2話 権三と助十(2)
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彦三郎 それがどうしても本當とは思はれません。わたくしの父は盜みを働くやうな、まして人を殺して金をぬすむやうな、そんな不義非道の人間ではござりません。あまりに御吟味がきびしいので、身におぼえのないことを申立てたのかも知れません。(だん/\激して來る。)もし、おまへ樣。いづれにしてもこれは何かの間違ひに相違ござりません。屹と何かの間違ひでござります。
六郎 息子のおまへさんがさう思ひつめるのも無理はないが、この一件は南の町奉行所のお係りで、お役人は各奉行ときこえてゐる大岡越前守樣だ。そのお捌きで落着したことだから、決して間違ひのあらう筈はないのだ。
彦三郎 さきほどは御吟味中と仰しやりましたが、それではもう落着いたしたのでござりますか。
六郎 實は本人の白状で事件は落着、そのお仕置は獄門ときまつた時に、彦兵衞さんは牢死したのだ。もう何と云つても仕方がない。せめてその死骸を引取つてやりたいと思つて、色々お嘆き申してみたが、重罪人であるから死骸を下げ渡すことは相成らぬといふので、殘念ながらどうすることも出來なかつたのだ。必ず惡く思はないで下さい。
彦三郎 情けないことでござりますな。(泣く。)
(このあひだに、上のかたよりおかん出づ。權三は眼で招けば、おかんも竊と家のうしろをまはつてゆく。權三は何かさゝやけば、おかんは首肯いて、再び下のかたより自分の家のうしろへ廻つてゆく。權三は助十の家の縁に腰をかける。)
彦三郎 (眼をふいて。)いくら名奉行でも、大岡樣でも、このお捌きは屹と間違つて居ります。わたくしの父にかぎりまして、決してそんなことはない筈でござります。どう考へても、それはお奉行樣のお眼違ひでござります。
六郎 (なだめるやうに。)まあ、まあ、落着いて物を云ひなさい。今更おまへが何と云つたところで、お捌きも濟み、本人も死んでしまつたものを、どうにも仕樣があるまいではないか。
彦三郎 勿論唯今となりましては、たとひ何と申したところで死んだ父が生き返るわけではござりません。それはよんどころない不運と諦めも致しませうが、せめては無實の罪といふことをお上へ申立てまして、父彦兵衞の惡名を清めたうござります。お家主樣。わたくしが一生のおねがひでござりますから、どうぞお力添へをねがひます。御承知の通り、父は大坂生れ、わたくしも御當地は初めてで、右を見ても左を見ても、誰ひとり頼みになる人はござりません。もし、お家主樣。(手をあはせる。)お願ひでござります。お願ひでござります。
六郎 あゝ、そんなことを云つて泣かせてくれるな。(眼をふく。)折角のおまへの頼みだ。わたしも何うかして遣りたいのは山々だが、こればかりはどうも困つたな。(かんがへてゐる。)
(このあひだに、家の奧よりおかんがそつと出で、そこにある團扇を把つて、氣のつかぬやうに六郎兵衞と彦三郎を煽いでゐる。上のかたより助十は汗をふきながら出づ。)
助十 あゝ、あつい、暑い。
權三 (小聲で。)おい、おい。
助十 なんだ。
(權三は彦三郎を指さして眼で知らせれば、助十もうなづいて、竊と家のうしろを廻つてゆく。)
彦三郎 もし、心ばかりは逸つても、わたくしは若年者、殊に御當地の勝手は知れず、なんとも致方がござりません。おまへ樣によい御分別はござりますまいか。
六郎 まあ、待つてくれ。わたしも頻りに考へてゐるのだが、これはなか/\むづかしい。
彦三郎 むづかしいと申しても、どうしても此儘では濟まされません。大坂を立ちます時にも、お父さんに限つてそんなことのあらう筈がないから、わたしがどんな難儀をしても、屹とお父さんの無實を訴へて來ると、母や弟にも立派に約束して參つたのでござります。
六郎 さうやかましく云はれると、氣が散つてならない。まあ靜かにして考へさせてくれなければいけない。
彦三郎 (せいて。)このまゝのめ/\と戻りましては、母にも弟にも會はす顏がござりません。わたくしを生かすも殺すも、おまへ樣のお心一つでござります。
六郎 むゝ、判つた、判つた。よく判つてゐます。それだからわたしも色々に工夫を凝してゐるのだ。(上の方に向つて。)おい、おい。そつちの井戸がへも少し待つてくれ。さうざうしいと、どうも好い智慧が出ない。
(六郎兵衞は又かんがへてゐるを、彦三郎は待ち兼ねるやうに眺めてゐる。おかんは貰ひ泣の眼をふいてゐる。)
權三 (小聲で。)どうだい。いつそ思ひ切つて云つてみようか。
助十 だが、あぶねえ。うつかりした事を云つて、飛んだ係り合ひになると詰らねえぜ。
權三 それもさうだが……。(考へる。)大屋さんも困つてゐるやうだ。第一あの若けえのが可哀さうぢやあねえか。
助十 おれも可哀さうだとは思ふのだが、なにしろほかの事と違ふからな。一つ間違つた日にやあ、おれ達がどんな目に逢ふか判るめえぢやあねえか。よく考へてみろよ。
權三 むゝ。(少し躊躇する。)
彦三郎 もし、お家主樣。まだお考へは付きませんか。
六郎 (ため息をつく。)どうも困つたな。わたしも橋本町の六郎兵衞といへば、名主の玄關でも御奉行所の腰掛けでも、相當に幅のきく人間だが、こればかりは全く困つた。一旦お捌きの付いてしまつたものを、今更こつちからこぢ返すといふのは、つまり大岡樣を相手取つて喧嘩をするやうなものだがら、こいつは並大抵のことで行く筈がない。小間物屋彦兵衞は確かに無實の罪だといふ立派な證據でもあるか、それとも罪人はほかにあると云ふ確かな證人でもない限りはなあ。(腕をくむ。)
(權三は何か云はうとして起ちかゝるを、助十はあわててその袖をつかみ、まあ待てと制すれば、權三はまた躊躇する。)
彦三郎 (堪へかねて。)では、どうしても出來ぬことだと仰しやるのでござりますか。
六郎 さあ、出來ないとも限らないが、なにしろこいつは大仕事だ。わたしもこの年になるまで家主を勤めてゐるが、こんなことに出逢つたのは初めてだからな。
彦三郎 (決心して。)では、もうお頼み申しますまい。わたくしは自分の思ひ通りにいたします。(起ちかゝる。)
六郎 (彦三郎の袖を捉へる。)まあ、待ちなさい。お前さんは眼の色を變へてどうする積りだ。
彦三郎 これから御奉行所へ駈込みます。
六郎 御奉行所へかけ込む……。それはいけない。駈込み訴へは御法度だ。
彦三郎 それはわたくしも存じて居りますが、もうかうなつたら致方がござりません。どんなお咎めを受けるのも覺悟の上で、駈込み訴へをいたします。どうぞ留めずに遣つて下さい。(振切つて行かうとする。)
六郎 どうして無暗に遣られるものか。飛んでもないことだ。いくら年が若いと云つて急いてはいけない。まあ、待ちなさい。待ちなさい。
彦三郎 いや、放して下さい。放してください。
六郎 いけない、いけない。
(彦三郎は無埋に振切つて行かうとするを、六郎兵衞は留める。おかんはうろ/\しながら權三を手招ぎし、なんとかしろと云ふ。權三ももう堪らなくなつて進み出で、彦三郎の前に立塞がる。)
權三 まあ、おまへさん。待ちなせえ。
彦三郎 えゝ、どなたも邪魔をして下さるな。
(彦三郎は突きのけて行かうとするを、權三は抱きとめる。)
權三 邪魔をするわけぢやあねえ。おれが好い智慧を貸してやるのだ。やい、やい、助十。見てゐることはねえ。一緒に留めてくれ、留めてくれ。
おかん (縁に出る。)助さんも早く何とかおしなねえ。
(助十も決心して起つ。)
助十 (彦三郎に。)まあ、待ちなせえ。待ちなせえ。まつたくおれ達が好い智慧を貸してやるのだ。まあ、まあ、落ち着いて云ふことを聞くがいゝぜ。
權三 まあ、おとなしくしろ、おとなしくしろ。
(權三と助十は無理に彦三郎を元の縁さきに押戻す。)
六郎 井戸がへで汗になつたところへ、また汗をかゝされた。やれ、やれ。(汗を拭く。)そこでお前達はほんたうに好い智慧があるのか。
權三 さう改まつて聞かれると少し困るが……。おい、助十。おめえから云へ。
助十 いや、おれはいけねえ。おれは不斷から口不調法だからな。
權三 うそをつけ。人一倍大きな聲で呶鳴りやあがる癖に……。
助十 えゝ、手前こそ矢鱈に無駄口をきくぢやあねえか。
六郎 これ、これ、そんなことを云つてゐては果てしがない。おい、權三。先づおまへから口をきけ。
權三 どうしてもわつしが口切りかえ。やれ、やれ。
六郎 何がやれ/\だ。おれが名指しでお前に聞くのだから、さあ、はつきりと云へ。
權三 仕樣がねえな。(頭をおさへる。)ぢやあ、まあ聽いておくんなせえ。實はね、去年の十一月の末のことでごぜえました。(助十に。)おい、あれは幾日だつけな。
助十 さあ、おれもよくは覺えてゐねえが、なんでも二の酉の前の晩あたりぢやなかつたかな。
權三 違えねえ、二の酉の前の晩だ。その晩の九つ過ぎでもありましたらうか、この助十とわつしとが遲い仕事から歸つて來まして、馬喰町の横町へ差しかゝると、頬かむりをした一人の野郎が天水桶で何か洗つてゐるやうでしたから、何をしてゐるのかと提灯の火で透かしてみると、そいつは着物の袖を洗つてゐるらしいのです。
六郎 むゝ。それから何うした。
權三 (助十をみかへる。)おい、おれにばかり云はせてゐねえで、手前も些としやべれよ。かうなりあ何うでお互えに係り合だ。
六郎 では、助十。そのあとを早く云へ。
助十 もし、大屋さん。うつかりした事をしやべつて、若しそれが間違ひだつた時には、どういふことになりませうね。
六郎 それは事にもよるな。その事によつて重い罪にもなれぱ、輕い罪にもなる。
助十 人殺しなんぞは重い方でせうね、
六郎 それは勿論のことだ。
助十 いけねえ、いけねえ。それだからおれは忌だといふのだ。權三。手前は勝手に何でもしやべれ。おらあ知らねえ、知らねえ。
權三 知らねえことがあるものか。おれと相棒をかついでゐたんぢやあねえか。
おかん (權三に。)もし、お前さん。そんな人にかまはないで、知つてゐることがあるなら早く云つておしまひなさいよ。あたしも何だか聽きたくなつて來たからさ。
彦三郎 (すり寄る。)どうぞ早く話して下さい。
權三 たうとうおれが人身御供にあげられてしまつたか。ぢやあ、まあ話しませう。今もいふ通り、天水桶で袖を洗つてゐるだけならば、別に不思議と云ふほどのことでもねえが、そいつが光るものを持つてゐる。
六郎 光るものを持つてゐた……。それから何うした。
(人々はすり寄つて聽く。)
權三 その光るものを水で洗つてゐたんですよ。
六郎 天水桶で袖を洗ひ、何か光るものを洗つてゐたのだな。その光る物といふのは刃物らしかつたか。
權三 どうもさうらしいやうでした。それでもその時はたゞ變な奴だと思つたばかりで通り過ぎてしまつたのですが、明る朝になつて聞いてみると、その晩馬喰町の米屋といふ旅籠屋の隱居所で、六十幾つになる隱居婆さんが殺されて、門跡樣へ納めるとかいふ百兩の金を取られたさうで、わつしもびつくりしましたよ。
六郎 むゝ。(かんがへる。)して、その男はどんな風體で、年頃や人相は判らなかつたか。
權三 さあ、そこだ。(助十に。)おい、いゝかえ。思ひ切つて云つてしまふぜ。
助十 まあ、待つてくれ。もし、大屋さん。これから權の野郎が何を云ひ出すか知りませんが、わつしに係り合を付けねえで下さいよ。わつしはなんにも知らねえんだから……。
權三 いや、さうは行かねえ。おれと相棒でゐる以上は、どうしたつて手前もかゝり合ひだぞ。
助十 だつて、おれはなんにも云はねえ。
權三 云つても云はねえでも同じことだ。
おかん まあ、そんなことは何うでもいゝから、肝腎のところを早くお云ひなさいよ。じれつたい人だねえ。
六郎 まつたくおれも焦つたい。さあ、早く云へ、早く云へ。
彦三郎 さあ、早く聞かしてください。(詰めよる。)
權三 寄つて集つておればかり虐めちやあ困るな、助の野郎め、狡い奴だ。おぼえてゐろ。
彦三郎 もし、早く云つてください。早く……早く……。
權三 云ふよ、云ふよ。かうなつたら何でも云つて聞かせるよ。その男は……年頃は三十四五で、職人のやうな風體で……。
彦三郎 職人のやうな風體でござりましたか。
助十 (權三に。)おい、おい。もうその位にして置くがいゝぜ。
六郎 やかましい、默つてゐろ。(權三に。)まだそのほかに何か目じるしは無かつたか。
權三 さあ。(躊躇する。)
六郎 (嚇すやうに。)これ、權三。なぜおれの前で隱し立てをする。正直に云はないとお前の爲にならないぞ。
おかん お前さん、なぜ隱してゐるんだねえ。をかしいぢやあないか。
權三 えゝ、もう自棄だ。みんな云つてしまへ。(少し聲をひそめて。)夜目ではあり、そいつは頬被りをしてゐたので、確なことは云へねえが、どうもそれが近所の奴らしいので……。
六郎 むゝ、近所の奴……。誰だ、誰だ。
權三 (思ひ切つて。)豐島町の裏にゐる左官屋の勘太郎によく似てゐたんですよ。
おかん まあ。あの人が……。
六郎 左官屋の勘太郎……。あいつによく似てゐたのか。これ、助十。どうでお前もかゝり合だから、正直に云はなければならないぞ。まつたく其奴は勘太郎に似てゐたのか。
助十 かうなりやあ俺ももう自棄だ。(大きな聲で。)そいつは豐島町の勘太郎、左官屋の勘太郎、たしかにあの勘太郎に相違ねえのだ。
六郎 これ、大きな聲をするなよ。
彦三郎 あゝ、ありがたい、有難い。お二人さんはわたくしに取つて神樣と云はうか、佛樣と申さうか。もし、もし、この通りでござります。(手をあはせて權三と助十を拜む。)
おかん それにしても、お前さん達の氣が知れないぢやあないか。それほど判つてゐるならば、なぜ早くそのことを云ひ出して、彦兵衞さんの無實の災難を救つて上げなかつたんだらうねえ。
權三 そのときに氣がつけば格別だが、あとになつちやあ無證據だ。うつかりしたことが云はれるものか。どんな係り合になるかも知れねえ。
六郎 それで二人ともに默つてゐたのか。横着者にも似合はない、氣の小さい奴等だな。
おかん 彦兵衞さんに疑ひのかゝつたのは、どういふわけだかよくは知らないけれど、不斷から正直者のあの人がお繩にかゝつて連れて行かれるのを、一つ長屋内で見てゐながら、今まで默つてゐるといふことがあるものかね。お前さん達は随分不人情だよ。
六郎 まつたく女房のいふ通りだ。せめておれだけにも内々で話して置いおくれゝば、なんとか仕樣のあつたものを……。(叱るやうに。)それほどの事を知つてゐながら、今まで口をふいて默つてゐるとは何のことだ。つまり貴樣達が彦兵衞さんを見殺しにしたやうなものだ。これ、彦三郎さん。お前さんのお父さんのかたきはこの權三と助十だ。なんの、禮をいふことがあるものか。わたしが證人になつてやるから、こゝで立派にかたき討をしなさい。
(權三と助十はびつくりする。)
權三 と、とんでもねえ。なんでおれ達が仇なものか。
助十 かたきと云ふのは勘太郎だ。
權三 あの勘太郎だ。
(云ひながら二人は逃げかゝる。)
六郎 待て、待て。貴樣たちが逃げたからと云つて濟むわけのものではない。かたき討は免してやる代りに、その罪ほろぼしに彦三郎さんの味方をするか。
權三 (助十と顏を見あはせる。)あい、あい。きつと味方を致します。
六郎 よし、よし。それならば仕樣がある。(上のかたに向ひて。)おい、おい。誰か來てくれ。早く來てくれ。
(上のかたより助八を先に、雲哲と願哲出づ。)
六郎 おゝ、助八。おまへの家に麻繩のやうなものは三本ほどないか。
助八 さあ、三本はどうだかな、
おかん 内にも一本ぐらゐはありましたよ。
助八 なにしろ探して來ませう。
(助八は我家に入る。おかんも奧に入る。)
雲哲 用はもうそれだけかね。
六郎 いや、おまへ達もそこにゐてくれ。まだ外にも用があるのだ。
(おかんは奧より麻繩一本持ちて出づ。)
おかん これで間に合ひますかえ。
六郎 よし、よし。(繩をうけ取る。)
(助八も奧より麻繩二本を持ちて出づ。)
助八 大屋さん。これでいゝかね。
六郎 むゝ、これで丁度三本揃つた。
助八 そこで、これをどうしなさるのだ。
六郎 人間三人を縛るのだ。
一同 え。
權三 三人といふのは、誰と誰とを縛るんですね。
六郎 先づ貴樣を縛る。
權三 え。
六郎 それから助十を縛る。
助十 え。
六郎 それから彦三郎さんを縛る。
彦三郎 わたくしもお繩にかゝるのでござりますか。
六郎 この三人を數珠つなぎにして、南の御奉行所へ牽いて行くのだ。
助八 いけねえ、いけねえ。あとの二人はどんな惡いことをしたか知らねえが、おれの兄貴に限つちやあ繩をかけられるやうな覺えはねえ筈だ。ふだんから兄弟喧嘩こそしてゐるが、おれに取つちやあ唯つた一人の兄貴だ。いはれも無しに繩附きにされて堪るものか。なんでおれの兄貴を縛るのだ。その譯をいへ。譯をいへ。
六郎 さうむきになつて怒るなよ。これには譯のあることだ。こゝにゐる若い人は小間物屋の彦兵衞さんの息子で、これからおまへの兄貴と權三を證人にして、お父さんの無實の罪を訴へて出ようといふのだ。
助八 證人ならば家主が附添ひで、おとなしく連れて行くがいゝぢやあねえか。なんで繩をかけるのだ。
六郎 そのわけは今云つて聞かせる。みんなもよく聞け。今度の一件は並一通りのことではいけない。本來ならばこの彦三郎さんがどこにか宿を取つて、その町名主の手から御奉行所へ訴へて出るのが順當だが、そんなことでは容易に埒が明かないばかりか、一旦落着したお捌きの再吟味を願ふなどと云つては、御奉行樣のお手許まで達かないうちに、下役人の手で握り潰されてしまふのは知れてゐる。そこでおれが考へたには、この三人に繩をかけて御奉行所へ牽いて行つて、小間物屋彦兵衞のせがれ彦三郎と申す者がわたくし方へ押掛けてまゐり、父彦兵衞は決して盜みなど致すものでない。それを罪人と定められたは恐れながらお上のお眼がね違ひ、二つには家主の不穿索と、さん/″\の惡口を云ひ募るのみか、長屋の駕籠かき權三助十の兩人もその腰押しをいたして、理不盡の亂暴狼藉をはたらき……。
權三 (おどろいて。)嘘だよ、うそだよ。おれ達が何をするものか。
助十 御奉行所へ行つて、そんな出鱈目を云はれちやあ大變だ。
六郎 まあ、騷ぐなよ。そのくらゐに云はなければ中々お取上げにはならないのだ。そこで、よんどころなく長屋中の者うち寄つて右三人を取押へ、かやうに引立ててまゐりましたれば、何とぞ上の御威光を以て彼等に理解を加へ、穩便に引取りまするやうに御取計らひを願ひ上げますると、おれの口から斯う訴へ出るのだ。どうだ、判つたか。かうすれば屹とお取上げになるに違ひない。
助八 なるほどさうかも知れねえな。こいつは巧めえことを考へ出したね。
おかん 大屋さんは正直な人だと思つてゐたら、うそをつくのは中々上手だわねえ。
助八 まつたく隅へは置かれねえや。
六郎 つまらないことを褒めるな。こつちは一生懸命だ。そこで、お白洲へ呼び込まれたら、それからはめい/\の腕次第で、彦三郎さんは自分の思ふことを存分に云うが好し、權三と助十は自分の見た通りを逐一申立てて、馬喰町の隱居殺しはどうしても勘太郎の仕業であらうと存じますと、はつきり云ふのだ。(考へて。)彦三郎さんは大丈夫だらうが、おまへ達にそれが出來るか。
權三 出來ても出來ねえでも仕樣がねえ。今も嚊に云はれた通り、一つ長屋の彦兵衞さんが繩附きになつて出て行くのを知つてゐながら、今まで默つてゐたのはどうも良くねえ。實はわつしも内々は氣が咎めて、なんだか寢ざめが好くなかつたのだから、その罪ほろぼしに出來るだけ遣つてみませうよ。
彦三郎 なにぶんお願ひ申します。(助十に。)おまへさんにも宜しくお頼み申します。
助十 まあ、心配しなさんな。かう見えても江戸つ子の神田つ子だ。自棄のやん八で度胸を据ゑた日にやあ、相手が大岡樣でもなんでも構はねえ、云うだけのことは皆んなべら/\云つて遣らあ。細工は流々、仕上げを御覽じろだ。
權三 おや、おや、手前は急に強くなつたぜ。變な野郎だな。
六郎 だが、まあ、強くなつた方は結構だ。その勢ひで皆んな縛られてくれ。
おかん (かんがへる。)縛られて行つて、すぐに歸して下さるでせうかねえ。
六郎 それは受合へない。町内あづけとでも來れば占めたものだが、吟味中は一先づ入牢といふことになるかも知れないな。
おかん あら、牢に入れられるの……。(泣き出す。)お家主さん。それぢやああんまりぢやあありませんか。罪もない内の人を牢へ入れて……。若しいつまでも歸されなかつたら、お前さんどうしてくれるんですよ。
助八 吟味中は入牢なんていふことになると、兄貴もちつと可哀さうだな。もし、大屋さん。兄貴の身代りにわつしを縛つて行つてくれませんかね。どうせ拵へ事なら兄貴でも弟でも構ふめえ。わつしの亂暴は世間でも皆んな知つてゐるんだから、わつしが暴れたといふ方が却つて本當らしいかも知れませんぜ。
六郎 だが、その晩のことを詳しくお調べになつたときに、本人でないと申口が曖昧になつていけない。やつぱり兄貴を縛るより外はないな。
助八 (助十の顏をのぞく。)兄い、おめも好いかえ。
助十 いゝよ、いゝよ。大丈夫だ。
助八 だが、どうもおれを遣つた方がよささうだな。大屋さん、どうしてもいけませんかえ。
六郎 まあ、まあ、さう案じることはない。(おかんに。)おまへも泣くなよ。自慢ぢやあないが、大岡樣とこの家主が附いてゐるのだ。決して惡いやうにはならないよ。
おかん (不安らしく。)それもやつぱり大屋さんの嘘ぢやあありませんかえ。
六郎 おれだつて無暗に嘘をつくものか。安心しろよ。
おかん 若しもこれぎりで内の人が歸つて來なかつたら、屹とおまへさんを恨むからさう思つておいでなさいよ。(泣く。)
彦三郎 (氣の毒さうに。)どうも皆さんに御迷惑をかけまして、なんとも申譯もないことでござります。(六郎兵衞に。)では、お繩をおかけ下さりませ。(兩手をうしろへ廻す。)
六郎 おまへさんはわたしが縛る。(雲哲等に。)おまへ達は權三と助十を縛つてやれ。
雲哲 あい、あい。長屋中の持て餘し者がどつちもたうとう繩附きか。
願哲 これだから惡いことは出來ないな。
權三 なにを云やあがる。手前たちの知つたことぢやあねえ。
助十 あとでびつくりしやあがるな。さあ、どうとも勝手にしやあがれ。
(權三も助十も覺悟して縛られようとする。)
六郎 これ、ちつとぐらゐ痛くつても構はない、遠慮なしにぐる/\卷きにふん縛れよ。
雲哲 大屋さんからお許しが出たのだ。せいぜい嚴重に縛つてやれ。
願哲 はゝ、面白い、面白い。
おかん なにが面白いものか。ほんたうに好い面の皮だ。
助八 こいつ等、面白半分に騷ぎ立てやあがると、おれが料簡しねえぞ。
六郎 はて、喧嘩をしてはならない。靜かにしろ、靜かにしろ。
(雲哲と願哲は笑ひながら二人を縛りあげる。六郎兵衞も彦三郎を縛る。)