中国怪奇小説集 07 白猿伝・其他(唐)

1話 中国怪奇小説集 07 白猿伝・其他(唐)(1)

8,523字 約17分 2003年9月21日 公開

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 第五の男は語る。

「唯今は『酉陽雑爼』と『宣室志』のお話がありました。そこで、わたくしには其の拾遺(しゅうい)といったような意味で、唐代の怪談総まくりのようなものを話せという御注文ですが、これはなかなか大変でございます。とても短い時間に出来ることではありません。勿論、著名の物を少々ばかり紹介いたすに過ぎないと御承知ください。就きましては、まず『白猿伝』を申し上げます。この作者の名は伝わって居りません。唐に欧陽詢(おうようじゅん)という大学者がありまして、後に渤海男(ぼっかいだん)(ほう)ぜられましたが、この人の顔が猿に似ているというので、或る人がいたずらにこんな伝奇を創作したのであって、本当に有った事ではないという説があります。しかし〈志怪の書〉について、その事実の有無を論議するのは、無用の弁に近いかとも思われます。ともかくも古来有名な物になって居りまして、かの頼光(らいこう)大江山(おおえやま)入りなども恐らくこれが粉本(ふんぼん)であろうと思われますから、事実の有無(うむ)を問わず、ここに紹介することに致します。

 そのほかには、原化記(げんかき)朝野僉載(ちょうやせんさい)博異記(はくいき)、伝奇、広異記(こういき)幻異志(げんいし)などから、面白そうな話を選んで申し上げたいと存じます。これらもみな有名の著作でありまして、一つ一つ独立して紹介するの価値があるのでございますが、あとがつかえて居りますから、そのなかで特色のあるお話を幾つか拾い出すにとどめて置きます。右あらかじめお含み置きください」

   白猿伝

 (りょう)六朝(りくちょう))の大同(だいどう)の末年、平南将軍藺欽(りんきん)をつかわして南方を征討せしめた。その軍は桂林(けいりん)に至って、李師古(りしこ)陳徹(ちんてつ)を撃破した。別将の欧陽(おうようこつ)は各地を攻略して長楽(ちょうらく)に至り、ことごとく諸洞の敵をたいらげて、深く険阻(けんそ)の地に入り込んだ。

 欧陽の妻は白面細腰(はくめんさいよう)、世に優れたる美人であったので、部下の者は彼に注意した。

「将軍はなぜ麗人を同道して、こんな蕃地へ踏み込んでお()でになったのです。ここらの山の神は若い女をぬすむといいます。殊に美しい人はあぶのうございますから、よく気をお付けにならなければいけません」

 はそれを聞いて甚だ不安になった。夜は兵をあつめて宿舎の周囲を守らせ、妻を室内に深く閉じ籠めて、下婢(かひ)十余人を付き添わせて置くと、その夜は暗い風が吹いた。五更(ごこう)(午前三時―五時)に至るまで寂然(せきぜん)として物音もきこえないので、守る者も油断して仮寝(うたたね)をしていると、たちまち何物かはいって来たらしいので驚いて眼をさますと、将軍の妻はすでに行くえ不明であった。(とびら)はすべて閉じたままで、どこから出入りしたか判らない。門の外は(けわ)しい峰つづきで、眼さきも見えない闇夜にはどこへ追ってゆくすべもない。夜が明けても、そこらになんの手がかりも見いだされなかった。

 の痛憤はいうまでもない。彼はこのままむなしく(かえ)らないと決心して、病いと称してここに軍を(とど)め、毎日四方を駈けめぐって険阻の奥まで探り明かした。こうしてひと月あまりを経たるのち、百里(六丁一里)ほどを隔てた竹藪で妻の繍履(ぬいぐつ)の片足を見付け出した。雨に湿()れ朽ちてはいたが、確かにそれと認められたので、はいよいよ悲しみ怒って、そのゆくえ捜索の決心をますます固めた。

 彼は三十人の壮士をすぐって、武器をたずさえ、糧食を背負い、巌窟(がんくつ)()ね、野原で食事をして、十日あまりも進むうちに、宿舎を去ること二百里、南のかたに一つの山を認めた。山は青く(ひい)でて、その下には深い(たに)をめぐらしていた。一行は木を編んで、嶮しい巌や(あお)い竹のあいだを渡り越えると、時に紅い(きもの)が見えたり、笑い声がきこえたりした。

 (つた)かずらを()じて登り着くと、そこには良い樹を植えならべて、そのあいだには名花も咲いている。緑の草がやわらかに伸びて、さながら毛氈(もうせん)を敷いたようにも見える。あたりは清く静けく、一種の別天地である。

 路を東にとって石門にむかうと、婦女数十人、いずれも鮮麗の衣服を着て歌いたわむれていたが、の一行を見てみな躊躇するようにたたずんでいた。やがて近づくと、かれらは一行にむかって、なにしに来たかと()いた。は事情をつまびらかに打ち明けると、女たちは顔をみあわせて嘆息した。

「あなたの奥さんはひと月ほど前からここに来ておいでですが、今は病気で寝ておられます。来てごらんなさい」

 門をはいると、木の扉がある。内は(ひろ)くて、座敷のようなものが三、四室ある。壁に沿うて(とこ)を設け、その床は綿に包まれている。の妻は石の(とう)の上に寝ていたが、畳をかさね、(しとね)をかさねて、結構な食物がたくさんに列べてあった。たがいに眼を見合わせると、妻は急に手を振って、夫に早く立ち去れという意を示した。

 女たちは言った。

「奥さんはこの頃お出でですが、わたし達の中にはもう十年もここにいる者があります。ここは神霊ある物の棲む所で、自由に人を殺す力を持っています。百人の精兵でも、かれを取り押えることは出来ません。幸いに今は留守ですから、還らない間に早く立ち去るが好うございます。しかし()い酒二石と、食用の犬十匹と、麻数十(きん)とを持ってお出でになれば、みんなが一致して彼を殺すことが出来ます。来るならば必ず正午ごろに来てください。それも直ぐに来てはなりません。十日を過ぎてお出でなさい」

 それでは十日の後に再び来ると約束して、の一行は立ち帰った。それから美酒と犬と麻とを用意して、約束の時刻にたずねて行くと、女たちは待っていた。

「かれは酒が大好きで、酔うと力が満ちて来ると見えて、私たちに言いつけて綵糸(いろいと)で自分のからだを(ゆか)に縛り付けさせます。そうして、一つ()ねあがると、糸は切れてしまうのです。しかし三本の糸をまき付けると、力が不足で切ることが出来ません。それですから、(きぬ)のなかに麻を隠して置いて縛ったらば、おそらく切ることは出来まいと思われます。彼のからだはすべて鉄のようで刃物などは透りませんが、ただ(へそ)のした五、六寸のところを大事そうに隠していますから、そこがきっと急所で、刃物を防ぐことが出来ないのであろうと察せられます」

 女たちは更にかたわらの巌室(いわむろ)を指さして教えた。

「そこは食物(ぐら)ですから暫く忍んでおいでなさい。酒を花の下に置き、犬を林のなかに放して置いて、わたし達の計略が成就(じょうじゅ)した時に、あなた方に合図をします」

 その通りにして、一行は息を忍ばせて待っていると、日も早や(さる)の刻(午後三時―五時)とおぼしき頃に、練絹(ねりぎぬ)のような物があなたの山から飛ぶが如くに走って来て、たちまちに(ほら)のなかにはいった。見れば、身のたけ六尺余の男で、美しい(ひげ)をたくわえ、白衣を着て杖を曳いていた。かれは女たち大勢に取り巻かれて庭に出たが、たちまちに犬を見つけて驚き喜び、身を跳らせて引っ捕えたかと思うと、引き裂いて片端から(くら)い尽くした。女たちは玉の杯で酒をすすめると、機嫌よく笑い興じながらかれは数()の酒を飲んだ。

 女たちはかれを(たす)けて奥にはいったが、そこでも又笑い楽しむ声がきこえた。やや暫くして、女が出て来ての一行を招いたので、すぐに武器をたずさえて踏み込むと、一頭の大きい白猿が四足(しそく)(ゆか)にくくられていて、一行を見るや慌て騒いで、しきりに身をもがいても動くことが出来ず、いたずらに電光のような眼を輝かすばかりであった。一行は先を争って刃を突き立てたが、あたかも鉄石の如くである。しかも臍の下を刺すと、(やいば)は深く突き透って、そそぐが如くに血が流れた。

「ああ、天がおれを殺すのだ」と、かれは大きい溜め息をついた。「貴様たちの働きではない。しかし貴様の女房はもう(はら)んでいる。必ずその子を殺すな。明天子に逢って家を興すに相違ないぞ」

 言い終って彼は死んだ。その(くら)をさがすと、宝物珍品が山のように積まれていて、およそ人世の珍とする物は備わらざるなしという有様であった。名香(めいこう)(こく)、宝剣一(そう)、婦女三十人、その婦女はみな絶世の美女で、久しいものは十年もとどまっている。容色おとろえた者はどこへか連れて行かれて、どうなってしまうか判らない。女を取り、物を取るのはすべて自分ひとりで、他に党類はない。朝はたらいで顔を洗い、帽をかぶり、白衣を着るが、寒さ暑さに頓着せず、全身は長さ幾寸の白い毛に(おお)われている。

 かれが家にある時は、常に木彫りの書物を読んでいるが、その文字は符篆(ふてん)の如くで、誰にも読むことは出来ない。晴れた日には両手に剣を舞わすが、その光りは身をめぐって飛び、あたかも円月の如くである。飲み食いは時を定めず、好んで木実(このみ)や栗を食うが、もっとも犬をたしなみ、啖い殺して血を吸うのである。(ひる)を過ぎると飄然として去り、半日に数千里を往復して夕刻には必ず帰って来る。夜は婦女にたわむれて暁に至り、かつて眠ったことがない。要するに《かかく》のたぐいである。

 ことしの秋、木の葉が落ち始める頃に、かれはさびしそうに言った。

「おれは山の神に訴えられて、死罪になりそうだ。しかし救いをもろもろの霊ある物に求めたから、どうにか(まぬ)かれるだろう」

 前月、書物を収めてある石橋が火を発して、その木簡(もっかん)を焼いてしまった。かれは書物を石の下に置いたのである。かれは悵然(ちょうぜん)としてまた言った。

「おれは千歳(せんざい)にして子がなかったが、今や初めて子を儲けた。おれの死期もいよいよ至った」

 かれはまた、女たちを見まわして、涙を催しながら言った。

「この山は険阻で、かつて人の踏み込んだことのない所だ。上は高くして樵夫(きこり)なども見えず、下は深うして虎狼(ころう)怪獣が多い。ここへもし来る者があれば、それは天の導きというものだ」

 怪物の話はこれで終った。はその宝玉や珍品や婦女らを連れて帰ったが、婦女のうちには我が家を知っていて、無事に戻る者もあった。の妻は一年の後に男の子を生んだが、その容貌は父に()ていた。

 は後に(ちん)武帝(ぶてい)のために誅せられたが、彼は平素から江総(こうそう)と仲がよかった。江総はの子の聡明なるを愛して、常に自分の家に留めて置いたので、のほろびる時にもその子は難をまぬかれた。生長の後、その子は果たして文学に達し、書を善くし、名声を一代に知られた。(白猿伝)

   女侠

 唐の貞元年中、博陵(はくりょう)崔慎思(さいしんし)進士(しんし)に挙げられて上京したが、京に然るべき第宅(ていたく)がないので、他人の別室を借りていた。家主は別の母屋(おもや)に住んでいたが、男らしい者は一人も見えず、三十ぐらいの容貌(きりょう)のよい女と唯ふたりの女中がいるばかりであった。崔は自分の意を通じて、その女を妻にしたいと申し入れると、彼女は答えた。

「わたくしは人に仕えることの出来る者ではありません。あなたとは不釣合いです。なまじいに結婚して後日(ごじつ)の恨みを残すような事があってはなりません」

 それでは(めかけ)になってくれと言うと、女は承知した。しかも彼女は自分の姓を名乗らなかった。そうして二年あまりも一緒に暮らすうちに、ひとりの子を儲けた。それから数月の後、ある夜のことである。崔は戸を閉じ、(とばり)を垂れて(しん)に就くと、夜なかに女の姿が見えなくなった。

 崔はおどろいて、さては他に姦夫(かんぷ)があるのかと、憤怒(いきどおり)に堪えぬままに起き出でて室外をさまよっている時、おぼろの月のひかりに照らされて、彼女は屋上から飛び降りて来た。白の練絹を身にまとって、右の手には、匕首(あいくち)、左の手には一人の首をたずさえているのである。

「わたくしの父は罪なくして郡守に殺されました。その仇を報ずるために、城中に入り込んで数年を送りましたが、今や本意を遂げました。ここに長居は出来ません。もうお(いとま)をいたします」

 彼女は身支度して、かの首をふくろに収め、それを小脇にかかえて言った。

「わたくしは二年間あなたのお世話になりまして、幸いに一人の子を儲けました。この住居も二人の奉公人もすべてあなたに差し上げますから、どうぞ子供の養育を願います」

 男に別れて(かき)を越え、家を越えて立ち去ったので、崔も暫くはただ驚嘆するのみであった。やがて女はまた引っ返して来た。

「子供に乳をやって行くのを忘れましたから、ちょっと飲ませて来ます」

 彼女は室内にはいったが、やや暫くして出て来た。

「乳をたんと飲ませました」

 言い捨てて出たままで、彼女はかさねて帰らなかった。それから時を移しても、赤児(あかご)の啼く声がちっとも聞えないので、崔は怪しんでうかがうと、赤児もまた殺されていた。

 その子を殺したのは、のちの思いの種を断つためであろう。昔の侠客もこれには及ばない。(原化記)

   霊鏡

 唐の貞元年中、漁師十余人が数(そう)の船に小網を載せて漁に出た。蘇州(そしゅう)の太湖が松江(しょうこう)に入るところである。

 網をおろしたがちっとも獲物(えもの)はなかった。やがて網にかかったのは一つの鏡で、しかもさのみに大きい物でもないので、漁師はいまいましがって水に投げ込んだ。それから場所をかえて再び網をおろすと、又もやかの鏡がかかったので、漁師らもさすがに不思議に思って、それを取り上げてよく視ると、鏡はわずかに七、八寸であるが、それに照らすと人の筋骨(きんこつ)から臓腑(ぞうふ)まではっきりと映ったので、最初に見た者はおどろいて気絶した。

 ほかの者も怪しんで鏡にむかうと、皆その通りであるので、驚いて倒れる者もあり、嘔吐(はきけ)を催す者もあった。最後の一人は恐れて我が姿を照らさず、その鏡を取って再び水中に投げ込んでしまった。彼は倒れている人びとを介抱して我が家へ帰ったが、あれは確かに妖怪であろうと言い合った。

 あくる日もつづいて漁に出ると、きょうは網に入る魚が平日の幾倍であった。漁師のうちで平生から持病のある者もみな全快した。故老の話によると、その鏡は河や湖水のうちに在って、数百年に一度あらわれるもので、これまでにも見た者がある。しかもそれが何の精であるかを知らないという。(同上)

   仏像

 白鉄余(はくてつよ)延州(えんしゅう)胡人(こじん)西域(せいいき)の人)である。彼は邪道をもって諸人を惑わしていたが、深山の柏の樹の下に(あかがね)の仏像を埋め、その後数年、そこに草が生えたのを見すまして、土地の人びとを(あざむ)いた。

「昨夜わたしが山の下を通ると、仏のひかりを見た。日をさだめて精進潔斎(しょうじんけっさい)をして、尊い御仏(みほとけ)を迎えることにしたい」

 定めの日に数百人をあつめて、ここらという所を掘りかえしたが、仏は見付からなかった。彼はまた言った。

「諸人が誠心をささげて布施物(ふせもつ)を供えなければ、仏の姿を拝むことは出来ない」

 集まっている男女はあらそって百余万銭を供えると、彼はさきに埋めたところを掘り起して、一体の仏像を示した。その噂が四方に伝わって、それを拝ませてくれという者が多くなると、彼はまた宣言した。

「尊い御仏を拝むと、万病が本復(ほんぷく)する」

 その計略成就して、数百里のあいだの老若男女(ろうにゃくなんにょ)がみな集まった。そこで、紫や()や黄の綾絹(あやぎぬ)をもって幾重にも仏像をつつみ、拝む者があれば先ずその一重を()いで見せる。一回の布施が十万銭、その正体を拝むまでには幾十万銭に及ぶのであった。

 こんな詭計(きけい)を用いているうちに、一、二年の後には土地の者がみな彼に帰伏した。彼は遂に乱をおこして、みずから光王(こうおう)と称し、もろもろの官職を設け、長吏(ちょうり)を置き、諸国の禍いをなすこと数年に及んだので、朝廷は将軍程務挺(ていむてい)に命じてこれを討たしめ、かれらをほろぼして光王を斬った。(朝野僉載)

   孝子

 東海に郭純(かくじゅん)という孝子があった。母を(うしな)って彼は大いに(こく)した。その哭するごとに、鳥の群れがたくさん集まって来るのである。官から使者を派して取調べさせると、果たしてその通りであったので、彼は孝子として村の入口に表彰された。

 後に聞くと、この孝子は哭するごとに、地上に餅を()き散らして鳥にあたえた。それが幾たびも続いたので、その泣き声を聞きつけると、鳥の群れは餅を拾うために集まって来たのであった。(同上)

   壁龍

 柴紹(さいしょう)の弟なにがしは身も軽く、足も(はや)く、どんな所へでも身を躍らせてのぼるばかりか、十余歩ぐらいは飛んで行った。

 唐の太宗(たいそう)皇帝が彼に命じて長孫無忌(ちょうそんむき)(太宗の重臣)の鞍を取って来いと言った。同時に無忌にも内報して、取られないように警戒しろと注意した。その夜、鳥のようなものが無忌の邸内に飛び込んで、二つの鞍を二つに切って持ち去った。それ逃がすなと追いかけたが、遂に捉え得なかった。

 帝はまたかれに命じて丹陽公主(たんようこうしゅ)(公主=皇女)の枕を取って来いと言った。それは金をちりばめた(はこ)付きの物である。かれは夜半にその寝室へ忍び入って、手をもって睡眠中の公主の顔を撫でた。思わず頭をあげるあいだに、かれは他の枕と()りかえて来た。公主は夜の明けるまでそれを覚らなかった。

 又ある時、彼は吉莫靴(かわぐつ)をはいて、石瓦の城に駈けあがった。城上の(かき)には手がかりがないので、かれは足をもって仏殿の柱を踏んで、(のき)さきに達し、さらに(たるき)()じて百尺の楼閣に至った。実になんの苦もないのである。太宗帝は不思議に思った。

「こういう男は都の近所に置かない方がよい」

 彼は地方官として遠いところへ(うつ)された。時の人びとは彼を称して壁龍(へきりゅう)といった。

 太宗は又かつて長孫無忌に七宝帯を賜わった。そのあたい千金である。この当時、段師子(だんしし)と呼ばれる大泥坊があって、屋上の椽のあいだから潜り込んで無忌の枕もとに降り立った。

「動くと、命がありませんぞ」

 彼は白刃を突き付けて、その枕の函の中から七宝帯を取り出した。更にその白刃を床に突き立てて、それを力に飛びあがって、ふたたび元の椽のあいだから逃げ去った。(同上)

   登仙奇談

 唐の天宝(てんぽう)年中、河南子(かなんこうし)県の仙鶴観(せんかくかん)には常に七十余人の道士が住んでいた。いずれも専ら修道を怠らない人びとで、未熟の者はここに入ることが出来なかった。

 ここに修業の道士は、毎年九月三日の夜をもって、一人は登仙(とうせん)することを得るという旧例があった。

 夜が明ければ、その姓名をしるして届け出るのである。勿論、誰が登仙し得るか判らないので、毎年その夜になると、すべての道士らはみな戸を閉じず、思い思いに独り歩きをして、天の迎いを待つのであった。

 張竭忠(ちょうけっちゅう)がここの県令となった時、その事あるを信じなかった。そこで、九月三日の夜二人の勇者に命じて、武器をたずさえて窺わせると、宵のあいだは何事もなかったが、夜も三更(さんこう)に至る頃、一匹の黒い虎が寺内へ()り来たって、一人の道士をくわえて出た。それと見て二人は矢を射かけたが(あた)らなかった。しかも虎は道士を捨てて走り去った。

 夜が明けて調べると、昨夜は誰も仙人になった者はなかった。二人はそれを張に報告すると、張は更に府に申し立てて、弓矢の人数をあつめ、仙鶴観に近い太子陵の東にある石穴のなかを(あさ)ると、ここに幾匹の虎を獲た。穴の奥には道士の衣冠や金簡のたぐい、人の毛髪や骨のたぐいがたくさんに残っていた。これがすなわち毎年仙人になったという道士の身の果てであった。

 その以来、仙鶴観に住む道士も次第に絶えて、今は陵を守る役人らの住居となっている。(博異記)

   蒋武

 唐の宝暦(ほうれき)年中、循州河源(じゅんしゅうかげん)蒋武(しょうぶ)という男があった。骨格たくましく、豪胆剛勇の生まれで、山中の巌窟に独居して、狩猟に日を送っていた。彼は蹶張(けっちょう)を得意とし、熊や虎や(ひょう)が、その弦音(つるおと)に応じて(たお)れた。蹶張というのは片足で弓を踏ん張って射るのである。その(やじり)をあらためると、皆その獣の(むね)をつらぬいていた。

 ある時、甚だ忙がしそうに門を叩く者があるので、蒋は扉を隔ててうかがうと、一匹の猩々(しょうじょう)が白い象にまたがっていた。蒋は猩々がよく人の言葉を語ることを知っているので、内から()いた。

「象と一緒に来たのはどういうわけだ」

「象に危難が(せま)って居ります。わたくしに人間の話が出来るというので、わたくしを乗せてお願いに出たのでございます」と、猩々は答えた。

「その危難のわけを言え」と、蒋はまた訊いた。

「この山の南二百余里のところに、天にそびゆる大きい巌穴(いわあな)がございます」と、猩々は言った。「そのなかに長さ数百尺の巴蛇(うわばみ)が棲んで居ります。その眼はいなずまのごとく、その(きば)はつるぎの如くで、そこを通る象の一類はみな呑まれたり()まれたりします。その難に遭うもの幾百、もはや逃げ隠れるすべもありません。あなたが弓矢を善くするのを存じて居りますので、どうぞ毒矢をもってかれを射殺して、われわれの(うれ)いを除いて下されば、かならず御恩報じをいたします」

 象もまた地にひざまずいて、涙を雨のごとくに流した。

「御承知ならば、矢をたずさえてお乗り下さい」と、猩々はうながした。

 蒋は矢に毒を塗って、象の背にまたがった。行けば果たして巌の下に二つの眼が輝いて、その光りは数百歩を射るのであった。

「あれが蛇の眼です」と、猩々は教えた。

 それを見て、蒋も怒った。彼は得意の蹶張をこころみて、ひと矢で蛇の眼を射ると、象は彼を乗せたままで(はし)り避けた。やがて巌穴のなかでは雷の吼えるような声がして、大蛇(だいじゃ)は躍り出てのたうち廻ると、数里のあいだの木も草も皆その毒気に焼けるばかりであった。蛇は狂い疲れて、日の暮れる頃に(たお)れた。

 それから穴のあたりを窺うと、そこには象の骨と牙とが、山のように積まれていた。十頭の象があらわれて来て、その長い鼻で(あか)い牙一枚ずつを捲いて蒋に献じた。それを見とどけて、猩々も別れて去った。蒋は初めの象に牙を積んで帰ったが、後にその牙を売って大いに資産を作った。(伝奇)

   笛師

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