざるところであります。

 裁判は、たぶん本月中に右か左かの決定があることと思います。

巣鴨から

   *

 堀保子宛・明治四十年六月十一日

 一昨日と昨日と今日と、これで三たび筆をとる。その理由は、あまり起居のことを詳しく書いては、かえって宅で心配するからという、典獄様のありがたい思召しで、書いては書き直し、書いては書き直し、したからである。

 二度目でもあるせいか、もう大ぶん獄中の生活に馴れて来た。日の暮れるのも、毎日のように短かくなるようだ。本月の末にでもなったら、まったく身体がアダプトしてしまうことと思う。心配するな。

 朝起きてから夜寝るまで、仕事はただ読書に耽るにある。午前中はアナーキズムとイタリア語との研究をやる。アナーキズムは、クロポトキンの『相互扶助』と、ルクリュの『進化と革命とアナーキズムの理想』というのを読み終った。今はクラーウの『アナーキズムの目的とその実行方法』というのを読んでいる。イタリア語は、文法を三十五ページばかり読んだ。全部で四百ページ余あるのだから、まだ前途遼遠だ。午後は、ドウィッチェの『神愁鬼哭』と、早稲田の『日本古代史』とを読んでいる。

 八日に「新兵事件」の判決文が来て、いささか驚かされた。他の諸君にははなはだお気の毒であるが、これも致し方がない。このことについては、何とも言うて来ないが、どうしたのだ。まだ知らないのか。助松君も重罪公判に移されたそうだけれど、まだ予審のことだからこのさきどうなるかわからぬ。よく操君を慰めるがいい。

 お手紙は九日発のがきょう着いた。たしかこれが九通目だ。同志諸君からも、毎日平均二通は来る。秋水の『比較研究論』は不許になったようだ。

『青年』の原稿は熊谷に渡したか。早く出すように言え。雑誌の相談はどうなったか。

 留守中の財政はどうか。山田から十五、六日頃に端書が来るだろう。お絹嬢にでも取りにやらせろ。仙台に行っている筈のことを忘れるな。

『社会新聞』と『大阪平民新聞』とは、もし送って来なければ前金を送れ。そして保存して置け。

 山川の獄通から、しきりに桐の花がどうの、ジャガ芋の花がどうのと言って来るが、桐は入獄した時にすでに葉ばかりになっていた。ジャガ芋の花は白く真盛りに咲いている。臭いいやな花だ。

 枯川老および兄キの病気よきよし、喜んでいる。幽月はどうか、真坊の歯はどうか。弥吉はどうか。

「新兵」で刑期が思ったよりも延びたから、いろいろ相談もある。面会に来い。同志諸君および近所の諸君によろしく。

   *

 堀保子宛・明治四十年七月七日

 その後病気はどうか。前々の面会の時のように、話を半ばにして倒れるのを見たり、また前の面会の時のように、蒼白い弱り込んだ顔色をしているのを見たりすると、いろいろ気にかかって堪らぬ。片瀬行きのことはどうなったか。だんだん暑くもなることだから、もし都合がいいようなら、なるべく早く行くがいい。そして、もう少し気を呑気にかつシッカリ持って、ゆっくり体を養ってくれ。

 僕は相変らず頑健、読書に耽っている。しかし例の「新兵」で思ったより刑期も延びて、別に急がぬ旅になったことだから、その後は大いに牛歩をきめて、精読また精読している。イタリア語も、後に差入れた文法の方が、よほどいいように思われたから、前のは止して、また始めからやり直している。毎日一章ずつコツコツやって行って、来月の末に一と通り卒業する予定だ。

 その後読んだもの。チェルコソフ『社会主義史の数ページ』、クロポトキン『無政府主義の倫理』、同『無政府主義概論』、同『無政府主義と共産主義』、同『裁判と称する復讐制度』、マラテスタ『無政府』、ロラー『総同盟罷工』、ニューエンヒュイス『非軍備主義』(以上小冊子)。ゾラ『アソンモアル』、クロポトキン『パンの略取』、アラトウ『無政府主義の哲学』、『荘子』、『老子』、『家庭雑誌』、『日本エスペラント』。

 ジャガ芋の花を悪く言って、大いに山川兄から叱られたが、あれももう大がい散ってしまったようだ。今は、ネジリとかネジリ花とかいう小さな可愛らしい草花が、中庭一面の芝生の中に入りまじって、そこにもここにもいたるところにその紅白の頭をうちもたげている。面会や入浴の時には、いつもこの中庭の真ん中を通りぬけて行く。眼をあげて向うを見ると、この芝生のつきるところには、一、二間の間をおいて、幾本となく綺麗な桧が立ちならんでいて、そしてその直後に、例の赤煉瓦のいかめしい建物が聳えている。この桧の木蔭の芝生の厚いところで、思う存分手足を伸ばして一、二時間ひるねして見たい。

 手紙は、一日に平均三通ずつ来る。東京監獄では、監房の中に保存して置くことができたので、毎日のように、退屈になるとひろげ出して見ていたけれど、ここでは読み終るのを待っていて、すぐにまた持って行かれてしまう。あまりいい気持でもない。

 同志諸君によろしく。さよなら。

   *

 堺利彦宛・明治四十年八月十一日

 暑くなったね。それでも僕等のいる十一監というところは、獄中で一番涼しいところなのだそうだ。煉瓦の壁、鉄板の扉、三尺の窓の他の監房とは違って、ちょうど室の東西のところがすべて三寸角の柱の格子になっていて、その上両面とも直接に外界に接しているのだから、風さえあればともかくも涼しいわけだ。それに十二畳敷ばかりの広い室を独占して、夜になれば八畳つりぐらいの蚊帳の中で、起きて見つ寝て見つなぞと古く洒落れているのだもの、平民の子としてはむしろ贅沢な住居さ。着物も特に新しいのを二枚もらって、その一枚を寝衣にしている。時々洗濯もしてもらう。

 老子の最後から二章目の終りに、甘其食、美其衣、安其居、楽其俗、鄰国相望、鶏犬声相聞、民至老死不相往来という、その理想の消極的無政府の社会が描かれてある。最初の一字の、甘しとしただけがいささか覚束ないように思うけれど、僕等の今の生活と言えば、正にこんなものだろうか。妙なもので、この頃は監獄にいるのだという意識が、ある特別の場合の外はほとんど無くなったように思う。

 かつてロシアの同志の、獄中で猫を抱いている写真を、何かの雑誌で見て、日本もこんなだといいがなあなぞと言って、みんなで大いにうらやましがったことがあった。ところがこの巣鴨の監獄にも、白だの黒だの斑だの三毛だのと、いろいろな猫がそこここにうろついている。写真は撮れまいけれど一所に遊ぶことくらいはできるだろうと思って、試みに小さい声で呼んで見るが、恐ろしく眼を円くして、ちょっとねめつけるくらいが関の山で、立ち止って見ようともしない。聞くにまったく野生のものばかりだそうだ。僕の徳、はたしてこれを懐かしむるに足るかどうか。ナツメ飼猫が大怪我をしたそうだが、その後の経過はいいかしら。

 保子から、やれ胃腸が悪いの、やれ気管支が悪いの、やれどこが悪いのと、手紙のたびにいろいろなことを言って来るが、要するにいよいよ肺に来たのじゃないかと思う。医者はよく肺の初期をつかまえて、胃腸だの気管支だのと言うものだ。面会の時なぞも、勢いのないひどく苦しそうな呼吸をしているのを感ずる。できもすまいけれど、まあできるだけ養生するよう、よく兄よりお伝えを乞う。なお留守宅の万事、よろしく頼む。

 社会党大会事件、またまた検事殿より上告あったよし。「貧富」や「新兵」の先例から推すと、近々の中に深尾君もまたやって来なければならぬのかな。同君によろしく。なお、孤剣、秀湖、西川、山川、守田の諸君によろしく真さんにもよろしく。さよなら。

   *

 幸徳秋水宛・明治四十年九月十六日

 暑かった夏もすぎた。朝夕は涼しすぎるほどになった。そして僕は「少し肥えたようだね」などと看守君にからかわれている。

 この頃読書をするのに、はなはだ面白いことがある。本を読む。バクーニン、クロポトキン、ルクリュ、マラテスタ、その他どのアナーキストでも、まず巻頭には天文を述べている。次に動植物を説いている。そして最後に人生社会のことを論じている。やがて読書にあきる。顔をあげて、空をながめる。まず目にはいるものは日月星辰、雲のゆきき、桐の青葉、雀、鳶、烏、さらに下って向うの監舎の屋根。ちょうど今読んだばかりのところをそのまま実地に復習するようなものです。そして僕は、僕の自然に対する知識のはなはだ薄いのに、毎度毎度恥じ入る。これから大いにこの自然を研究して見ようと思う。

 読めば読むほど考えれば考えるほど、どうしても、この自然は論理だ、論理は自然の中に完全に実現せられている。そしてこの論理は、自然の発展たる人生社会の中にも、同じくまた完全に実現せられねばならぬ、などと、今さらながらひどく自然に感服している。ただし僕のここに言う自然は、普通に人の言うミスチックな、パンティスチックな、サブスタンシェルな意味のそれとはまったく違う。兄に対してこの弁解をするのは失礼だから止す。

 僕はまた、この自然に対する研究心とともに、人類学にまた、人生の歴史に強く僕の心を引きつけて来た。こんな風に、一方にはそれからそれと泉のごとく、学究心が湧いて来ると同時に、他方には、また、火のごとくにレヴォルトの精神が燃えて来る。僕は、このスタデーとレヴォルトの二つの野心を、それぞれ監獄と社会とで果し得たいものだと希望している。

 兄の健康は如何に。『パンの略取』の進行は如何に。僕は出獄したらすぐに多年宿望のクロの『自伝』をやりたいと思っている。その熟読中だ。

 枯川のイタリア語のハガキの意味はわからんと言ってくれ。保子に判決謄本とアナルシーと授業料とを忘れないように、ことに授業料を早くと伝えてくれ。留守宅のことよろしく頼む。マダムによろしく。同志諸君、ことに深尾、横田の二兄によろしく。さよなら。

   *

 山川均宛・明治四十年十月十三日

 きのう東京監獄から帰って来た。まず監房にはいって机の前に腰を下ろす。ホントーに「うち」に帰ったような気がする。

 僕は法廷に出るのが大嫌いだ。ことに裁判官と問答するのがいやでいやで堪らぬ。いっそのこと、ロシアのように裁判もしないですぐにシベリアへ逐いやるというようなのが、かえって赤裸々で面白いように思う。貴婦人よりは淫売婦の方がいい。

 裁判がすめば一とまず東京監獄へ送られる。門をはいるや否や、いつも僕は南京虫のことを思うて戦慄する。一夜のうちに少なくとも二、三十カ所はかまれるのだもの、痛いやらかゆいやら、寸時も眠れるものじゃない。加うるに書物はなし、昼夜時の過しようがない。わずか二、三日して巣鴨に帰ると、獄友諸君からしきりに「痩せた痩せた」というお見舞いを受ける。

 ただ東京監獄で面白いのは鳩だ。ちょうど飯頃になると、窓の外でバタバタと羽ばたきをさせながら、妙な声をして呼び立てる。試みに飯を一とかたまり投ってやる。すると、どこからとも知れず十数羽の鳩があわただしく下りて来て、瞬くうちに平らげてしまう。また投ってやる。つい面白さにまぎれて、幾度も幾度も続けさまに投ってやる。ある時などは、飯をみんな投ってやってしまって、汁ばかりすすって飯をすましたこともある。あとで腹がへって困ったけれど、あんなことはまたとない。

 巣鴨に帰る。「大そう早かったね、裁判はどうだった」などと看守君はいろいろ心配して尋ねてくれる。何んだか気も落ちつく。ホントーに「うち」に帰ったような気がする。

 しかしこの「うち」にいるのも、もうわずかの間となった。僕もまた、久しきイナクチヴの生活にあきた。早く出たい。そして大いに活動したい。この活動については、大ぶ考えたこともある。決心したこともある。出たらゆっくり諸君と語ろう。同志諸君によろしく。

 兄の家の番地を忘れたから、この手紙は僕の家に宛てた。守田兄によろしく。さよなら。

巣鴨にて、一〇九八生

市ヶ谷から(二)

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