9話 夢想論(1)
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夢といえばたれびとも知らざるものなけれども、その説明に至りては知らざるもの必ず多からん。果たしてしからば、夢もまた妖怪の一種なり。しかして、心理学上、夢の説明を考うるは、大いにおもしろ味ある事項にして、他の妖怪の説明にも、大いに関係を有する問題なり。よって余は、左にその大要を説明すべし。
夢とは睡眠中、思想上に動揺発顕するものなり。そのほか、睡眠に発呈する一種の挙動あり。これ通常、夢といわざれども、夢と同一理にもとづくものなり。その挙動とは、睡眠中の言語、歩行をいう。通常、この挙動を夢行(また眠行、夜行)といい、これに対して夢を夢想という。今述ぶるところは、この夢想の一斑にとどむるなり。
夢とはなんぞやといえば、睡眠中あらわるる意識の作用なりと答え得れども、通常の意識とは大いに異にして、意力の支配を受けざる思想の作用なり。換言すれば、起動する思想を意力にて制限せず、ただ、自然に任じて連起するものをいう。ゆえに、自然作用の及ぶところ、いかなる間違いを生ずるも、自らこれを随意に制限することあたわず、ただ思想の連合にて起動するのみ。しかれども、夢中には全く意力を欠きたるやというについては、すこぶる議論のあることなり。かの、夢中に追わるることあれば逃げんとすることあるがごときは、意力の命令を下すに似たり。有意力論者はこれらの例証を主張すれども、無意力論者は曰く、「これは自然に思想の連合よりきたるのみ。別に意力の作用ありてしかるにあらず」と、無意力を可とするもの多きがごとし。しかして今、夢の起こるゆえんを説明せんとするに当たりては、睡眠のことより説明せざるべからず。
睡眠の起こりにも種々の議論あれども、生理学上の一説をいえば、脳髄に循環する血液の減ずるは、睡眠催起の原因なりという。しかれども、あるいは曰く、「血液の減少は結果なり。脳髄の作用減止するゆえに、血液循到せざるのみ」と。この二者のいずれが原因にして、いずれが結果なるやは論定し難しといえども、睡眠中血液の減少することは確然たるがごとし。しかるに、ある内外の刺激または他の事情にて、脳中の一部分起動すれば夢を起こすなり。もし、全分休止して意識作用の動かざるとき、これを熟睡という。しからば、夢と睡眠とはいくばくの差別ありやというに、夢も睡眠も死も、みなこれを心理学上よりみれば同一の現象のみ。脳髄および五官の神経等、有機組織の作用する間は醒覚のありさまなれども、睡眠中には脳髄および五官の神経等、大抵その作用を休む。ただ、反射作用は依然として動作す。かの肺、心、腸、胃等の作用これなり。ゆえに換言すれば、睡眠中は、反射作用は醒覚のときとさらに異ならざれども、意識作用は全く休止すというべし。しかして、意識作用も反対作用も、みなことごとく休止するに至れば死というなり。今、試みにその別を左に表示すべし。
反射作用 意識作用
醒覚 有 有
夢 有 一部分
熟睡 有 無
死 無 無
およそ夢は、醒覚と睡眠との中間のありさまにして、醒覚より睡眠に移るとき、および睡眠より醒覚に至らんとするときに最も多し。熟睡のときは全脳休止するをもって、夢を結ぶこともなしといえども、その醒覚するや、一部は早く一部は遅く、また、眠りに就くときは、視覚神経すでに眠れども、聴覚神経いまだ眠らざることあり。かくのごとく、全脳総体作用するにあらず、また休止するにあらざるをもって、夢を結ぶに至るなり。しかして、いかにして醒覚より眠りに至るやは、普通の道理に照らして説明し得べし。すなわち、およそ生活の有無に関せず、万物はみな一定の時間これを使用すれば、いくぶんの消耗を実質の上にきたすものなり。有機体において、その身体の一部分を使用すれば疲労を生ずるもの、すなわちこれなり。手足等、最もこれを知りやすし。この疲労を回復せんには、身体を休息せしめざるべからず。休息せしむれば、よく疲労を回復するをもって、再び動作することを得るに至る。かく動作の後に休息し、休息の後に動作するは、有機身体一般の規則なり。胃腸は食物のある間は働けども、その後には休息す。もし、絶え間なく食物を輸送することあらば、その部に疾病を醸すに至らん。かく言わば、人あるいは疑わん。心と肺とは昼夜、終年、その作用をとどむることなし。この二臓は休労の規則の例外なりやと。その疑問一理あるに似たりといえども、実際これを験するに、肺心の二器もまた、決して休息なきにあらず。心臓は絶えず伸縮して血液を輸送すといえども、その収縮と伸張との間に、毎回少時の休息あり。これを積算すれば、一昼夜二十四時間内に、六時間休息するの割合なり。肺も絶えず空気を呼吸すといえども、その吸入と呼出との間に、毎回少時の休息ありて、これを積算すれば、一昼夜二十四時間内に、八時間の休息ありという。それ、かくのごとし。あに、もって例外となさんや。ゆえに、有機身体はいずれの部も、一昼夜に六時間ないし八時間の休息を取るべきこと、一定の規則とするも可なり。しかるに、大脳作用に至りては、醒覚の間は寸毫も休息をなさず。ゆえに、一定の時間労働せし後は、一定の時間回復の休息を取らざるべからず。この休息は、すなわち睡眠なり。しかして脳の各部は、醒覚のときの疲労の多少と、眠中の事情の異同とによりて、同時に休息し、同時に醒覚することあたわず、必ずその一部分は早く起き、他の一部分は遅く休むの不平均を生ずることあるべし。これ、夢の起こるゆえんなり。
夢を催起する原因事情は、第一、五官の感覚すなわち外覚なり。目を刺激し、耳を刺激し、手足を刺激することあれば、ただちに脳部にその刺激を及ぼして夢を結ぶに至る。古来、その例証に乏しからず。今、一、二を挙ぐれば左のごとし。
ある貴人が一夕、兵隊となりたる夢を見、たまたま砲声を発するを聞きて驚きさむれば、そのとき隣室中に、不意に発声するものありて夢を引き起こし、かつ、眠りを驚かせしなり。これ、耳感にありて夢を生ぜし一例なり。
ある人、睡眠中にその弟来たりて談話したることあり。しかるにその人、睡眠中にありながら、その談話と寸分も違わざる夢を結びたりという。これまた耳感の夢なり。
ある人、睡眠中ガスの気を嗅ぎて、化学実験室に入りたる夢を結びしという。これ、鼻感の夢なり。
触感の夢には、その例はなはだ多し。例えば、湯を入れたる鉄瓶に足の触るるありて、火上を渡りし夢を結び、冷水を入れたる鉄瓶に足の触るるありて、氷雪を踏みし夢を結ぶ等なり。
また、視感によりて夢を結ぶことあり。ある人、夢に極楽に遊び、四面光明赫々たるを見、驚きさむれば、炉中に薪の突然火を発するを見たり。また、ある人、夢に盗賊の室中に入りて、手に燭を取り物品を探るを見、翌朝これをその母に語る。母曰く、「これ、わが前夜ろうそくを取りて室中に入り、物品を探りしことの、夢に現ぜしならん」
また、ある人、ことさらに試験を施せしことあり。一夕、熟眠せる人の手足を爪にてひねりたるに、その人は医者の手術を受けたる夢を見たり。また一夕、熟眠せる人の額に冷水の一滴を点じたるに、その人、イタリア国にありて熱気のはなはだしきを感じ、ブドウ酒一杯を傾けたることを夢みたりという。
明治二十年、和歌山県久保某氏より報知せる書中に、左の一事あり。久保氏自ら曰く、「一夕、夢中にて余の傍らにある人、棒をふりまわす。余、その棒の己が身体にあたるを恐れしに、やや久しくして、果たして余の頭にあたれり。よって驚きさむれば、たまたま余の傍らに臥したる人が手を伸ばして、あやまりて余の頭に触れたるなり」と。
夢を結ばしむる第二の原因は、内部の感覚すなわち腸胃等の感覚より起こること多し。例えば、就眠の前に飲食すれば苦しき夢を結び、不消化物を食せしときもまた同じ。その他、血液の運行、熱度の矩合等にて夢を生ずること多し。また、夢にて疾病を予知することあり。例えば、いまだなんの現象なきに腫物を夢み、二、三日の後、真腫発するがごとし。これは、体中すでにその兆候あれども、常には全体の感覚のために滅却せられて、ことにこれを感ぜざるに、夢中には他の感覚休息するをもって、よく感知するを得るなり。ゆえに、これ決して怪しむべきことにあらず。その他、肺病等を前知すること往々これありという。また、手を胸上に置き、もしくは夜具等にて喉部を圧することあれば、その実、些少の苦痛なれども、夢中にはその感はなはだ大にして、非常に苦夢を結ぶことあり。
以上は、内覚および外覚より起こる夢の事情なり。しかれども、夢の起こるはただにこれのみならず、脳の内部の事情にて起こることあり。この事情はいちいち知ることを得ざれども、血液の分量、通例より多く脳中に入りて刺激すれば夢を結び、また、血液の成分および熱度に関係すること多し。その他、昼間、困難なることに脳髄を使用するか、あるいは配慮すること多ければ、夜間、結夢の原因となるものなり。
夢想の起こることは略説したり。夢行も、その理さらに異なることなし。熟眠のときは五官神経もみなことごとく休息すれども、その一部分醒覚して、他はいまだ熟眠せざることあり。囈語は口部の神経だけ醒覚したるなり。あるいは手足の運動神経のみ醒覚して、耳、目、鼻、口等の神経なお睡眠せることあり。眠中の歩行、これなり。今、二、三の例を挙ぐれば、夜中不時に起きて家を一周し、また廐に至りて馬に乗り、また屋上にのぼりて仕事をなしながら自らこれを知らず。また、かつて人あり。夜中、一友来訪す。急に起きて応接し、談話の末議論激烈にわたり、ともに決闘を約し自らピストルを放ち、その砲声に驚きて醒覚せりという。その他、目に見えたれども、その人を呼ぶことあたわず、また、身体をめぐらすことあたわず、耳にて聴きたれども、これに答うることあたわざる等は、みな甲部は醒覚したれども、乙部はいまだ睡眠せるによるなり。もし全体醒覚せば、夢行にもあらず、夢想にもあらず、通常の思想なり、通常の運動なり。
以上は、夢の起こる原因なれども、夢の中には空間の大小、時間の長短を知ることあたわず。重ねたる足の落ちたるは、わずかに寸秒の間なり。しかれども、夢中には橋を渡りて落つるなど、すこぶる長時の考えをなす。その他、いにしえを今とし、今をいにしえとし、わずか一夜のうちに数十年の経歴をなすことあり。また、遠を近とし近を遠とし、小を大とし大を小とする等、実際とはなはだしく懸絶すること通常なり。また、夢の作用は全体不十分なるものなれども、醒覚のときよりかえって十分なることあり。夢中に詩を作り文を解し、裁判の判決を考定し、数学の難問を解説することあり。その他、後日のことを前知し、遠方のことを予知すること珍しからず。これらは夢の変状なり。これより、その理由を講述すべし。
今、この説明を与うるに当たり、まず余が先年、熱海温泉にありて経験したる百種の夢を掲げて、その原因を考究すること肝要なり。このことは余、先年、哲学会において演説し、またこれを当時の『哲学会雑誌』に掲載したるも、今ここにその項目を挙ぐること必要なれば、左にその分析表を掲示すべし。
この夢は、明治二十年十二月二十三日夜より二十一年三月七日夜まで、七十六日間に夢みしところのものなり。
余は初めてこれを試むるに当たり、毎朝醒覚の後、その記憶せしところのものを集めんとせしも、十中八九は失念して再現すること難きを知りたれば、毎夜筆紙を枕頭に置き、わずかに醒覚することあれば、ただちにその夢みしものを記載して、七十余日間に百夢を得たるなり。
その夢の種類を分析するに、左表のごとき結果を得たり。
学問および事務上に関したる夢 十種
旅行に関したる夢 十二種
遊歩に関したる夢 十八種
病気に関したる夢 九種
訪問に関したる夢 十六種
世間のありさまおよび出来事に関したる夢 九種
会合および饗応に関したる夢 十三種
妖怪に関したる夢 二種
遊戯に関したる夢 六種
葬祭に関したる夢 五種
この表について考うるに、平常経験したること、および近く経験したること、その他、平常心頭にかけたることは、夢中に現ずる割合多きを見る。すなわち、熱海にありては毎日野外に遊歩したるをもって、遊歩の夢その割合最も多く、訪問、会合、旅行、またその割合多きにおれり。しかして病気の夢、これを他種の夢に比するに、その割合やや多きは、当時、病気療養のためその地にありて、多少懸念するところありしによる。もし強壮の人なれば、病気の夢決してかくのごとく多からざるなり。つぎに、その夢を夢中見るところの場所について分析するに、左表のごとき結果を得るなり。
東京にありし夢 四十二種(うち八種は大学にありしときの夢なり)
郷里にありし夢 十五種
西京にありし夢 二種
熱海にありし夢 十四種(うち七種は帰京の後の夢なり)
他の地方にありし夢 十種
諸方混同したるもの 四種
場所の不分明なるもの 五種
場所に関係なきもの 八種
この表について考うるに、その経験の近くしてかつ多き場所は、夢中に現ずること多きを見るべし。けだし、余の生活はこれを概算するに、生まれてより今日まで、その三分二は郷里および西京に住し、三分一は東京に住せり。西京に住せし年月は一年未満なり。ゆえに、東京の夢最も多きはずなり。しかして熱海の夢は、熱海にある間は現ずること少なく、帰京後かえって多し。これ他なし、帰京の後は熱海の浴遊を回想すること、かえって切なればなり。
つぎに、夢の起こりし原因を考うるに、五官および身体組織間の感覚より生ずるもの七種あり。うち一種は聴感より生じ、他の六種は内臓および筋肉間の感覚より生じたるなり。その他の九十三種はその原因明らかならざるも、脳中の事情によりて生ぜしは疑いをいれず。しかして、夢の前日中に経験したるものを見ること最も多きがごとし。今、これを時間について分析するときは、左表のごとき結果を得るなり。
前日中に経験したるものの夢 十二種
二日前ないし一月前に経験したるものの夢 十八種
一月前ないし一年前もしくは十年前に経験したるものの夢 二十七種
平常思想中に存せしもの、および想像上に存せしものの夢 二十五種
想像上に存せず経験上に現ぜざりしものの夢 十一種
これによりてこれをみるに、平常思想中に存せしもの、および近く経験したりしものは、夢中に現ずること多きを知るべし。
その他、この夢について記すべきことは、第一に、腸胃の悪きときと発熱のうちに夢を現ずること最も多きこと、第二に、夢と夢との間に数日を隔てて連絡あること、第三に、恐ろしき夢は、たいてい身体中のある部分に、不快もしくは苦痛の感覚あるときに生ずること、第四に、夢中に時間、空間の精密なる配置、連続なきこと、第五に、夢想と事実との間に大いなる相違あること等なり。しかれども、これらはみな人の経験するところなれば、いちいちその例を挙ぐるを要せざるなり。
これより、さらに進みて夢中の状態を考うるに、時間の長短、空間の遠近等、夢中にありて明らかに知ることあたわざるゆえんは、まず夢は、一部分の意識作用によりて起こるゆえんの理を推して知ることを得べし。およそ時間の記憶およびその長短を識別する力は、脳中の諸記憶の比較対照より起こらざるはなし。例えば、上図のごとく、イロハニホの五種の事実が時間の前後に応じて、脳中の記憶を形成せるものと仮定し、イの事実は五年前に起こり、ロは四年前、ハは三年前、ニは二年前、ホは一年前に起こりたるものと仮想してこれを論ずるに、脳中の全部分醒覚するときに限りて、前後を対照してその新旧を判知することを得べし。しかるに、もし夢中にありてイロのみ醒覚し、ハニホ眠息するときは、その四、五年前に起こりたる事実は、あたかも今年、近時に起こりたるもののごとく想見すべし。また、イとホとの二個の記憶醒覚して、ロハニの三個の記憶、夢中にありて眠息するうちは、イとホとの間に数年を隔てたるに、あたかも同年中に起こりたるがごとく感見するなり。故をもって、夢中にありては、死したる人を現に世にあるもののごとく感見することあり、また、数年前に見聞したるものを、今日今時に見聞したるがごとく感見することあり。これ、諸記憶の比較対照を失うによるのみ。例えば、人の生時の記憶のみ醒覚して死時の記憶眠息するときは、その人は現に世にあるもののごとく感見するなり。
つぎに空間上、距離の遠近の夢中にありて相混ずるゆえんも、同一理について知ることを得べし。例えば前図について、ヘトハチリの五種の場所、わが記憶中にありて存するものと仮定するに、ヘとリとはその距離最も遠きも、トハチの記憶眠息して、その間に距離を対較すべきものを見ざるときは、この二者あたかも接近して存するもののごとく感見するなり。
およそ夢中に現見するものの事実に合せざること多きは、みな脳中の一部分醒覚して一部分眠息せるによる。しかして、一夢さめきたれば全部分活動するをもって、一部分の想像の全く謬見なるを知るに至る。しかりしこうして、夢中によく詩を作り文を解し、算問の答案を作る等のことあるは、はなはだ解し難き道理あるに似たるも、これ、かえってその作用の一部分なるより起こる。先年、内藤某氏、左のごとき詩を夢中に得たりとて報知せられたり。
塵事堆中日月移 秋来未有一篇詩
却思去歳○○○ 載酒孤舟棹月時
(塵事堆中日月移る 秋きたりいまだ一編の詩あらず
かえって思う去歳○○○ 酒を載せて孤舟月に棹さすとき)
転句の○○○は、夢さめて失念したるものなりという。その他、夢中新発明をなしたるがごときは、多くその例を見るところなり。今、左にその説明を与えん。