9話 DDT
読み方を変える
G中尉はボストンの人で、M大学の二年の時、陸軍に入った。一体僕はいくつに見えると聞かれて、大体二十四というところでしょうと答えたが、まさにその通りであった。非常に真面目で、誰にもましてよく働いた。例えばある朝、水運搬の車が来ず、リスター・バッグが全部からになった時の如き、何度も何度も本部に電話をかけて催促し、昼飯のために本部に帰るや否や「まだ水は着かないか」と、病院に電話して来た。丁度その時トラックが着いたので、当番の米兵曹長がその旨答えたが、仕事については、こんな風だった。
僕等より一足さきに、病院に着いたM中尉は、英語が出来ず、薬の話などするのに困ったが、G中尉が薬名が分らないと、例の亀の甲みたいな化学記号を書くので「あの人は薬剤師か何かではないでしょうか」といっていた。そのことを話すと「僕はM大学を出たら、ハーヴァードの医学校に入り、医者になろうと思っていた。従って化学の勉強もしている。日本が戦争を起しさえしなければ、僕は今ごろはドクターになっているのだ」と笑って答えた。
病院での衛生兵の仕事の一つに、DDTの撒布があった。五ガロン入の丸缶の内身を、ドラム缶入のディーゼル・オイルとまぜ、別のドラム缶と、交互に入れかえること二十回、長い竹の棒でよくかきまぜた上、二十四時間放置したのを霧ふきで、ふきかけるのである。すごく利く殺虫剤で、現在は、まだ、一般市場には売出していないとのことであった。その後DDTに関して色々と聞いたことを綜合すると、大体次のようである。わが国でも進駐軍が方々で使用しているので、このごろはDDTのことが、新聞や何かに時々出る。参考のために、聞いた話を書いておく。
DDTは DICHLORO-DIPHENYL-TRICHLOROETHANE の略称である。一九四二年、フロリダ州のオルランドで、陸海軍と農林省とが――それも極めて少数の軍医と昆虫学者だけが知っていた――試験を始めたが、結果が良好なので、北アフリカ、ナポリ等の戦線で使用し、サイパン島では、上陸前に、飛行機からこれを撒いた。市販の殺虫剤は多いが、DDTはそれ等のどれとくらべても、殺す虫の種類が多いこと、殺虫率がほとんど百パーセントであること、一体どの位長い間有効なのか、まだよく分らぬ程、有効期間が長いこと、という三つの特点を備えている。
この第一と第二の特色で、人間に一番害をする虱、蚊、蠅の九五ないし一〇〇パーセントをDDTは殺す。虱はチブスを、蚊(アノフェレスと一筋まだら蚊)はマラリアとデングを媒介する。普通の家蠅は色々の細菌をはこんで廻るが(すくなくとも三十種類の病菌が蠅によって伝播される結果、北米合衆国で一年に七万五千人の死者を生ずる由。米国みたいに衛生設備のととのった国でこれだとすると、他の国では大変な数になるであろう)これ等三つの害虫に対して、DDTはひとしく有効である。
蚊については実際の数が分っている。一九四四年、アーカンソー州のスツットガート市で、一八平方マイルの地域にDDTを撒布した。スツットガートは蚊が多いので、米国での「蚊の首府」と呼ばれているそうだが、DDTを一回まいただけで、この一八平方マイル区域外の建物一につき、成育した蚊が平均三〇九匹見出されたに対して、区域内では、たった三匹しかいず、しかもこれが五、六、七、八、九の五ヶ月にわたってのことである。
第三の特色、即ちDDTの有効期間の長いことについては、次のような話がある。一九四二年オルランドの研究所で、木綿のシャツの袖に、DDTの五パーセント溶液をつけ、それに毎朝、「健康な虱」の一群が植民された。翌朝検査すると、虱は一匹残らず死んでいる。それに、また「健康な虱」の一群を植えつけ、翌朝調べると、これまた全部死んでいる。これを毎日繰返すこと、六百十九日(報告書作成の日)、その間にこのシャツを八回洗濯したが、DDTの効力は一向減っていない。だから、DDTの有効期間は、まさか無限ということもあるまいが、とにかく非常に長い。(一言お断りしておく。ここにあげた数字は話を聞いてすぐノートしたので、万、間違いはあるまいと思うが、かりにあったとしても、ひどい違いはないと信じる。この点、読者諸兄に安心して頂けると思う。)
ところでDDTは誰がつくったかというと、今から七十年もの昔、ドイツの一化学者が作ったのが最初である。何という人かは聞きもらしたが、彼は単にその化学的構造を記載したのみで、何もしなかった。飛んで一九四〇年かに、スイスのJ・R・ガイギーという会社が、家畜にたかる蠅を殺す薬を製造し「ゲサロール」と名づけて販売したが、それは七十年前、ドイツの化学者が発明したものの商品化だった。これが米国へ渡ったについては、色々と面白い話があるらしいが、あまりはっきりしないから、ここには書かぬことにしよう。
このDDTを毎日、便所やゴミ棄場を始めとして、各病棟に撒布するので、蠅や蚊はまったくいなくなる。その後、アパリの収容所でも同じことが行われ、最後に移されたマニラ南方の収容所でも、DDTは盛んに使用された。最後の収容所といえば、そこに着いて毛布を受取り、一晩寝て起きると、身体がムズムズする。話をしていた本社の同人が、「石川さん、失礼」といって手をのばし、僕のシャツの襟から虱を一匹つまみ上げたにはゾッとした。それでDDTの撒布係が来た時シャツの背中にふっかけて貰った。この薬は身体に附着するとかぶれるといい、従って衣類に付くことも警戒していたが、僕はオルランド研究所での話を聞いていたので「いいんですか」「大丈夫」という訳で、シャーシャーやって貰った。果してその後、虱は一匹も発生せず、帰国のリバティ船では千五百人の兵隊とゴロ寝で、その兵隊の中には、甲板での虱潰しを日課にしている者も多かったが、僕には虱がつかなかった。驚くべき薬が出来たものである。なお米国で雑草や有害植物を根絶すること、DDTの害虫におけるのと同様に強力な薬が、戦争中に発明製造されたとのことで、その話も聞いたが、折悪しくノートを持っていなかったので、詳しいことは忘れてしまった。ただ、DDTが利き過ぎて、たとえば花粉の媒介をする有用昆虫も殺してしまうように、この薬も、また、有用植物をひっくるめて枯らすので、撒布方法に深い注意を払わねばならぬという事実は、興味深く聞いた。DDTの話はこのくらいにしておくことにする。