絵のない絵本 01 絵のない絵本

26話 第二十五夜

986字 約2分 2018年4月2日 公開

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「わたしはきみにフランクフルトの、ある光景を話してあげましょう」と、月が言いました。「わたしはそこで特に一つの建物をながめました。といっても、それはゲーテの生れた家でもなく、古い議事堂でもありません。その議事堂の格子窓(こうしまど)からは、そのむかし皇帝(こうてい)戴冠式(たいかんしき)のときにあぶり肉にされて、人々のご馳走(ちそう)にされた、角のついたままの牡牛(おうし)頭蓋骨(ずがいこつ)が、いまもなお()きでているのですが、しかし、わたしがながめていたのはそんなものではなくて、せまいユダヤ人(まち)の入口の(かど)のところにある、緑色に()られた、みすぼらしい平民の家だったのです。それはロスチャイルドの家でした。

 わたしは開いている戸口から中をのぞいてみました。階段のところには、あかあかと明りがついていました。そこには下男たちが重そうな銀の燭台(しょくだい)に火のともっているろうそくを持って、立っていました。そして、(かご)に乗ったまま階段を運ばれてきた、ひとりの年とった婦人に向って、ていねいにおじぎをしていました。この家の主人は帽子(ぼうし)もかぶらず立っていて、この老婦人の手にうやうやしくキスをしました。

 老婦人はこの人の母親だったのです。老婦人は息子(むすこ)召使(めしつかい)たちに親しげにうなずいてみせました。それから、人々は老婦人を(せま)い暗い小路(こうじ)の中の、とある小さな家へ運んで行きました。そこにこの老婦人は住んでいました。そこで子供たちを生んだのです。そしてそこから、子供たちの幸福が花のように()きいでたのです。もしもいま、わたしが人からいやしまれているこの小路と小さい家とを見捨てたなら、幸福もまた息子たちを見捨てるだろう、というのが、この老婦人の信念だったのです。――」

 月はこれ以上話してくれませんでした。今夜の月の(おとず)れはあまりに短いものでした。しかしわたしは、人からいやしまれているその狭い小路に住む年とった婦人のことを考えてみました。このひとがたったひとこと言いさえすれば、テームズ河のほとりに光りかがやく家が立つのです。たったひとこと言いさえすれば、ナポリの入江近くに別荘(べっそう)が立つのです。

『もしもわたしが、息子たちの幸福が咲きいでたこの小さい家を見捨てたなら、幸福も息子たちを見捨てるだろう!』――それは迷信(めいしん)です。でもそれは、人がこの話を知り、その絵を見るときに、それを理解するためには、「母親」という二つの文字をその下に書いておきさえすればいいといった(たぐ)いの迷信です。

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