トーマス・エディソン

2話 発明への出発

1,813字 約4分 2019年2月11日 公開

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 エディソンは今から九十五年前の一八四七年の二月十一日に、アメリカのオハイオ(しゅう)にあるミランという町で生まれました。七歳の時に、一家はミシガン(しゅう)のポート・ヒューロンという(ところ)に移り、そこで公立学校に入学しましたが、この頃から彼はどこか風変りな性質をもっていたと見え、学校の教師は低能児だと早呑みこみして両親にそれを告げたので、母親は彼を退学させて、自分で教育することにしました。学校に通ったのは僅かに三箇月ばかりで、ですから彼はその長い一生のうちで僅かにこの三箇月だけ学校教育を受けたのに過ぎないのでした。

 それでもエディソンはこの幼い頃から自分で何かを工夫して見たくてたまらなかったので、十一歳頃になってからは、僅かの小遣銭でいろいろな薬品を買って来て、それを家の地下室へ持って行って、物化学の実験を試みていたということです。ところが薬品を買うにしても少しばかりの小遣銭では足りる(はず)はないので、何とかして自分でその費用を得たいと望み、十三歳になった頃にグランド・トランク鉄道の支線を走る列車のなかの新聞売子になり、それで幾らかの給料をもらうことになりました。もちろん、それも実験をして見たいからのことでありましたから、貨車の一部を実験室として使うことを願い出て、うまく許しを受けました。

 ところでエディソンはそうしている中にうまい考えを実行に移しました。それはこの鉄道沿線の電信手と知り合いになって、新しい報道を聞き知ることができるので、それらを材料にして自分で週刊の新聞をつくり、これを列車のなかなどで売り出したのでした。ところがこの新聞が妙に人気を得て、たくさん売れ出したので、そのおかげで金儲(かねもう)けが出来、自分の実験にも十分の費用をつかうことができるようになりました。この時は彼は十五歳になっていました。

 こうして彼は暇さえあれば実験に熱中していましたが、そうすると()る日列車の振動で棚の上に載せておいた(りん)がころげ落ちて、燃え出したので貨車のなかが焼けてしまいました。それで彼はひどく叱責をうけ、おまけに解雇されてしまったので、一切が消え失せることになりました。気の弱いものなら、それで挫けてしまうのでしょうが、エディソンはなかなかそれほどのことで閉口しはしませんでした。列車に乗っているうちに電信手に接しながら見おぼえた電気の現象を以前からおもしろく感じていましたので、今度は電気の学問を学びたいと思い、その方法をいろいろ考えました。

 そこで以前に新聞売子として列車に乗っていた頃に、マウント・クレメスという駅で駅長の子供が汽車に()かれようとしたのを救い出したのを想い出し、駅長のマッケンジーという人を尋ねて行くと、大いに喜ばれてエディソンの希望を(かな)えてやろうと()われるので、その後この人から電信の技術を教わりました。そして間もなくそれに通じましたから、そこで鉄道の電信手として勤務することになり、夜勤係となりました。ところがこれも彼にとっては自分の実験を行いたいからのことであったので、昼間はそういう実験に従事していましたが、そうなると夜は眠くてたまりません。ついうとうとと眠るのが、やがて監督者に見つかったので、ひどく叱られた上に、その後は必ず三十分毎にAの字を電信で送るように命ぜられました。これでは最早(もはや)眠るわけにゆかないので、最初はその通りに実行しましたが、そうするとせっかくの昼間の実験が出来なくなってしまいますから、そこで彼はいろいろ考えた末に、うまいことを工夫しました。それは電信装置と壁にかかっている時計とを針金でつないで、時計の針が三十分経る毎にAの字の信号を自動的に送ることのできるようにしたのです。これで彼は当分の間は安心して眠れることになりましたが、やがてそれも監督者に見つかってしまいました。監督者は実はそのとき彼の才能に驚嘆したのですけれども、それを見過ごすわけにもゆかないので、止むなく彼を解雇してしまいました。

 その後エディソンはいろいろな場所に移って電信手を勤めることになりましたが、その頃は電信手も不足であった上に、彼の技能がすぐれていたので、どこでも大いに歓迎されました。その間に彼はいろいろな科学上の書物を読んで、だんだんに知識を増し、一八六八年にはその最初の発明として投票記録器を考案し、翌年その特許を得るに至りました。そしてこれが彼のその後の多くの発明への出発点となったのでした。

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