27話 黄いろい紙 二
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それから三日目の夕方に、わたくしはお富を連れて新宿の大通りまで買物に出ました。夕方といってもまだ明るい時分で、暑い日の暮れるのを鳴き惜しむような蝉の声が、そこらで忙しそうに聞えていました。
横町をもう五、六間で出ぬけようとする時に、むこうから二人づれの女がはいって来ました。お富が小声で注意するように、お嬢さんと呼びますので、わたくしも気がついてよく見ますと、それはかの飯田の御新造と女中のお仲です。
近所に住んでいながら、特別に親しく附合いもしておりませんので、わたくし共はただ無言で会釈してすれ違いましたが、お仲という女中はいかにも沈み切った、今にも泣き出しそうな顔をして主人のあとに付いてゆくのが、なんだか可哀そうなようにも見えました。
「お嬢さん。ごらんなさい。あの御新造の顔を……。」と、お富はふりかえりながら小声でまた言いました。
まったくお富の言う通り、飯田の御新造の顔容はしばらくの間にめっきりとやつれ果てて、どうしてもただの人とは思われないような、影のうすい人になっておりました。
「もうコレラになっているのじゃありますまいか。」と、お富は言いました。
「まさか。」
とは言いましたが、飯田の御新造の身の上について、わたくしも一種の不安を感ぜずにはいられませんでした。コレラは嘘にしても、なにかの重い病気に罹っているに相違ないとわたくしは想像しました。婦人病か肺病ではあるまいかなぞとも考えました。
そういうたぐいの病気で容易に癒りそうもないところから、いっそ死んでしまいたい、コレラにでもなって死んでしまいたいというような愚痴が出たのを、女中たちが一途に真に受けて、御主人はコレラになりたいと願っているなぞと言い触らしたのであろうとも考えてみました。しかし生魚や天ぷらを無暗にたべるという以上、ほんとうにコレラになって死のうと思っているのかも知れないなぞとも考えられました。
九月になってもコレラはなかなかおしまいになりませんので、大抵の学校は九月一日からの授業開始を当分延期するような始末でした。おまけに今までは山の手方面には比較的少なかったコレラ患者がだんだんにふえて来まして、四谷から新宿の方にも黄いろい紙を貼つけた家が目につくようになってまいりました。
その当時は、コレラ患者の出た家には丁度かし家札のような形に黄いろい紙を貼り付けておくことになっておりましたので、往来をあるいていて、黄いろい紙の貼ってある家の前を通るのは、まことにいやな心持でございました。そういうわけで、怖ろしいコレラがだんだんに眼と鼻のあいだへ押寄せて来ましたので、気の弱いわたくし共はまったくびくびくもので、早く寒くなってくれればいいと、ただそればかりを念じておりました。
「飯田さんのお仲さんはやっぱり勤めていることになったそうです。」
ある日、お富がわたくしに報告しました。お仲はどうしても八月かぎりで暇を取るつもりでいたところが、御新造がお仲にむかって、お前はどうしてもこの家を出てゆく気か、わたしももう長いことはないのだからどうぞ辛抱していてくれ。これほど頼むのを無理に振切って出てゆくというなら、わたしはきっとおまえを怨むからそう思っているがいいと、たいへんに怖い顔をして睨まれたので、お仲はぞっとしてしまって、仕方なしにまた辛抱することになったというのでございます。
お富はまたこんなことを話しました。
「あの御新造はゆうべ狢を殺したそうですよ。」
「むじなを……。どうして……。」と、わたくしは訊きました。
「なんでもきのうの夕方、もう薄暗くなった時分に、どこからかむじなが……。もっとも小さい子だそうですが、庭先へひょろひょろ這い出して来たのを、御新造がみつけて、ばあやさんとお仲さんに早く捉まえろと言うので、よんどころなしに捉まえると、御新造は草刈鎌を持ち出して来て、力まかせにその子むじなの首を斬り落してしまったそうで……。お仲さんはまたぞっとしたということです。全くあの御新造はどうかしているんですね。どうしても唯事じゃありませんよ。」
「そうかも知れないねえ。」
飯田の御新造は病気が募って来て、むやみに神経が興奮して、こんな気違いじみた乱暴な残酷なことをするようになったのかも知れないと、わたくしは何だか気の毒にもなりました。しかしそんな乱暴が増長すると、しまいにはどんなことを仕出かすか判らない。自分の家へ火でも付けられたら大変だ――わたくしはそんなことも考えるようになりました。
忘れもしない、九月十二日の午前八時頃でございました。使に出たお富が顔の色をかえて帰って来まして、息を切ってわたくし共にまた報告しました。
「飯田さんの御新造がとうとうコレラになりました。ゆうべの夜半から吐いたり下したりして……。嘘じゃありません。警察や役場の人たちが来て大騒ぎです。」
「まあ。大変……。」
わたくしも驚いて門の外まで出て見ますと、狭い横町の入口には大勢の人が集まって騒いでおりまして、石炭酸の臭いが眼にしみるようです。病人は避病院へ送られるらしく、黄いろい紙の旗を立てた釣台も来ておりました。なんだか怖ろしくなって、わたくしは早々に内へ逃げ込んでしまいました。
飯田の御新造は真症コレラで避病院へ運び込まれましたが、その晩の十時ごろに死んだそうでございます。御本人はそれで本望かも知れませんが、交通遮断やら消毒やらで近所は大迷惑でございました。それも自然に発病したというのならば、おたがいの災難で仕方もないことですが、この御新造は自分から病気になるのを願っていたらしいという噂が世間にひろまって、近所からひどく怨まれたり、憎まれたりしました。
「飛んでもない気ちがいだ。」と、わたくしの父も言いました。
ところが、その後にお仲という女中の口からこういう事実が伝えられて、わたくしどもを不思議がらせました。前にも申す通り、その当時は黄いろい紙にコレラと黒く書いて、新患者の出た家の門に貼り付けることになっておりました。飯田の御新造はいつの間にかその黄いろい紙を二枚用意していて、一枚は自分の家に貼って、他の一枚は柳橋のこうこういう家の門に貼ってくれと警察の人に頼んだそうです。
何を言うのかとも思ったのですが、警察の方から念のために柳橋へ聞合せると、果してその家にもコレラの新患者が出たというので、警察でもびっくりしたそうでございます。その新患者は柳橋の芸妓だということでした。