巴里のむす子へ

1話 巴里のむす子へ

2,214字 約4分 2004年4月27日 公開

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 巴里の北の停車場でおまえと(わか)れてから、もう六年目になる。人は久しい歳月という。だが、私には永いのだか短いのだか(わか)らない。あまりに日夜(にちや)思い続ける私とおまえとの間には最早(もは)や直通の心の橋が出来(でき)ていて、歳月も距離も(ほとん)ど影響しないように感ぜられる。私たち二人は望みの時、その橋の上で出会うことが出来る。おまえはいつでも二十(はたち)の青年のむす子で、私はいつでも稚純(ちじゅん)な母。「だらしがないな、羽織(はおり)(えり)(まが)ってるよ、おかあさん、」「生意気いうよ、こどもの(くせ)に、」二人は微笑(びしょう)して眺め合う。永劫(えいごう)の時間と空間は、その橋の下の風のように(かす)かに音を立てて吹き過ぎる。

 二人の(おも)いは宗教の神秘性にまで(たか)められている。(おそ)らく生を()え死を更えても(かわ)るまい。だが、ふとしたことから、私は現実のおまえに気付かせられることがある。すると無暗(むやみ)に現実のおまえに会い()くなる。巴里が東京でないのが腹立たしくなる。

 それはどういうときだというと、おまえに()た青年の後姿(うしろすがた)を見たとき、おまえの家へ残して行った稽古(けいこ)用品や着古(きふる)した着物が取出(とりだ)されるとき。それから、思いがけなく、まるで違ったものからでもおまえを連想させられる。ぼんの(くぼ)のちぢりっ毛や、の(ぶと)率直(そっちょく)声音(こわね)、――これ()も打撃だ。こういうとき、私は強い衝動に()られて、()し許さるるなら私は大声()げて「タロー! タロー!」と野でも山でも(さけ)(まわ)り度い気がする。それが出来ないばかりに、私は涙ぐんで(うずくま)りながらおまえの歌を()む。おまえがときどき「あんまり断片的の感想で、さっぱり判りませんね。もっと冷静に書いて寄越(よこ)して下さい」と(にが)り切った手紙を寄越さなければならないほどの感情にあふれた(はし)(がき)を私が郵送するのも多くそういうときである。だが、おまえが何といおうとも、私はこれからもおまえにああいう手紙を書き送る。何故(なぜ)ならば、それを()めることは私にとって生理的にも悪い。

 おまえは、健康で、着々(ちゃくちゃく)画業(がぎょう)進捗(しんちょく)していることは、そっちからの新聞雑誌で見るばかりでなく、この間来たクルト・セリグマン氏の口からも、または横光利一(りいち)さんの旅行文、読売の巴里(パリ)特派員松尾邦之助(くにのすけ)氏の日本の美術雑誌通信でも(した)しく見聞きして(うれ)しい。健気(けなげ)なむす子よと言い送り()い。年少で親を離れ異国の都で、よくも(みち)(たず)ね、向きを探って正しくも辿(たど)り行くものである。(つら)いこともあったろう。(はずか)しめも(しの)ばねばならなかったろう。(いっ)たい、おまえは私に似て情熱家肌の純情屋さんなのに、よくも、そこを()(こら)えて、現実に生きる歩調に性情を(きた)え直そうとした。

「おかあさん、感情家だけではいけませんよ。生きるという事実の上に根を置いて、冷酷(れいこく)なほどに思索(しさく)(あゆ)みを進めて下さい。」

 お前は最近の手紙にこう書いた。私はおまえのいうことを素直に受容(うけい)れる。だが、この言葉はまた、おまえ自身、(かたくな)な現実の壁に行き(あた)って、さまざまに苦しみ抜いた果ての体験から来る自戒(じかい)の言葉ではあるまいか。とすれば、おまえの血と汗の(こも)った言葉だ。言葉は普通でも内容には沸々(ふつふつ)と熱いものが()いている。(いまし)めとして永く大事にこの言葉の意味の自戒(じかい)()ち合って行こう。

 私たちがおまえを巴里へ残して来たことは、おまえの父の青年画学生時代の理想を子のおまえに()って実現さすことであり、また、巴里は絵画の本場の道場だからである。しかし、無理をして勉強せよとも、是非(ぜひ)(えら)くなれとも私たちは決して言わなかった。ただ分相応(ぶんそうおう)にその道に精進(しょうじん)すべきは人間の職分(しょくぶん)として当然のことであるとだけは言った。だのに、おまえはその本場の巴里で新画壇の世界的な作家達と並んで今や(ひと)かどのことをやり出した。勿体(もったい)ない、私のような者の子によくもそんな男の子が……と言えば「あなたの肉体ではない、あなたの(てっ)した母性愛が生んだのです」と人々もお前も、なおなお勿体ないことを言って()れる。

 私たちの一家は、親子三人芸術に関係している。都合(つごう)のいいこともあれば都合の悪いこともある。しかし今更(いまさら)このことを喜憂(きゆう)しても始まらない。本能的なものが運命をそう招いたと思うより仕方(しかた)がない。だが、すでにこの道に入った以上、左顧右眄(さこうべん)すべきではない。(じゅん)ずることこそ、発見の手段である。親も子もやるところまでやりましょう。芸術の道は、入るほど深く、また、ますます難かしい。だが殉ずるところに刻々(こっこく)の発見がある。本格の芸術の使命は実に「生」を学び、「人間」を開顕(かいけん)して、新しき「いのち」を創造するところに()る。(かか)るときに(おい)てはじめて芸術は人類に必需(ひつじゅ)で、自他(じた)共に恵沢(けいたく)を与えられる仁術(じんじゅつ)となる。一時の人気や枝葉(しよう)の美に戸惑(とまど)ってはいけない。いっそやるなら、ここまで踏み()ることです。おまえは、うちの家族のことを芸術の挺身隊(ていしんたい)と言ったが、今こそ首肯(しゅこう)する。

 私は、巴里(パリ)から帰って来ておまえのことを話して()れる人(ごと)に必ず()く、

「タローは、少しは大きくなりましたか。」

 すると、みんな答えて呉れる。

「どうして、立派な一人前の方です。」

 ほんとうにそうか、ほんとうにそうなのか。

 私が訊いたのは何も背丈(せた)けのことばかりではない。西洋人に()して角逐(かくちく)出来る体力や気魄(きはく)(つい)て探りを入れたのである。

「むすこは巴里の花形画家で、おやじゃ野原のへぼ絵描(えか)き……」

 こんな鼻唄(はなうた)をうたいながら、お父様はこの頃、何を思ったかおまえの美術学校時代の(こわ)れた絵の具箱を肩に(かつ)いでときどき晴れた野原へ写生に出かける。黙ってはいられるが、おまえの(なつ)かしさに()えられないからであろう。

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