1話 紅玉(1)
読み方を変える
時―――現代、初冬。
場所――府下郊外の原野。
人物――画工。侍女(烏の仮装したる)。貴夫人。老紳士。少紳士。小児五人。――別に、三羽の烏(侍女と同じ扮装)。
小児一 やあ、停車場の方の、遠くの方から、あんなものが遣つて来たぜ。
小児二 何だい/\。
小児三 あゝ、大なものを背負つて、蹌踉々々来るねえ。
小児四 影法師まで、ぶら/\して居るよ。
小児五 重いんだらうか。
小児一 何だ、引越かなあ。
小児二 構ふもんか、何だつて。
小児三 御覧よ、脊よりか高い、障子見たやうなものを背負つてるから、凧が歩行いて来るやうだ。
小児四 糸をつけて揚げる真似エして遣らう。
小児五 遣れ/\、おもしろい。
凧を持つたのは凧を上げ、独楽を持ちたるは独楽を廻す。手にものなき一人、一方に向ひ、凧の糸を手繰る真似して笑ふ。
画工 (枠張のまゝ、絹地の画を、やけに紐からげにして、薄汚れたる背広の背に負ひ、初冬、枯野の夕日影にて、あか/\と且つ寂しき顔。酔へる足どりにて登場)……落第々々、大落第。(ぶらつく体を杖に突掛くる状、疲切つたる樵夫の如し。しばらくして、叫ぶ)畜生、状を見やがれ。
声に驚き、且つ活ける玩具の、手許に近づきたるを見て、糸を手繰りたる小児、衝と開いて素知らぬ顔す。
画工、其の事には心付かず、立停まりて嬉戯する小児等を《みまわ》す。
よく遊んでるな、あゝ、羨しい。何うだ。皆、面白いか。
小児等、彼の様子を見て忍笑す。中に、糸を手繰りたる一人。
小児三 あゝ、面白かつたの。
画工 (管をまく口吻)何、面白かつた。面白かつたは不可んな。今の若さに。……小児をつかまへて、今の若さも変だ。(笑ふ)はゝゝは、面白かつたは心細い。過去つた事のやうで情ない。面白いと云へ。面白がれ、面白がれ。尚ほ其の上に面白く成れ。むゝ、何うだ。
小児三 だつて、兄さん怒るだらう。
画工 (解し得ず)俺が怒る、何を……何を俺が怒るんだ。生命がけで、描いて文部省の展覧会で、平つくばつて、可いか、洋服の膝を膨らまして膝行つてな、いゝ図ぢやないぜ、審査所のお玄関で頓首再拝と仕つた奴を、紙鉄砲で、ポンと撥ねられて、ぎやふんとまゐつた。それでさへ怒り得ないで、悄々と杖に縋つて背負つて帰る男ぢやないか。景気よく馬肉で呷つた酒なら、跳ねも、いきりもしようけれど、胃のわるい処へ、げつそりと空腹と来て、蕎麦ともいかない。停車場前で饂飩で飲んだ、臓腑が宛然蚯蚓のやうな、しツこしのない江戸児擬が、何うして腹なんぞ立て得るものかい。ふん、だらしやない。
他の小児はきよろ/\見て居る。
小児三 何だか知らないけれどね、今、向うから来る兄さんに、糸目をつけて手繰つて居たんだぜ。
画工 何だ、糸を着けて……手繰つたか。いや、怒りやしない。何の真似だい。
小児一 兄さんがね、然うやつてね、ぶら/\来た処がね。
小児二 遠くから、まるで以て、凧の形に見えたんだもの。
画工 はゝあ、凧か。(背負つてる絵を見る)むゝ、其処で、(仕形しつゝ)と遣つて面白がつて居たんだな。処で、俺が恁う近く来たから、怒られやしないかと思つて、其の悪戯を止めたんだ。だから、面白かつたと云ふのか。……かつたは寂しい、つまらない。壮に面白がれ、もつと面白がれ。さあ、糸を手繰れ、上げろ、引張れ。俺が、凧に成つて、上つて遣らう。上つて、高い空から、上野の展覧会を見て遣る。京、大阪を見よう。日本中を、いや世界を見よう。……さあ、あの児来て煽れ、それ、お前は向うで上げるんだ。さあ、遣れ、遣れ。(笑ふ)はゝゝ、面白い。
小児等しばらく逡巡す。画工の機嫌よげなるを見るより、一人は、画工の背を抱いて、凧を煽る真似す。一人は駈出して距離を取る。其の一人。
小児三 やあ、大凧だい、一人ぢや重い。
小児四 うん、手伝つて遣ら。(と独楽を懐にして、立並ぶ)――風吹け、や、吹け。山の風吹いて来い。――(同音に囃す。)
画工 (あふりたる児の手を離るゝと同時に、大手を開いて)恁う成りや凧絵だ、提灯屋だ。そりや、しやくるぞ、水汲むぞ、べつかつこだ。
小児等の糸を引いて駈るがまゝに、ふら/\と舞台を飛廻り、やがて、樹根に《どう》と成りて、切なき呼吸つく。
暮色到る。
小児三 凧は切れ了つた。
小児一 暗く成つた。――丁ど可い。
小児二 又、……あの事をしよう。
其の他 遣らうよ、遣らうよ。――(一同、手はつながず、少しづゝ間をおき、くるりと輪に成りて唄ふ。)
青山、葉山、羽黒の権現さん
あとさき言はずに、中はくぼんだ、おかまの神さん
唄ひつゝ、廻りつゝ、繰返す。
画工 (茫然として黙想したるが、吐息して立つて此を視む。)おい、おい、其は何の唄だ。
小児一 あゝ、何の唄だか知らないけれどね、恁うやつて唄つて居ると、誰か一人踊出すんだよ。
画工 踊る? 誰が踊る。
小児二 誰が踊るつて、此のね、環の中へ入つて踞んでるものが踊るんだつて。
画工 誰も、入つては居らんぢやないか。
小児三 でもね、気味が悪いんだもの。
画工 気味が悪いと?
小児四 あゝ、あの、其がね、踊らうと思つて踊るんぢやないんだよ。ひとりでにね、踊るの。踊るまいと思つても。だもの、気味が悪いんだ。
画工 遣つて見よう、俺を入れろ。
一同 やあ、兄さん、入るかい。
画工 俺が入る、待て、(画を取つて大樹の幹によせかく)さあ、可いか。
小児三 目を塞いで居るんだぜ。
画工 可、此の世間を、酔つて踊りや本望だ。
青山、葉山、羽黒の権現さん
小児等唄ひながら画工の身の周囲を廻る。環の脈を打つて伸び且つ縮むに連れて、画工、殆んど、無意識なるが如く、片手又片足を異様に動かす。唄ふ声、愈々冴えて、次第に暗く成る。
時に、樹の蔭より、顔黒く、嘴黒く、烏の頭して真黒なるマント様の衣を裾まで被りたる異体のもの一個顕れ出で、小児と小児の間に交りて斉しく廻る。
地に踞りたる画工、此の時、中腰に身を起して、半身を左右に振つて踊る真似す。
続いて、初の黒きものと同じ姿したる三個、人の形の烏。樹蔭より顕れ、同じく小児等の間に交つて、画工の周囲を繞る。
小児等は絶えず唄ふ。いづれも其の怪き物の姿を見ざる趣なり。あとの三羽の烏出でて輪に加はる頃より、画工全く立上り、我を忘れたる状して踊り出す。初手の烏もともに、就中、後なる三羽の烏は、足も地に着かざるまで跳梁す。
彼等の踊狂ふ時、小児等は唄を留む。
一同 (手に手に石を二ツ取り、カチ/\と打鳴らして)魔が来た、でん/\。影がさいた、もんもん。(四五度口々に寂しく囃す)真個に来た。そりや来た。
小児のうちに一人、誰とも知らず恁く叫ぶとともに、ばら/\と、左右に分れて逃げ入る。
木の葉落つ。
木の葉落つる中に、一人の画工と四個の黒き姿と頻に踊る。画工は靴を穿いたり。後の三羽の烏皆爪尖まで黒し。初の烏ひとり、裾をこぼるゝ褄紅に、足白し。
画工 (疲果てたる状、《どう》と仰様に倒る)水だ、水をくれい。
いづれも踊り留む。後の烏三羽、身を開いて一方に翼を交はしたる如く、腕を組合せつゝ立ちて視む。
初の烏 (うら若き女の声にて)寝たよ。まあ……だらしのない事。人間、恁うは成りたくないものだわね。――其のうちに目が覚めたら行くだらう――別にお座敷の邪魔にも成るまいから。……どれ、(樹の蔭に一むら生茂りたる薄の中より、組立てに交叉したる三脚の竹を取出して据ゑ、次に、其上に円き板を置き、卓子の如くす。)
後の烏、此の時、三羽とも無言にて近づき、手伝ふ状にて、二脚のズツク製、おなじ組立ての床几を卓子の差向ひに置く。
初の烏、又、旅行用手提げの中より、葡萄酒の瓶を取出だし卓子の上に置く。後の烏等、青き酒、赤き酒の瓶、続いてコツプを取出だして並べ揃ふ。
やがて、初の烏、一挺の蝋燭を取つて、此に火を点ず。
舞台明くなる。
初の烏 (思ひ着きたる体にて、一ツの瓶の酒を玉盞に酌ぎ、燭に翳す。)おゝ、綺麗だ。燭が映つて、透徹つて、いつかの、あの時、夕日の色に輝いて、丁ど東の空に立つた虹の、其の虹の目のやうだと云つて、薄雲に翳して御覧なすつた、奥様の白い手の細い指には重さうな、指環の球に似てること。
三羽の烏、打傾いて聞きつゝあり。
あゝ、玉が溶けたと思ふ酒を飲んだら、どんな味がするだらうねえ。(烏の頭を頂きたる、咽喉の黒き布をあけて、少き女の面を顕し、酒を飲まんとして猶予ふ)あれ、こゝは私には口だけれど、烏にすると丁ど咽喉だ。可厭だよ。咽喉だと血が流れるやうでねえ。こんな事をして居るんだから、気に成る。よさう。まあ、独言を云つて、誰かと話をして居るやうだよ……
(四辺を《みまわ》す)然う/\、思つた同士、人前で内証で心を通はす時は、一ツに向つた卓子が、人知れず、脚を上げたり下げたりする、幽な、しかし脈を打つて、血の通ふ、其の符牒で、黙つて居て、暗号が出来ると、何時も奥様がおつしやるもんだから。――卓子さん(卓をたゝく)殊にお前さんは三ツ脚で、狐狗狸さん、其のまゝだもの。活きてるも同じだと思ふから、つい、お話をしたんだわ。しかし、うつかりして、少々大事なことを饒舌つたんだから、お前さん聞いたばかりにして置いておくれ。誰にも言つては不可いよ。一寸、注いだ酒を何うしよう。ああ、いゝ事がある。(酔倒れたる画工に近づく。後の烏一ツ、同じく近寄りて、画工の項を抱いて仰向けにす。)
酔ぱらひさん、さあ、冷水。
画工 (飲みながら、現にて)あゝ、日が出た、が、俺は暗夜だ。(其まゝ寝返る。)
初の烏 日が出たつて――赤い酒から、私の此の烏を透かして、まあ。――画に描いた太陽の夢を見たんだらう。何だか謎のやうな事を言つてるわね。――さあ/\、お寝室こしらへをして置きませう。(もとに立戻りて、又薄の中より、此のたびは一領の天幕を引出し、卓子を蔽うて建廻はす。三羽の烏、左右より此を手伝ふ。天幕の裡は、見ぶつ席より見えざるあつらへ。)お楽みだわね。(天幕を背後にして正面に立つ。三羽の烏、其の両方に彳む。)
もう、すつかり日が暮れた。(時に、はじめてフト自分の他に、烏の姿ありて立てるに心付く。されどおのが目を怪む風情。少しづゝ、あちこち歩行く。歩行くに連れて、烏の形動き絡ふを見て、次第に疑惑を増し、手を挙ぐれば、烏等も同じく挙げ、袖を振動かせば、斉しく振動かし、足を爪立つれば爪立ち、踞めば踞むを透し視めて、今はしも激しく恐怖し、慌しく駈出す。)
帽子を目深に、オーバーコートの鼠色なるを被、太き洋杖を持てる老紳士、憂鬱なる重き態度にて登場。
初の烏ハタと行当る。驚いて身を開く。紳士其の袖を捉ふ。初の烏、遁れんとして威す真似して、かあ/\、と烏の声をなす。泣くが如き女の声なり。
紳士 こりや、地獄の門を背負つて、空を飛ぶ真似をするか。(掴ひしぐが如くにして突離す。初の烏、《どう》と地に坐す。三羽の烏は故とらしく吃驚の身振をなす。)地を這ふ烏は、鳴く声が違ふぢやらう。うむ、何うぢや。地を這ふ烏は何と鳴くか。
初の烏 御免なさいまし、何うぞ、御免なさいまし。
紳士 はゝあ、御免なさいましと鳴くか。(繰返して)御免なさいましと鳴くぢやな。
初の烏 はい。
紳士 うむ、(重く頷く)聞えた。とに角、汝の声は聞えた。――こりや、俺の声が分るか。
初の烏 えゝ。
紳士 俺の声が分るかと云ふんぢや。こりや、面を上げろ。――何うだ。
初の烏 御前様、あれ……
紳士 (杖を以つて、其の裾を圧ふ)ばさ/\騒ぐな。槍で脇腹を突かれる外に、樹の上へ得上る身体でもないに、羽ばたきをするな、女郎、手を支いて、静として口をきけ。
初の烏 真に申訳のございません、飛んだ失礼をいたしました。……先達つて、奥様がお好みのお催しで、お邸に園遊会の仮装がございました時、私がいたしました、あの、此のこしらへが、余りよく似合つたと、皆様が然うおつしやいましたものでございますから、つい、心得違ひな事をはじめました。あの――後で、御前様が御旅行を遊ばしましたお留守中は、お邸にも御用が少うございますものですから、自分の買もの、用達しだの、何のと申して、奥様にお暇を頂いては、こんな処へ出て参りまして、偶に通りますものを驚かしますのが面白くて成りませんので、つい、あの、癖になりまして、今晩も……旦那様に申訳のございません失礼をいたしました。何うぞ、御免遊ばして下さいまし。
紳士 言ふ事は其だけか。
初の烏 はい?(聞返す。)
紳士 俺に云ふ事は、それだけか、女郎。
初の烏 あの、(口籠る)今夜は何ういたしました事でございますか、私の形……あの、影法師が、此の、野中の宵闇に判然と見えますのでございます。其さへ気味が悪うございますのに、気をつけて見ますと、二つも三つも、私と一所に動きますのでございますもの。
三方に分れて彳む、三羽の烏、また打頷く。
もう可恐く成りまして、夢中で駈出しましたものですから、御前様に、つい――あの、そして……御前様は、何時御旅行さきから。