式部小路

2話

1,368字 約3分 2012年6月22日 公開

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 鳥差が通る。馬士(まご)が通る。ちとばかり(さき)に、近頃は余り江戸(むき)では見掛けない、よかよか飴屋(あめや)が、()と足早に()き過ぎた。そのあとへ、学校がえりの女学生が一人、これは雑司(ぞうし)()の方から来て、巣鴨(すがも)

 こう、途絶え途絶え、ちらほらこの処を往来(ゆきか)う姿は、あたかも様々の形した、切れ切れの雲が、動いて、その(おもて)を渡るに(ひと)しい。秋も半ば過ぎの、日もやつ下りの俤橋(おもかげばし)は、小石川の落葉の中に、月が懸かった風情である。

 空の蒼々(あおあお)したのが、四辺(あたり)樹立(こだち)のまばらなのに透いて、瑠璃色(るりいろ)の朝顔の、(こずえ)()らんで朝から咲き残った趣に見ゆるさえ、どうやら澄み切った夜のよう。

 しかし、恰好(かっこう)をいったら、烏が宿ったのと、(かささぎ)の渡したのと、まるで似ていないのはいうまでもない。また(まこと)の月と、年紀(とし)のころを較べたら、そう、千年も二千年も三千年も(わか)かろう。

 ただ我々に取っては、これを渡初めした最年長者より、もっと老朽ちた橋であるから、ついこの居まわりの、砂利場の砂利を積んで、荷車など重いのが通る時は、(ほこり)やら、砂やら、(ぱっ)と立って、がたがたと揺れて曇る。が、それは大空を(なが)むる目に、雲はじっとしていて、月が動くように見えると一般、橋の(おもかげ)はうつろわず、あとはすぐに(ぬぐ)ったような空気の中に、洗った姿となるのである。

 ちょうど今人の形のいろいろの雲が、はらはらとこの月の前を通り去った折からである。

 橋の中央(なかば)に、漆の色の新しい、黒塗の(つや)やかな、吾妻下駄(あずまげた)(かろ)く留めて、今は散った、青柳の糸をそのまま、すらりと撫肩(なでがた)に、葉に綿入れた一枚小袖、帯に背負揚(しょいあげ)(くれない)繻珍(しゅちん)を彩る花ならん、しゃんと心なしのお太鼓結び。雪の襟脚、黒髪と水際立って、銀の平打(ひらうち)(かんざし)透彫(すかしぼり)の紋所、撫子(なでしこ)の露も垂れそう。後毛(おくれげ)もない結立ての島田(まげ)、背高く見ゆる衣紋(えもん)つき、備わった品の()さ。留南奇(とめき)(かおり)馥郁(ふくいく)として、(ふり)(こぼ)るる縮緬(ちりめん)も、緋桃(ひもも)の燃ゆる春ならず、夕焼ながら芙蓉(ふよう)花片(はなびら)、水に冷く映るかと、寂しらしく、独り(しお)れて(たたず)んだ、一(にん)麗人(たおやめ)あり。わざとか、(くし)(かざり)もなく、白き元結(もとゆい)一結(ひとむすび)

 かくても(つむり)重そうに、(うなじ)を前へ差伸ばすと、駒下駄がそと浮いて、肩を落して片手をのせた、左の袖がなよやかに、はらりと欄干の外へかかった。

 ここにその清きこと、水底(みなそこ)の石一ツ一ツ、影をかさねて、両方の岸の枝ながら、蒼空(あおぞら)に透くばかり、薄く流るる小川が一条(ひとすじ)

 (ながれ)が響いて、風が触って、(かすか)(そよ)いだその(たもと)、流は琴の糸が走るよう、風は落葉を誘うよう。

 雲が、雲が、また一片(ひとひら)、……ここへ(かすり)の羽織、(しま)の着物、膨らんだ襯衣(しゃつ)(かた)のごとく、中折(なかおれ)阿弥陀(あみだ)(かぶ)って、靴を穿()いた、肩に画板をかけたのは、いうまでもない、到る処、足の(とど)まる処、目に触るる有らゆる自然の上に、西洋絵具の濃いのを施す、絵を学ぶ(むき)の学生であった。

 広くはあらぬ橋の歩み、麗人(たおやめ)背後(うしろ)を通って、やがて渡り越すと影が放れた。そこで少時(しばらく)立留って、浮雲のただよう形、(じっ)此方(こなた)(なが)めたが、思切った(さま)して去った。

 その(かたわら)小店(こみせ)一軒、軒には草鞋(わらじ)をぶら下げたり、土間には大根を土のまま、(すす)けた天井には唐辛(とうがらし)。明らさまに前の(とおり)へ突出して、それが売物の梨、柿、冷えたふかし(いも)に、古い精進庖丁も添えてあったが、美術家の目にはそれも入らず。

 店には誰も居なかった。昨日の今時分は、ここで柿の皮を()いて食べた、正午(ひる)まわりを帰り(みち)の、真赤(まっか)な荷をおろした豆腐屋があったに。

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