5話 五
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湘南から伊豆の町々へかけて、警察電話が、活発な活動をしはじめた。
小田原から伊東に至る十一の停車場の出口には、鋭い眼をした私服のお巡りさんたちが、眼でない、鼻をヒクヒクさせながら、まるで旅客のような恪好で、こっそり立ちはじめた。
ここは、熱海の駅である。
午前十時四十六分、伊東行きの列車が到着すると、大勢の旅客たちが、広いプラット・ホームになだれ出た。
その人びとの中に混って、一人の異様な紳士が――満身にすばらしい香水の匂いをプンプンさした紳士が、右手をスプリング・コートのポケットへ入れたまま、なにかひどく腑に落ちかねたような顔つきで、鼻をヒクヒクさせながら、人混みをかきわけるようにして、出口のほうへ歩いて行った。
人びとは、誰もかも、その紳士の発散する、強い激しい芳香に打たれて、びっくりしたように立ちどまると、不思議そうな顔をして、或はあきれたような顔をして、紳士を見返り、見送った。
すると紳士は、いよいよわけが判らないというような顔をしながら、少からずうろたえはじめ、急にいそぎ足になった。
と、その体から立ちのぼる芳香は、自ら捲きおこした風に乗って、いよいよひろまり、一層多くの人びとが立ちどまって、不思議そうに紳士を見詰めはじめた。
紳士は、泣き出しそうに顔をしかめた。が、急に今度は、真ッ赤になると、歩きながらしきりとなにかブツブツいいはじめた。そして前よりも一層はげしくうろたえはじめ、あわてた足どりで、プラット・ホームから地下道へ、地下道から駅の出口へと、折から爽やかな五月の微風に、停車場一面ときならぬ香水の嵐をまきおこしながら、かけ出して行った。
このような紳士が、駅の出口で、さっきから鼻をヒクヒクやりながら、待ちかまえているお巡りさんを、ごまかすことが出来よう筈はない。‥‥
その晩、東京のお家へ帰ったクルミさんのところへ、警視庁のえらいお巡りさんと、××銀行の支配人さんと、それから新聞社の人たちがやって来た。
写真をとられたり、色々な話を聞かれたりしたあとで、銀行の支配人さんがいった。
「お嬢さん。あなたのお蔭で、私共の銀行は、おお助かりをいたしました。ついては、何かお礼を差上げたいのですが、なにがお望みでしょうか?」
すると、クルミさんは、一寸ためらってから、こっそりいった。
「そうですの? じゃ、折角ですから、あたしの使ってしまった、あの香水を買っていただきましょうか? だってあたし、あの品を、従姉の信子さんに、お贈りするつもりだったんですもの」
「おやおや、お嬢さん。私共は、もっと沢山のお礼を差上げたいのですよ。それはそれとして、さ、なんでも外にお望みの品を、もうひとつおっしゃって下さい」
すると、クルミさんは、一寸考えてから、恥かしそうに囁いた。
「じゃ、あたし、サンドウィッチをいただきますわ」
(おわり)