26話 第二十五夜
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「わたしはきみにフランクフルトの、ある光景を話してあげましょう」と、月が言いました。「わたしはそこで特に一つの建物をながめました。といっても、それはゲーテの生れた家でもなく、古い議事堂でもありません。その議事堂の格子窓からは、そのむかし皇帝の戴冠式のときにあぶり肉にされて、人々のご馳走にされた、角のついたままの牡牛の頭蓋骨が、いまもなお突きでているのですが、しかし、わたしがながめていたのはそんなものではなくて、せまいユダヤ人街の入口の角のところにある、緑色に塗られた、みすぼらしい平民の家だったのです。それはロスチャイルドの家でした。
わたしは開いている戸口から中をのぞいてみました。階段のところには、あかあかと明りがついていました。そこには下男たちが重そうな銀の燭台に火のともっているろうそくを持って、立っていました。そして、轎に乗ったまま階段を運ばれてきた、ひとりの年とった婦人に向って、ていねいにおじぎをしていました。この家の主人は帽子もかぶらず立っていて、この老婦人の手にうやうやしくキスをしました。
老婦人はこの人の母親だったのです。老婦人は息子と召使たちに親しげにうなずいてみせました。それから、人々は老婦人を狭い暗い小路の中の、とある小さな家へ運んで行きました。そこにこの老婦人は住んでいました。そこで子供たちを生んだのです。そしてそこから、子供たちの幸福が花のように咲きいでたのです。もしもいま、わたしが人からいやしまれているこの小路と小さい家とを見捨てたなら、幸福もまた息子たちを見捨てるだろう、というのが、この老婦人の信念だったのです。――」
月はこれ以上話してくれませんでした。今夜の月の訪れはあまりに短いものでした。しかしわたしは、人からいやしまれているその狭い小路に住む年とった婦人のことを考えてみました。このひとがたったひとこと言いさえすれば、テームズ河のほとりに光りかがやく家が立つのです。たったひとこと言いさえすれば、ナポリの入江近くに別荘が立つのです。
『もしもわたしが、息子たちの幸福が咲きいでたこの小さい家を見捨てたなら、幸福も息子たちを見捨てるだろう!』――それは迷信です。でもそれは、人がこの話を知り、その絵を見るときに、それを理解するためには、「母親」という二つの文字をその下に書いておきさえすればいいといった類いの迷信です。