木曽道中記

2話 木曽道中記(2)

7,446字 約15分 2019年6月20日 公開

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身輕手輕と(それ)ばかりを(せん)にしたる旅出立(たびでたち)なれば二方荒神の中に(すく)まりてまだ雨を持つ雲の中に(のぼ)る太華山人其の(さぶ)さを察し袷羽織(あはせばおり)を貸さる我が羽織の上へ重ね()ても大きければ向ふ山風に吹き孕みて(あた)かも母衣(ほろ)の如し(あと)の馬の露伴梅花の兩子いろ/\に見立(みたて)(あざ)み笑ふ(こゝ)は信濃の山中(やまなか)なり見惡(みにく)しとて(さぶ)さにかへられんや左云ふ君等の顏の色を見よと(ことば)戰かひ洒落も凍りて可笑(をか)しきは出ず峯には櫻(たに)には山吹唐松(からまつ)芽出(めだし)の緑鶯のをり/\ほのめかすなど取あつめたる景色旅の嬉しさ是なりと語りかはして

山響き谷こたへて(あと)しづかなり雉子(きじ)の聲

と無理を吐く羊膓(やうちやう)たる阪路(さかみち)進むが如くまた退(もど)るが如し馬をしばしと止めて元()し方を顧みれば淺間の山はすでに下に見られて其身は白雲の上にあり昨日(きのふ)此山を見て一睨みして置きしが今日は昨日宿りし處を見んとして見えず何となく氣(さか)んになりて身に膓胃ある事を忘れたり此山路(このやまぢ)秋は左こそと青葉を(くれなゐ)に默想し雪はいかにと又萬山を枯し盡して忽ち突兀(とつこつ)天際に聳ゆる(しろがね)の山を瞑思すつひに身ある事を忘れたり澤を傳ひ峯に上る隨分(さか)しき峠なれど馬にまかせて(けは)しき事を知らず東もち屋村といふは峠の上にして人家四五軒あり名物の餡餅(あんもち)あり(こゝ)にて馬を()圍爐裏(ゐろり)の火に(かゞ)みし手足を温めながら其名物を試む梅花道人物喰(ものくひ)に於て豪傑の稱あり(こゝ)にてもまた人々に推尊せられて二盆(ふたぼん)の外我分(わがぶん)までを(くら)ひ盡すやがて此を出で是より下りなればとて例の鐵脚を踏み轟かす道人餡餅(あんもち)腹に()りて重量(おもみ)を増したるにや兎角に(しりへ)(さが)る露伴子は昨年此道中をせしとて甚だ通なり(かつ)出立(しゆつたつ)の時に曰く木曾海道美人に乏し和田峠西もちや村の餅屋に一人また洗馬(せば)に一人あり洗馬のは(われ)未だ其比を見ざる眞に絶世の美人なり餅屋のはこれに()ぐと物覺え惡き一行なれど是は皆々領裏(えりうら)にでも書留て置きしやよく覺えて(それ)となく(こゝ)より荷物を包み直し(えり)掻き合せ蝙蝠傘(かうもりがさ)に薄日を(いと)ふ峠の上の平坦(たひら)なるを過ぎて(くだ)り口に至りて西の(かた)を一望すれば眼界新たに(はれ)昨日(きのふ)までの景色と異なり群山皆な雌伏此の峠の(ほか)に山と仰ぐべきなし何か自分が此山になつたやうな氣持にて傲然としてまた一睨みす下りは元は急にて上りより難儀なりしを御巡幸の節道を直し今は行人安樂なりといふ左れど尚ほ屈曲の險坂(けんはん)幾段なるや知らず(いに)しへの險阻おもふべきなり下り終らんとする所即ち西もちや村なり(こゝ)は人家十餘軒ありて宿屋の前に女ども(いで)てお休みな/\と客を呼ぶスハヤ尤物(いうぶつ)此中(このうち)に在るぞと三人鵜の目鷹の目見つけなば其所(そこ)()らんとする樣子なり我は元より冷然として先に進み道のかたへの(すみれ)(ふき)(たう)蒲公英(たんぽゝ)茅花(つばな)など(こゝ)(のこん)の春あるを賞して騷しき(かた)は見もかへらず三人跡より(あへ)ぎ來りて無し/\影もなし大かたは此邊の貴家豪族が選び取て東京紳士の眞似をなし(がん)雪舟と共に床の間にあがめ置くなるべし憎むべし/\といふ

呼子鳥(よぶこどり)おぼつかないで尚床し

日も温かに鳥の聲も麗かなりぶらり/\と語りながら行くに足は(つか)れたり諏訪(すは)の湖水はまだ見えずや晝も近きにと(いふ)うち(しも)の諏訪と記したる所に(いで)たり旅宿(やどや)もあり(こゝ)ならんと思へばこれは出村にてまだ一里といふ

第八囘

旅にて聞くを(いと)(ことば)二つまだと餘なり初日碓氷(うすひ)にて(つか)れしとき舊道へ()るの道の(しるし)を見るに輕井澤まで二里餘とあり(あへ)ぎ/\(のぼ)りてやがて二里餘も來らんと思ふに輕井澤は見えず孤屋(ひとつや)(ばゝ)に聞けば是からまだ二里なりといふ一行落膽(がつかり)(さて)は是程に草臥(くたびれ)()だけしか來らざりしかと泣かぬばかりに驚きたり是より道を問ひて餘の字を付加へらるゝ時はスハヤと足を(さす)りたり又まだと(いふ)(やが)其處(そこ)ならんと思ふて問ふとき付加へられて力を落す詞なり和田峠の(のぼ)りは馬に乘りたれば野々宮高砂(のゝみやたかさご)なりしが(くだ)りは(あなど)りて遊び/\歩きたる爲め三里に足らぬと聞くに捗取(はかど)らぬこと不思議なるうへ下口(おりくち)はドカ/\と力も足に()る故か空腹甚しく餡餅(あんもち)二盆半の豪傑すら何ぞやらかす物はないかと四方を見す程なれば我は餘ほど北山やら西山やら知らぬ方角の山吹躑躅(つゝぢ)見るも目のまはる程となりしに曲り下りる坂下に町家(まちや)ありし事なればしかも下諏訪とありし事なれば嬉しや(こゝ)ぞと先へ驅けしが心あての龜屋なし立どまりて露伴子に聞けば何でも(こゝ)を越して(それ)から諏訪の湖水が見えて夫から下諏訪だ此は云て見ればお前立(まへだち)といふやうなものとの答へまだ付の一里是からの長きこと限りなく山吹を折りて帽子にしたり蓮華草(れんげさう)を摘んだり道草は喰へど腹は(ふく)れず何やら是だけが餘計の道のやうに思はれて小腹も立てば

飛ぶ蝴蝶羽をかはして我を乘せよ

とダヽを()ねるイヨ藤浪由縁之助(ふぢなみゆかりのすけ)と聲をかけらるゝにまた取敢ず

術なさに倒るゝまでも(すみれ)かな

と狂句すればイヨ忍月居士(にんげつこじ)(いふ)(こゝ)に始めて忍月居士が愛慕さるゝは菫御前(すみれごぜん)なることを知り又通人を褒めてイヨすみれは置かれませんと挨拶するは此事より起りたる(ことば)ならんと悟りぬ兎角(とかく)いふうち(いり)まじへたる山の盡るほとりに一面の名鏡現れたり此ぞ諏訪の湖なると露伴子の指すに(にはか)に足も(かろ)く氣も勇み始めて心づきて四方を眺望するに山々には殘りの花あり雲雀(ひばり)鶯の聲は野に滿ち下は湖水へ注ぐ大河ありて岩波高きに山吹危うげに咲き(こぼ)れたる此景色今まで何とて目には()らざりしといぶかる(やが)(しも)の諏訪秋の宮に詣づ神さびたるよき御社(みやしろ)なり(かみ)の諏訪に春の宮あり莊嚴目をおどろかすと聞しが(それ)へは詣でず此宿(このしゆく)より上の諏訪はまだ三里もありと(きけ)ばなり正午(ひる)少し過るころ下諏訪の温泉宿龜屋に着く一浴して快と賞し鯉(なまづ)などにて小酌しながら(さて)も今日半日の(つか)れの恐しさよ小敵と見て侮りたる故此敗(このはい)は取りしならん是よりは愼みて一里の道も百里を行くの勇氣を以てあたるべしと語るうち下座敷(したざしき)月琴(げつきん)の響き聞ゆ怪しの物の()や東京を(いで)て未だ鳥の謠ひ奏づる(ほか)人間の音樂は聞ずさすがに此は遊浴繁花(はんくわ)の地とて優しくも聞くものかな且つ其調(そのしらべ)も拙なからず(かす)めて唄ふに聲はさだかならねど人もさぞと慕はしきにいざや(こゝ)へ呼びて一曲を所望せん()潯陽(じんやう)江頭(えのほとり)ならで諏訪湖邊に月琴を聽くもまた面白からずやと直ちに手を鳴らして女を呼び下にて月琴を()くは何者ぞと問へば此家の娘なりといふ容貌(さまかたち)も温泉に(あら)ひて清げならん年は幾許(いくつ)ぞ。ハイ九歳(こゝのつ)でまだネカラ手がりません。此答へに一座唖然たり

第九囘

二方荒神の味を覺えて鹽尻峠(しほじりたふげ)も馬に遊ばんと頼み置きて寐に就く温泉にて(つか)れを忘れ心よく(ねぶ)りたれば夜の明けたるも知らず宿の者に催されて(やう)やくに眼を(こす)りながら浴室(ふろ)に至れば門前に待ち詫びたる馬の高く(いなゝ)くにいよ/\慌て朝餉(あさげ)の膳に向へば昨日(きのふ)鯉の濃汁(こくしやう)を褒めたればとて鍋ごと盛んに持ち出で勢ひに呑まれてか豪食の三傑(ことば)にも似ず椀の數少なし馬は何時頃より來り待つぞと問へば江戸のお客樣は氣短でお()でなさるゆゑマダ來ぬかと叱られぬ爲め夜明前より門に來て居りました私共も四時から御膳の支度して御手の鳴るを待ちましたと云ふ諸事左樣(さう)來て貰ひたしさすがは下諏訪の龜屋なりと(たゝ)土産(みやげ)にとて贈られたる名物氷餅(こほりもち)を旅荷物の(うち)へ入れて(うま)(どほ)であツたと馬士(まご)にも挨拶して(こゝ)を立ち出づ宿(しゆく)の朝景色何處(いづこ)も勇ましく甲斐々々しく清々(すが/\)しきものなるが分きて此宿(このしゆく)は馬で心よく搖られ行く爲か面白し宿(しゆく)を離るれば諏訪の湖水朝霧立こめて空も雨を(もよ)ひて(さぶ)馬士(まご)の道々語りて云ふ此宿も今は旅人(りよじん)を當にもなさず先づ養蠶一方なり田を作るも割に合はぬゆゑ皆な斯樣(かやう)に潰して畑となし豆を作るか桑を(うゑ)るかなり元は隨分繁昌な所で有りましたがナア又曰く此の流れはアレ彼山(あのやま)の間を川に流れて天龍川に落ちますナニお前さん氷は張りますが馬は危ないので通行は致しません人は見當をつけて向ふの村へ何處(どこ)でも行きます廣さは十三里と云ますが左樣(さう)はございません狐が渡るといふのも昔の話でハイ鯉や(ふな)鰻は大層捕れますダガ十月から彼岸時分まで氷で漁は出來ませんナニサ兎は少し取れますが(けだもの)何處(どこ)此處(こゝ)も開けたので一疋も居なくなりましたハイ遊廓なんテ見られたもんでは無いと矢鱈(やたら)と謙遜なりポクリ/\と鹽尻峠を上りながら晴た日だと是から富士が見えますと指さす顧みれば水面わずかに白く四方は朝霧にて山の形さへ定かならず此の鏡へ姿を寫す富士の(おもかげ)さぞと胸に畫けば煙霧糢糊たる間一種の風景あり馬士(まご)また云ふ昨夜(ゆふべ)(わし)の方で大喧嘩が有りました湯の中で騷いだので大きに迷惑します一体湯を引いて湯塲を作るのは大分の入費で(それ)は村から出し合て誰でも無代(たゞ)()れますのだが此頃新道を作る人足が大勢(はい)り込んで()い湯治塲へ行た氣で無代(たゞ)で湯へ(はい)り其上威張散して喧嘩を仕かけたので村の者は怖しがり女や年寄は()(はい)らぬ位ですナント馬鹿々々しいではございませんか昨夜(ゆふべ)の喧嘩も土方同士でイヤハヤ新道一件ではいろ/\な事がございます如何(どう)か人足の暴れるだけもせめて取締ツて貰ひたい金を出した湯の持主が隅へ小さくなツて何處(どこ)の者か知れぬ奴が無代(たゞ)で巾を利かせて歌など唄ツて騷ぐとはエライ話しだと不平を云ふ一体に新道には不平と見え馬も舊道行人(ゆくひと)も舊道なり只運送馬車のみ道は遠けれど平坦(たひら)ゆゑ新道を驅けるとぞ此邊の屋作り皆な玄關搆へにて(いか)めしく男も雪見袴(ゆきみばかま)とかいふものを(つけ)て古風なり松本(みち)の追分あり(こゝ)より十五六里なりと午前九時鹽尻の宿(しゆく)へ着く

乘り捨し馬を繋ぐや散る李花(すもゝ)

此邊にては人の妻を呼びてお(かた)と云ふ女働らき男樂する(ふう)なり土地は桔梗(きゝやう)(はら)に續いて田畑多し

第十囘

鹽尻の茶店(ちやゝ)の爐に暖まり温飩(うどん)掻込(かつこ)みながら是よりなら井まで馬車一輛雇ふ掛合を始む直段(ねだん)忽ち出來たれど馬車を引來らず遲し/\と度々(たび/\)の催促に馬車屋にては(やが)てコチ/\と(こは)れ馬車を(つくろ)ひ始めたりイヤハヤ客を見て釘を打つ危ない馬車に乘らるべきか(ほか)に馬車なくば破談にすべしと云へばナニお客樣途中で(こは)れるやうな事はございません(こは)れても上の屋根だけですから(ころ)がり落る程の事は有ませんサアお乘りなさいと二十三四の馬丁(べつたう)平氣なれば餘義なくこれに乘る二十三四の小慧(こざかし)(やつ)客を客とも思はばこそ遊び半分にラツパを吹きて先を驅くガタ/\ゴロ/\隨分と烈し鹽尻を過れば一望の原野開墾年々(とし/″\)にとゞきて田畑多しこれ古戰塲桔梗(きゝやう)(はら)雨持つ空暗く風(いたは)し六十三塚など小さき丘に殘れり當年の矢叫び(とき)の聲必竟(ひつきやう)何の爲ぞ

田鼠(たねずみ)()りおほせても草隱れ

興敗(こうはい)つひに夕鶉(ゆふうづら)一悲鳴(いつひめい)草の葉に露置くを見れば小雨の降り來りしなり馬車を驅ること飛が如くなれば手帳へ字などなか/\書けず只(こは)れかゝりし臺の横木に掴まりて落ても怪我のないやうにと心に祈るばかりなり忽ちに二里を()洗馬(せば)へ着く昔はよき(しゆく)なりしならん大きな宿屋荒果(あれはて)(あはれ)なり(こゝ)に木曾義仲馬洗(うまあらひ)の水といふ有りといへど見ず例の露伴子愛着の美人も尋ねずわづかに痩馬に一息させしのみにて亦驅け(いだ)す此宿より美濃(みの)國境(くにさかひ)馬籠(まごめ)までの間の十三宿が即ち木曾と總稱する所なり誠に木曾に()りしだけありて(これ)より景色(けいしよく)凡ならず谷深く山聳へ岩に觸るゝ水生茂(おひしげ)る木皆な新たに生面を開きたりソレ()の瀧ホラ向ふの岩奇絶妙絶と云ふうちには四五(たん)は馳せ過る馬車の無法(むはふ)(とば)せ下は藍なす深き淵かたへは削りなせる絶壁やうやくに車輪をのするだけの崕道(がけみち)を容赦も(しんしやく)もなく鞭を振つて追立るなれば其の危うさは目もくるめき心も(きゆ)るばかりなりあはれ(かゝ)景色(けいしよく)再びとは來られねば心のどかに杖を立て飽までに眺めんと思ふに其甲斐なし命一ツ全きを願ふばかり付燒刄(つけやきば)の英雄神色少し變じたり馬丁(べつたう)にあまりに烈し少し靜にせよと云へば(かゝ)る所はハヅミに掛つて飛さねば(かへつ)て誤ちありナアニ此樣(こん)な所(こゝ)はまだいろはです是から先が(ちと)ばかり危ないのですと鼻唄の憎さよ坂を眞下(まつくだ)りに下る時は泥犁(でいり)の底に落る如くまた急なる塲所を(のぼ)る時は直立して天に向ふ(こゝ)は危なし(おり)んと云へど聞かぬ顏にていよ/\飛ばす山は恰も(かけ)るが如く樹は飛が如くに見ゆ快と(いは)ば快爽と云ば爽なれどハツ/\と魂を驚かすあまり壽命の藥でもなし呉々(くれ/″\)も重ね/\も木曾見物の風流才士は(こゝ)を馬車にて飛ぶべからず同行例の豪傑揃ひなれば一難所一急坂を過る時は拍手して快を呼ぶ馬丁(べつたう)ます/\氣を得て驅けさすこといよ/\烈し一句を(はか)んと思ひ込みしに(むだ)と仕たり瞬間に本山(もとやま)に着けど馬に水もかはず只走りに走る梅澤櫻澤などいふ絶景の地に清く廣やかの宿屋三四軒あり(こゝ)に一宿せざることの()しさよ山吹躑躅(つゝぢ)今を盛りにて仙境の(おもひ)あり聞く熱川(にえがは)には温泉の(いづ)る所ありと此等(こゝら)に暑を避けて其の湯に塵を(そゝ)ぐならば即身即仙とんだ樂しき事なるべきに

第十一囘

見上(みあぐ)る山には松にかゝりて藤の花盛りなり見下(みおろ)せば岩をつゝみて山吹咲こぼれたり躑躅(つゝぢ)石楠花(しやくなげ)其間に色を交へ木曾川は雪と散り玉と碎け木曾山は雲を吐き(けぶり)を起す松唐松(からまつ)杉檜森々(しん/\)として雨ならずとも樹下(このした)(うるほ)ひたり此間(このあひだ)に在りて始めて人間の氣息(ゆるや)かなるべきを無法(とば)せの馬車なれば(是よりして木曾の山中(やまなか)にも無法飛ぶのは馬車ではないか(など)定めて洒落始めしならん)下手(へた)な言文一致の(ことば)のやうにアツヱツ發矢(はつし)など驚きて思はず叫ぶばかり山も川も只飛び過ぎ熱川(にえがは)より奈良井の間の諏訪峠といふ所は車の片輪を綱にて結びてらぬやうにし片輪のみにて落し下すに石に(きし)りて火花を(いだ)す凄じさ(たと)へて(いは)んやうもなし又本山(もとやま)熱川(にえがは)の間なりし崕道(がけみち)(くえ)て往來なり難きにより木曾川の河原へ()り川を二度渡りかへして道へ()る所などは會釋もなく川の中へ馬車をやり入れたるが水は馬の太腹にも及び車の臺へ付く程なれば叩き立られたる痩馬向ふの岸に着きかねて(あへ)ぐに流石(さすが)我武者馬丁(がむしやべつたう)(すべ)なくて(おのれ)川中へ下り立ち四人を負ひて川原へ(おろ)馬車(からばしや)にして辛うじて引上げしが道を作り居たる土地の者崖の上より見下して乘り入れたる馬丁(べつたう)も強し()りぬ客人も大膽やと(ほめ)るか(そし)るか聲を發して額に手をば加へたり此の時少し篁村息を()き河原に立やすらひて四方を眺め(くえ)たる崕道(がけみち)見上(みあぐ)るに夫婦連(めをとづれ)旅人(たびゝと)通りかゝり川へ下りんも危うし崖を越んも安からずと(たゝず)み居しが(やが)て男は(くえ)たる處ろへ足を踏み出し足溜りをこしらへてはまた踏み固め二間餘のところ道をつけ(さて)立戻り蝙蝠傘(かふもりがさ)()の先を女に(しか)と掴ませ危うくも渡り越して互にホト息して無事を悦び合ふ愛情いと尊くも嬉しけれ早々(はや/\)乘れ雨の(きた)らんにと()かれて心ならねど又馬車に乘り先の嶮岨をいろはなりと云しに(たが)はずだん/\危うくせず京あたりの難所も首尾よく飛せ越えて奈良井へ(つき)しは晝前なり是より(すぐ)に鳥居峠なれば馬車を下りしに馬丁(べつたう)は意氣揚々としてドウですお客樣一番鳥居峠を追立(おつたて)て見ませうかと云ふ我手を振りて是を願ひ下げ(こゝ)にて晝餉を(したゝ)めしが雨はいよ/\本降となりしゆゑ(かね)て梅花道人奉行となりて新調せしゴム引の合羽(かつぱ)を取り(いだ)し支度だけ凛々敷(りゝしく)此所(こゝ)を出れば胸を突くばかり(すぐ)に峠にて馬車の上に(すく)みたる足なればチト息ははづみたり此峠に(いに)しへは棧橋(かけはし)ありしとか思ふに今にして此嶮岨なれば棧橋(かけはし)(あなが)ち一ヶ所に限らず所々(しよ/\)に在しならん芭蕉の「かけはしや命をからむ蔦かづら」と詠みしも今の棧橋(かけはし)の所にては有まじ四五丁(のぼ)りかけて谷に寄たる(かた)に土地の者の行く近道あり折々此の近道あれど草深く道の跡も(さだか)ならで(あやふ)ければ是を通道(つうみち)(なづ)け通と云れたがる者ならでは通らず梅花道人少し(おく)れたるテレ隱しに忽ち此道に驅け上る危ないぞと聲を(かく)るうち姿は見えずナニ幾許(いくら)ほど近いものかハアハア云つて此上あたりに休み居るならんト三人(あざ)みながら(のぼ)るに道人は居ず五六丁の間は屈曲(をりまがり)てもよく先が見えるに後影もなし()しやは近きを貪りて谷へ轉げ落ちしにあらずや此谷に落たるを救ひ上げんには三人の帶を繋ぐとも屆くまじ如何(いかゞ)はせんと谷底を覗き見ながら雨を(しの)ぎて(のぼ)

第十二囘

雲雀(ひばり)より上にやすらふ峠かなと芭蕉が詠みしは此の鳥居峠なり雨は合羽(かつぱ)(すそ)よりまくり上げに降る此曲降(きよくぶり)を防がんやうなく只濡(ひたぬれ)なるに脊はまた汗なり一里に足らぬ峠なれど急上(きふのぼ)りの急下(きふくだ)りなれば大辟易の形となりぬ(やが)て峠へ上りつきて餅屋にて云々(しか/″\)(なり)の者は通らずやと聞けば先にお(くだ)りになりましたと云ふ(さて)は梅花道人も谷へは落ちざりしかと安心し(くだ)りとならば嶮しとて一跳(ひとはね)にせんものと雨を凌ぎつゝ勢ひをつけて(くだ)る下りてやゝ麓近くなりしとき篁村小石に(つま)づきはづみを打て三四間けし飛びしが鞍馬(くらま)育ちの御曹子を只散髮(ざんぎり)にした丈の拙者なればドツコイと傘を突き左りの足にて踏み止めぬアハヤと叫びし太華露伴の兩氏イヨ感心と褒めたるが實は此のドツコイ甚だ宜しからず踏み止めし左りの足ギクリとせしが是より少々痛みを覺え雨に傘は用ひずして左りの杖となしたるぞ無念なる(くだ)りきりては只の田甫道(たんぼみち)面白くもなくトボ/\としてやがて藪原(やごはら)に着く(こゝ)はヤゴ原と讀み元は八五原と書くお六櫛(ろくゞし)と世に名高き櫛の名所にて八五は即はち九四に同じといふ附會説(こじつけせつ)ありまだ午後の三時に及ばず今三里行けば木曾中第一の繁昌地福嶋(ふくしま)なり其所(そこ)まで飛ばせよといふ議も(いで)しが拙者左りの足が(あや)しければイヤサ繁花(はんくわ)の所より此の山間の宿(やど)に雨を聽くがあはれも深いものだと弱身を隱して云ふに左らばと此宿(このしゆく)に泊る梅花道人茶店に待てありしが一つになり見ぬ事とて早足の自慢大げさなり脇に羽の生えた跡もなけれど(さて)宿に()りて見れば家名(いへな)は忘れしが家居(いへゐ)廣く清らかにて隣りに大きな櫛店(くしみせ)もあり宿(しゆく)中第一の大家とは知られぬ湯に入り名物の櫛を買ふうち(やが)て名代の蕎麥を持ち(いだ)す信濃路一体に輪嶋塗(わじまぬり)沈金彫(ちんきんぼり)の膳椀多しこれ能登よりの行商ありて賣り行くならん大きなる黒椀に蕎麥を山と盛り(つゆ)を同じく大椀に添へ山葵(わさび)大根(ねぎ)海苔(のり)等藥味も調(とゝの)ひたり蕎麥は定めて太く黒きものならん(つゆ)の《から》さもどれほどぞと(あな)どりたるこそ耻かしけれ篁村一廉(いつかど)の蕎麥通なれど未だ箸には掛けざる妙味切方も細く手際よく汁加(つゆかげん)甚はだ()し思ひ寄らぬ珍味ぞといふうち膳の上の椀へヒラリと蕎麥一山飛び來りぬ心得たりと箸を振ひやゝ二杯目を喰ひ盡さんとする此時遲く彼時(かのとき)早く又もヒラリと飛び込みたり是はと驚く後より左りに持つ椀へ(つゆ)波々(なみ/\)()がれたりシヤ物々しと割箸のソゲを取り膳の上にて付き揃へ瞬く間に三椀を退治たりと思ふ油斷に四椀目は早くも投げ込まれぬ此の狼狽我のみならず飮食道に豪傑の稱ある梅花道人始め露伴子太華山人も呆れ果て箸を膳に置いて一息しよく/\見れば美くしき妻女(すゞ)しき眼を見はり椀だに明かば投げ込んと盛り替の蕎麥を手元へ引つけて呼吸(きあひ)(はか)り若き女其後(そのうしろ)にありて盛替々々續けたり今一人は汁注(しるつぎ)を右に持ち中腰にて我々の後より油斷を見て(つゆ)を注がんと搆へたり此備へ美事喰崩して見せんものと云合さねど同じ心に一同また箸を擧げしが拙者は五椀目にて降參を(よば)はり投げ込みと(だま)(つぎ)を恐れて兩椀に手早く蓋をして其上を(しつか)と押へ漸く蕎麥責を(のが)れしが此時露伴子は七椀と退治和田の牡丹餅(ぼたもち)に梅花道人が辭してより久しく誰人の手にも落ちざりし豪傑號を得たりしは目ざましかりける振舞なり

第十三囘

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