獄中消息

3話 獄中消息(3)

9,884字 約20分 2004年4月20日 公開

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 保子に言う。この手紙を持って静岡へ行って、そしてなおいろいろ詳しい事情を足下から話して来てくれ。また、その詳しい事情というのを僕から足下に話したいから、この手紙の着次第、至急面会に来てくれ。これはすでに典獄殿にも願ってある。

 この手紙の公表は禁ずる。

 たしか去年の今日は巣鴨を放免になった日だったね。

   *

 堀保子宛・明治四十一年十二月十九日

 もうここの生活にもまったく慣れてしまった。実を白状すれば、来た初めには多少の懸念のないのでもなかった。ああこの食物、ああこの労働、ああこの規則、これではたして二カ年半の長日月を堪え得るであろうか、などと秋雨落日の夕、長太息をもらしたこともあった。面会のたびごとに「痩せましたね」と眉をひそめられるまでもなく、細りに細って行く頬のさびしさは感じていた。しかし月を経るに従ってこれらの憂慮も薄らいで来た。そしてついに、今日ではそれがほとんどゼロに帰してしまったのみならず、さらに余計な余裕さえできて来るようになった。

 それに刑期の長いということが妙に趣きを添える。今までのように二、三カ月の刑の時には、入獄の初めの日からただもう満期のことばかり考えている。退屈になると石盤を出して放免の日までの日数を数える。裏を通る上り下りの汽車の響きまでがいやに帰思を催させる。したがって始終気も忙しなく、また日の経つのもひどく遅く感ぜられた。しかし、こんどはそんなことは夢にも思わず、ただいかにしてこの間を過ごすべきかとのみ思い煩う。そして、これこれの本を読んで、これこれの研究をして、などと計画を立てて見ると、どうしてももう半年か一年か余計にいなければとても満足な調べのできぬ勘定になる。さあ、こうなるともう落ちついたものだ。光陰も本当に矢のごとく過ぎ去ってしまう。長いと思った二年半ももう二年の内にはいった。ついでに言う、僕の満期は四十三年十一月二十七日だそうだ。

 先日の面会の時に話した通り若宮卯之助君に次のように言ってくれ。この二カ年間に生物学と人類学と社会学との大体を研究して、さらにその相互の関係を調べて見たい。ついては通信教授でもするつもりで、組織を立てて書物を選択して貸してくれないか。毎月二冊平均として総計五十冊は読めよう、と。そしてもし承諾を得たら、第一回分として至急三、四冊借りて送ってくれ。

 なお、そのかたわら、元来好きでそして怠っていた文学、ことに日本および支那の文学書を猟りたい。この監獄は社会主義的の書物は厳重に禁じているが、文学書に対してはすこぶる寛大な態度をとっているらしい。まず古いものから順次新しいものに進んで、ことに日本では徳川時代の俗文学に意を注いで見たい。これは別に書物を指定しないから、兄女房の、堀柴山や守田有秋君などに相談して毎月二、三冊の割で何か送ってくれ。本箱の中に青い表紙の小さな汚ならしい本が五、六冊並べてある。その中の Avare(吝嗇爺)というのを送ってくれ。横文字の本は書名と語名とを書き添えることをわすれないように。

 ドイツ語もようやく二、三日前にあのスケッチブックアービングの、独訳を読み終った。たとえて見ると、ちょうどおたまじゃくしに足が二本生えかかったぐらいの程度だろうか。来年の夏頃までには尾をつけたまま、陸をぴょんぴょんと跳び歩くようになりたい。そしてこの尾がとれたらこんどはロシア語を始めようと思う。少々欲張り過ぎるようだけれど、語学の二つ三つも覚えて帰らなければ、とてもこの腹いせができない。これとイタリア語とは二カ月に各々一冊ぐらい読む予定だから、先日話したものを大至急送った上、さらに二月の面会の時にまた何か持って来てくれ。あえてエンゲルスを気取る訳でもないが、年三十に到るまでには必ず十カ国をもって吃って見たい希望だ。それまでにはまだ一度や二度の勉強の機会があるだろう。

 仙境なればこそ、こんな太平楽も並べて居れるが、世の中は師走ももう二十日まで迫って来たのだね。諸君の歳晩苦貧のさま目に見えるようだ。僕はこれから苦寒にはいって行く。うちの諸君およびその他の諸君によろしく。さよなら。

 証拠品の旗三旒および竿二本を返すそうだから、控訴院検事局まで取りに行ってくれ。きょう上申書というのを出して、大杉保子が受取りに行くからと願って置いた。菅野に、関谷に談判して書物をとりもどすよう頼んでくれ。

   *

 堀保子宛・明治四十二年二月一日

 手紙見た。ちょうど四カ月目に懐かしい筆跡に接したので非常に嬉しかった。今日は雑誌の発刊についてというので臨時発信の許可を得た。よってこの返信を書く。

『家庭雑誌』の再興も面白かろう。僕も賛成する。そこで大体の方針に関する僕の意見を述べて見よう。

 まず第一に改題するがいい。いつかも議論のあったように『新婦人』などはどうかと思う。そしてその内容も、兄などの言うがごとくに、ただ没主義な卑俗なものにしてしまうよりは、やはりその名の実をとって新婦人主義(フェミニズム)を標榜して貰いたい。もっともこれも程度の問題だろうが、最初の『家庭雑誌』くらいのところかあるいはもう少し進んだくらいのところなら、別に差支えもなかろうじゃないか。そして従来の多少の革命的の部分を科学的に代えるのだね。まず売捌きの点から考えてもこの方が都合よかろう。今さらとても他のいわゆる婦人雑誌と競争のできるものでもなし、読者はやはり昔からのお馴染のほかに、主として同志の中に求めねばなるまい。

 同志と言っても口でこそ大きなことも言え、その実際生活においてはみなこの『新婦人』以下のところに蠢いているのだ。それに今は、仲間の雑誌が何もないことと思う。したがって同志はよほど読物に餓えているに違いない。またこんな際に雑誌を出すものの義務は、多少なりとも同志間の連絡あるいは広告の機関に供するにあると思う。何だか事がむずかしくなるようだけれど、ちょっとした個人消息を載せるだけでもどれほどその助けになるか知れない。

 編集人は兄の方で適当の人があるかも知れんが、こんな意味からもやはり守田に頼むのがよかろう。ちょうど婦人運動をやりたがってもいるのだし、自分のもののようにして骨折ってくれるに違いない。そして幽月などの新婦人連に大いに助力して貰うのだね。また、秋水にもこんどは是非毎号筆を執って貰いたい。科学の話などはお得意のものだろう。

 なお、いろいろ言いたいこともあるが、社会の事情もよくわからんし、また他に相談相手もあることだから、こんなところで止めて置こう。そしてこの上の細かい点については会って打合せすることにしよう。この手紙の着次第、さっそく来て貰いたい。

 若宮に本を借りることのできないのは非常に失望した。こんどは山田に相談して見てくれないか。少し専門が違うようだから「順序と組織を立てて」というようには行くまいが、多少あんな類のものを持っていよう。また、他の種類のものでもいい。ともかく、毎月何か二、三冊借りるように頼んで見てくれ。英文、地球の生滅二冊、および植物の精神一冊を堺家から借りて来てくれ。同時にエス文学を忘れないように。先月以来差入れのものはようやく四、五日前に手にはいった。こちらの郵送のものは着いたろうね。

 諸君によろしく。さよなら。

   *

 堀保子宛・明治四十二年二月十六日

 かなりの恐怖をもって待ち構えていた冬も、案外に難なくまずまず通過した。もっともこの間には、一月十日過ぎの三、四日の雪の間のごとき、終日終夜慄え通しに慄えていたようなこともあったが、やがて綿入れを一枚増して貰ったのと、天候の恢復したのとで、ようやく人心地に帰って、ついにかぜ一つ引かずにともかくも今日まで漕ぎつけて来た。

 監獄で冬を送るのもこれで二度目だが、ここは市ヶ谷や巣鴨から見るとよほど暖かいようだ。それに、僕等の監房はちょうど真南向きに窓がついているので、日さえ照れば正午前二、三時間余りの間は、背を円くして日向ぼっこの快をとることができる。このために向う側の監房に較べて四、五度温度が高いのだそうだ。されば寒いと言っても大がい四十度内外のところを昇降しているぐらいのもので、零度以下に降ったのはただの一度、例の慄え通しに慄えていた時のみだと思う。

 しかしこの温度も、いつかの手紙にあったように「ああ、炬燵の火も消えた、これで筆を擱こう」などという、ぜい沢な目から見るのと少しわけが違う。足下等の国では火というもので寒さを凌ぐのかは知らんが、ここでは反対に水で暖をとっている。まず朝夕の二度、汲み置きの冷たい奴で、からだがポカポカするまでふく。そして三十分間柔軟体操をやる。その気持のよさは、とうてい足下輩の想像し得るところでない。折々鉄管が凍って一日水の出ないことがある。そんな時には、したがってこの冷水摩擦ができねば、手足が冷たくて朝起きても容易に仕事にとりかかれず、また夜床にはいっても容易に眠られない。

 しかし寒いのももうここ十日か二十日の間だ。やがて「噫、窓外は春なり」の時が来る。

 先月の中旬に体重を量った。例のごとく大ぶ減っている。去年の五月の入監の時には十四貫五百五十目あったのが、九月にここへ移って来て十三貫六百目に下り、さらにこんどは十二貫七百目に落ちた。もっともこの最後のには、二日の減食で二百目、四日の減食で六百目というような念入りの減り方もあったけれど、それは一カ月ばかり後にまったく恢復していた筈だ。

しかしこの降り坂も、もう大がいはここらでお止りのことと思う。

 先日面会の時に言ったドイツ語の本は、あれで分ったか。一つは Ein Blick in die Zukunft というので、もう一つは 〔Boetius, Die Tro:ftungen der Philosophie〕 というのだ。

 この次にはケナンの著シビリーン三冊(シベリア紀行)と、ルシツシェ・ゲフェングニツセと、およびツェルトレーベン・イン・シビリーンとの三冊を合本にて送ってくれ。もしこれがなかったら、ハイネの作を全部。それから『吝嗇爺』の叢書の中にドイツ文学の仏訳のものがある。その中のゲーテとシルレルとの二人の作を全部取寄せるように、青年会館の前の三才社に注文してくれ。全部と言っても六、七冊くらいのものだと思う。

 ビュルタンの中に何かイタリア語の本が見つかったか。もし無ければ、僕の本棚の中に黄色の表紙の『ル・ムーブマン・ソシアリスト』という雑誌が十数冊ある。それにも新刊紹介があった筈だ。若宮からは貸してくれるか。

 仏文の Corneille 全集一冊(鼡色の表紙)〔Molie`re〕 全集三冊(合本して)および原書仏語辞書を送ってくれ。いずれも本箱の下の棚にあったと思う。

 ドイツ文学史、英文学史(この二冊は日本文でも欧文でもよし)および支那文学史を、守田と安成に話して借りてくれ。

 毎度言うが、エス文のものを何か送ってくれ。もし千布のところへ行くのがいやなら、家にある Kondukanto de l'interparolado Kaj Korespondado(エス語会話)La Fundo de L'mizero(悲惨の谷)Vojago interne de mia cambro(室内旅行)等を送ってくれ。先日話したエスペランタユ・プロザゾエというのは分ったか。もしそれが見つからねば、ハムレットを入れてくれ。ノチア・レブオはその後送って来るか。もし来ているなら、もう大ぶたまったと思う。それに日本エスペラントは相変らず出ているか。この二つを合本して入れてくれ。

 家の解散、雑誌の発刊、および小田原行きの三件はどう極まりがついたか。いずれも互いに関係のあることではあり、それに事情のよく分らぬ僕には何とも決答しかねる。せっかく都合よく行っているように見える今の家を解散するのも惜しいことだが、もしそうなるなら谷等にこれまでの厚意をよろしく謝してくれ。雑誌を出すか、小田原へ行くか、これは幸徳、安田、および兄などと相談していいように決めるがいい。

 静岡からその後何とも言って来ないか。こちらからは、もう一度手紙を出して見たいと思う。前に言った三分の二でも二分の一でもいい、くれとは言わぬ貸してくれ、と言ってやって見ないか。もっとも、とても駄目だと思うなら、またいやなら止してもいい。少し金がないと本を買うに不便で困る。この困っている実情を述べて、「本当に子と思うなら」と、もう一度泣きついて見てくれ。

 金と言えば足下の経済事情はどうなっているのか。いつもいつも自分の勝手ばかり言ってはなはだ済まない。諸君によろしく。さよなら。

 トルストイ、イブセン、および『太平記』、今日着いた。

   *

 堀保子宛・明治四十二年四月二十六日

 いい陽気になった。運動に出て二、三十分間ポカポカと照る春の日に全身を浴せていると、やがて身も魂もトロトロに蕩けてしまいそうな気持になる。

 一、二週間前のことだった。この運動を終えて室に帰って見ると、どこからとも知れず吹く風にさそわれて桜の花瓣がただ一片舞いこんで来ている。赤煉瓦の高い塀を越えて遙か向うにわずかに霞の中にその梢を見せている松の一とむらと、空飛ぶ鳥のほかに、何等生の面影を見ない囚われ人にとっては、それが何だか慰めのようなまたからかいのような一種妙な混り気の感じとなった。「ああ窓外は春なり」のあの絵、あれを見て僕等のこの頃の生活を察してくれ。

 しかし暖かくなって肉体の上の苦しみのなくなったのは何よりだ。そのせいか、体重も大ぶ増えた。一月から見るとちょうど四百目ほど増して十三貫八十目になった。十五日から着物も昼の仕事着だけ袷になった。

 三月の手紙に『婦人文芸』として雑誌を出すとあったから、これはよほど編集を骨折らないとむずかしいわいとひそかに心配していたが、やはり前の通りの題で出たのでまず安心した。僕は前に僕が話したようにするか、あるいは旧のままかと二様の考えを持っていたのだ。雑誌は不許になったので見ることはできぬが、編集は守田のお骨折のことなれば、不味かろう筈はあるまい。少なくとも以前に僕が、いやいやながらに怠け怠けてやっていたような蕪雑な粗漏のないことを信じて安心している。

 広告はよくあれだけ取れたね。大いに感心している。自分の方の広告はいっさいしないのだから、初めから売捌けのよかろう筈はない。したがってその間は、この方面に全力を尽さなければなるまい。

 なが年のお手並みだ。これだけでも経済の立って行かぬことはあるまい。ともかく、以前のように月に一、二度ちょっと歩き廻るぐらいのやり方をよして、一生懸命に走り廻るがいい。

 売捌きの景気はどうだ。先日話した『平民新聞』の読者に端書を出すぐらいのことは是非やるがいい。もっとも、足下と守田との二人の連名で、責任ある購読勧誘状にしてもらいたいと思うが。それと幸い『二六』の人が大勢筆を執っているようだから、何とかして『二六』の読者に売りつける方法を考えないか。たとえば『読売』と『むらさき』との関係のように見せかけるとかして。このためには少々の金は出してもいいじゃないか。守田と兄とに相談して御覧。

 また、先日話のあった家庭講演なども、もしできるなら面白かろうと思う。大いに広告になるに違いない。ペンのためとあるからには、いろいろおかしなこともやって見るがいいさ。

 女中のかわりに誰か相応の人をほしいというような話であったが、夏になれば例のごとく動けなくなる情けない体だ。そんな時にちょっとかわりに集金ぐらいに出掛ける人がなくてははなはだ不便なことだろう。そこでちょっと思い出したが、世民の細君はどうしているか。こんどは赤ん坊もあることなり、大いに困っているのじゃないか。もし何だと両方に好都合だと思うが、足下にその気があるなら、それとなく訪ねて行って見ないか。

『早稲田文学』は小説ばかりだからというので不許になった。こんどは『帝国文学』と『新天地』とを入れて見てくれ。もしできるなら一月頃からのが欲しい。

 抱月の近代文学研究が出たら買ってくれ。文芸百科全書はいずれ高いものだろうと思うが、何とかして手にいれることはできないか。兄キなどは持っていていい本だと思うがね。三宅博士の宇宙、これも大ぶん高い本だからあえて買うには及ばないが、もし誰か持っていたら借りてくれ。

 イタリア文でレスプブリカ(イタリア史)というのが本箱の中にある。たしか同じものが二冊あって、そしてそのいずれもこわれていて、二つ合せて初めて完全なものになるように思った。ちょっとした大きな本だ。差入れを乞う。

 何か英語の雑誌で交換に送って来るものがあったら百瀬に差入れてやってくれ。

 いつかのエスペランタユ・プロザゾエ(エス語散文集)、ない筈はないのだが、あるいは表紙がとれているかも知れん。もう一度さがして見てくれ。僕への書物の差入れは、ついででもなければ六月の面会の時までは必要ない。

 諸君に仲よくするように。よろしく。

   *

 堀保子宛・明治四十二年六月十七日

 ちょうど一年になる。早いと言えばずいぶん早くもあるが、また遅いと言えばずいぶん遅くもある。妙なものだ。

 窓ガラスに映る痩せこけた土色の異形の姿を見ては、自分ながら多少驚かれもするが、さりとてどこと言ってからだに異状があるのでもない。一食一合七勺の飯を一粒も残さず平らげて、もう一杯欲しいなあと思っているくらいだ。要するに少しは衰弱もしたろうけれど、まず依然たる頑健児と言ってよかろう。

 ただ月日の経つに従ってますます吃りの激しくなるのには閉口している。この頃ではほとんど半唖で、言いたいことも言えないから何事も大がいは黙って通す。これは入獄のたびに感ずるのだが、こんどはその間の長いだけそれだけその度もひどいようだ。不愉快不自由この上もない。

 かくして一方では話す言葉は奪われたが、一方ではまた読む言葉を得た。ドイツ語もいつか譬えて言ったような、蛙が尾をはやしたまま飛んで歩く程度になった。シベリアジョルジ・ケナンの『シベリアにおける政治犯人』の独訳ぐらいのものなら字引なしでともかくも読める。イタリア語は本がなかったので碌に勉強もしなかったのだけれど、元来がフランス語とごく近い親類筋なので、一向骨も折れない。さて、こんどはいよいよロシア語を始めるのだが、これは大ぶ語脈も違うので少しは困難だろうとも思うが、来年の今頃までにキットものにして見せる。

 いつかの手紙に近所に英語を教えるところができたから行こうと思うとあった。また先月の手紙にもまた○○へ行こうと思うとあった。思うのもいい、しかし本当に始めればなお結構だ。幸い若宮が近くに住むようになったから、頼んで先生になって貰うといい。語学の先生としてもまた他の学問の先生としても、○○よりはどれほどいいか知れない。ただとかく女は語学を茶の湯活花視するので困る。もしやるなら真面目に一生懸命にやるがいい。そして僕の出獄の頃には一とかどのものにして置いてくれ。

 先月の手紙で大体の様子はわかった。さすがに世の中は春だったのだね。しかも春風吹き荒むという気味だったのね。幽月と秋水との情事を指すおうらやましいわけだ。しかし困ったことになったものだ。と言っても、今さら何とも仕方があるまい。善悪の議論はいろいろあることだろうが、なるべく批難することだけは止めてくれ。汝等のうち罪なきものこれを打て。僕などはとうてい何人に向っても石を投ずるの権利はない。

 そんな事情から足下は一人の後見を失い、またほとんど唯一の同性の友人を失ってしまった。今後は守田有秋君とか若宮とかの、よく世話をしてくれる人達に何事も相談して、周到な注意の下に行動するがいい。その上での出来事なら、たとえ僕の「将来の運動に関係」しても、また僕の「面目に係わ」っても、僕は甘んじてその責任を分ける。ただ女の浅はかな考えから軽はずみなことをしてくれるな。

 幽月は告発されているよし。こんどはとても遁れることはできまいと思うが、平生の私情はともかくとして、できるだけの同情は尽してくれ。

 雑誌の売れ行きについては多少悲観もしていたが、先日の話によれば思ったほど悪くもなさそうなので大いに安心した。あんな小さい雑誌で、ともかくも一家が食って行けるとはありがたいことだ。しかしこれはみな編集者を始め大勢の寄書家諸君のお蔭だ。そのつもりで、足下は一方に広告や売捌きに勉強して、それらの人々の労に報ゆるとともに、一方にはできるだけその雑誌の上で他の人々の便宜をはかる心掛けを持ってくれ。たとえば、仲間のものの商売の紹介をするとかあるいは広告をするとかして。

 社名は兄キの意見通り保文社とかかえる方がよかろう。しかし出版は当分見合すがいい。そしてもしそんな金があったら、広告の方に費ったらよかろう。

 次の書籍差入れを乞う。

 ウォド著ソシオロジー(社会生理学)、ヘッケル著(人類史、原名は忘れた)以上英文。監獄では、とかく社会学とか進化論とかいう名を嫌うので、この二冊の本は不許可になった。が、こうして同じ本を名を変えて入れて貰ったら、無事に通過した。千葉の役人は英語も碌に読めないので、本の表題を和訳して差入れたが、同じ本を幾度も幾度も名を変えては差入れして、結局は大がい無事に通過した。ルッソオ著エミル(教育学、仏文)。Diversajoj(エス文集)。横田から大西、高山二博士の著書を、持っているだけ借りてくれ。横田の病気はどうか。よろしく。

 安成に『早稲田文学』の一月号にあったモダーニズム・エンド・ローマンス(近代文学)の原書を、もし借りることができたら借りて貰うように頼んでくれ。前の手紙に言った文芸百科全書もこの一月号の広告に出ていたのだ。近代文学研究は二月号の雑誌の中に予告があった。どちらも未だ出版にならぬのか。

『帝国文学』の最近号を二、三冊合本して送ってくれ。たぶん差支えなかろうと思う。

 数日前に書物の郵送を願ってある、その中の社会学教科書と人間進化論とは不許、『世界婦人』も勿論不許、石川によろしく礼を言ってくれ。『世界婦人』とも商売仇のような見っともないことはしないで、互いに広告の交換でもし合うがいい。かつて面会の時に頼んだ日本文学史は守田の本を指したのだが、外の本が来ているようだ。これは至急送るように。

 吉川夫人のことは都合よく行ってよかった。子供のあるのは少しうるさくもあろうが、またその世話をしたりするのも面白いものだ。お互いに助け合って仲よく暮して行くがいい。

 諸君によろしく。暑くなる、足下も体を大事に。さよなら。

   *

 堀保子宛・明治四十二年八月七日

 ことしは急に激しい暑さになったので、社会では病人死人はなはだ多いよし。ことに弱いからだの足下および病を抱く諸友人の身の上心痛に堪えない。

 まだ市ヶ谷にいた時、一日、堺と相語る機会を得て、数人の友人の名を挙げて、再び相見る時のなからんことを恐れた。はたして坂口は死んだ。そして今また、横田兵馬、当時第一高等学校在学中が死になんなんとしている。ただ意外なのは汪の死だ。あの肥え太った丈夫そうな男がね。横田には折々見舞いの手紙をやってくれ。彼は僕のもっとも懐しい友人の一人だ。否、唯一のなつかしい友人だ。

 八月と言えば例の月だ。足下と僕とが初めて霊肉の交りを遂げた思い出多い月だ。足下のいわゆる「冷静なる」僕といえどもまた感慨深からざるを得ない。数うれば早や三年、しかもその最初の夏は巣鴨、二度目の夏は市ヶ谷、そして三度目の夏はここ千葉というように、いつも離れ離れになっていて、まだ一度もこの月のその日を相抱いて祝ったことがない。胸にあふれる感慨を語り合ったことすらない。

 そしてこの悲惨な生活は、ただちに足下の容貌に現れて、年のほかに色あせ顔しわみ行くのを見る。しかし、これがはたして僕等にとってなげくべき不幸事であろうか、僕に愛誦の詩がある。ポーランドの詩人クラシンスキイの作、題して「婦人に寄す」と言う。

水晶の眼もて人の心を誘い、

徒らの(つれ)なさによりて人の心を悩ます。

君はまだ生の理想に遠い、

君はまだ婦人美を具えない。

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