金魚は死んでいた

1話

2,195字 約4分 2017年8月11日 公開

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「おやおや、()しいことしちまつたな」

 (おも)わず(くち)から()たひとりごとだつたが、それを()きとがめた井口警部(いぐちけいぶ)が、ふりむいて、

「なんだい。(なに)()しいことしたんだね」

 というと平松刑事(ひらまつけいじ)が、さすがに(かお)(あか)らめひどく(こま)つた()つきになつて、

「いえ……その……金魚(きんぎょ)ですよ。こいつは三(びき)ともかなり上等(じょうとう)のランチュウです。()んでしまつているから、どうも()しいことしたと(おも)いまして」

 と(こた)えたから、捜査(そうさ)連中(れんちゅう)鑑識(かんしき)連中(れんちゅう)もあぶなくぷッと()きだすところだつた。

 ()(まえ)に、人間(にんげん)死体(したい)があつた。

 庭先(にわさ)きの(つち)(なか)に、(おお)ぶりな瀬戸物(せともの)金魚鉢(きんぎょばち)が、ふちのところまでいけこんであつて、その(はち)のそばで、セルの和服(わふく)()片足(かたあし)にだけ庭下駄(にわげた)をつつかけた人間(にんげん)死体(したい)が、()べたに()いつくばつている。

 のちにわかつたが、()原因(げんいん)青酸加里(せいさんかり)による毒殺(どくさつ)だつた。死体(したい)両手(りょうて)がつきのばされて、(はち)のふちに(つか)みかかろうという恰好(かっこう)をしている。多分(たぶん)被害者(ひがいしゃ)は、(くる)しみもがき、金魚鉢(きんぎょばち)のところまで()いよつてきて、(くち)をゆすぐか、または、(はち)(なか)(みず)()もうとしたのだろう。その(とき)、まだ(くち)(のこ)つていた(どく)水中(すいちゅう)へしたたりおちたために、金魚(きんぎょ)()んだのだと(おも)われる。しかし、問題(もんだい)はこの毒殺死体(どくさつしたい)だつた。(だん)じてまきぞえをくつた金魚(きんぎょ)ではない。だのに、人間(にんげん)死体(したい)のことではなくて、()んだ金魚(きんぎょ)のことを()きにいつたから、いかにもそれは滑稽(こっけい)(かん)じがしたのであつた。

 事件(じけん)は五(がつ)()(あさ)発見(はっけん)された。

 場所(ばしょ)は、岡山市(おかやまし)郊外(こうがい)(ちか)いM(まち)で、被害者(ひがいしゃ)は、四(ねん)ほど(まえ)まで質屋(しちや)をやつていて、かたわら高利貸(こうりか)しでもあつたそうだが、目下(もっか)表向(おもてむ)無職(むしょく)であつて、それもたつた一人(ひとり)きりで(くら)していた刈谷音吉(かりやおときち)という老人(ろうじん)である。

 発見者(はっけんしゃ)は、老人(ろうじん)(うち)のすぐとなりに()んでいて、去年(きょねん)あたり開業(かいぎょう)した島本守(しまもとまもる)という医学士(いがくし)だつたが、島本医師(しまもといし)は、警察(けいさつ)事件(じけん)通報(つうほう)すると同時(どうじ)に、大要(たいよう)(つぎ)のごとく、その前後(ぜんご)事情(じじょう)()べた。

(わたし)今朝(けさ)急患(きゅうかん)があつて往診(おうしん)()かけました。ところが()きにも(かえ)りにも、老人(ろうじん)(うち)(もん)が五(すん)ほど(ひら)きかかつていたから、へんなことだと(おも)つたのです。近所(きんじょ)でもよく()つていることですが、老人(ろうじん)はかなりへんくつな人物(じんぶつ)です。ひどく用心(ようじん)ぶかくて、昼日中(ひるひなか)でも、(もん)内側(うちがわ)(しま)りがしてあり、門柱(もんちゅう)呼鈴(よびりん)()さないと、(もん)をあけてくれません。(わたし)()になりました。となり同士(どうし)だから、時々(ときどき)(くち)をきき()(なか)で、ことに一昨日(おととい)は、(わたし)丹精(たんせい)したぼたんの(はな)()いたものですから、それを一鉢(ひとはち)わけて()つて()つてやり、(にわ)でちよつとのうち、立話(たちばなし)をしたくらいです。(わたし)老人(ろうじん)には、その(とき)()つたきりですけど、どうも()になつてなりません。それで、帰宅後(きたくご)三十(ぷん)ほどしてから、老人(ろうじん)(うち)()つて()たのですが、……」

 そこは医師(いし)だから、すぐにもう毒死(どくし)らしいと()がついたのだという。

 その(とき)、すでに体温(たいおん)がなかつた。

 島本医師(しまもといし)意見(いけん)でも、またあとできた市警(しけい)医師(いし)意見(いけん)でも()んだのは前日(ぜんじつ)夕方(ゆうがた)からかけて九時頃(じごろ)までの(あいだ)らしい。大輪(たいりん)(はな)をつけたぼたんの(はち)が、金魚鉢(きんぎょばち)にほど(ちか)庭石(にわいし)(うえ)にのせてあつた。その(はな)は、のめずり(たお)れた老人(ろうじん)死体(したい)を、(わら)つて()おろしているという(かたち)で、いささか(ひと)をぞつとさせるような妖気(ようき)(ただよ)わしている。

 (うち)(なか)は、昼間(ひるま)なのに、電灯(でんとう)がついていたが、これはむろん、事件発生当時(じけんはっせいとうじ)からつけつぱなしになつていたのだろう。(にわ)()いた(えん)ばな――金魚鉢(きんぎょばち)から六(しゃく)ほどのへだたりがあつたが、その(えん)ばなにウィスキイの(かく)びんと、九(たに)らしい(さかずき)が二つおいてあつた。一つの(さかずき)からは、ハッキリした被害者(ひがいしゃ)指紋(しもん)検出(けんしゅつ)されたが、(ほか)の一つには、(なに)かでふいたものと()えて、全然(ぜんぜん)指紋(しもん)がついていない。しかしこれで大体(だいたい)推測(すいそく)はついた。

 すなわち老人(ろうじん)は、多分(たぶん)(えん)ばなに、庭下駄(にわげた)をはいて(こし)をかけ(だれ)かとウィスキイを()んでいたものであろう。

 しらべると、びんに半分(はんぶん)ほど(のこ)つたウィスキイに青酸加里(せいさんかり)混入(こんにゅう)してあつた。だから老人(ろうじん)は、それを一口(ひとくち)か、せいぜい二口(ふたくち)()むと(くる)しくなり、金魚鉢(きんぎょばち)のそばまで()つて()つて()んだのにちがいない。犯人(はんにん)はウィスキイの相手(あいて)をしていたが、むろん、自分(じぶん)()まずに老人(ろうじん)にだけ()ませた。そして、老人(ろうじん)()んだのを()とどけてから、自分(じぶん)(さかずき)のウィスキイをびんに(もど)し、かつ指紋(しもん)をぬぐいとつておいて、悠々(ゆうゆう)と……もしくはいそいで、この()立去(たちさ)つたのである。

 係官(かかりかん)たちは、捜査(そうさ)専念(せんねん)しだした。

 屋内(おくない)はべつに取乱(とりみだ)されず、犯人(はんにん)(なに)かを物色(ぶっしょく)したという形跡(けいせき)もないから、盗賊(とうぞく)所為(しょい)ではないらしく、(したが)つて殺人(さつじん)動機(どうき)は、怨恨(えんこん)痴情(ちじょう)などだろうという推定(すいてい)がついたが、さて現場(げんば)では、とくに目星(めぼ)しい発見(はっけん)(なに)もない。

 この(とき)、またおかしかつたのは(れい)平松刑事(ひらまつけいじ)が、相変(あいかわ)らず金魚(きんぎょ)のことを()にしていたことである。よほどの金魚好(きんぎょず)きにちがいない。(かれ)は、()んだ金魚(きんぎょ)が三(びき)で一万円(まんえん)はしたろうということや、自分(じぶん)月給(げっきゅう)(すく)なく、とてもあんなのは()えないということを、くりかえし同僚(どうりょう)(はな)したし、また事件発見者(じけんはっけんしゃ)島本医学士(しまもといがくし)にまで、(おな)じことをいつた。

(わたし)は、(おんな)より金魚(きんぎょ)(ほう)(うつく)しいと(おも)うんですよ。あなたは(にわ)老人(ろうじん)立話(たちばな)しをしたつていいましたね。その(とき)金魚(きんぎょ)は、どんな恰好(かっこう)してました?」

「さア、とくに注意(ちゅうい)して()たわけじやありませんからね。しかし(うつく)しい金魚(きんぎょ)だとは(おも)いましたよ。ひらひら(およ)いでいましてね」

「そうでしような。(わたし)もそれは()たかつたですよ」

 刑事(けいじ)は、真実(しんじつ)残念(ざんねん)そうに、ため(いき)をしているのであつた。

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