111話 おばけの正体 第一一一項 栃木県の狐狸談
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古来伝わる狐狸談はもちろん、現在聞くところの狐狸談も針小棒大が多いが、その中には全く無根虚構に出ずるものがある。その一例として、先年栃木町に起こりし出来事を掲げてみよう。この話は今より二十年前のことで、当時全国各新聞に報道してあった。その大要は左のとおりである。
栃木県下栃木町、開業医某のもとに、真夜中急使来たりて請いらく、「産者、今まさに産せんとしてすこぶる苦悩せり。急ぎ来たりて一診せられたし」と。某請いに応じ車を命じて、急使とともにその家に馳せてみれば、家は誠に立派なる大家なり。至りしときはすでに産み落とせし後なりしかば、某は事後の薬など与え、うどんの馳走を受け、かつ謝金をも受け取りて帰宅せり。翌朝、所用ありて紙入れの金を出ださんとして開きみれば、なんぞ図らん、謝金はことごとく木の葉ならんとは。怪しみて前夜の道をたどりてその家に至りみれば、車輪の跡は歴々存すれども、家屋はあらずして茶園のみ。しかして、その茶園に狐の赤子が死していたりという。ここにおいて、某は前夜のうどんを思い出だし、家にかえりて吐剤を服し、もってその吐出物を検するに、まさしくうどんなりしに相違なし。もっとも、その前日とか、その近傍に婚礼ありて、打ち置きのうどんが紛失せしことありし由なれば、けだし、このうどんなるべし。当時この話遠近に伝わりて、人はみな「某は狐に魅されたり」と称せり。
この雑報を読みたる人より、余に質問を寄せられたれば、余はその開業医の方へ照会してみた。その書面および往復の大要は、左のとおりである。
このことにつき寄書者は疑問を掲げて曰く、「狐は果たして人を魅するの術を知るや。果たして狐に人を魅するの術ありとせば、いかなる術に候や。心意にいかなる変化を受くれば、かく狐を人と見、茶園を立派なる大家と見受くるに至るものに候や。魅術の心意上に及ぼす変化のぐあいを承りたし」
余、この報に接して大いにこれを怪しみ、速やかに栃木町に問い合わせしに、その返書に、御照会の件は全く事実無根につき、御取り消し相成りたき旨申し来たれり。ここにおいて、そのことの全く訛伝、虚構に出でたることを知り、その由を寄書者に答えおけり。
この一事項に照らして、ほかの妖怪談の信拠し難きを知るべしである。