8話 草迷宮(8)
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もしや手毬唄の中に、こういうのは無かったでしょうか、と叔母にその話をすると、真日中にそんなものを視て、そんなことを云う貴下は、身体が弱いのです。当分外へは出てはなりません、と外出禁制。
以前は、その形で、正真正銘の熊の胆、と海を渡って売りに来たものがあるそうだけれど、今時はついぞ見懸けぬ、と後での話。……」
三十二
「日が経ってから、叔母が私の枕許で、さまでに思詰めたものなら、保養かたがた、思う処へ旅行して、その唄を誰かに聞け。
(妹の声は私も聞きたい。)
と、手函の金子を授けました。今もって叔母が貢いでくれるんです。
国を出て、足かけ五年!
津々浦々、都、村、里、どこを聞いても、あこがれる唄はない。似たのはあっても、その後か、その前か、中途か、あるいはその空間か、どこかに望みの声がありそうだな……と思うばかり。また小児たちも、手毬が下手になったので、終まで突き得ないから、自然長いのは半分ほどで消えています。
とても尋常ではいかん、と思って、もうただ、その一人行方の知れない、稚ともだちばかり、矢も楯も堪らず逢いたくなって来たんですが、魔にとられたと言うんですもの。高峰へかかる雲を見ては、蔦をたよりに縋りたし、湖を渡る霧を見ては、落葉に乗っても、追いつきたい。巌穴の底も極めたければ、滝の裏も覗きたし、何か前世の因縁で、めぐり逢う事もあろうか、と奥山の庚申塚に一人立って、二十六夜の月の出を待った事さえあるんです。
トこの間――名も嬉しい常夏の咲いた霞川と云う秋谷の小川で、綺麗な手毬を拾いました。
宰八に聞いた、あの、嘉吉とか云う男に、緑色の珠を与えて、月明の村雨の中を山路へかかって、
(ここはどこの細道じゃ、
細道じゃ。
天神様の細道じゃ、
細道じゃ。)
と童謡を口吟んで通ったと云うだけで、早やその声が聞こえるようで、」
僧は魅入られたごとくに見えたが、溜息を吻と吐き、
「まずおめでたい、ではその唄が知れましたか。」
「どうして唄は知れませんが、声だけは、どうやらその人……いいえ、……そのものであるらしい。この手毬を弄ぶのは、確にその婦人であろう。その婦人は何となく、この空邸に姿が見えるように思われます。……むしろ私はそう信じています。
爺さんに強請って、ここを一室借りましたが、借りた日にはもう其の手毬を取返され――私は取返されたと思うんですね――美しく気高い、その婦人の心では、私のようなものに拾わせるのではなかったでしょう。
あるいはこれを、小川の裾の秋谷明神へ届けるのであったかも分らない。そうすると、名所だ、と云う、浦の、あの、子産石をこぼれる石は、以来手毬の糸が染まって、五彩燦爛として迸る。この色が、紫に、緑に、紺青に、藍碧に波を射て、太平洋へ月夜の虹を敷いたのであろうも計られません、」
とまた恍惚となったが、頸を垂れて、
「その祟、その罪です。このすべての怪異は。――自分の慾のために、自分の恋のために、途中でその手毬を拾った罰だろう、と思う、思うんです。
祟らば祟れ!飽くまでも初一念を貫いて、その唄を聞かねば置かない。
心の迷か知れませんが。目のあたり見ます、怪しさも、凄さも、もしや、それが望みの唄を、何人かが暗示するのであろうも知れん、と思って、こうその口ずさんで見るんです――行燈が宙へ浮きましょう。
(美しき君の姿は、
萌黄の蚊帳を、
蚊帳のまわりを、姿はなしに、
通る行燈の俤や。)……
勿論、こんなのではありません。または、
(美しき君の庵は、
前の畑に影さして、
棟の草も露に濡れつつ、
月の桂が茅屋にかかる。)……
ちっとも似てはおらんのです。屋根で鵝鳥が鳴く時は、波に攫われるのであろうと思い、板戸に馬の影がさせば、修羅道に堕ちるか、と驚きながらも、
(屋根で鵝鳥の鳴き叫ぶ、
板戸に駒の影がさす。)
と、現にも、絶えず耳に聞きますけれど、それだと心は頷きません。
いかなる事も堪忍んで、どうぞその唄を聞きたい、とこうして参籠をしているんですが、祟ならばよし罪は厭わん、」
と激しく言いつつ、心づいて、悄然として僧を見た。
「ただその、手毬を取返したのは、唄は教えない、という宣告じゃあなかろうか、とそう思うと情ない。
ああ、お話が八岐になって、手毬は……そうです。天井から猫が落ちます以前、私が縁側へ一人で坐っています処へ、あの白粉の花の蔭から、芋の葉を顔に当てた小児が三人、ちょろちょろと出て来て、不思議そうに私を見ながら、犬ころがなつくように傍へ寄ると、縁側から覗込んで、手毬を見つけて、三人でうなずき合って、
(それをおくれ。)と言います。
(お前たちのか。)
と聞くと、頭を掉るから、
(じゃ、小父さんのだ。)と言うと、男が毬を、という調子に、
(わはは)と笑って、それなりに、ちらちらとどこかへ取って行ったんでした。」――
三十三
「何、私がうわさしていさっせえた処だって……はあ、お前様二人でかね。」
どッこいしょ、と立ったまま、広縁が高いから、背負って来た風呂敷包は、腰ぎりにちょうど乗る。
「だら、可いけんども、」
と結目を解下ろして、
「天井裏でうわさべいされちゃ堪んねえだ。」
と声を密めたが、宰八は直ぐ高調子、
「いんね、私一人じゃござりましねえ。喜十郎様が許の仁右衛門の苦虫と、学校の先生ちゅが、同士にはい、門前まで来っけえがの。
あの、樹の下の、暗え中へ頭突込んだと思わっせえまし、お前様、苦虫の親仁が年効もねえ、新造子が抱着かれたように、キャアと云うだ。」
「どうしたんです。」
「何かまた、」
と、僧も夜具包の上から伸上って顔を出した。
宰八紅顱巻をかなぐって、
「こりゃ、はい、御坊様御免なせえまし。御本家からも宜しくでござりやす。いずれ喜十郎様お目に懸りますだが、まず緩りと休まっしゃりましとよ。
私こういうぞんざいもんだで、お辞儀の仕様もねえ。婆様がよッくハイ御挨拶しろと云うてね、お前様旨がらしっけえ、団子をことづけて寄越しやした。茶受にさっしゃりやし。あとで私が蚊いぶしを才覚しながら、ぶつぶつ渋茶を煮立てますべい。
それよりか、お前様、腹アすかっしゃったろうと思うで、御本家からまた重詰めにして寄越さしった、そいつをぶら下げながら苦虫が、右のお前様、キャアでけつかる。
門外の草原を、まるで川の瀬さ渡るように、三人がふらふらよちよち、モノ小半時かかったが、芸もねえ、えら遅くなって済まんしねえ。」
「何とも御苦労、」
と僧は慇懃に頭をさげる。
「その人たちは、どうしたのかね。」
と明が尋ねた。
「はい、それさ、そのキャアだから、お前様、どうした仁右衛門と、云うと、苦虫が、面さ渋くして、(ああ、厭なものを見た。おらが鼻の尖を、ひいらひいら、あの生白けた芋の葉の長面が、ニタニタ笑えながら横に飛んだ。精霊棚の瓢箪が、ひとりでにぽたりと落ちても、御先祖の戒とは思わねえで、酒も留めねえ己だけんど、それにゃ蔓が枯れたちゅう道理がある。風もねえに芋の葉が宙を歩行くわけはねえ。ああ、厭だ、総毛立つ、内へ帰って夜具を被って、ずッしり汗でも取らねえでは、煩いそうに頭も重い。)
と縮むだね。
例の小児が駆出したろう、とそう言うと、なお悪い。あの声を聞くと堪らねえ。あれ、あれ、石を鳴らすのが、谷戸に響く。時刻も七ツじゃ、と蒼くなって、風呂敷包打置いて、ひょろひょろ帰るだ。
先生様、ではお前様、その重箱を提げてくれさっせえ、と私が頼むとね。
(厭だ、)と云っけい。
(はてね、なぜでがす。)
ここさ、お客様の前だけんど、気にかけて下せえますなよ。
(軍歌でもやるならまだの事、子守や手毬唄なんかひねくる様な奴の、弁当持って堪るものか。)
と吐くでねえか。
奴は朋友に聞いた、と云うだが、いずれ怪物退治に来た連中からだんべい。
お客様何でがすか、お前様、子守唄拵えさっしゃるかね。袋戸棚の障子へ、書いたもの貼っとかっしゃるのは、もの、それかね。」
明は恥じたる色があった。
「こしらえるのじゃない、聞いたのを書き留めて置くんです。数があって忘れるから、」
「はあ、私はまた、こんな恐怖え処に落着いていさっしゃるお前様だ。
怨敵退散の貼御符かと思ったが。
何か、ハイ、わけは分ンねえがね、悪く言ったのがグッと癪に障ったで、
(なら可うがす、客人のものは持ってもれえますめえ、が、お前様、学校の先生様だ。可し、私あハイ、何も教えちゃもらわねえだで、師匠じゃねえ、同士に歩行くだら朋達だっぺい。蟹の宰八が手ンぼうの助力さっせえ。)
と極めつけたさ。
帽子の下で目を据えたよ。
(貴様のような友達は持たん、失敬な。)と云って引返したわ。何か託け、根は臆病で遁げただよ。見さっせえ、韋駄天のように木の下を駆出し、川べりの遠くへ行く仁右衛門親仁を、
(おおい、おおい、)
と茶番の定九郎を極めやあがる。」
三十四
その夜に限って何事もなく、静かに。……寝ようという時、初夜過ぎた。
宰八が手燭に送られて、広縁を折曲って、遥かに廻廊を通った僧は、雨戸の並木を越えたようで、故郷には蚊帳を釣って、一人寂しく友が待つ思がある。
「ここかい。」
「それを左へ開けさっせえまし、入口の板敷から二ツ目のが、男が立って遣るのでがす。行抜けに北の縁側へも出られますで、お前様帰りがけに取違えてはなんねえだよ。
二三年この方、向うへは誰も通抜けた事がねえで、当節柄じゃ、迷込んではどこへ行くか、ハイ方角が着きましねえ。」
「もう分りましたよ。」
「可かあねえ、私、ここに待っとるで、燈をたよりに出て来さっせえ。
私も、この障子の多いこと続いたのに、めらめら破れのある工合が、ハイ一ツ一ツ白髑髏のようで、一人で立ってる気はしねえけんど、お前様が坊様だけに気丈夫だ。えら茶話がもてて、何度も土瓶をかわかしたで、入かわって私もやらかしますべいに、待ってるだよ。」
僧は戸を開けながら、と、声をかけて、
「御免下さい。」
と、ぴたりと閉めた。
「あ、あ、気味の悪い。誰に挨拶さっせるだ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。はて、急に変なことを考えたぞ。そこさ一面の障子の破れ覗いたら何が見えべい――南無阿弥陀仏、ああ、南無阿弥陀仏、……やあ、蝋燭がひらひらする、どこから風が吹いて来るだ。これえ消したが最後、立処に六道の辻に迷うだて。南無阿弥陀仏、御坊様、まだかね。」
「ちょいと、」
「ひゃあ、」
僧は半ば開いて、中に鼠の法衣で立ちつつ、
「ちょいと燭を見せておくれ。」
「ええ、お前様、前へ戸を開けておいてから何か言わっしゃれば可い。板戸が音声を発したか、と吃驚しただ、はあ、何だね。」
「入口の、この出窓の下に、手水鉢があったのを、入りしなに見ておいたが、広いので暗くて分らなくなりました。」
「ああ、手、洗わっしゃるのかね、」
と手燭ばかりを、ずいと出して、
「鉢前にゃ、夜が明けたら見さっせえまし、大した唐銅の手水鉢の、この邸さ曳いて来る時分に牛一頭かかった、見事なのがあるけんど、今開ける気はしましねえ。……」
ええ、そよら、そよらと風だ。
そ、その鉢にゃ水があれば可いがね、無くば座敷まで我慢さっせえまし、土瓶の残を注けて進ぜる。」
「あります、あります。」
ざっと音をさして、
「冷い美しい水が、満々とありますよ。」
「嘘を吐くもんでェねえ。なに美い水があんべい。井戸の水は真蒼で、小川の水は白濁りだ。」
「じゃあ燭で見るせいだろうか、」
「そして、はあ、何なみなみとあるもんだ。」
「いいえ、縁切こぼれるようだよ。ああ、葉越さんは綺麗好きだと見える。真白な手拭が、」
と言いかけてしばらく黙った。
今年より卯月八日は吉日よ
尾長蛆虫成敗ぞする
「ここに倒にはってあるのは、これは誰方がお書きなすった、」
「……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
「ああ、佳いおてだ。」
と大和尚のように落着いて、大く言ったが、やがてちと慌しげに小さな坊さまになって急いで出た。
「ええ、疾く出さっせえ、私もう押堪えて、座敷から庭へ出て用たすべい。」
「ほんとに誰が書いたんだね、女の手だが、」
と掛手拭を賞めた癖に、薄汚れた畳んだのを自分の袂から出している。
「南無阿弥陀仏、ソ、それは、それ、この次の、次の、小座敷で亡くならしっけえ、どっかの嬢様が書いて貼っただとよ、直きそこだ、今ソンな事あどうでも可え。頭から、慄然とするだに、」
「そうかい、ああ私も今、手を拭こうとすると、真新しい切立の掛手拭が、冷く濡れていたのでヒヤリとした。」
「や、」と横飛びにどたりと踏んだが、その跫音を忍びたそうに、腰を浮かせて、同一処を蹌踉蹌踉する。
三十五
「そうふらふらさしちゃ燈が消えます。貸しなさい、私がその手燭を持とうで。」
「頼んます、はい、どうぞお前様持たっせえて、ついでにその法衣着さっせえ姿から、光明赫燿と願えてえだ。」
僧は燭を取って一足出たが、
「お爺さん、」
と呼んだのが、驚破事ありげに聞えたので、手んぼうならぬ手を引込め、不具の方と同一処で、掌をあけながら、据腰で顔を見上げる、と皺面ばかりが燭の影に真赤になった。――この赤親仁と、青坊主が、廊下はずれに物言う状は、鬼が囁くに異ならず。
「ええ、」
「どこか呻吟くような声がするよ。」
「芸もねえ、威かしてどうさっせる。」
「聞きなさい、それ……」
「う、う、う、」
と厭な声。
「爺さん、お前が呻吟くのかい。」
「いんね、」
と変な顔色で、鼻をしかめ、
「ふん、難産の呻吟声だ。はあ、御新姐が唸らしっけえ、姑獲鳥になって鳴くだあよ。もの、奥の小座敷の方で聞えべいがね。」
「奥も小座敷も私は知らんが、障子の方ではないようだ、便所かな、」
「ひええ、今、お前様が入らっしたばかりでねえかね、」
「されば、」
と斜めに聞澄まして、
「おお、庭だ、庭だ、雨戸の外だ。」
「はあ、」
と宰八も、聞定めて、吻と息して、
「まず構外だ、この雨戸がハイ鉄壁だぞ。」と、ぐいと圧えてまた蹈張り、
「野郎、入ってみやがれ、野郎、活仏さまが附いてござるだ。」
「仏ではなお打棄っては措かれない、人の声じゃ、お爺さん、明けて見よう、誰か苦んでいるようだよ。」
「これ、静かにさっせえ、術だ、術だてね。ものその術で、背負引き出して、お前様天窓から塩よ。私は手足い引捩いで、月夜蟹で肉がねえ、と遣ろうとするだ。ほってもない、開けさっしゃるな。早く座敷へ行きますべい。」
「あれ、聞きなさい、助けてくれ……と云うではないか。」
「へ、疾いもんだ。人の気を引きくさる、坊様と知って慈悲で釣るだね、開けまいぞ。」
と云う時……判然聞えたが、しわがれた声であった。
「助けてくれ……」
「…………」
「…………」
「宰八よう、」――
と、葎がくれに虫の声。
手ぼう蟹ふるえ上って、
「ひゃあ、苦虫が呼ぶ。」
「何、虫が呼ぶ?」
「ええ、仁右衛門の声だ。南無阿弥陀仏、ソ、ソレ見さっせえ。宵に門前から遁帰った親仁めが、今時分何しにここへ来るもんだ。見ろ、畜生、さ、さすが畜生の浅間しさに、そこまでは心着かねえ。へい、人間様だぞ。おのれ、荒神様がついてござる、猿智慧だね、打棄っておかっせえまし。」
と雨戸を離れて、肩を一つ揺って行こうとする。広縁のはずれと覚しき彼方へ、板敷を離るること二尺ばかり、消え残った燈籠のような白紙がふらりと出て、真四角に、燈が歩行き出した。
「はッあ、」
と退って、僧に背を摺寄せながら、
「経文を唱えて下せえ、入って来たわ、南無まいだ、なんまいだ。」
僧も爪立って、浮腰に透かして見たが、
「行燈だよ、余り手間が取れるから、座敷から葉越さんが見においでだ。さあ、三人となると私も大きに心強い――ここは開くかい。」
「ええ、これ、開けてはなんねえちゅうに、」
「だって、あれ、あれ、助けてくれ、と云うものを。鬼神に横道なし、と云う、情に抵抗う刃はない筈、」
枢をかたかた、ぐっと、さるを上げて、ずずん、かたりと開ける、袖を絞って蔽い果さず、燈は颯と夜風に消えた。が、吉野紙を蔽えるごとき、薄曇りの月の影を、隈ある暗き葎の中、底を分け出でて、打傾いて、その光を宿している、目の前の飛石の上を、四つに這廻るは、そもいかなるものぞ。
三十六