6話 爆薬の花籠(6)
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房枝たちが養われている新興ミマツ曲馬団が、今後うまく立ちなおって、よい興行成績をあげるようになるかどうか、それは団員たちにとって、生きるか死ぬかの大問題だった。
吉凶いずれか、いわば、その運だめしともいえる城南の興行の瀬ぶみに、房枝は新団長の黒川とつれだち、横浜をあとに、東京へ出かけたのであった。
これから先、はたして団員二十余名が、うまく口すぎが出来ていくであろうかと思えば、この下検分の使の責任は重く、目の前が暗くなる思いがするのであったが、それでも房枝は、メキシコにいるときから、いくたびとなく夢にみていたなつかしい東京の土地を踏むのだと思うと、やっぱりうれしさの方がこみあげて来た。
「あら、もう、ここは東京なのね」
省線電車が、川崎を出て長い鉄橋を北へ越えると、そこはもう東京になっていた。房枝は、窓越しに、工場ばかり見える町の風景に、なつかしい瞳を走らせた。
新団長の黒川は、ふーんと、生返事をしたばかりで、電車の中にぶらさがっているハイキングの広告に、注意をうばわれていた。
(このごろのお客さんは、みんなハイキングにいってしまって、曲馬団なんかに、ふりむかないのじゃないかなあ。そうなりゃ、飯の食いあげだ)
と、この新団長には、車内の広告が、はなはだ心配のたねとなった。
電車が蒲田駅につくと、二人は、あわてて下りた。
駅前にはバスがあるのに、黒川はそれに乗ろうとせず、てくてくと歩きだした。たとえ一円でも、これから先にはっきりしたあてのない今のミマツ曲馬団のふところには、ひどくひびくのであった。この団長さん、なかなかこまかい人物だった。
二人は、にぎやかな商店街をぬけて、なんだか、せせこましい長屋町に入りこんだ。そこは鼠色の土ほこりの立つ、妙にすえくさいさびた鉄粉のにおう場所で、まだ、ところどころに、まっ黒な水のよどんだ沼地があった。
だが、房枝には、こういう建てこんだ棟割長屋が、ことの外なつかしかった。それは房枝が、まだ見ぬ両親の家を思い出したからだ。
(こうした棟割長屋のどこかに、自分の両親が暮しているのではないか)
そう思えば、房枝には、一軒一軒の家が、ただなつかしくて仕方がないのだ。家々には、大勢の家族がにぎやかに暮している。なにやら、うまそうに煮えている匂もする。赤ちゃんが泣いている。よぼよぼしたお婆さんが、杖をつきながら露地の奥からあらわれて、まぶしそうに、通をながめる。飴屋さんが、太鼓を鳴らしながら子供たちをお供にして通る。
どれを見ても、一つとして、房枝にはなつかしくないものはなかった。房枝は、いくたびか、通りがかりのその棟割長屋へ、
(お母さま、ただ今)
と、はいっていきたくなって、困った。まだ見ぬ親をしたう房枝の心のうちは、ちょっと文字にものぼせられないほど、いじらしかった。
「さあ、地所は、あそこに見える空地なんだが」
と、黒川が、とつぜん立ちどまって、
「ところが、あの空地の持主の飯村という人の家は、どこか、この近所にあったはずだが、どこだったかなあ。だいぶん以前のことで、度忘れしてしまったぞ」
と、新団長は、溜息をついて、あたりを見まわした。房枝の夢みる心は、黒川のこえのした瞬間に破れ、とたんに彼女は、現実の世界に引きもどされた。
「さてこのあたりに、ちがいないと思うのだが、房枝、わしは、このへんをちょっと探してくるから、お前、しばらくここに待っていておくれ」
そういって、黒川は路傍に房枝をのこして、あたふたと向こうへ歩いていった。
工場地帯
房枝は、ひとりになって、路傍に立っていた。通りがかりのおかみさんや、三輪車にのった男や、それから、近所のいたずらざかりの子供たちが、房枝を、じろじろと見て通る。なにしろ、このへんに見なれない垢ぬけのした洋装をしている房枝だったから、特に目に立ったのであろう。
房枝は、人に見られることは平気の職業を持っていたが、それは、曲馬団の舞台へあがったときのことで、こうして今、路傍に立っているところを、じろじろ見つめられるのは、はずかしかった。
しぜん、房枝は、道の方に背を向け、はるかに見える極東薬品工場の方を、ぼんやりと見つめていた。
その工場には、三本の、たくましい煙突が立っていて、むくむくと黒い煙をはいていた。その煙突を見、まっ白に塗られた工場を見ていると、房枝は、なんとはなしに、それが雷洋丸の生まれかわりのような気がしてきた。
ああ、思えば、ふしぎな運命に、ひきずられてきたものである。雷洋丸が爆沈せられたあと、怒涛荒れくるう、あのような大洋から、よくぞ救い出されたものである。
「ああ帆村荘六さまは、どうしていらっしゃるだろう?」
房枝は、しばらく忘れていた、たのもしい人のことを、ここでまた新しく思い出した。
そうだ、たのもしい青年探偵、帆村荘六! せめて、あの人が、今、自分のそばにいてくれれば、こうも不安な、そして孤独な気持にもならないですむだろう。曾呂利本馬の芸名で一座に戻ってくることは、もちろん不可能であろうけれど、せめて、房枝たちのため、相談役にでもなってくれれば、ずいぶん皆は、よろこぶであろう。その中でも房枝自身は、他のだれよりもうれしいのであるが。
帆村荘六が、奇蹟的に一命をとりとめて、無事帰りついたことは、新聞で知った。房枝はそののち、なんとかして帆村に会いたいものと、思いつづけたのであったけれど、その帆村の住所を忘れてしまった。だから、手紙を出したくても、出すことができないのだった。
そういう場合には、帆村の記事を出した、新聞社へ頼めば、たいてい、親切に先方の住所を調べ出して連絡してくれるのであるが、房枝は、まだ世間なれしないため、そういう方法のあることを知らなかった。
「ああ、帆村さまにお会いしたいわ。たった一度きりでいいから」
房枝が、そんなことを、しきりに考えているとき、彼女のうしろを一台の自動車が走りぬけた。そして、そのすこし先で、車は水たまりにとびこんで、ひどい音をたてて水をはねかせた。
「まあ、しつれいね」
房枝は、あっといって、自分の服をあらためてみたが、いいあんばいに、べつにどこにも、泥水がとんでいなかった。
その自動車はそのまま、どんどん走っていったが、しばらくいくと、辻を左にまがって、極東薬品の塀にそって進んでいった。そうなると、車が横になって、車内に一人の紳士が、よほどいそがしいと見えて、新聞をひろげて読んでいるのが見えた。
房枝は、にくらしげに、その自動車の行方を見つめていた。
「あら、あの自動車、あの工場へ入っていったわ」
房枝は、一大発見でもしたように、思わず声をたてた。だが、工場の玄関の前にとまったその自動車の中から、新聞をたたみながら降り立った紳士が、まさか房枝の会いたく思っている青年探偵帆村荘六であることには、気がつかなかった。なぜといって、二人の間にはかなりの距離があったのである。
もしも、あのとき、房枝が道の方に背を向けていなかったら、また、帆村荘六が、車内で新聞などを読んでいなかったら、二人のうちのどっちかが、
(おお、房枝さんだ)
(あら、帆村さん!)
と、こえをかけたであろうものを、運命の神は、時に、このようにいじわるなものである。
黒川は、どこまでいったのか、なかなか房枝のところへは帰ってこなかった。
「どうしたんでしょうね、新団長は」
房枝が、すこし不安になって、あたりを、きょろきょろ見まわしていると、そのとき、向こうの方から、一台の三輪車が、いきおいよく、こっちへ向けてはしってきた。
房枝はさっきの自動車にこりて、こんどは道の真中の水たまりよりも、はるかに後に、はなれていた。そして、ふと、さっきの水たまりのところに目をやった房枝は、はっと息をのんだ。
「ああ、たいへんだわ、あの方」
ちょうど、その水たまりのそばを、小さな風呂敷包をもった上品な中年の婦人が、なんにも知らないで、こっちへ向いて通りかかっているのだった。
「ああ、あぶない、たいへんですから、わきへおよりなさーい」
そのままいれば、婦人の晴着は、三輪車のため、ざぶり泥水をかけられ、めちゃくちゃになってしまう。房枝は、自分の身を忘れ、大ごえをあげて、危険せまる婦人の方へかけていった。
だが、ざんねんながら、もうそれは間にあわなかった。
「ああッ!」と、房枝は、両手で目をおおった。
知らぬめぐりあい
房枝が目を閉じている間に、三輪車は、どさりと大きな音をたてると、房枝の横を通りぬけた。
「あらッ」
房枝が、はっと思って、ふたたび目を開いてみると、さあ、たいへんなことになっていた。彼女が、心配したとおり、通りがかった例の上品な中年の婦人は、黒い紋附を、左の肩から裾へかけて、見るも無残に、泥水を一ぱいひっかけられているではないか。
「まあ、足袋はだしに、おなりになって」
婦人は、三輪車をさけるとたんに、草履の鼻緒がぷつんと切れてしまい、そして、草履はぬげて、はだしになってしまったのだ。白足袋は、泥水にそまって、もうまっ黒だ。
房枝は、かけよると、今にもたおれそうな婦人のからだを両手でささえた。
「奥さま。しっかりなさいまし。おけがはありません?」
「まあ、あたくし」
と、婦人は、おどろきのあまり、ことばも出ない。
「ずいぶん、ひどい運転手でございますわねえ。あら、あのひと、あいさつもしないで、向こうに逃げてしまいましたわ」
房枝が、後をふりかえったときには、三輪車は、もう向こうの辻をまがったのでもあろうか、影も形も見えなかった。
「いいえ、あたくしが不注意だったのでございますのよ」
と、その婦人は、ハンケチを出して、羽織にかかった泥水の上をそっとおさえたが、二、三箇所、それをすると、もうハンケチは、まっ黒になってしまった。全身の泥水は、まだそのままであるように見える。ずいぶん、ひどくかかったものだ。
この婦人は、誰あろう。有名な彦田博士の夫人道子であった。その昔、発明マニアといわれた若き学徒彦田氏を助け、苦労のどん底を、ともかくも切りぬけ、そして今日の輝かしい彦田博士を世に出したお手柄の賢夫人だった。道子夫人はこのあたりに用事があって、今、かえり道であったのだ。
そんな有名な夫人だとは、房枝は、すこしもしらなかった。房枝は、ただもうこの婦人が気の毒になって、自分のハンケチをハンドバックから出すと、道子夫人の羽織のうえの泥を吸いとりはじめた。が、このハンケチも、すぐまっ黒になってしまった。
「ああどうぞ、もう、そのままで」
と、道子夫人は、つつましく、恐縮して、房枝の好意を辞退した。
「でも、たいへんでございますわ」
「いいえ、わたくしが、不注意なのでございました。あなたのお姿につい見とれていましたものでございますから」
「あら、いやですわ、ほほほほ」
と、房枝は赤くなって笑った。
「いえ、それが、ほんとうなのでございますの。お嬢さまは、しつれいですが、今年おいくつにおなり遊ばしたのでございますか。お教え、ねがえません?」
「まあ、はずかしい」
「ぜひ、お聞かせ、いただきとうございますの。おいくつでいらっしゃいます」
なぜか、道子夫人は、道ばたで会った初対面の房枝の年齢を、しきりに知りたがるのであった。なにか、わけがありそうなようすである。
「あのう、あたくし、こんなに柄が大きいんですけれど、まだ十五なんですのよ」
「え、十五。ほんとうに十五でいらっしゃるの。じゃあ」
といいかけて、夫人は言葉をのみ、しげしげと房枝の顔を穴のあくほどみつめるのであった。
「ああ、奥さま。お履物が、あんなところに」
そのとき、房枝は、夫人の皮草履の片っ方が水たまりのそばに、裏がえしになって、ころがっているのに気がついた。このままにしておいては、また、後から来た車がひいてしまうであろう。そんなことがあっては、ますますお気の毒と思い、いそいで、かけていって、その片っ方の皮草履を手に取り上げた。
「あら、たいへん。鼻緒がこんなに切れていますわ。これじゃ、お歩きになることもできませんわ。あたくしが、今ちょっと間にあわせに、おすげいたしましょう」
「あら、もうどうぞ、おかまいなく」
「いいえ、だって、それでは、お歩きになれませんもの」
と、房枝は、持っていたハンケチをさいて、鼻緒をすげようとしたが、鼻緒をすげるためには穴をあけなければならない。ところが、そこには、錐もなければ火箸もなかった。
「困りましたわねえ。穴をあけるものが、ないので」
「いいえ、もう御心配なく、あたくしがいたしますから」
もしも房枝が、ながく日本の生活になれていて、草履をはきつけていたら、ここではなにも穴をあける道具がなくても、草履の鼻緒を、いちじ間にあわせに別の方法ですげることは出来たはずだ。しかし彼女は、ほとんど外国をまわっていたし、またいつも洋装ばかりしていたので、こうした場合、錐がなければ、鼻緒はすげられないものと思いこんでいた。だから、房枝は決心をして、
「ちょっと、ここでお待ちになっていてください。あたくし、そのへんのお家で、錐をお借りして、鼻緒をすげてまいりますわ」
と、道子夫人にいってかけだした。
道子夫人は、それをとめたが、房枝は、どんどんかけだして、一軒の家へとびこんだのであった。
夫人は、房枝のあとを見送って、呆然とその場に立っていた。
すると、そのとき、向こうから一台の自動車が、警笛を鳴らしながらやって来たので、夫人はまたかとおどろき、いそいで道の傍にさけた。そこはちょうど両側が沼になっていて、さけるのにはたいへん不便なところだった。
自動車は、急にとまった。
「おや、彦田博士の奥さんじゃありませんか。そのお姿はどうなすったのです。さあ、私がお送りしましょう。どうぞこの車へおのり下さい」
夫人が、顔をあげてみると、それは、ちかごろしばしば博士邸へたずねてくる青年探偵の帆村荘六だった。
道子夫人は、車に乗ろうとはせず、てみじかに、ここで起った出来事をのべたのである。もちろん、房枝のこともいった。
「奥さん。それはそうでしょうけれど、早くこの車へお乗りになった方がいいですよ。第一、泥がお顔にまではねかかっていて、たいへんなことになっていますよ」
「あら、まあ。そうですか」
夫人は、あわてて顔をおさえた。
「さあさあお早く、こっちへお乗りください。それじゃみっともなくて、白昼歩けませんぞ。鼻緒の切れた草履なんか、どうでもいいじゃありませんか」
この帆村探偵は、少々らんぼうなことをいう。夫人は、見知らぬ少女の好意を無にして、ここを去るのは気が進まなかった。が帆村は、一切そんなことをおかまいなしに、とうとう、夫人を引張りあげるようにして車にのせると、運転手にいそがせて、そのまま大森にある博士邸へ、車を走らせたのであった。
花環と花籠
極東薬品工業前の空地に、蓆をつくって小屋がけして新興ミマツ曲馬団の更生興行は、意外にも、たいへんな人気をよんで、場内は毎日われるような盛況であった。
団員は、だれもかれも、えびすさまのように、大にこにこであった。中でも、新団長の黒川のよろこびは、ひと通りではなかった。
「おい、お前たち二人でこれからすぐに、電灯会社へいってこい。夕方までに電灯をひいてもらって、今日から、夜間興行をやることにしよう。工事料は現金でもっていけ」
「はいはい。行ってきましょう」
なにしろ、道具もなければ、金もないので、小屋がけをしたはいいが、はじめは電灯を引くことも出来なかった。天井なしの、天気のいい日だけ、昼間興行で打切りというすこぶる能率のわるいやり方で、がまんしなければならない新興ミマツ曲馬団だった。
だが、蓋をあけると、どやどやとお客が押しよせてきて、たちまちしわだらけの札が、団長の帽子の中に一ぱいになってしまった。
二日目には、客からお届けものの栗まんじゅうの入っていたボールの箱を、臨時金庫にしたが、たちまちこの箱も、札で一ぱいになって、箱はとうとうこわれてしまうというさわぎであった。そこで、仕方なくそばやさんから、乾うどんの入っていた木箱をゆずってもらって、これを三代目の金庫としたが、この金庫も、三日目には、札で、すっかり底が浅くなってしまい、うっかり持ちあげると、板底から釘がぬけだすというわけで、夢みたいに金が集まってきた。こうなれば、電灯工事費なんかなんでもない。
房枝の出し物は、もともと小馬ポニーを使って、身軽な馬術をやるのが一座の呼びものになっていたが、そのポニーは、雷洋丸とともに、太平洋の底に沈んでしまった。だから、この出し物はだめとなって、初日、二日は、仕方なく、上は洋髪の頭のままで、からだには、紙でつくったかみしもをつけ、博多今小蝶と名乗って、水芸の太夫娘となって客の前に現れた。それでも、なにもしらない客たちは大よろこびで、小屋が割れそうなくらい手をたたいた。
房枝は、うすい板敷の舞台の上で、そっと涙をのんだ。
(ポニーほしい)
と思ったが、それは、どうにも、急場の間にあうはずがなかった。
「じゃあ一つ、空中サーカス道具を手に入れ、ついでに、天井の高い天幕も、借りちまうか、これなら、ごうせいな番組となって、お客は、またうんとふえるにちがいない」
と、楽屋の草原の上に、あぐらをかいている黒川新団長は、ものすごく気前がよかった。
五日目は、徹夜で、大天幕張り、次の日から、見ちがえるような新興ミマツ大曲馬団超満員御礼大興行と、長たらしい名前の旗を出し、「お礼のため、特に料金は二割引」とわけのわからぬ但し書をつけたが、これがまた大当りと来た。一座は、波間に沈んでいく雷洋丸から、命からがらのがれた後のしめっぽい思出なんか、どこかに忘れてしまって、たいへんな張切りぶりを見せた。もう二、三箇月、東京各地で稼いだら、その次には一座そろって上海へ渡ろうと、黒川団長は、そんな先のことまでを口にした。
ちょうど、七日目の昼間興行のとき、房枝が、アパートを出て、楽屋入をすると、黒川新団長が、にこにこ顔でそばへよってきた。
「おい、房枝。今日、お前のところへ、すばらしく大きな花環の贈物がとどいたよ。天幕の正面の柱に高くあげておいたよ」
「まあ、ほんとう? だれからかしら」
房枝は、大花環と聞いて、目をみはった。
「さあ、その贈主のことだが『一婦人より』としてあるだけで、名前はない」
「一婦人より、ですって。だれなんでしょうね」
「まあ、その幕の間から、ちょっとのぞいてごらん。実にすばらしい花環だ」
団長は、自分がその花環をもらったようによろこぶのであった。そこで房枝は、顔があかくなったが、団長にすすめられるままに、幕に手をかけてそっと覗いた。
「あーら、ほんとうね。まあ、きれいだこと」
房枝は、思わずおどろきのこえをあげた。
「どうだ、りっぱなものだろうがな。わしはちかごろ、あんな見事な大花環を見たことがない。房枝、お前は、今はおしもおされもせぬ一座の大花形だよ」
「だれが、贈ってくださったのでしょうね」
と、房枝は、小首をかしげたが、そのとき、ふと気がついて、
「ああひょっとしたら、部屋においてあるあの片っ方の草履の奥さまがおくってくださったのではないかしら。でもまさか」
と、房枝は、自問自答をして、再びその花環へ、まぶしい視線を送ったが、そのとき、房枝は、とつぜん、「あっ」と、大きな叫びごえをあげておそろしそうに身をひいた。
「どうした、房枝。いきなり、そんな大きなこえを出して」
房枝は、そのとき、新団長の腕を、しっかととらえて、こえをふるわせた。
「ちょっと、あれを、あたしの大花環の横にならんで、気味のわるい花籠が」
「ええっ、気味のわるい花籠が?」
怪しき花籠
「気味のわるい花籠? あの花籠なら、たいへんきれいじゃないか」
と、黒川新団長は、房枝のことばを、むしろふしんに思っているようすだった。
房枝は、恐怖の色をうかべ、
「いいえ、あの花籠には、あたし見おぼえがあるのよ。あの雷洋丸事件の、そもそもはじまりは、あの花籠だったのよ」
「ええ、なんだって」
雷洋丸事件ときいて、黒川新団長は急に顔色をかえた。黒川はあのとき、トラ十の横に腰を下していたのだった。あのとき、電灯が一度消えて、二度目についたときには、トラ十のすがたはなく、卓上は鮮血でそまっていた。それから間もなく、雷洋丸は爆沈し、彼はもう少しで、命を失うところだったのだ。雷洋丸事件ということばをきくと、黒川は今でも、すぐ身ぶるいがはじまる。
「団長さん。あの事件のとき、あたしたちの食卓に、あのとおりの花籠がのっていたのよ。そして、一度停電して、二度目に電灯がついたときには、その花籠はなくなっていたのよ。そして、卓上には、あのおそろしい血が」
「ああ、それから先は、もういうな。わしは、それを思うと、身ぶるいが出るのだ」
「あたしは、あの花籠を見たとたんに、身ぶるいがおこりましたわ。あんな気味のわるい花籠は、すぐ下してくださらない。あたし、芸もなにも、できなくなりましたわ」
「まあ、そういうな。しかし、わしも、やっと思い出したぞ。そうだ。たしかあのとき、わしの目の前に、あのような花籠がおいてあったねえ」
「団長さん。あの花籠は、一たい、どなたが贈ってくださったのですか」
「ああ、あの花籠か。あれは、だれから贈られたのだったかなあ。そうそう、なにしろ大入満員でいそがしいものだから忘れていたが、さっき、お届物屋さんが持ってきたといっていたが、そのとき手紙がついていたのを、読もうと思って、すっかり忘れていた」
「手紙がついていたんですか」
「そうなんじゃ、いそがしくて、すっかり忘れていたよ。あれは、どこへしまったかなあ」
黒川は、ポケットをさがしまわっていたが、やがてまっ白い角封筒を、ズボンのポケットからつまみだした。
「ああ、あったよ。これだ、この封筒だ。中の手紙を読めば、だれが贈ってくれたかわかるよ」
そういって、黒川は、その四角な封筒をやぶって、中から四つにたたんだ用箋をひっぱりだした。そして、それをひろげてみると、なんとそこには、電報のように、片かなばかりをつかった文章が、タイプライターで印刷してあった。
その文面は、次のようなものであった。
「――ライヨウマルノコトヲ、オモイダシテクダサイ。コノサーカスハ、イツデモ、ワタクシノテニヨッテ、バクハツシマス。ソレガコマルナラ、コンヤ十一ジニ、クロカワダンチョウト、ハナガタフサエト、マルノウチ、ネオン・ビルノマエニキナサイ。ケイサツニツゲタリ、コノハナカゴヲウゴカスト、スグバクハツサセマス、ワタクシタチノブカガ、イツモチャントミテイマス。バラオバラコ」